1332. 霧の森林 ~朝の一幕
「見事な濃霧」
イーアンは霧に包まれた朝の森林を、宙に浮いて眺める。白い雲が地上に下りたような、その風景。イーアンの見ている位置からだと、雲海にも似ている。タンクラッドに『待つように』と言われたのが、さっき。
親方が何かを見つけたんだ、とは分かるが、連絡はすぐに途絶えたので、イーアンはタンクラッドの気配がする真上の空で待機する。
彼の気配が大きくなれば、攻撃なども考えられるから、そうであれば、すぐに動けるようにと構えているが。
「でもなさそうですね。何をしているのか」
朝日は少しずつ差し、明るく霧の海を照らすが、思うにあの霧の下は薄暗いだろう。イーアンは腕組みしながら、タンクラッドの現状を考える。
自分が彼を置いて、馬車に一先ず戻ってから。もう5分くらい経つのか。
料理中のミレイオに事情を話し、種を預けてから『タンクラッドを連れ戻るまでの短い間でも、何かあれば』と腰袋の連絡珠を示した時、偶々、親方の珠が光っているのを見て、受けた連絡。
近くで待とうと思い、タンクラッドの気配を頼りに(※方向覚えてなかった)側まで来たイーアン。
「どうされたか。もうじき」
呟きかけて、連絡珠に親方の気配を感じ、さっと腰袋を開ける。光るタンクラッドの珠に応じると『もう良いぞ。降りて来い』の命令を受けた。
『霧に気を付けろ。霧が晴れないように、出来るだけ、霧を動かさないで降りるんだ』
『はい、って言いたけれど。翼ですよ、私。ちょっとは霧も動』
『頑張るんだ』
えー?と答える間もなく、親方は一方的に切る(※毎度)。
無理言いますよ、とぼやきつつ、イーアンは翼を二枚に減らし、尻尾も仕舞い、弱々しく不安定な状態でひょろろ~と降下する。
「二枚だと落ちそうです。かえって危ない気がします」
5mくらいなら良いけど、とか何とか。ぶつぶつ文句を垂れつつ、細く長い翼二枚で、出来るだけそーっとそーっと霧の中に飲まれ、女龍はタンクラッドの気配に近づきながら、大きなすり鉢の影の近くへ到着。
タンクラッドの名前を呼ばない方が良いのかな、と思いつつ、彼の気配のする方へ移動すると、すり鉢横の木の重なる場所に、タンクラッドを見つけ、彼の手招きで側へ行った。
「何かありましたか」
「戻ってから話す。いいか、極力」
はいはい、と流して、イーアンは親方をさっと抱えると、遮られたことに眉を寄せるタンクラッドを見ずに、またぴょろろ~と浮上。
二枚の翼をあまり動かさないで飛ぶのは不安定で、イーアンはまどろっこしい。
「うう、疲れる。疲れ、あんま感じないはずなのに」
二枚の翼で100㎏の人は厳しいのか、とこぼしたら、親方に『お前、龍気で軽々じゃなかったのか』と突っ込まれた(※そうです)。
「疲れないはずだよな?もう。食べなくても良いんだし」
「嫌なこと言わないで下さい。そういうこと言うと、今度からお味見させません」
言い返したイーアンに、親方も黙る(※味見はないとイヤ)。親方と弟子は、霧の中でぼそぼそ喋りながら霧を抜けると、一安心して深呼吸し、馬車へ戻った。
戻る間に、タンクラッドから『人間がいたぞ』の情報をもらい、イーアンはとても心配になった。
イーアンの心配は、あの種を飛ばした相手―― 魔族 ――の憑りついた相手が、もしかしたら現地民だったのでは、としたところに理由があった。
それはタンクラッドも同じで、タンクラッドは確信に近かった。なぜなら、自分の側に来た男女の会話に、仲間を差し出したような言葉が入っていたのを聞いたからだった。
彼らは、差し出した仲間の行く末を見に来たのだろう―― タンクラッドにはそう伝わっていた。
馬車に戻った二人は、もう全員が起きて集まっている、焚火の側に下りると、話を待つ皆に『コルステインが倒した相手・その後の対処』までを、一部始終を伝える。
龍の皮に包んだ種は、ミレイオが見える場所に置いて預っていて、皆の視線はそれを気にし、顔には懸念を浮かべていた。
朝食を受け取ったタンクラッドは、腰かけてすぐに、警護団員に質問する。
「バイラ。訊きたい。この近くに集落はあるか」
「集落ですか?いや、無いと思います。もしかすると、樵の生業は入ってくる可能性がありますが」
「そうじゃないんだ。もし樵だとして、家族で来るか?」
普通は男だけでは、と答えるバイラに、親方は『人間に遭遇した』ことと、『自分は隠れていたから気づかれていない』ことを伝える。
「現地の人間だと思う。男も女もいた。旅人じゃない。話の内容も、ある程度は聞いた」
種を回収した後、現場に残ったタンクラッドは、自分が聞いた、彼らの小声の会話も教える。
ドルドレンは話を聞きながら、怒りを感じたのか、眉を寄せて目を閉じた。バイラも、気分が悪そうに顔をしかめたが、彼は『然もありなん』と理解している。
ロゼールには耐えられない内容で、若い騎士は、思わず舌打ちをしてから、慌てて口を押さえた。
ミレイオはイーアンに『あんたは知らないんでしょ?』と訊ね、イーアンが首を振ると『とっ捕まえてやりたくなるわね』と嫌そうに呟いた。
「何言われたか知らないけど。よく、身内を渡す気になるな、と思う」
「もしかしたら。『リャンタイの町に似た感覚』があるのかも知れません」
イーアンも嫌そうだが、ついこの前、理解しがたい慣習を持つ場所で悩んだことが、頭から離れない。
彼らは自分たちの立場への自覚が弱くて、犠牲を出すことさえ『勇気の末』的な変換を、意識に持っていた。
リャンタイは小さいとはいえ、町だった。これが集落となれば、もっと『生贄』意識は高くなるのも、不思議な流れではない。
人は自分を守るため、兄弟でも親子でも、最終的には差し出すかどうかで悩むのも、古今東西、異世界だろうがどこだろうが生じる。よほど愛情や執着が強くないと、自分の身に代えてまで守ろうとはしない。
普段、当たり前の常識のように『そんな感覚信じられない、自分は出来ない』と言い切っていても。
痛みと恐怖を前に、動物は自分を守る本能がある以上、自分を助けようとするものだと思う。特に人間の場合は、言い訳と理由が付きまとう分、回数も高い。
「どうする。探すか、その集落」
少しの沈黙が流れた後、口を開いたドルドレンは徐に、タンクラドに問う。
剣職人も、それは考えているようで『他にいるとしたらまずいよな』総長の灰色の瞳を見つめて答える。
「最近。魔族に遭わないから、ちょっと安心していたんだよ」
ボソッとザッカリアがこぼし、俯いた。心配そうな顔に、横に座っているバイラが『大丈夫だよ』と背中を擦って安心させる。ロゼールもずっと黙っていたが、緊張しているのか、視線が落ち着かない。
「偶々な、コルステインが気が付いたから、あっという間に終わったが。コルステインじゃなかったらと思うと、こうあっさり片付いたとは思えない」
タンクラッドは食事を口に運びながら、自分が思うことを皆に共有してもらうため、コルステインの報告をもう一度繰り返して聞かせた後、タンクラッド自身が感じたことを話した。
「イーアンやミレイオは、コルステインと同じように、種に耐性があるから、この二人が戦うにしても、無事には無事だっただろう。
だが、コルステインとの決定的な差があるとしたら、コルステインには迷いがないことだ」
タンクラッドの指摘に、ミレイオとイーアンは顔を見合わせる。ミレイオ、目が少し泳ぐ。イーアンもお肉をごくっと飲み込んだ(※頬張ってた)。
「迷わないの、それは私、性格的に無理かも」
「私もちょっと自信ないです」
「だろ?ミレイオは豹変しちまえば、どうにかなりそうだが、コルステインほどの勢いで、退治は無理がある。
イーアンは、コルステインと匹敵する力を、既に使えるにしても、迷い考える時間がある。どっちにしても、長引く要素だ」
タンクラッドはそう言うと、自分の話を聞いている総長たちに目を向けて『俺たちもだ』と続けた。総長は黙っていたが、意見に反対はない様子だった。
「今。決めておくべきだ。例え、これから集落を探し出して、その集落に魔族がいたとしても。俺たちはその経緯と前の姿を考えず、全く躊躇わずに消し去ることを」
ドルドレンは瞼をすっと閉じ『俺に出来るだろうか』と小さな声を落とす。若い騎士も『うわ』と、苦し気な声を漏らした。
バイラは誰の目も見なかったが『そうする必要があるでしょう』そう答えた声には、何かを思い出している経験から来る、静かな力のこもる声だった。それから、彼は横の子供に顔を向けた。
「ザッカリア。ザッカリアは、そんな時。馬車にいるんだよ。君は出て来ちゃいけない」
バイラは怖がっている子供を見て、少しだけ微笑む。ザッカリアは動揺して、答えが出てこないので、バイラは彼の肩を抱き寄せて、腕を撫でながら『見なくて良いこともあるんだから』無理しなくて良いことを教えた。
朝食を食べ終え、空の皿を膝の上に置いている子供に、お皿を渡すように言うと、受け取ってから『ザッカリア。馬車に入っていて』とバイラは頼んだ。
子供は素直に言うことを聞き、何も答えずに立ち上がって寝台馬車へ入った。
それからバイラは、ロゼールと目が合ったので『私の申し出が失礼じゃないなら。ロゼールも』と促した。若い騎士は何度か大きく息を吸い込むと、頷いてから総長を見る。
彼の森のような緑の瞳を見つめ返し、数秒後に『お前にそんなことをさせたいと、俺は一度も思わない』総長は、自分が心から思っていることを伝えた。
「すみません。俺、役立たずで」
「役立たずなんて考えるな。お前に助けられたことしか思い出せないぞ。適材適所だ、ロゼール。今は、馬車でザッカリアを励ましてくれ」
「はい」
気分が悪くなってしまった、青褪めた顔の部下に、ドルドレンは中へ入るように言いつけ、ロゼールが寝台馬車に入ったところで、バイラを見た。警護団員の茶色い目は、皆を見渡す。
「人を。斬るとしても。または、消すとしても。私が責任を取ります。私が仕事で同行している以上、テイワグナ警護団の管轄範囲で行われることです。魔族を外に出さないため、相手が女でも子供でも妊婦でも老人でも、私は倒します」
「バイラ」
ドルドレンは鳥肌が立った。何て強い男だろうと、彼の言葉に、急に心臓の鼓動が早くなる。『総長』の自分だって、そんなことをすぐに思うだろうかと驚く。
バイラの視線は、名を呼んだ総長にピタッと止まり、表情に緩みのない口元が穏やかに動く。
「私は。だから、同行するとしたら、警護団を辞めたいと粘ったんです。いつか旅の最中に、こんな日が来たら、警護団丸ごと叩かれるだろうと思っていたから。
魔物や魔族の犠牲になったとはいえ、生きている国民を、警護団の剣で殺す選択肢を取る以上、責任は私個人に留まらないでしょう。
でも、魔物が跋扈し、蹂躙するテイワグナの現在。『その可能性はある』と分かっていたから、それは本部でも散々説明しました。本部は現実味を持っていたかどうか、知りませんが、私の辞職は受け入れませんでした。
ですから、私は手を打った後ですし、今、その懸念が現実に変わろうと、迷いません。
魔族は、表に広がったら、脅威どころの騒ぎじゃない相手です。テイワグナ全滅に収まらない、甚大な被害を齎すでしょう。魔物と魔族が同時に発生した時点で、迷うことは出来ません。
ハイザンジェル魔物資源活用機構の、派遣した団体、その補佐に就いた、この身の上です。ここで魔族に取り憑かれた人間がいるとすれば、倒すにあたって、私が責任を取ります。
改めて確認します。人間を殺せる人は、この中に何人いますか。種を飛ばされる対象については、後にして。覚悟の有無を確認します。
タンクラッドさんが告げた、コルステインのように、躊躇わずに『魔物も魔族も』倒せる人だけ、手を挙げて下さい」
バイラは、その場に立ち、右手を挙げた。タンクラッドも立ち上がり、同時にイーアンも立ち上がると、二人は右手を挙げた。ミレイオは溜息を落として、よっこらせと立つ。
「はい。私もよ」
両手を腰にあてがい、そう言うと、ミレイオは横に並んだイーアンを見て微笑んだ。『私の妹が決心して、私が動かないわけに行かないわね』そう言うと、静かに微笑む女龍に頷いた。
――ドルドレンは立ち上がれなかった。両手の指を組んだまま、自分以外の立ち上がった音を聞いた後も、まだ悩んでいた。
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今日から4日(木)まで、朝1度の投稿です。
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