127. 実力試し
「イーアン、今何か言ったか」
何かに気がついたイーアンの言葉を、ドルドレンは聞き返した。『いえ。ちょっと思っただけなので』とイーアンは答えた。
「何でも良い。話してくれ」
イーアンはもう少し情報がないと、と断る。曖昧な事はいえないから、出来るだけ情報が欲しかった。クローハルが鎧から資料を出し、イーアンに差し出す。
「これで分からないだろうか」 「ドルドレン。読んで下さい」
え?クローハルが少し驚いた。ドルドレンはクローハルを一瞥し、小さく頭を振り、すぐにイーアンから資料を受け取った。
クローハルはイーアンを見つめた。イーアンは気がついていない。
ダビはこのやり取りを後ろから見ていて、少し思いついたことがあったので馬を寄せた。
「この字、小さいから読みにくいですね。イーアン、目円盤を持ってきていないですか」
「今日は遠征だから、工房に置いてきただろう」
ドルドレンが気がついて、ダビにすぐに返答した。イーアンは何のことか分からなかったが、ダビの言い方から『ええ』と相槌を打った。
その後すぐ、ダビがドルドレンの持っている資料を覗き込みながら『ああ。夜ばかりですね』『家畜しか襲われていませんが』『随分むごい血の抜き方に思えますね』『食べはしないんだ』と自然体で頷いて声に出した。
途中からイーアンは気がついた。最近気にしなくなかったが、自分は『字が読めないこと・その理由はこの世界を知らないから』この事を、まだ知らない人がいっぱい居ることに。
ドルドレンに読んでもらう事が普通になっていたので、うっかり読んでもらおうとしていた。ダビに感謝して、自分も『字が見えにくい資料』を眺めた。
ドルドレンもダビに合わせて応答している。時々イーアンに、資料を差して『この辺は参考になりそうか』と聞いてくれるので、そうですね、とその部分に目を細めて答えた。
「どうだい?」
クローハルは3人のやり取りを聞いていて、不自然な感じを覚えながらも結果を尋ねる。
「見当がつく何かしらはあったか。イーアンどうだろう」
うーん、と悩んで、ドルドレンに馬を下りたいと言うイーアン。下草が生えていない所を見つけて、ドルドレンを呼び、イーアンは最初に質問する。
「コウモリ。いますか」 「こうもり」 「こういう生物です」
ドルドレンの世界の呼び名と違うかもしれないと思い、土の上に細い枯れ枝で簡単に絵を描いた。ドルドレンが絵を見ながら『これはこの前のイオライの?』と聞き返した。
「いいえ。魔物ではなくて、普通の生物で。これは小さく、体に毛が生えています。いない?」
自分を見て考えるドルドレンに、いないかどうか、首を振ってみる。ドルドレンもゆっくり首を振って、『いないと思う』と答えた。
「イーアン、絵が上手。これはなあに?」
知らない間にハルテッドが近くに来ていて、絵を覗き込んだ。ドルドレンは『ハイル、旅していて、これを見たことがあるか』とハルテッドに振る。ハルテッドはちょっと考えてから『ないかな』と答えた。
イーアンは、この世界での収斂進化はどうなってるんだろう、と思った。鳥もいる。虫もいる。哺乳類もいる。全く同じ体の機能のように思っていたが、コウモリはいない?大陸の環境を勉強しておけば良かった。
――ここにアティクがいたら。でも彼はいないので、とりあえず『コウモリはいない』前提で考える。
さっき見た姿は大きなコウモリにしか見えなかった。モモンガやヒヨケザルとも違う。コウモリだけど、被害は血を吸うとかあったから、吸血コウモリのでかい版とする。 うー・・・いやだ、それ・・・・・
「この絵が、もしかしてあの洞窟の魔物か」 「そうなの?」
「はっきりは言えません。でももしそうなら、襲われる前に早く殺します」
イーアンの『あーあ、いやだな。早く殺さなきゃ』的な、この魔物宛の言い方には、ドルドレンはいつも鳥肌が立つ。もう害虫でも見つけたみたいな感覚で『嫌いだから殺すわ』という感じに伝わる。
いつも優しいイーアンが。いつも微笑みを絶やさないイーアンが。俺の可愛いイーアン・・・・・
――目の前で額に手を当てて、作戦を考えているのか、時々嫌そうに顔を歪めて舌打ちしている。
イーアン、俺が見えているかい? 俺がいるんだよ。ここに、君の誰より愛する男が。
どこかのおっさんが、酒飲む金が足りないみたいな舌打ちは駄目だよ・・・・・
悲しそうに見守るドルドレンをすっかり忘れて、イーアンは腰に手を当てて、首を回す。飲み損ねたおっさんみたいに見える。
「イーアン・・・・・ 」
「まーいいわ。炙り出して首落とそう」
腰に手を当てたまま、ぼそっと呟いたイーアンに、ドルドレンは全力で引く。ハルテッドも『げっ』といった顔で目を丸くしてイーアンを見ている。
『イーアンはいつもこうなの?』 『違う。魔物が相手の時だけだ』 『凄く違う人みたい』 『イーアンは皆の命を守るために豹変する』 『彼女、女だよね?』 『間違いなく女だ』 『いやらしい。でも確認済みなの』 『ばか。愛し合っているだけだ。しかし戦闘時のイーアンは誰より男らしい』
ひそひそ話し合う外野の存在は、イーアンの範疇にない。イーアンはしゃがみ込んで、地面に絵を描き、何か低い声で独り言を言っていた。
5分10分の間、独り言を言い続け、イーアンは立ち上がった。見守っていたドルドレンとハルテッドが緊張してイーアンを見つめる。
イーアンは髪をかき上げて、ものすごく冷たい目で洞窟を見た。
「2頭ですので。私に殺らせて下さい」
ドルドレンが固まる。ハルテッドも固まる。ちょっと離れたところで見ていたクローハルも、その声を聞いて真顔になる。
クローハルの隊は、聞こえた言葉がよく理解できないのか、イーアンのイメージと違うから受け付けないのか、『今、何か言っていた?』くらいの反応。
ダビは、うんうんと頷いていた。スウィーニーも寂しそうに眉を寄せて頷いた。
固まる総長とハルテッドの間を縫って、ダビがイーアンに近づいた。
「イーアン。ソカは持っていますか」 「はい。ソカを使いたいと思います」
分かりました、とダビが頷き(余計な事は言わない)、後は何しますか?と必要なことを訊く。
「洞窟の深さは分かりませんが、洞窟が風下になる時間で、入り口に火を焚きましょう。生木と生葉を」
「燻し出しですか」 「はい。出たら首を取ります」
弓を使うか?と訊くと、イーアンは息を吸い込んで『ソカが外れたら、胴体に打ってください』と金属の容器を革袋から取り出して、ダビに渡した。ダビはこの前の毒が入っている、と理解して受け取った。
「毒、効きそうですか」 「分かりません。でも使ってみて死ななければ、その時は勿体無いですが、切ってもらいましょう」
2頭だから、もし外しても、倒すまでそう大事にはならないと思います、とイーアンは続けた。
ああ・・・とダビは理解した。イーアンは、魔物の体で回収する部分が決まっているんだ、と。だから剣で切りたくないんだ。
「それ。総長に言いました?」 「何をですか?」 「どうしてイーアンが倒すのかです」 「あ、いえ」
ダビが『私から説明しておきましょう』と言ってくれた。総長はこのやり取りの間もずっと、イーアンを凝視している。クローハルも理解しがたい光景を見つめている。
やんわり皆に伝えないと、イーアンが恐怖対象になりかねない、とダビは判断した。
魔物の対処も、一番被害が出ない方法を考えて。魔物を倒すときも、出来るだけ回収して使える部分を役立てたい。
自分が発案するときは、いつも自分が最初にそれを行なおうとする。戦い慣れなくても戦闘に参加するイーアン。
それをただ、魔物嫌いとか、無情とか、そんな誤解されたら気の毒だな、とダビは思った。
イーアンがソカをウィアドの荷袋から出して装着している間。他の者を集めて、ダビはイーアンの考えを伝えた。
クローハルは『そんな事イーアンにさせられない』と反対した。ドルドレンも『万が一、イーアンに襲って来たら大変だ』と困惑していた。他の者は『イーアンは武器使ったことないんですよね?』とイーアンに任せる事自体を無理だ、と言った。
ダビは溜息をついて、『総長。この前、初めて戦闘でソカを使ったとき、どうだったか見えてました?』と訊ねた。
周りは、初めて使ったのがこの前だと知り、余計に嫌がった。倒し損ねたらもっと面倒だ、と言う。
「イーアンは自分に向かって走ってくる魔物2頭を、ほんの数mの間合いで首を落とした」
ドルドレンは事実を伝える。それでも他の者は『偶然です』と危険性を訴えた。無理もないな、とドルドレンも思った。
「まぁいいです。ここで騒いでも仕方ありませんから、本人に使ってもらいましょう」
ダビは面倒臭そうに、ちょっと投げやりな感じで言い、イーアンを呼んだ。イーアンはすぐに来た。
「イーアン。生木と生葉を集めましょう。高いところをソカで落としてくれますか」
「はい。どこが良いか、もしダビが知っているなら教えて下さい。そこを切ります」
ダビは一同を振り返らず、イーアンと自然体で話しながら一本の高い木に近づき、洞窟の天井と同じくらいの高さを目安に『あの辺りの・・・そこの枝くらいの大きさを根元から落とせたら』と指差した。
イーアンはダビに離れているように伝え、ソカの長さよりも離れたことを確認してから、ソカを一度、土に打った。
次の動きは、イーアンが体を沈めて腕を振った動きで、何も見えないまま、枝が幹ギリギリの場所から離れて落ちた。落ちた枝を避けたイーアンが、ダビを見て『これだけでは足りないかも』と言う。
ダビは微笑んで、もう一つ上の枝を落とすように頼んだ。イーアンはダビが離れてから、さっきと同じように見上げ、土を打ってから枝を落とした。
ダビが幾つかその後も指定し、イーアンは高枝を打って落とし続けた。
「こんなには要らなかったかも」 「あっても困りませんよ」
ダビがイーアンに気がつかれないよう、少しだけ観客を見た。
ドルドレンが笑っていた。クローハルの顔は驚いたように、でも面白そうに笑みを浮かべていた。クローハルの部下は何かを話し合っていた。
ハルテッドだけが、笑っていなかった。
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