1267. 幻のアリンダオ集落 ~住人のクトゥ
「空の。龍」
少し高い男の声が、確認する。イーアンは、一歩前に出て『そうです』と答える。光る女の姿に、布で体をほぼ包んだ男の人は、数秒躊躇ったように体を揺らし、それから同じ位置で質問した。
「龍が。なぜこのアリンダオへ」
「訪ねて来ました。夜に申し訳ないですけれど、少しお話を聞きたくて。私たちは急いでいます」
「龍・・・安全と知っていますが。許して下さい。畏れて、足が動きません」
ああ、と答えたオーリン。ハッとした顔で、イーアンを見る。イーアンも振り向いて、目をちょっと見開いた状態。『そりゃそうだ』くすっと笑ったオーリンは、イーアンの代わりに前に出て、男の人との距離半分ほどに進んだ。
「驚かせたことを謝る。すまない。俺は龍の民。彼女は、龍だ。俺と一緒にいるのも、見たまんま、龍。『畏れるな』と言う方が無理だよな」
「龍の民。あなたは、人のようで龍の民。初めて見ました」
「だろうね。あんまり地上にいないからさ」
ハハハと笑いかけて、急いで口を押さえるオーリン(※うるさい)。その仕草に、何かホッとしたのか。男の人も少し笑った。
あれ?とオーリンが彼を見ると、頭にも布を巻いたその人は、少し側へ来て見上げる。小柄な男の人は、イーアンより少し背があるくらい。オーリンを見上げてから、品の良い笑顔を向けた。
「龍の民は。『太陽の光のように明るい』とだけは知っています。あなたは、そうなんですね」
その言葉に気を良くしたオーリンは、手をちょっと出して握手を求める。彼も手を伸ばし、出された手を握った。その手は手袋があって、オーリンは手触りで、手袋が傷だらけであることに気が付く。
「このアリンダオ集落に、龍が訪れた夜。尊い夜に感謝します。急ぎの用であれば、私が伺います。私の家でも良いですか」
彼は自己紹介し、名をクトゥと伝えた。オーリンは自分の名を伝えてから、後ろを見てイーアンを手招きし、白く発光する女の背中に手を添え『彼女はイーアン』と教える。
クトゥは、白い光にほんわか包まれた、小柄な女性を前に、その大きな白い角と、長い尻尾、畳まれた6枚の翼を、まじまじ見つめると『神々しい出会いに、感謝して』と胸に手を当てた。
「そんなに感謝しないで下さい。私はあなたと出会っただけで、何もしていません」
ちょっと笑った女龍に、クトゥは微笑み『龍は夜にさえ明るい』と言うと、二人を見て、背後の大きな存在に顔を向ける。
オーリンも振り向いて、ガルホブラフに頷いた。龍は『友達が大丈夫そう』と分かったのか、すんなりと空に戻る。それを見送ってから、クトゥは二人の龍族に、自分の家は戻った場所にあるからと、案内した。
クトゥの家は、広い通路のような道を上がって、幾つかの家と思しき囲いを過ぎた、少し奥にあった。
どの家の雰囲気も、夜の中で僅かな光を灯して似通う。暗いから違いが分かりにくいのもあるが、オーリンもイーアンも、どれが家なのかもピンと来なかった。
そうして通された、夜の道の続きにあった彼の家は、奥まった場所にあるだけで、やはり他と同様、箱を逆さにしたふうに見える。クトゥはささやかな明かりの漏れる、箱型の家の壁に沿って進み、窪んだ場所に立ち止まり、それと同時に中から光が溢れた。
扉を開けたクトゥが先に入り、二人を招く。イーアンとオーリンも中へ進み、扉は閉められた。
家と言うよりも。本当に遺跡のままの佇まいに、イーアンは暫し、魅入る。見るからに、龍の物ではないと分かる、古代の遥かな歴史。人の造った遺跡に見えないこの場所は、壁面に残る幾つかの彫刻から、恐らく、精霊の類ではないかと見当を付けた。
クトゥは入ったすぐの部屋にある、机と椅子を示し、そこに掛けるように客人に言うと、戸のない部屋から左手に伸びる廊下へ消えた。
「すんなり、だな」
独特の模様に織られた布の椅子に、腰を下ろしたオーリンは呟く。イーアンも頷き、オーリンの横に座る。椅子は変わった形で、単独かと思いきや、一枚板に座面が分かれて据え付けて連結しており、昔に郵便局で見たベンチを思い出した。
それはそうと―― 随分とあっさり、受け入れてもらえたとイーアンも思う。
いくら何でも。場所も場所だし、下界と呼べそうなほどに、地上が遠い生活の彼らが相手だから、もうちょっと警戒されるもんかな、と構えていたのだが。
兎にも角にも、龍の女効果を、しみじみ、過去の女龍たちに感謝する(※おかげさまで)。
口数も減る二人は、目を見合わせてちょっと微笑み合うだけ。『静かに』の注意が二人の中にあり、顔だけは笑うものの、声は立てず。
いつもは開放的に笑う二人だから、窮屈にも似た緊張が続く(※笑うと情報逃す)。それを意識すると、余計に可笑しくて、二人は目を見合うだけで、声を殺して笑う(※笑わないの難しい)。
そんな我慢をしていると、クトゥが戻り、彫刻の施された机に、音もなく、茶の乗った盆を置く。彼は向かい合って座り、客に茶を渡した。
「お話は。私で答えられなければ、次回に回して下さい。その時には、適した者に伝えておきます」
知りたい者を受け入れる姿勢からなのか。彼の前置きは、普通に流れる。イーアンは、お礼を言いながらお茶を受け取り、単刀直入に訊ねた。
「今。テイワグナに魔族が出ています。あなた方は、それをご存じでしょうか」
「魔族。魔・・・族。魔物ではなくて?」
「魔族なんだ。だけど、その言い方は知っていそうだな」
オーリンが確認に似た言い方をすると、クトゥの目が少しだけ泳ぎ、すぐに片目をふと閉じて『さて』と呟く。彼の反応を待って、数秒。クトゥは二人を見た。
「最初に訊きたいのです。あなた方は空の龍。私たちに訊きに、急を要してもここまで来ました。あなた方が知らないと言うのも、おかしな話ですよ」
おっと、と思うイーアン。疑われたかと少し笑って、横の龍の民を見ると同じ反応で、可笑しそうに表情に笑みを浮かべた。イーアンは咳払い。
「そうですね。フフ・・・そうかも。しかし、理由をお話するには、時間が必要です。私がどうしてここに訊ねたか。あなたが疑うなら、お邪魔したまで。お茶を有難う。飲まずに済まないけれど帰りましょう」
口元へ運んだ容器に口を付ける手前、茶を机に戻し、イーアンはそう言って微笑むと、立ち上がる。オーリンは少し意外だったようで、慌てて一緒に腰を浮かした。
クトゥはじっと見ていて、正体を確かめるように何も言わない。イーアンとしては『これが普通の反応だ』と判断し、彼に微笑んでから、扉を開けに手をかけた。
「帰るのですか」
クトゥは訊ねる。イーアンは振り向いて『経緯を話す時間もないほど、急です』と言うと、戸を開けた。出る間際に『あなたは龍を知らない』とだけ言うと、オーリンの腕を引っ張って、外に出る。
外に出たオーリンは、戸を閉めたイーアンに『良いのかよ』と問うように訊いたが、イーアンは鼻で笑った。
「時間がないのは事実でしょう。だったら、ニヌルタの情報を待つ方が、ずっと正確で有意義です」
「ガーレニーが」
「彼の言葉。彼の思いを、受け止めたから動いたのです。それで完結。結果はそこに関係ないですよ、オーリン。
私だって、男龍の情報に勝るものを得られるなんて、思っていないです」
見抜かれたような言葉に、オーリンは黙る。イーアンはそのまま歩いて通路を進み、オーリンは彼女の後ろに歩く。
「俺に合わせたってことか?」
そんな感じがして、少し嫌な気持ちを抱えたオーリンが訊ねると、女龍はちらと振り返り『いいえ』と答える。
「別の情報があっても良い、と思いました。私は最近知りましたが、龍族は人間に関わらないでしょう?関わる頻度が高いのは精霊です。精霊の情報を得られれば、『また別の視点で』と思ったのです」
それで動きましたよ・・・少し笑ったイーアンに、オーリンはしみじみと、総長は彼女によく付き合ってきたなと思う。
誘ったのは自分だけど、可能性があればどんどん進む。待たずに動く、イーアン。動きっぱなしで、答えを追い詰めてゆく印象は、いつも変わらない。
常に何かを追う猟犬のような彼女の動きに、男は立ち止まることも出来ないだろうし、主導権なんか持てない気がする。
支部でも、これまでも、総長はこんなふうに動き回るイーアンを自由にさせて、彼女の次から次に取る忙しなさを、ただ見つめていたのかと思うと。
思ったことを歩きながら伝えると、女龍はまた可笑しそうに鼻で笑い『ドルドレンは私を泳がせます』と答える。
「彼は、私を真っ向から信じています。だから、私に全部を預けて下さるの。最初からです」
「総長って凄いんだよね。そういうの聞くと、やっぱり『総長の器』なんだなと思うよ。勇者ってだけある」
「そう。彼は全てを包み込む。なかなか出来ることではありません。
私の考えに追いついてくれる人・・・どころか、私を追い越して翻弄するのは、タンクラッド」
ハハハと小さく笑ったオーリンは『違いない』と同意する。イーアンも、首を振って『彼には敵わないですよ。一度に広がる、思考の範囲と速度が桁違い』と苦笑いする。
「タンクラッドは、君も頭が良いと認めているけどね。似た者同士なのかな」
オーリンが褒めると、イーアンは彼を見上げて『私と似た者同士は、あなた』と、それぞれの立ち位置を示す。
女龍の答えに嬉しく思うオーリン。肩を組んで一緒に歩き、後ろにフラフラ伸びる、長い白い尻尾を振り返る。
「女龍と俺が、似た者同士」
「いつもそう言っていますよ」
ここで収穫はなかったけれど。それも仕方ないか、とオーリンは思う。収穫のない帰り道で雑談して、そっちの方が楽しかった・・・ってだけでも、いいや、と。オーリンが夜空を見上げた時。
「あれ、何だ」
ハッとした、黄色い瞳に何かが飛び去ったのを捉える。イーアンも目をぱちぱち。『何か飛んで』気配が特に怪しくないから、イーアンもオーリンも気にしていなかったが、何かが飛んでいる。
「おい、あれ。鳥だ」
「夜ですよ。鳥は飛べないでしょう」
でも、とオーリンは呟く。イーアンも黒い影を見ながら、なぜだろうと考える。どう見ても、それは往復する鳥の影で――
そして、さっと左手側を見た。左手側は上がる斜面に遺跡が沿う。暗いのでよく見えないけれど、夜空を背景に人影が現れた。二人はその人影が、クトゥであると知る。
なびく布だけが慌ただしく動き、人影は物も言わずにそこに立ち、二人を見下ろし、片腕を伸ばした。
何度も往復するように飛んでいた影は、彼の伸ばした腕に吸い寄せられ、ぴたりと落ち着く。
「鳥使いだ」
呟く龍の民の声に、人影は答えた。『龍に呆れられて帰したなんて、言いたくありません』大きな声ではないが、彼の一言は何となく、屈辱的な響きがあり、イーアンは片眉を上げ、小さく首を傾げた。
発光する女龍の仕草は見て取れたようで、クトゥの声は再び伝える。
「質問に答えます。来て下さい」
意地にでもなっているのかな、と思うイーアン。頷いて見せると、クトゥは腕を振って鳥を放す。『鳥の後について来て下さい』そう言うと、彼も消えた。
オーリンとイーアン。二人は旋回した鳥がすーっと遺跡の向こうへ飛んだのを見て、顔を見合わせる。
「運んでくれる?」
ちょっと笑ったオーリンに、イーアンも笑って翼を出すと、彼の体を背中から抱えて浮かぶ。
「走る気になれません。私、転びます(←鈍い)」
「うん。君は止めた方が良い。飛べるんだから」
笑い出したいのを押さえつつ。二人は鳥の影を見つけて、後を追うように遺跡の上、山頂に近い崖の凹みへ向かった。
そこは、飛んだからこそ早く着いたものの、高低差もあれば回り道が敷かれているというのに、どうしてか、距離のある場所にいたはずのクトゥは、崖の凹みの入り口に既に立っていた。
イーアンは何となく。その驚きに、ワバンジャとの出会いが頭を掠めた――
お読み頂き有難うございます。




