12. 着替えの時間
空き部屋に入って即、鍵をかけた後、ドルドレンは簡素なクローゼットからチュニックとズボンと、新しい革の靴を取り出した。
「イーアン、これを」
洗濯してある、と添えて、クロークを脱いだイーアンに衣服を差し出す。クロークを壁のフックに下げると、イーアンは衣服を受け取ってお礼を言い、服を少し調べてから、自分の着用している服のベルトを抜いた。
ドルドレンはぼうっとして見ていたが、イーアンがちょっと戸惑うように目を彷徨わせてから、自分に背中を向けて上着を脱いだところで我に返った。
「着替えるなら先に言うんだ、イーアン。今ここから出るからちょっと待て」
「すみません・・・・・ 」
申し訳無さそうに謝るイーアンに答える前に、慌てて部屋を出たドルドレンは勢いよく戸を閉めて、着替えが終わるのを待った。
ふと気がつくと、廊下には普段いない人数がアリのように徘徊している。こいつら、部屋の外で屯していたのか。目を細めて野次馬を睨みつけると、クモの子を散らすように各々の部屋へ入って行った。
――やはり夜は見張りをしなければ。
どの馬鹿が近づくか分かったもんじゃない。男だけの日常を過ごしている野獣の群れに、異国人とか年増とか関係ない気がする。
見た目はそれほど女性的ではないかもしれないが、この数時間で彼女の魅力がずいぶん理解できたと思う。 ――その魅力はアホ共には危険だ。
優しさも気遣いも温もりも遠い、殺伐とした辺境の生活を送る自分たち。イーアンの醸し出す大人ならではの包容力は、実に危険極まりない。ちょっと優しく気遣われただけで、アホなやつが飛びかかるかもしれない。アホなんかにイーアンがなびくわけないだろう、それも分からないからアホなのか。
飛びかかりでもしたら即、地面に埋めてやる。だが土埋を繰り返したら騎士が減る。それも戦力に響く。そうだ、戦といえば俺が遠征中も気がかりだ。どうしたらいいのか。何とか今夜中に解決策を考えねば。
『ドルドレン、どうぞ』
寄りかかった扉の向こうから、小さいノックと着替え終了の声がかかった。
一旦周囲を見渡してから、ドルドレンは扉を開けて素早く中へ入る。後ろ手に扉を閉め、鍵を下ろしてから振り返ると、着替えたイーアンが恥ずかしそうに話し始めた。
「助かりました。やっと冷たい服を脱ぐことが出来ました。 ・・・・・あの、さっき何も言わずに着替えようとしたのは、私がまだ、正体の分からない相手だからもしかして見張るかなぁと思ってでした。」
何?と思うようなことを彼女は言ったが、よく考えてみるとそういう解釈も出来るのか。着替えを渡されてるのに、男が突っ立っていたら、身体検査みたいな感じに受け取れる。
俺か。俺が変だったから、要らぬ気遣いをさせてしまった。無言で頭を横に振り、気にしないでもらいたいことを伝えると、イーアンは「はい」と微笑んだ。
改めてイーアンの着替えた姿を眺める。
男物の服は大きいから、袖を何回かまくり返してあり、ズボンの裾は布の切れ端で巻いて押さえていた。ベルトは自分のベルトを使ったらしい。靴も少し大きそうだが、革の靴は彼女に良く似合っている。工夫して着こなしているのか、不自然さはない。手櫛で整えた黒い髪の毛は、さっきに比べると大きな螺旋を描いていて、顔を縁取っている。なぜか、顔の雰囲気も違う。
全体的な感想は、イーアンは男よりも男の服が似合っている気がするし、彼女独特の綺麗さというか、魅力が引き出されている。格好が変わるだけでずいぶん印象が変わるな・・・・・と感心した。
灰色の瞳でじっと見つめる男の視線に、イーアンは少し恥ずかしそうに笑って、脱いだ服の凹みを指差して言った。
「ポケットに一つだけ化粧の道具があって。あんまり素顔が見苦しいからとちょっとだけ書いてます」
「ポケット? 見苦しいから書く?」
ドルドレンにはよく理解できなかったので、オウム返しに聞き返した。イーアンはぽかんとした顔をして、少し考えてから改めて説明を始めた。
イーアンの話では、ポケットとは衣服についた袋だった。そうした衣服は馴染みがないので、ドルドレンはポケットを初めて見た。イーアンのいた環境では、ポケットは当然のように衣服に付いているという。
そして化粧については女性の顔作り、といったことくらいは分かっているが、イーアンの雰囲気こそ変化があるとしても、見苦しいとか書きたすとか、そんな大げさなことではない。彼女の言い方は自虐的だ。素顔は、無駄のない彫刻のような静かな表情をしている。確かに見慣れない人種だが、見苦しいなどの表現は間違っている。
化粧についての寂しそうな説明は、恐らく最初の自分も含め、ここの男の反応によるものだ。失礼な態度をすまない、と思いながらも、それをどう謝ればよいのか言葉が出てこない。
「イーアン。 君は自分の見た目を気にしているのか」
「・・・・・ それなりには」
鳶色の瞳を伏せて、元気なく答えるイーアン。白いチュニックの胸元は男性並みかもしれないが、そんなもの個体それぞれだろう、とドルドレンは思う。が、決して口にしてはいけないことだけは分かる。
そしてこの時、あれ?と気がつく。
チュニックの襟は紐で調整するのだが、その紐の合間の肌の色が違う。よく見ると、白い生地に透けた肩付近も何となく黒っぽい。これは。
ドルドレンの視線に気がついたイーアンは、しばらく疑問符を頭に浮かべていたようだった。だがドルドレンの彷徨う視線の先を確認して、あっ、と声を出した。ドルドレンも慌てて「すまない」と謝った。
「あの、私は体に絵があって」
黒い螺旋の渦から覗く顔が、上目遣いにこちらを見上げる。ドルドレンは、うん、と頷いて先を促す。
「ここでは珍しいですか? 私が暮らしていた場所では、それほど珍しくないことなので気がつかず」
「いや、気にしないでくれ。この国ではあまり聞かないだけで、別の国では体に絵を付ける習慣や祈りがあることは知っている。イーアンの体の絵も、習慣や祈りによるものか?」
ホッとした表情で、イーアンは微笑んだ。私の絵は祈りの由来です、と言う。そして胸元の紐を緩めて、隠れていた絵を一つ見せてくれた。その絵は手の平大で、鎖骨の下、胸の真ん中にあった。
ドルドレンはちょっと躊躇ったが、邪念を必死で払い、真面目な顔を崩さずにその絵を真剣に頭に叩き込んだ。日焼けしていない胸元の、中性的で神聖な感覚。ドルドレンの体内で早鐘が鳴る。
何と言うか。ドルドレンはこの時初めて知ったが、どうやら自分が女性の形に対して魅力を感じるわけではなく、その人の体の魅力として何かを感じているらしいことに驚いた。 ――この人は変わった人だ、としみじみ思った。会って間もないのに、次々に不思議な感覚を受ける。
ドルドレンは微笑んで、イーアンの胸元の紐をそっと締めた。イーアンは恥ずかしそうではなく、嬉しそうだった。祈りの絵は誇りなのだろう。他の絵も同じように、彼女の祈りの具現なのだろうか。
それを訊くことはイーアンの笑顔に繋がると分かったので、もう少し訊いてみたいと思った。黒い螺旋の跳ねる彼女の両肩に手を置いて、見上げる鳶色の瞳に視点を合わせる。その表情に思わず、ドルドレンの中の何かが揺らぎ、肩に置いた手をイーアンの頬に滑らせてしまいながら呟いた。
「イーアン。 その絵の他にも」
―――グウッ。 夕暮れの最後の光が差し込む静かな二人だけの部屋に、低音で響く音。
お互いの腹部にどちらともなく目が動き、笑いを抑えながら俯く。再び、低音の音が鳴る。
「イーアンも俺も、まずは食事の時間だな」
「すみません」
笑いながらイーアンが謝る。ドルドレンも笑った。腹の鳴る音に邪魔されたのをきっかけに、ドルドレンは窓際の蝋燭に火打石で最初に火を灯し、室内の蝋燭5本に火を移した。室内は暖かな橙色に揺らぐ。
「食事はここまで運ぼう。俺と二人で良いか?」
「はい。もちろんです。お手伝いすることありませんか」
「待っててくれ。鍵はかけて。用を済ませて食事を持ってくる」
イーアンは、はい、と答えて嬉しそうに笑った。ドルドレンは彼女の笑顔をじっと見つめ、笑顔で答えると扉を注意深く開けて、廊下の暗がりに滑り出て行った。
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