1287. 旅の九十二日目 ~歪みの感覚
翌朝、朝食にイーアンは来なかった。イーアンは、料理を食事処で包んでもらう話で、ドルドレンは了解した。
それを聞いたオーリンが、彼女の様子を心配し、『俺も包んでくれる?』と頼んで、宿に戻った。
「どうしたの」
ミレイオが食事処に入って、着席してから向かい合うドルドレンに訊ねる。
「昨日のことでしょ?何か揉めたとか?」
「違うのだ。イーアンは。何と言うかな。難しい」
ミレイオとドルドレンの会話を黙って聞く、親方とバイラ、フォラヴ、ザッカリア。バイラは何となく、聞かなくても分かる。総長と目が合って、ちょっとだけ微笑むと、総長も寂しそうな笑みを返した。
「あの。私が説明した方が分かりやすいかも」
「そうだな。頼んで良いか」
二人のやり取りに、ミレイオは『バイラに話した?』とすぐドルドレンに聞いたが、横に座る親方がミレイオの腕を触り、振り向いたミレイオに『お前のような感覚の持ち主は貴重だ』とだけ言うと、気づいたようにミレイオは口を閉ざした。
バイラは運ばれてきた飲み物を飲んでから、他の人たちを見て、少しずつ話し出す。何度も話しているはずだけれど、やはり実体験を通すと、思い出したり照らし合わせるには時間が要る。そういうものだな、と思いながら、テイワグナ事情を伝えた。
「大きな声では。ここの人も聞こえますから・・・私が分かるのは、イーアンは理解をせざるを得ないことに、彼女なりの無力を感じたのだと思いました。
ナイーアの時と似ています。彼の時と状況が違いますが、根本は一緒です。こうした地域は、珍しいことじゃないんですよ。言い訳じゃないのですが、実際に定着してしまっているため」
「定着って。マズイ方でしょ?」
「そうです。頭で分かっていても、集団行動では正しい判断とされるまでに至る、定着した感覚」
何も言わないが、親方は面白くなさそうに大袈裟な溜息をつき、運ばれてきた料理の皿を自分の前に寄せると、がっと口に詰め込む。
一人で半分以上も口に入れたタンクラッドに、皆は驚く。ハッとしたミレイオが『あんた!何で一人で』と言いかけると、親方は立ち上がって総長を見た。ドルドレンは彼の目で、理解する。
「イーアンの所へ」
ドルドレンの声に、親方は頷くと、そのまま出て行く(※一応食べとく)。残った5人は、次に運ばれてきた料理を取り分け、思うことをぽつりぽつり話しながら、朝食を進めた。
この後は、会話も少ない。ドルドレンたちは話せる内容も、やや小声気味だったし、バイラも朝食時の店にいる人々を気にしていたから、さほど答えは長く続かなかった。
いつもよりも早く食べ終わった5人は、食事を終えるとさっさと席を立って、持ち帰りの食事を二包み受け取り、お代を払って宿へ戻った。
宿では、もしかしてと思ったミレイオが小走りに馬車へ先に行き、案の定だったので、ドルドレンたちを呼ぶ。イーアンもオーリンもタンクラッドも、宿ではなくて馬車で待っていた。
それならと、ドルドレンは宿に挨拶をし、早々出発する。ドルドレンとバイラは町役場へ寄るため、寝台馬車に部下を乗せ、騎士とバイラは役場方面へ。
荷馬車の職人集団はそのまま、食品店へ向かって、買い物はミレイオとオーリンがテキパキ済ませた。イーアンは荷台から下りず、タンクラッドはそんな彼女の側から離れなかった。
横付けした馬車に、食料を積み込むオーリン。イーアンはタンクラッドの影に隠れるように座り、大きなタンクラッドの背中から、白い角の先が見えるので、ちょっと笑った。
ミレイオは買い込むだけ買い込むと、店屋さんに『果物ある?』と訊ね、横の店で売っていると聞いて、小ぶりな果物を10個買うと、馬車に戻る。
親方の背中の後ろに引っ込む女龍に、くすっと笑って果物をちらつかせると、芳醇な香りに釣られたイーアンはちょこっと顔を出す(※早い)。肩越しにそれを見て笑う親方。手に果物を持って笑うミレイオは、動物のような反応のイーアンに果物を渡す。
「食べなさい。私が御者だから、側にいないけど。ここに好きなだけ隠れていると良いわ。町の外に行ったら、出ておいで」
「はい。ありがとうございます」
人を壁みたいに、と眉を寄せるタンクラッドに、ミレイオは笑いながら『壁じゃないのさ』と相手にせず、前へ行った。オーリンも乗り込んで、荷馬車は町の外へ出る。
壁から離した場所に馬車を停め、ドルドレンたちが来るまで待機する時間、ミレイオとタンクラッドは、イーアンとオーリンに昨晩の話を詳しく聞いた。
町役場に向かった騎士たちとバイラは、町役場で挨拶をしてから、町長に会う。ドルドレンは昨晩、奥さんに話を聞いていたので、町長が部屋に招こうとしたのを断ると、革の袋を差し出した。
「すぐに立つので、長居はしないのだ。これを使うと良い。これは龍の鱗」
「龍の鱗?」
どこでも配るように、アオファの鱗を見せた総長は、革袋から出した鱗を指でつまんで、その使い方を教えた。ハイザンジェルの騎士修道会総長に説明を受けた町長は、とても喜んで何度も礼を伝えた。
「念のために聞きたいのだが。魔物は出ているだろうか」
「いえ。この近辺で出た話はありますが。警護団はここへは駐在で来ないので、詳しいことまで分からないんです。彼らが来た時に資料をもらいますから、その時に『どの地域に出たか』を知る程度で」
ドルドレンの質問に、昨日の様子は見られず、さくさく答える町長。情報として『龍が一緒にいる騎士修道会』のことは知っていそうだが、龍の女と同行しているとは繋がっていないのか。
親切で、凛々しい騎士たちに感謝し、魔物が出たら鱗を使うことを言うと、彼は別れの挨拶をした。
ドルドレンも頷いて挨拶を返し、最後に『余計ではないと思うが』と町長を見下ろして握手を離した。
「俺たちは、人々の命を守るために魔物と戦ってきた。テイワグナでも、一人でも多くの人が、魔物の犠牲にならないよう、尽力する」
「はい。存じ上げております。どうぞご無事で。ご活躍を」
「有難う。だから、この町でも、誰も魔物の犠牲に差し出さないでくれ。守る意味が分からなくなる」
「あ」
総長の灰色の宝石が、冷たく光る。怒りはないものの、決して許されてはいない、突き放された雰囲気を帯びて、その目に射すくめられた町長は、表情が一気に沈鬱に変わった。
「それではな。全員の無事を俺は祈っている」
背の高い迫力ある男は、静かな声で最後の言葉を伝え、黙って後ろに控えていた部下に『行くぞ』と声をかけ、町長の返事を待たずに役場を出て行った。
バイラは彼らが出るまで、町長の近くにいたが、騎士たちが出たのを見届けてから、町長に『彼らは理解があることを忘れないで下さい』と早口で伝えた。
驚いている町長の顔に、あなたは同国人なのに、といった具合の怪訝な様が浮かぶ。
「君は、警護団員だろ?テイワグナの」
「そうです。彼らの担当を任されています。彼らと動いて知りました。あの人たちは、魔物が出たら倒し方なんて知らなくても、真っ先に飛び込みます。あ!まだ何も言わないで。
特別な力があると、言いたいでしょう?なくても行くんです。それがハイザンジェル騎士修道会です。
彼らは特別な力や存在のない2年間、人の手と力だけで、魔物と戦い続けたんです。とんでもない人数が魔物の犠牲になったけれど、絶対に引かなかった。
彼らを特別視するなら、その『怖れを乗り越えた精神』を特別視して下さい」
「君の名前は」
「私はジェディ・バイラ。ただの人間です。移動は馬。元護衛のしがない職業でした。でも、彼らと同行して、今は自分がどう動くべきかを知っています」
無事を祈ります、と急いで付け加え、バイラも町長に言うだけ言うと、役場をすぐに出て消えた。
町長と、話を聞いていた職員たちは、昨日のことを口に出せず、思うことは『仕方なかったんだ』から離れられないものの、受け取った青紫の鱗を見つめて、考え込んだ。
ドルドレンたちの寝台馬車は、バイラを待っていて、外へ出ると彼らの馬車は動き出す。バイラも馬に乗って先へ出て、総長の前に進み『言いたいこと、言ってきました』と笑った。
そんなサバサバしている警護団員に、『何を言った?』と聞かなくても分かる気がして、総長はニコッと笑うと頷く。
「バイラみたいな人が多ければいいのにな」
「何を言うんですか。私みたいのが多かったら、テイワグナは誰も大人しくしていませんよ」
ハッハッハと笑った総長の声に、バイラも一緒に笑って『さぁ、行きましょう。イーアンたちの目的地』と呟いた。馬車は少し急ぎ足に変わり、バイラの馬も速度を上げて、人の少ない小さな町の通りを停まらずに進んだ。
寝台馬車が戻るまでの間で、昨晩の話を知った職人たちは、イーアンが心情を多く話したがらない理由が分かった。
彼女は理解せざるを得ず、でも自分が感じていることに、目を背けることは出来ず、なのだ、と。
ミレイオはイーアンの腕を引っ張って、普通の表情の中に諦めが浮かぶ、女龍を覗き込み、目が合ってから抱き寄せて両腕に包んだ(※イーアン座布団)。
「あのね。私も同じことすると思った。
その子。あんたが助けなかったら、3秒後にはズタボロだったわけで。それ想像しないのよね。親も周囲も。こういうのが、狂信的って言うんだと思うわ。
理解出来るなら手を出さない、なんて。そんなのムリよ」
「イーアン。俺を見ろ。お前が取った行動。普通だ。普通はそう動くもんだ。お前が龍だろうが、人間だろうが、同じことをしただろ?俺もする。
ミレイオも、オーリンも。ドルドレンもする。バイラだって、フォラヴだって、ザッカリアだって。ここに居ないがバニザットも。
お前は町長たちに、圧倒的な力量の差を理由に『お前に分からない』と弱い者の意見を押し付けられた。
弱い者は時として、恐ろしい過ちを無情に振舞う。彼らはそうだった。今もな。
お前は言い返さないことを選んだ。人間の時のお前なら、その場で食って掛かっただろう。だが、角もあり、肌も白く、龍の翼を持つお前は、強さに自覚があるから言えずに黙った。
この状態、何が起きていたか、分かってるよな?」
タンクラッドは、ミレイオの両腕に包まれたイーアンの顔を見つめ、頭を撫でた。その手は頬に滑り、白い頬をゆっくり撫でながら『お前は最強だけど、弱者に付け込まれたんだよ』と伝える。
「弱ければ。何をしても良いわけじゃない。とは言え、強過ぎる相手の言葉なんか、聞くわけない。そいつらの意見は、僻みと逃げだ、ただの。
・・・・・一般的に『弱い』と思われている、女。
俺の知っている女は、お前くらいの背で。剣も防具もないのに、素手で、自分より大きい魔物を倒したんだ。
戦い方なんて、学んでいない女だ。せいぜい、人間相手にケンカした程度。それでも、相手を倒す気で助けも呼ばずに」
タンクラッドが真面目な顔でそう言うのを、ミレイオとオーリンが笑って聞いている。イーアンは恥ずかしそうに俯いて、小さく頷く。
「助けも呼ばずに・・・牙だらけの魔物の口に腕を噛ませて、腕ごと地面に倒して、その頭を踏みつけて骨を砕いた。
血まみれで、顔も腕も、爪と牙で裂かれていたのに、その女は悲鳴一つ上げなかった・・・聞いた話だけどな」
ちらっと見た鳶色の瞳に、見つめ続ける親方の同じ色の瞳が視線を合わせて、微笑む。
イーアンは情けなさそうにちょっと笑う。タンクラッドも笑い出して、小さな顔を大きな両手で包むと、自分を見させた。
「どうだ。弱いにしたって、選べる選択肢はあるだろ?戦うことも出来る。血を流すことを恐れなければ、勝つことも可能だ。死ぬこともあるだろう。
だが、身内を差し出して魔物に食わせ、のうのうと夜を眠る、愚かで恐ろしい考えを選ぶより、死んだ方がマシだ。俺はそう思う。
例え、戦う大人に守る子供がいたって、身内を食わせる親より、戦って死んだ親の背中を見た方が、マトモに生きれる。
人を食らうのが魔物だと思い込む前に、食わせる方を選んだ人間がいることを知らなきゃ、そいつは魔物の延長だ。
言いたいことは分かるな?何も『仕方なく』なんかないんだ。お前は言えなかったにしても」
「はい」
タンクラッドなりの、ざっくり切り捨てる励まし方。イーアンはニッコリ笑って頷いたが、その目はまだ悲しそうだった。
自分もそう思うけれど、と呟いて『私の行動が、彼らの邪魔をした・・・解釈のままでは、彼らはまた繰り返す。そこに自分の無力を感じます』打ち明けるように、続く思いを伝える。
フフッと笑ったミレイオの腕が強くなって、見上げた女龍に『あんたはちょっと甘い』困ったように笑顔を向けた。
お読み頂き有難うございます。




