133. 楽しい午前
夜も早く眠って、早く起きたイーアン。ドルドレンがぐっすり眠ってるので、見ていない間に着替える。
ドルドレンが買ってくれた服を、まだ箱にしまっているのが気になる。
引っ張り出さなければきちんと畳まれているままだから、皺にもならないけれど。もう結構経つから、早めにクローゼットの相談をしよう、と決める。
すごいたくさん買ってもらった、と毎回服を着るたびに実感する。自分でこんなに買ったことがないから、本当に嬉しいし、本当にすまなくも思う。でもどれも全部素敵。服を選ぶ、って嬉しいな、と笑顔になれる。
今日は汚れ仕事はないから(せいぜい毛皮の煙がけくらい)、薄い生地の亜麻色のブラウス。
前で合わせるフレアとドレープがふんだんな裾長いボルドーレッドのスカート。前が開くから、足が腿の半分くらいまで出る。歩きやすい。そして長い革靴があれば、品も良い。
それと、大好きなコルセット。革だからというのが一番好きな理由だけど、実に便利。服じゃないのに服みたいに使える。今日のはカービングで蔦飾りも彫られているから素敵。
自分の好むコルセットは、胸ギリギリのところで押さえてくれるので、ブラウスが自然にふかっとして、胸ぺたんこでも女性らしく品よくまとまる。
ドルドレンのベッドの脇に腰かけて、寝顔を見ながらそっと頬にキスする。ドルドレンの目がすうっと開いて、灰色の瞳がぼんやりと自分を見つめた。
「おはようございます」
今日は私が朝食をここへ運びましょう、と囁くと、ドルドレンがガバッと起きて『おはよう。でもダメ』と簡潔に告げられた。
そして起き上がって抱き寄せ、『イーアン。何て綺麗なんだ』とスリスリしている。スリスリしているドルドレンの朝が、朝が、あの部分の朝が・・・と気にはなるけど、ここは気にしない。当人も気にしていない。
ちょっと赤くなりながら、イーアンは『お食事どうしますか』ともう一度聞いてみる。一緒に行く、と言うのでドルドレンが着替えるのを待った。
下へ降りて、厨房の騎士に挨拶をして朝食を受け取る。騎士から『お菓子作るんだったら、木の実たくさん買ったからいつでも』と声をかけてもらったイーアン。お礼を言って、早めにお菓子を作りたいことを伝えた。
朝食を摂りながら、ドルドレンに今日の予定を話す。
ドルドレンは『昨日の遠征で、今日は本当は休みだよ』とイーアンに教えた。イーアンもそれは分かっていたが、ダビと、シャンガマックの鎧を作り始める約束をした・・・と話すと、『自分も見て良いか』とドルドレンが言った。
「はい。来て下さい。最初から見てもらえるのは嬉しいです」
ドルドレンも笑顔で『わかった』と頷いた。昨晩、イーアンの手袋作りを見て面白かったから、と言った。
イーアンが嬉しくなって、『あの』と言い掛けた時。後ろからハスキーな声が響いた。
「おはよう」
ドルドレンの眼差しが据わっている。イーアンの真横に朝食の盆を置いて座るハルテッド。
「わぁ。イーアン、とっても綺麗。こんな服着るんだ」
ハルテッドはちょっと体を離して、イーアンの姿を上から下まで見て驚いていた。ドルドレンが冬の初めに買ってくれたことを話し『汚れ仕事や遠征ではない場合は、こうして着ることが出来ます』と伝えた。
まじまじ見つめるハルテッド。『わぁ・・・』と言いつつ、少し頬が赤くなっている。
「あんまり見るな」
「ちょっと煩いんだけど、あんた」
ドルドレンの嫌そうな言葉に、見向きもしないで『あんた』呼ばわりするハルテッド。周囲が驚いて振り向く。ハルテッドは無視して『ねぇイーアン。すごい似合ってるね』とイーアンの瞳に微笑んだ。
「誉めてもらって嬉しいですけれど、これは本当に服が良いのです。中身は一緒ですもの」
イーアンは恥ずかしそうに笑う。ハルテッドが苦笑して『遠慮がちね』と合わせた。ちょっと机の下まで視線を移して『あ。これ前開くの?』とスカートの作りに質問する。
「ああ。そうなのです。こうした形のスカートはあと幾つかあります。馬に乗るときに楽なように、と服屋さんが選んで下さいました」
イーアンはハルテッドの方に両足を向けて、椅子に横に座り直してスカートの合わせを見せた。
「ここ。前で合わせになっているので、私は足をこの辺りまで出すことが出来ます。こんなに長いスカートですが、とても歩きやすいです」
そろえた両足の腿の半分まで出ているところを示して、フレアのスカート端を持ち上げて教える。
「こら、イーアン。止めなさい」
ドルドレンがビックリして止めに入る。
どうして?といった感じでイーアンがドルドレンの注意に顔を向けた。ハルテッドがドルドレンに舌打ちして、『本当にちょっと黙ってらっしゃいよ』とイラついた。
「イーアン足細い」 「細くないんです。お尻とか腿とか肉ついてて痩せないの」
「これ以上痩せちゃダメ。肌、すべすべしてるね。こうして少し素肌が見えてると、とても引き立つ服よね」
ハルテッドは、イーアンの腿に人差し指をすっと滑らせて、撫でて誉めた。『肌すべすべ』の一言に振り返った周囲もガン見。
ドルドレンの怒号『おい!』の一声が、机の向こうから飛んできたがハルテッド無視。イーアンも触られるとは思ってなくて、少し赤くなった。
「食べてる時にごめんね。食事、食べよう」
美人な笑顔でニッコリ笑って、ハルテッドはイーアンに食事を促がす。ドルドレンの怒りの眼差しはどこ吹く風で、何の効果もない。
イーアンは照れて『誉めてくれて有難う』と食事を再開した。
ハルテッドは向かいにいるドルドレンの目を捉えて、不敵な笑みを浮かべた。オレンジ色の瞳の奥に邪悪な光を見たドルドレンは、ハルテッドも危険度【重】と認知した。
食事中。ハルテッドは自分が今日休みであることを知った。というか、思い出した。遠征後は休み、と昨日言われていたのを忘れていた。早起きして損した、と一瞬思うが。
同じように休みのイーアンとドルドレンは、鎧が何とかで工房でいちゃつく(※いちゃつかないけど、この人の視点)と知って、自分も見たいとお願いしたら『はい』とイーアンが答えた。よっし、と心の中で拳を握る。そうと決まれば――
「イーアン。簡単なお菓子とか、食べない?」
お菓子?と繰り返すイーアンに、ハルテッドは微笑んで。
厨房へ一緒に行き、火口を一つ使わせて、と頼んだ。朝食作りは済んでいるので、料理担当は許可した。
「砂糖と果物の酒と、大きめの木の実ある?あと何か、細い長い串」
こんなのでいい?と料理担当が出して、それを受け取ったハルテッドは、小鍋に砂糖と酒をどばどば入れて火にかける。イーアンが見ている前で、ハルテッドは串に木の実を刺し、焼き鳥状態にする。
「これね。私子供の時から好きで、よく自分で作ったわ」
イーアンにも食べさせてあげる、とハルテッドが笑顔を向けて、煮立つ鍋に木の実を浸ける。引き上げて振って乾かし、また浸ける。これを繰り返して、木の実は酒の香りのする飴に包まれた。
「わぁ。きれい」
淡い赤色の、不透明なガラスのようなお菓子に感動し、イーアンはハルテッドのオレンジ色の瞳を見つめる。
『齧らないで舐めてれば、子供のお菓子でしばらく持つの』そう微笑んで、何個か作っとこう、とハルテッドは飴が鍋から取れなくなるまで作った。
厨房のカウンターでドルドレンが不愉快そうな顔で見ている。 ――俺も昔、あれをよくもらったが、と思うものの。イーアンを鷲掴みする手段として生き返ったか。かなり掴まれているな、あれは。
喜んだイーアンは『ドルドレン。作ってもらいました』と一本ドルドレンにも差し出した。
うん、と頷き、女装男をちらっと見ると、ハルテッドの意地悪い微笑が。イーアンの差し出す飴串を口にばくっと咥えて、『工房へ』とイーアンを促がした。
ハルテッドは料理担当の騎士にも『食べて』と人数分渡し、残りを持って工房へついて行った。
工房に入って暖炉の火を熾し、作業机の上を片付けているとダビとシャンガマックが来た。工房は広く、天井も高いため、背の高い人が数人入っても狭く感じない。
シャンガマックは、ドルドレンとハルテッドがいることに、少し警戒していた。だが特に喋らず、ダビの側に立って説明を聞いた。ダビとイーアンが鎧の話をすると、ドルドレンとハルテッドは椅子に座り、3人を見ていた。
シャンガマックの破損した鎧を机に置きながら、シャンガマックの採寸が始まった。自分が書くと字が違うから、とイーアンが小声でダビに伝え、ダビは『自分が寸法の記入をする』と答えた。
シャンガマックはチュニック一枚なので、このまま巻尺で測る。
イーアンが腕を両腕をあげるように指示し、シャンガマックが脇をあける。イーアンは巻尺を背中から回して胸の前で止め、寸法をダビに伝える。次に、背中に回って首の付け根から腰の位置までの長さを伝え、肩幅を測り、また前に戻って腹回りに巻尺を回して胴囲を測る。
シャンガマックは無言だったが、褐色の頬が赤くなっていた。イーアンが首周りを測るとき、少し背伸びをして緩めに首に巻尺を回すと、シャンガマックはイーアンの顔を見ていられなくて目を閉じた。
「あれ。どうなの」 「・・・・・」
「絶対、彼意識してるわよ」 「黙ってろ」
「いいわねぇ。私も鎧欲しい」 「買え」
必要な部分を測り終えて、イーアンはダビに鎧の破損部分と亀裂箇所を取り除いた時に、シャンガマックの体に合わせよう・・・と提案した。
シャンガマックは筋肉質ではないが、肩幅が広く、腹回りが細いので、鎧がもう少し体に沿う改良が出来るのでは、と相談した。『それで丁度良いのができると、今後の参考になりますね』とダビも了解した。
採寸が終わったので、シャンガマックは戻っても良いとダビが伝える。シャンガマックは『もう少し工房の中を見たい』と答えて、イーアンを見た。イーアンが『どうぞ』と笑顔を向ける。
そろそろハルテッドも面白くなくなってきた。
「イーアン。髪編む?」
え?とイーアンが振り向く。ドルドレンの目がぎらっと光る。ハルテッドは立ち上がって、イーアンの後ろへ回り『顔にかかって邪魔でしょ』と顔を覗き込んだ。イーアンは何度か髪を耳にかけていたが、くせっ毛なのもあって、すぐに滑って落ちていた。
「でも編めるほど長くないのです。私の毛は均一の長さではないから」
「編み込めばいいのよ。ピンある?」 「ないです」
ハルテッドは細い針金はないかと質問した。ダビが自分の工房にあるから、分けてくれると言い、取りに行った。
「座って。編んであげる。そんなに時間かからないから、飴食べてれば終わるわ」
ハルテッドがイーアンに飴を持たせて座らせ、後ろに立って髪の毛を両手の指で梳いた。ドルドレンが瞬きしないで睨み続けている。イーアンは少し恥ずかしそうだったが、嫌がっていない。
「嫌なら嫌と言いなさい」
ドルドレンの重圧の増した轟くような声が響く。
イーアンは『ううん。嫌じゃないです。自分では出来ないから』とドルドレンに答えた。『ぬぅ』唸るドルドレン。シャンガマックは意外そうな顔で、女二人(※一人は♂)を見つめる。
「ピンが来るまで、出来るところから編んじゃおう」
ハルテッドはイーアンにそう言って、少しずつ毛を取り、右側から編みこみ始めた。イーアンは飴を舐めるようにと指示されていたので、言いつけどおり飴を舐めて待つ。
飴を舐めるイーアンをシャンガマックが悩ましげにじっと見ていて、それにも気がついたドルドレンは気が気じゃない。
――多分。飴は作戦だ。 イーアンが舌を出してるのを見たいからだ。畜生、こいつら。見るな。
しかし取り上げるわけにもいかん。取り上げたら『飴食べてるのに』とか言われて、イーアンに嫌われる。美味しそうに舐めちゃダメだ。イーアン、男の目がギラついているのが分からないのか――
「あっ」
イーアンが小さい声を上げてビクッとした。ハルテッドが『くすぐったかった?』と笑う。耳の辺りを編んでると指が当たるからね、と言う。
――てめえ。分かっててやってるだろ。絶対狙ってやってやがる。なんだそれ、なんだそれ。当たらないで出来ないのにやるな。
ハルテッドのいたずらは止まらない。一度イーアンが感じた声を聞いたら、歯止めが利かなくなった。何度も指が耳の後ろや下を滑る。
「んっ。あっ」
その度に、イーアンがちょっと肩をすくめて身を硬くする。本人は恥ずかしいようで、一生懸命声を抑えて控えているつもりが、その仕草と声が余計にその場の男のアレコレをくすぐる。
――ぬぐぅ。昨日はお預けだったから、いやに反応する自分がいる。しかしハイルにこの声を出させてるのが腸煮え繰り返る。イーアン。我慢だ、我慢。心頭を滅却しなさいっ。髪編んでるだけなんだから、そんな声出してそんな顔しちゃダメだ。
「イーアン・・・ 動くとやり直しになっちゃう」
ハルテッドが耳元で囁く。顔が嬉しそうに笑う。シャンガマックは真っ赤になって必死に堪え、眉根を寄せながらもうチラ見しか出来ない(退出はしない)。ドルドレンの怒りの歯軋りが響き渡る工房。
「ああ・・・はい。ごめんなさい。あっ、あっ。ん」
謝りながら、イアーんはくすぐったさに耐えられないで身を縮める。『ちょっと、ちょっと、その辺は無理かも』イーアンは困ってハルテッドに頼んだ。
「そう?じゃあここだけピンにしようか。ピンまだかなぁ」
白々しい言葉。ドルドレンが大振りな息を吐き出す。見下ろすハルテッドは勝ち誇ったように微笑む。シャンガマックは、この場に自分が呼ばれたことに感謝した。
ダビが戻ってきて『細いの見つからないので、少し研いだ』と針金を渡した。ハルテッドはお礼を言って、針金を何本かに折り分け、さらにそれを半分に曲げてから、イーアンの髪の毛をひょいひょいと集めてピンでまとめた。
首辺りをまとめられている間も、イーアンは『うんっ』とか『あっ』とか声を出して縮こまったが、ピンの作業は早く終わり、やらしい編みこみタイムは終了した。
ダビだけが『くすぐったそうですよね』と笑っていた。
編みこみをしていただけの20分間にぐったりしたイーアンは、ちょっとフラフラしながら、ダビと鎧の工程を確認し、必要な部品を切り出し始めた。
お読み頂き有難うございます。




