1302. 旅の九十五日目 ~オーリンの聖獣・硫黄谷の実験
翌朝。オーリンは朝食よりも早く起き、夜明けの空が白むくらいで、馬車から出て外を散歩する。
昨日、自分がアリンダオ集落へ行っている間に、イーアンは空から戻って来ていて、ミレイオと着物を縫い始めていた。タンクラッドは珍しく外出中とかで、数時間いなかったが、彼はすぐに戻り、午後は硫黄谷で硫黄の結晶を集めた。
白む空を見上げて、谷の上に停めた馬車の側、森の中を歩く。
自分が持ち帰った情報は、最初の情報の上塗りのような印象で、クトゥたちは『それ以外の解釈は難しい』と、風の歌から聞き取れていない言葉を、解釈に付け足すことを拒んだ。
彼らは正直だし、風の歌を聴く民族というだけあって、歪曲や直接的ではない通訳をしたくなさそうだった。
だから、彼らに『魔族から防ぐ手段』を相談して・・・と思った、最初の話は呆気なく終わってしまい、その代わりに、思ってもいない話が長引いたのが、昨日の帰りが遅れた理由。
「あいつ。なんだって動いたんだろうな」
首を傾げて、自分の腰袋をちらと見るオーリン。自分が紐を回した時、山の絵が剥がれて動き出し、青い不思議な生き物が呼びかけに応じた。
驚いたのはオーリンだけではなく、離れた場所で集まっていたクトゥたちにも異変は伝わり、それで皆が来てくれたような具合だった。離れた道の上から『まさか』と叫ぶ声を聞き、オーリンが振り向くと、走って来る人々が『それは聖獣』と呼んだ。
その聖獣のおかげで、オーリンは暫く目的の話が出来ず、再訪した理由を告げたら相手にされず。再び話は聖獣に移り、どういうわけか、オーリンの横を動かない『聖獣』のあれこれを聞かされた。
「ガルホブラフが来ても、怯えもしない。消えもしない。逃げもしない。ガルホブラフが嫌がっていた。一緒にここまで来る羽目になったが、イーアンを見たら、何となく帰ったな(※イーアン、ショック)」
名前らしい名前もないし、聖獣とは呼んでいたけれど、山肌に描かれた大きな絵物語の、限られた伝説にしか出てこないのか、誰一人その名を知らなかった。
「思えば。アンガコックチャックだって、彼らは名前を呼ばなかった。アンガコックチャックが精霊ってことも、知らなかったみたいだもんな」
探求心がないと言うか(※失礼)、真っ正直と言うか。受け継ぐままに、何も疑問を持たずに生きているような、アリンダオ集落の民。
伝説については教えてくれたし、今後にあの青い聖獣がまた現れるならと、聖獣の動きも『お話の中』で分かっている範囲は伝えてくれた。だが、オーリンとしては乗り気じゃなかった。
「あんなの付きまとわれてもなぁ。俺にガルホブラフが居なかったら、もしかしたら喜んだだろうが。
ガルホブラフの機嫌が悪かったし、相手は龍じゃないし。精霊ってわけでもなさそうだ。聖獣とは言うから、無害には間違いないだろうけれど」
どう扱えば良いんだ、と本音を漏らしながら、『イーアンも悲しむよ』そこも問題だとぼやく。
青い聖獣は、イーアンが馬車から出て来た時に、首を何度か左右に傾げ、それからオーリンを見て確認するように大きく一声上げると、すんなり帰った。
どこへ・・・なんて、知る由もない。とにかく戻ったから、きっとアリンダオ集落の絵の中か、もしくはその辺だろうとは思う。
イーアンは見て分かるくらいに凹み、『私だけどうして』と弱々しく言うと、総長によよよと縋っていた。
「気の毒だよな。ショショウィも無理だし。女龍だから仕方ないんだろうけれど、イーアンは動物が好きだから、嫌われているみたいで、辛い気持ちになる」
その後、説明を求められたオーリンは、一部始終を簡潔に、求めた成果は得られなかったことと、『あの青い聖獣についても謎』とは話した。硫黄谷に着く頃には、イーアンも持ち直していたので(※諦め)一緒に行動した。
後からミレイオに話を聞いたら、イーアンは小川の側に野営した一昨日、少しの時間、海の仔『トワォ』を呼び出して遊んだらしく、それが癒しになっていたか。
「イーアンとしては。龍以外の相手とも仲良くしたいんだ。トワォを呼び出せるから、まだ良かったけれど。なまじ、最強の龍気っていうのも面倒だな」
龍系列しか仲良く出来ないことを、イーアンは嘆いていた(※『毛のあるお友達も欲しい』と)。
仮にもし、ホーミットがただの獅子だったら、イーアンはどうにかして懐かせようとしたんじゃないか、とさえ思う。犬猿の仲だから、在り得ないけれど。
「うちの山羊や馬にも、『ちゃん付け』だったからな。ロゼールの皿にさえ『お皿ちゃん』って名前付けたくらいだ(※相手は皿)」
あの青い聖獣が、イーアンに問題なかったなら『預けたい』とつくづく思うオーリン。
ホント、あいつ何で俺に寄って来たのか――
首を捻って、腰袋の紐を取り出し『これじゃない・・・って言われたんだけど』これくらいしか、理由がないだろ、と呟く。
貰った紐は、クトゥたちから見れば『私たちが使う紐の一つ』でしかない。アリンダオの民限定ではあるらしいが、かと言って、一級品だ何だというわけではない様子に、クトゥたちも聖獣が動いたのは『分からない』と話していた。
暫く考えて。オーリンはこれから何があるか分からないしと、手を打つことにした。
午前の実験が終わり次第、空へ上がって、何でも知っている男龍たちに聞けないかなと・・・『俺の声に答えてくれるかなぁ』それは心配だが、知らない仲でもない。そこに期待して、ダメ元で上がることに決める。
森の中を歩いているうちに、日は昇り、馬車の方から、硫黄ではない(※混じる)良い匂いが漂ってきたので、オーリンは朝食へ向かった。
*****
朝食を終え、騎士たちとバイラは待機。ここに親方も加わる。
彼らは谷の上から見ているのだが、見える範囲に落ち着かない3人は、荷物を持ったまま、あまり危険そうじゃない場所を探してうろつき、ここなら平気じゃないかと見た場所で準備を始める。
イーアンの持ち物に、テイワグナに入ってから、行く先々で集めた物がある。
染色をしていたフィギの町から始まり、織物の盛んなブガドゥム、染物用の植物を産出していたテルムゾの村、また、首都に入ってからミレイオが訪れた、かのユータフの羅紗屋近辺でも。
イーアン自体が行かなくても、ミレイオには話していたので、ミレイオが動いた先で見つければ集めることは出来た。
テイワグナは雨が少なく、気候上、乾燥地帯が多い。そして、水の普及が有難いハイザンジェルに比べ、そうではない地域は多い・・・これが、『旅人』としては辛くても、『職人』としては興味深いものを得られる条件でもあった。
イーアンは、染色の経験がある。ただ、発酵させた染色を主にしていたので、ふと、そこから『もしかして』の気付きが出た。
そして、テイワグナでも見つけたのが、発酵染色の工程で生じる結晶だった。
最初にそれを見た時は、違うものかも知れないと思いながらも、回収しただけ。次からは同じ結晶を見ると『恐らくそうだ』と思って、意識して探した。
これをオーリンに話すと、オーリンは面白そうに頷いて『小便ナシでもってことか』と笑った。
イーアンが見つけた物は、硝石。
実際に試したのは、ギールッフに入ってからだったが、ギールッフの炉場では、いろんな試作や試したい実験が行えたため、かなりはっきりとした証明と、それによる確信を得た。
オーリンは、自宅の用足し場と、家畜の糞尿、それに弓矢の廃材を集めていた場所で、濡れないように雨風を凌ぎ、臭いや衛生上の配慮から乾燥を心掛ける肥料を作っていた。
それくらいだと、他の家でも見かけるものだが、彼の場合は、その場所に出て来た『結晶』の存在に関心を持ったことから、火薬を作るに至った。
この火薬―― ハイザンジェルでは存在していないと分かったイーアン。そしてそれを知っているオーリンは、調合や材料を隠すことを選び続けていた。
今、ここ・テイワグナへ来て。火薬の材料と向き合う。が、作るのは火薬ではない。
二人で話し合って、火薬に触れないでいられるよう、気を配りながら製造することにした。ミレイオにもこれを伝えると、それで合点が言ったような『そうだったんだ』と、何か記憶をたどる言葉を口にした後、二人の意見に賛成してくれた。
こうして。イーアンとオーリン、ミレイオは、硫黄と硝石を使って希硫酸を求める。硫酸は、ここの環境での状態を見てからでも。
首都で幾つかお店を見た時、ミレイオが気に入った形のガラス製品の話から、ガラス製の蒸留器と分かり、それも購入してもらっていた。
「今思えばさ。首都はやっぱり首都なのよね。物の多さが違うもの」
あの後、いろんな町へ行ったが、同じような品揃えはやはり難しいと感じた。
そんなこんなで、丁寧に砕いた硫黄と硝石(←らしいやつ)を蒸留器に入れて、下から熱し、お水を張った桶の中に、受け取るガラスの容器を置いて冷やす。受け取る容器は、やっぱり丸っこいので、イーアンは上からお水を注いで、冷やすのお手伝い。
分銅の天秤で量った、硫黄量は50gより多め。硝石は400g近いが、これくらいじゃなかったっけ~(※怪しい記憶)と思いつつ、イーアンは緊張しながら見守る。
イーアン、宗教上の都合でお勉強した中学生の頃。
ベネディクト会という古い宗派の修道士の記録を学び、この硫酸の製造法を覚えた(※あらあら)。中世の頃、錬金術学者の存在は、化学の最先端。
怪しいっちゃ、怪しい人もたくさんいたけれど、本気で金が欲しかった皆さんの頑張りは、欲を通り越した発見が多かった!とイーアンは褒めたいところ。おかげさまで科学発展しています~と、こういう時に思う(※個人的に)。
凝縮器に冷えて溜まってゆく液体を見つめ、それが希硫酸であることを祈る。これをガラスの瓶に保存し、ガラス栓をあてがって、きっちりと保管。
実験用の液体と、鉄を用意して、気体を袋で受け止め、水素の確認をする。水素と酸素が混ざるのは、この環境下(※特に厳密なセットなし)ではそういうもの。ただ、酸素が入った方が爆発には早いため、イーアンはこれを離れた場所に持って行き、閉じた袋に着火。
袋が燃えた直後、ブワッと炎の塊が生まれ、ミレイオとオーリンの目が見開く。イーアンも『ひーっ!(←自分でやっといて)』とか言いながら、仰け反って驚いた。
「大丈夫?!」
急いでイーアンの側へ走ったミレイオは、女龍の顔や髪の毛、手をザーッと見渡し、火傷はないかと気にする(※イーアン怪我しないの忘れてる)。イーアンも苦笑い。
「いや~、こんな凄いと思わなかったです~ んま~ 危ない」
「イーアン、暢気だろ。んまーとか言える感じじゃなかったぜ」
笑う龍の民が側に来て、これはすげぇよ!と褒めた。3人はこの実験の結果を見て、どうにか使えると良いねとその場で少し話し合った。
「とりあえず。行きましょう。使えるって分かった以上、後は何よ。ええっと、さっきの袋に入れた空気でしょ?最終的に捕まえておきたいのは」
「はい。水素と言いまして、とても軽く、火が着きやすいです。これの入れ物は考えます」
「うん。じゃあね、とにかく。運ぶのに危なくない最小限の状態にして。それで運ぼう。結晶のままなら、そこまで恐怖じゃなさそうだし」
こうしたことで、3人はこれをもう少し形にしようと決め、午前の実験を終え、この成果を馬車で待機する仲間に報告すると共に、次の町、また次の町でと、思いつく計画を練った。
馬車は午前の半ばに出発し、谷を後にして、次の目的地へ進み始めた。
お読み頂き有難うございます。
本日14日は、朝一度の投稿です。夕方の投稿がありません。仕事の関係で、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんが、どうぞ宜しくお願い致します。
科学的(※『的』の曖昧さ大切)なお話が時々、登場しますけれど。『ええ?こんなじゃないよ』と詳しい御方は思われるかもしれません。
いろいろと下調べはしているのですけれど、至らないことが多いため、どうぞ、そこらへんは『違う世界だから。こういうこともあるかな。仕方ないかな』と遠い目で見て頂けますように・・・




