1288. 助けるとは
タンクラッドに『弱くても選べないわけじゃない』と、改めて教えられたイーアンに、ミレイオはもっと分かりやすく、彼女に教えておこうと思う。
イーアンは、こうした場面に出くわすと、優しいから下がる場合が多い。人間の時も、その性格でどれだけ我慢したのか。
彼女の『自分を下げる』変な癖を、ミレイオは見抜いていたし、それが心配だったからというのもあって、旅に付いて来ているのだ(※591話参照)。
自分を見上げた女龍に、ミレイオは言葉を考え、少しキツイ表現で、『イーアンがどう受け止めるのが良いか』を、きちっと伝える。
「考えてご覧。あんたが見た、遺跡の中身。偶像の動物の頭が並んでいたんでしょ?
そこに、何かあるごとに捧げものをしては、本気で願いを叶えてもらえると信じている人たちよ。
そっちのすり込みが先祖から続いて、犠牲になる謂れもない我が子を『泣く泣く』出すの・・・普通じゃないわ。
彼らの普通なんだろうけれど、自分がされたら、絶対抵抗して逃げるわよ。恨み倒すだろうし。
今回だって、言葉なんか通じるわけない魔物に、遺跡で祈っちゃってさ。
それ、魔物に服従じゃないの。人間あげますから、町は襲わないでって。『数珠つなぎで、魔物に殺される』なんて考えもしない。
『祈ったから、聞いてくれるだろう』程度よ。誰も、本当のことを調べもせずに、人任せで。
魔物がそこに棲み付いたからって、子供置いてきたんでしょ?実は棲んでなかったみたいだけど」
「違います。遺跡の後ろが崩れていて、続きに地下穴がありました。魔物はそこから上がって来ました。人が大勢、遺跡に集まったから、地下穴のどこからか嗅ぎつけて、殺しに来たのだと思います。
町民が子供を置いて去った直後。魔物が上がったと分かったから、私は倒しに動きました。
地下穴にはその一頭だけだったから、もし数が居ても、この辺が本拠地ではないかも」
淡々としたイーアンの詳しい説明に、オーリンは悲しくなる。俺も行けば良かったと、イーアンを一人で、町長たちの元に行かせたことを悔やんだ。ミレイオは彼女の話を聞き、頷くと、『ね』と続ける。
「私の言い方だとね。狂ってるわよ、ここの人たち。正しいものなんか、関係ないんじゃないの。
多数決で正邪が決まるような、ありがちな超おっかない孤立地域よ。言い出しっぺのせいで、誰も責任取らないの。皆、俺じゃない、私じゃない、って。いい年こいた大人が、そんな奴らよ。
あんたが理解示してやるような、相手じゃなかったのよ。『どうすれば良いんだ』って、あんたに訊くことじゃないでしょ?さすがに『龍の女』相手に、馬鹿にしたりはなかったみたいで、それだけは救いだけど」
馬鹿にされたなんて聞いたら、私黙っていられないわよ、とミレイオは冗談ともつかない乾いた笑いで、親方とオーリンに言う。親方もオーリンも『当たり前だ』と答えた。
イーアンはそこまで言わなかったが、似たようなことは言われていた。でも、不安と恐怖に駆られた人は、そうなりがちであることも分かっている。だから、そこは話さなかった。
――昨晩。町長たちに話を聞きに行ったイーアンは、遠回しに『どうしてくれるんだ』と最後まで言われ続けた。
テイワグナ独特の、信心深くて、龍や精霊相手なら何でも平伏してしまいそうな一面を、この旅の間に何度も見たが、ここの人々は、イーアンが取った行動に『自分たちにどうしろと言うんですか』と。
その意味は、『これからどうしてくれる気だ』とした、含みを持っていた。
生贄を差し出したことだけを責め立てられ、人でなしくらいの目つきで見られた町民は、突如、邪魔をして正論を持ち上げる聖なる対象に、言い返した。
『酷いことだと思ってもいない、あなたはそう捉えたでしょう。でも私たちだって、どうにも出来ない。
魔物は人を襲うでしょう?先に渡すしかないじゃないですか。こんな山奥は誰も守ってくれません。誰も、戦ったこともないです。
あなたは強い。伝説通りの強さです。あなたのような存在には、弱い人間の恐怖など分からない。
こんなことを言ってはいけないかも知れないけれど、あなたが阻止したことで、この先、魔物に襲われて、町民に多くの犠牲が出てしまったら、どうしたら良いんですか?
私たちは、戻って来てしまったけれど、あなたのような存在に睨まれて、刻一刻、近づく魔物にも対処できず、私たちがこの先、どうすれば良いのか、あなたは考えて下さっていますか?』
通常時で会えば、拝む対象にさえする龍の女が目の前にいても、集団の意識は、自分たちの境遇を優先するもので。
町長も、側にいた町民も、黙って聞いている龍の女に、段々、遠慮もなくなって、不安から来る苛立ちをぶつけ始め、イーアンが立ち去るまで、それはエスカレートした。
この間。聞くだけ聞いては、質問を淡々としたイーアンが、思い出していたのは、ニカファンの領地の話。
ワバンジャの部族が守る『インクパーナ』を取り上げ、ニカファンの名を無理に付けた、貴族とその使用人たちのことを思い出していた。
精霊の土地と呼ばれたインクパーナ部族を罰した、貴族。そして仕えている使用人たちの、思惑。バイラはそれについて『信仰心は篤いだろうが、所詮は人間だから。給金をくれる方に付く』そう、解説していた。
そういうことなんだろう、と思いながらも―― イーアンは『分かった、仕方ない』とは言えなかった。
自分の見た目や能力は、隠すわけにいかないし、その手前で、もう、隠しようもない。
見るからに強さのある存在に、『あなた方の行いは酷い』と正論を突き付けられた人々は、『じゃあ、どうすりゃ良いんだ』と弱い立場への理解を求める。
エスカレートした町民は、最後の方で、黙って見続ける女龍を前に、『あなたがずっと守ってくれるわけじゃないでしょ』『あなたが早く魔物を倒せば済む話です』『怒るのは見当違いだ』『それだけ強くて、だらだら何しているんだ』『強さは気まぐれか』と怒鳴るように興奮していた。
イーアンは、僻地に見られる、小さい集団意識の歪みをこの場で変えようとまでは思わないが、ここまで来ると、どう対処するべきかも考えにくく、溜息をついた。
彼女の溜息で、町民と町長は『魔物を、どうしたら良いんだ』と畳みかけ、イーアンは額を掻いて立ち上がった。
立った龍の女に、ぎょっとした様子で後ずさりした町長と町民に、イーアンにはもう、何を言う気もなかった。
『あなた方の選択肢は、魔物と同じ』
これだけは、はっきり伝えておこうと思い、そこにいる数人を見て呟くように伝えた。カッとした顔の男に視線を向け『私は人の命は奪わない。魔物は人の命を奪う。泣き叫ぶ人の命を奪う者を、私は倒すだろう』この言葉に嘘はない。こう言うと、言い返そうとして、男は黙った。
『私たちを魔物呼ばわりして、あなたは』
『人の死体の上に枕を置いて眠る者は、魔物だ。これ以上、龍の行為を侮辱するなら、私は魔物を倒す。改める気もない相手に、遠慮はしない』
初めて。イーアンは、龍としての一言を口にした。人として生きて来たイーアンが、言えなかった、怖れの言葉。この時、ビルガメスたちが教えてくれた意味を、苦い思いと共に受け入れる。
龍の女の声に、その場にいる人は一瞬で『マズい』と感じたか、怯えて壁際に逃げる。
黙るイーアン相手に、言いたいことをぶつけて興奮し、全く気付かなかった『怒らせた』ことをようやく感じ、口々に『言い過ぎた』『でも分かってほしかった』『龍は信じている』と言い始めた。
イーアンは遣り切れない思いで、首を振ってその場を立ち去った。時間にして2時間。
胸中にはいろんなことがあった。民族性、慣習、信仰、宗教、僻地、生活、集団意識、それらへの理解と、しかし許しておいて良いはずのない『命を奪う』行為と、自分の立場上の説得力のなさと、追い詰められた人々の怒りと。
宿屋に元へ戻るまでの間、ノロノロと飛んだイーアン。その心に、小さな諦めがあった。
――私は。空の最強と言われているのに。過ちに踏み出す人の思い一つ、変えることが出来ない。
こんなに強い力を受け取っても、これだけ龍の伝説に支えられた国であっても、人々の根底にある、恐怖の一つも取り除けない。
無力な感覚を、久しぶりにじわじわと感じたイーアンの翼は重く、宿の窓を開けて待っていてくれた伴侶の部屋に入るや否や、伴侶に抱きついて目を閉じた。
ドルドレンはイーアンの落ち込み方を見て、とても心配した。もう深夜に近かったけれど、ドルドレンはイーアンの話を聞きたがり、イーアンは起こった出来事と、町長たちとの話を伝えた。
だがそこには、話の後半、彼らが龍の女に『あなたが早く倒せば済むだけ』『強さは気まぐれ』『何をだらだらと』と詰られたことは入れなかった。
言わなかったけれど、伴侶はそれに気が付いていたようで、聞き終わってから『俺もね』と、以前の話をしてくれた。
ハイザンジェルで魔物退治のために、支部に戻れることもなく、各地をドルドレンが一人で動き回っていた時。
地域の人々に『騎士修道会は何をしているのか』『この前、私の旦那が死んだのは、助けが間に合わなかったから』『国民が死んでいくのに、今更来て。何のための剣だ』と、こうした内容の言葉を、何度もぶつけられたと話した。
イーアンは伴侶を見つめ、悲しい記憶はもう言わないで、と頼んだ。
ドルドレンはちょっと微笑んで、奥さんを優しく抱き寄せると『イーアンは俺と同じ』いつでも自分が付いているから大丈夫、こう言って、ぎゅっと抱きつく奥さんの背中を撫でて慰めた――
馬車の荷台で、昨日のあれこれを思うイーアンが、皆に励まされていると、用事を済ませた寝台馬車が横に並び『行こうか』と促す。バイラの馬も、その横から出て来て『少し道が悪いから、ゆっくり行きましょう』と元気な声で言った。
バイラと目が合ったイーアンは、彼が意識的に元気良く伝えたと分かり、微笑みを返した。バイラもしっかり頷いて笑顔のまま、馬を出す。
「谷の手前までは道がありますが、馬車を一度下りて、馬車を引いて歩いた方が良い箇所も」
「そこから先は?」
「その箇所だけ、馬はしんどい勾配です。そこから先は緩い下りだから、馬車に乗れます」
『徒歩の場所を通過するから、早めに進もう』と話す警護団員は、イーアンを気遣って、ちゃっちゃか、馬を歩かせる。停まっていると距離が開くので、二台の馬車も出発した。その強制的にも似た、彼の気遣いに誰もが微笑んだ。
バイラはそこからもずっと大きめの声で『硫黄の谷の話ですけれど』と自分の過去に起こった、死ぬかと思った話を聞かせた。
この話は、一日前に聞いていたけれど、イーアンもオーリンも、皆も、彼の優しさに嬉しいので、うんうん頷き、時折、前日と同じような質問を挟んで、盛り立てていた。
いつもはドルドレンの横か、馬車より前にいるバイラは、二つの馬車の間に下がって、イーアンたちが見えるところを歩き、話し終わると龍の女にニッコリ笑った。
「死ぬ気で生きたことのない人間は、間違えた信仰に縋るものです。それは時として、罰当たりにも相当する言動に繋がります」
いきなり違うことを話しだした警護団員の顔は、笑顔を保ったまま。でも彼の茶色い瞳はまっすぐ、イーアンを見つめて真剣に伝えている。イーアンは彼の顔を見ながら、うん、と頷く。
「テイワグナは信仰心が篤い。それは確かです。でも、信仰をはき違えた大馬鹿者もいます。これも確かだ。
どうか、テイワグナのこれからの発展を信じて、私たちを嫌いにならないで下さい。私は、イーアンの一瞬の判断で救われた子供が、必ず発展を導く一人になってくれると信じています」
胸を打たれるイーアン。バイラの温かな心に、『嫌いになんてなりませんよ』と答える。
笑顔を少し戻して、真面目な顔を見せたバイラは、小さな頷きを繰り返した後、馬を寄せて、荷台のイーアンに『受け取って下さい』と伝えた。彼は何も持っていないから、何かなとイーアンが見ると、バイラは腰袋から、束を出した。
「あ、それは」
「元気を出して下さい。イーアンは、いつも笑っているから」
バイラはそう言うと、さっと反応した女龍に可笑しそうに笑って、ぽーんと束を放った。イーアンが腕を伸ばすより早く、扉の近くに座っていたオーリンが片手を伸ばして掴み、笑いながらイーアンに渡す。
「『イーアンじゃ、落とす』覚えてる?」
「覚えていますよ!」
アハハと笑ったイーアンは、バイラが、最初にしてくれた時と同じ状況に和まされ、優しい警護団員に『有難うございます』と大きな声でお礼を言った(※905話最後参照)。
そして、束から引き抜いた干し肉を一本、口に銜えると、深々とバイラに頭を下げた(※心から感謝)。
旅の馬車は、道案内のバイラのおかげで、重たかった空気から解放され、この後の道中は賑やかに過ぎた。
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