130. イーアンの仕事とドルドレンの気持ち
会議室から出て、夕食までの時間は工房にいるとイーアンは話した。
ハルテッドが一緒にいて良いか、と訊いたが、イーアンは『一人になりたいです』と伝え、遠慮してもらう。
ドルドレンはその態度に不思議に感じ『どうかしたか』と言いかけたが、止めておいた。夕食の時に迎えに来る、と伝えると、イーアンは『はい』と笑って答えた。
工房で一人になって、残っている紙に今日の魔物の事を書いた。
今日の魔物は血を取ったという。食べなくても大丈夫な魔物の種類かどうか。分からなくなる。ただの習性なのか、必要だからか。一つ一つ調べてる時間はないから、事実と疑問だけ書き込んで資料にする。
時間が足りない気がしていた。自分が時の流れに付いて行っていないような。いつヨライデに行かないといけないのかも分からないのに、何一つレールが出来ていない。それはイーアンにとって焦りだった。
――試作を早く。武器も鎧も道具も。一つでも多く。何でも良い。
スタンダードを早く作って、集める魔物の材料を分類して、応用が利くスタイルを作らないと。
早く工房へ持ち込まないと。早く民間に普及しないと。もし間に合わなかったら。もしヨライデへ向かうのがすぐだったら――
――魔物の資料も必要。自分が関わった魔物の資料、採取する部分、使い道、使い方。
お金に換わると分かれば、人は怖れない。怖れも克服する。
お金・・・生活するという目的は人生において、誰にでも強い部分だから。生活が脅かされるから、命に関わると認識してしまうから、弱くなるのだもの。
それより自分が強い事。それを自分がコントロールできる事。それさえ自分の中に認められれば、魔物だって『使える』相手に変えられる。
そのために、全てが廻る仕組みを作らないといけない。
誰かが、小さなことからで良いから、仕組みの原理を作れたら。誰でも0のスタートはリスクと時間がかかるから嫌がるけれど、1のスタートは自分の力に変えられる。0から1へ運ぶ、仕組みを早く――
翼は武器の土台へ。あの袋の中身は、道具へ。毛皮は防寒道具へ。角は武器。硬質系の皮は防具。半端じゃなく硬いとか、特性に優れた皮なら武器。毒や体液や体内物質は道具。
下顎の歯は武器の補助。腸や内臓は、幾らかの融通が利くから・・・範囲を定めないで使用。
何でも良い。早く使えるものを作らないといけない。
明日、シャンガマックが来たら採寸して、ダビに頼んで皮の縁を作ってもらって、私がそれを組んで。
ロゼールや私が使える手袋も作ろう、防護手袋。ドルドレンの剣はイオライセオダに行った時。
「しばらく・・・・・ ここにいなきゃ」
遠征以外は籠もろう。ダビやアティク以外となるべく接触しないようにして、彼らに知識と技術を借りながら急がなければ。
イーアンは焦りが募り続けていた。もちろん忘れている時間はあるけど、工房に入る度、ひしひしとそのことに追い詰められる。作りたい、作りたいけど、時間がない。もっと要領良くならなければ、と。
夕食の時間になり、ドルドレンが迎えに来た。
食事前にお風呂を済ませるのが通例なので、イーアンはお風呂に行った。それからチュニックで出てくると『どうして』とドルドレンが尋ねた。『後でお話します』イーアンは微笑んだ。
納得のいかない表情のドルドレンだったが、何かあるのだろう、と頷いた。彼もこの後すぐ風呂に入ったので、イーアンはオシーンと一緒に過ごした。オシーンはイーアンの服装には何も言わなかった。
イーアンは訊いた。『自分一人でやるべきことが、自分の手からこぼれている時。どうしますか』
海のような深い青い瞳を細めたオシーンは『手に残っているものを、まずは片付けるだけだ』と答えた。
オシーンが笑顔を作ることなく、真っ直ぐにイーアンを見た。
『手に残ったものをよく見ろ。絶対に落ちて行かないものは、自ずと手の平に残る。落ちるものは、いつでも拾えるものしか落ちない』
助言にイーアンは頷き『そうします』と答えた。
ドルドレンが迎えに来て、一緒に夕食を摂ってから、イーアンは『工房へ』と誘った。急いでいるような雰囲気から、ドルドレン素直に従い、一緒に工房へ行った。
イーアンが自分の気持ちを話し、しばらく工房に入り浸りたい事を伝えると、ドルドレンは少し寂しそうな顔をした。
「俺から離れてしまう」
灰色の瞳を悲しそうに向けたドルドレンが呟く。イーアンは微笑まなかった。大丈夫、とも言わなかった。『私一人の問題ではないからです』と、答えとも答えにならないとも取れる言葉を伝えた。
「食事は一緒です。でもそれ以外は極力ここにいます。ヨライデに立つ前に、形を作らないと」
「休みは?」
「動けなくなったら休みます。それまでは体と精神力が持つ間は続けます」
「眠るのは?寝室で眠らないのか?」
「寝室で休む時もあるでしょう。でも出来るだけのことはするつもりです。だから仕事をここで続けます」
「イーアン」
机を挟んで向かいに座っていたドルドレンが立ち上がり、イーアンの側に寄る。跪いてイーアンの両手を取る。鳶色の瞳を覗き込み、『俺は』と言いかけて黙った。イーアンの目が自分を見つめているが、絶対に動かせない気がした。
「遠征には呼ばれたら行きます。厄介な遠征の場合、私が役立てそうでしたら連れて行って下さい」
「遠征の時だけなんて」
「食事も一緒ですよ」
ああ・・・とドルドレンが溜息をついた。両手に包んだ、イーアンの手に顔を埋める。いつも自分の体を抱き締めてくれる、その両手に口付けする。頭の中で『力強い女の手』と鎧工房のオークロイが言った言葉が浮かぶ。
「俺に出来ることは?俺も手伝う」
「ドルドレンはご自身の仕事がたくさんあるでしょう。もし手が空いたら、ここに来て本を読んで」
「毎日来る。毎日、本を読む。答えなくても良いから、俺がここにいることを許してほしい」
イーアンが笑った。ドルドレンは悲しい表情のまま、ちょっと笑った。
「一人で頑張らないでくれ。一緒に。俺たちは離れてはいけない、と精霊が・・・世界がそう言ったんだろう?」
はい、とイーアンは微笑んだ。ドルドレンは堪らなくなって、イーアンを抱き締めた。『イーアン、嫌だ』何を言いたくなったのか分からないまま、ドルドレンが心に浮かんだ声を口にした。
「嫌だ、嫌だ。離れたくない。俺から遠ざかっては駄目だ。イーアン」
「ドルドレン。離れません。しばらく籠もるだけです」
嫌だ、と抱き締める力を強くするドルドレンは、イーアンの言葉よりも、自分の中に生まれた怖さに不安で連れて行かれそうだった。いつもと違うドルドレンに、イーアンはぎゅっと自分を包む体を抱き締めて『離れない。一人にしません、一緒です』と訴える。
「イーアン。嫌だ、一人で眠るなんて。離れ離れなんて嫌だ」
「ドルドレン」
不安にさせるようなことを自分が言ったのだ、とイーアンは感じた。
ドルドレンの体を少し押して離し、不安で一杯の顔を両手で包む。灰色の瞳が怖がっている。『ドルドレン。大丈夫。愛してます』イーアンはドルドレンにキスをした。キスしてから『一緒に眠ります。時々工房でも一緒に眠ってくれます?』と訊いた。
「イーアン・・・・・ 」
「一緒に眠りましょう。工房に私がいる時は、ドルドレンも工房で眠っても大丈夫?」
イーアンの両手に包まれたドルドレンの顔に、子供のような悲しそうな表情が浮かんでいる。イーアンの伝えていることが聞こえているのか分からない。もう一度同じことをイーアンはそっと言ってみた。
「眠るときは一緒。一緒に眠りましょう。それで、時々工房でも一緒に眠りましょう。大丈夫?」
ドルドレンは下唇をきゅっと噛んで頷いた。下唇が傷ついてしまうと可哀相で、イーアンはゆっくりキスした。ゆっくりキスを繰り返すと、ドルドレンの瞼が閉じてキスに応える。銀色の瞳が一瞬見えて、すぐに涙が流れた。
唇を離してから、イーアンはドルドレンの頭を胸に抱く。跪いたままのドルドレンの足元が冷たそうで気になったが、ドルドレンは椅子に掛けているイーアンの腰に抱きついたまま、じっとしていた。
イーアンは小さな声で歌い始めた。髪を撫でながら、最初の頃に歌った曲を。
ドルドレンが落ち着くまで、静かに歌い続けた。頭を何度も撫でて、時々、頬を撫でて何度も歌を繰り返した。
「今日はもう少し、工房ですることがあるのです。だからそれが終わるまでここにいて下さい。終わったら部屋へ戻って、一緒に寝ましょう。ね」
イーアンの胸に抱えられたまま、ドルドレンは鼻をすすり上げて頷いた。
お読み頂き有難うございます。
『Rescue Me』(~OneRepublic)という有名な曲があるのですが、この回のドルドレンの気持ちみたいに思える歌でした。誰にも言えない我慢は、誰かに頼ることで自分でいられたりするものですね。
歌も素敵ですが格好良い曲でもあるので、もし関心がある方は是非聞いてみて下さい!




