1266. 夕方 ~イーアンとオーリンの山岳地帯行
「オーリン」
さっと手をあげて、ドルドレンは、馬車に挨拶する龍の民に呼びかける。龍の民はガルホブラフを、御者台のすぐ上まで寄せて止まる。
「これからさ。日が暮れる手前で、出かけようと思うんだ」
「出かける。それは、オーリンは自由なのだ。いつでも」
現れてすぐの予定報告に、総長は『いつものことだろうに』と思う。オーリンは笑って『俺一人じゃない』と答えた。
「イーアンと一緒にだ。コルステインがいる時間の方が良いだろ?」
「うん?イーアンも連れて行くのか。どこへ」
龍の民は、山際に掛かりそうな太陽を見て『もうちょっと後だな』と呟くと、龍の背をポンと飛び降りて御者台に移り、龍に『後で呼ぶ』と挨拶し、龍を帰した。
ドルドレンの横に座ったオーリンは、ガーレニーを送った昨夜、彼に最後に聞いた話を伝える。その話にドルドレンも目を丸くして『それは貴重だ』と頷いた。
「『空の声』とは、龍族のことだろうか?でも男龍たちが人間に呼び出されることもなさそうだし、関わろうとするとも思えんが」
「だろ?俺もそう思う。だから、また別なんじゃないかとは思うんだよ。とは言えさ、せっかくガーレニーが真剣に考えて、教えてくれた情報でもあるしな。
空からならすぐだから。イーアンも連れて行けば、話が早そうじゃないか」
まぁね、と頷いた総長。龍の民が龍に乗って登場しても、話してくれそうな気がしたが(※普通は驚く)。オーリンとしては、自分は普通枠なんだろうな~と、彼の自覚範囲に察しを付ける。
「俺だけじゃ警戒されるかもしれないけどさ。『龍の女』は、テイワグナでは一発で通過する、手形みたいな効力がある。イーアンが飛ぶのも、そこまで負担じゃない距離だ」
オーリンの説明で、やっぱり彼自身が『俺は普通の人枠』と認識していそうなので、とりあえずそれは認めておき、距離の話に変わったため、行って来たのか?と訊ねると、彼は下見済みだった。
「探したんだよ。龍族の気配なんかないんだ。だから、『空』と言うけれど、やはり違うと思う。
でも気配じゃなくても、目視でガルホブラフがね。あいつは目が良いから、見つけてくれて。すっごい所にあるぜ。あんな場所に住んでいるのも驚きだが、知恵を求めて、探す人間がいるのも驚く場所だ」
ドルドレンも下見の話を聞いて、行ってみたくなる。でも『馬車はムリだろ』とあっさり否定されて、諦めた。
「転落必須って感じだ。どうやってあんな場所に住居を構えたのか分からないけれど、馬車で行けるほどの道がない。とにかく夕方、コルステインが来る時間前に、イーアンと行ってくるよ」
「そうか。気を付けるのだ。一応、俺の奥さんは最強だけど」
「そうだな、最強だ。最強の奥さんって、旦那としてはどうなんだろうな」
アハハと笑った龍の民と一緒に、ドルドレンも笑って『もう慣れた』と答える。
ふと気が付くと、離れた前を進んでいた青毛の馬はすぐ近くに来ていて、沈んでいたバイラは、オーリンの話を聞いていたらしく、ちょっと笑顔が戻っていた。
「夜。そこへ行くなら、静かにした方が良いですよ」
「え?」
バイラは何かを知っているのか、『あの場所の話だと思うんだけど』と前置きしてから、オーリンに話す。オーリンもドルドレンもびっくり。バイラは何でも知ってるなぁ!と褒めた。
「いえ。私は行っていないんですよ。行った人の話を昔、聞いたんです。
そんな特殊な環境に住む人々は、広いテイワグナでも限られています。幻の民と言われる人たちで、吹雪と共に山に集落が現れるなんて、すごい噂もありますから。
彼らは鳥と一緒に生きているので、夜は静かにしないと、彼らの怒りに触れます。鳥を驚かすと、彼らの機嫌を損ねて、何も聞けず仕舞いだそうです」
「その人。聞けなかったのか。そんな凄まじい場所まで行って」
気の毒に思った総長の問いに、『だと思いますよ』と笑ったバイラも、少し首を傾げて『それが本当の理由かどうかは知りません』と付け加え、訪れた人の態度も勿論、印象にはあるんじゃないかと、普通のことを言っていた。
「そうなのだ。オーリン。初めて会う人々だから、あまり笑わないように」
「俺がバカみたいに笑ってるような言い方、やめろよ」
笑いながら総長に注意する龍の民に、総長もバイラも笑って『ホント、気を付けて』と念を押した(※オーリンよく笑うからうるさい)。
この後。オーリンは、荷台にいるイーアンに話しに行き、ふむふむ、話を聞いた女龍に『いいよ』とOKをもらう。
荷台にはミレイオもいて、タンクラッドは寝台馬車の御者。二人とも話を聞いていて『自分たちも行きたい』と言ったが、オーリン曰く『本当に馬車ムリ』らしく、呆気なく断られてつまらなさそうだった。
今、旅の馬車は、騎士がドルドレンとザッカリアのみ。後は、職人軍団4名と、バイラの、合わせて7名。
ザッカリアは寂しがって、昼寝中。『眠っていれば、嫌なこと考えないもの』と、彼なりの理屈で、眠りに徹する(※夜寝られないとは思っていない)。
人数が少ないので、情報集めも時間の都合に気を遣う。コルステインが来てくれるとは言え、オーリンはちゃんと、そこを気にしていることを伝えておく。
「あまり遅くならないように帰るよ」
「夕食、どうするの。時間遅いと、片付けちゃうわ」
「夕食までに帰れるとは思えないから・・・いいよ。何か適当なので」
「イーアンは?何か食べたいものある?あんまり種類はないんだけど」
「大丈夫です。干し肉齧れるなら、お夕食なくても」
ミレイオはお母さんばりに夕食のことを訊き、二人が『テキトーで』と答えたことにより、『じゃ、適当に用意しておくわよ』と了解。
話している間に、馬車は北へ進む道を曲がり、道の左右に森林が広がり始める。夕日は山の陰へ落ち、赤い空に染まり出す夕方に、木の葉の匂いを含む、少し涼しい風が吹いた。
馬車はバイラの案内で、道から少し外れた広い場所に入って、今夜はそこで野営する。
ミレイオは焚火を熾し、親方はザッカリアを起こしに行き、ドルドレンとバイラは馬の世話。イーアンとオーリンは準備をする。一応のために、袋やら綱やらは荷袋に入れて持って行く(※魔物=回収用)。
焚き火の炎が一段と明るく、辺りに映える暗さに変わった時、青い霧がフワフワ近づいてくるのを、イーアンが見た。
「コルステインが来ました」
「うん。じゃ、行くか」
コルステインはゆっくりと人の姿に変わり、焚火の明かりのない場所でイーアンたちを見て、にっこり笑う。イーアンも笑顔を返して、ご挨拶に行く。
事情を伝えて、自分とオーリンが出かけると話すと、コルステインは頷いて『行く。する。コルステイン。ここ。いる。大丈夫』と、きっちり留守の無事を請け負ってくれた。
イーアンとオーリンは、ドルドレンに『出かける』と言いに行き、『気を付けるんだよ』と『あまり大きい声で笑わないように』の二つの注意を受けて、送り出される。
何となしムスッとしているオーリンとイーアンは、離れたところまで移動して龍を呼んだ。
こうして出発。龍族の夕方調査。
ガーレニーに教えてもらった、西北西から北西へ抜ける道の、ずっと上空を二人は飛ぶ。
イーアンは、最近、使っていなかった青い布(※精霊に最初にもらった)をクロークの下に羽織り、徐々に気温の下がる空気を感じていた。
少し動いただけであっても、眼下の景色は山が増え、標高もどんどん上がっているのが分かる。そこまで寒さを感じることはなくなった体だが、青い布は暖かで、それはとても心地よく感じた。
精霊の布・・・これだけ龍気が増えた今も、身に着けることが出来るんだなと、少し不思議に思う。
『サブパメントゥ寄りの龍』と言われているイーアンだが、精霊にはどうしてなのか。布は、以前と変わらずイーアンを守り、イーアンは布の暖かさに安心する。
ボーっとこんなことを考えていると、オーリンが少し龍を寄せ、話しかけた。
「バイラの教えてくれた地名だと、『ケラシ地区』の範囲とか。ケラシがどこかも知らないけどさ」
バイラの情報。出がけに地図を見せたバイラは、地区名とその場所から近い町を教えてくれた。
「ケラシ地区って、ほとんど人が住んでいないらしいんだ。警護団は山岳地帯の担当が交代で見ているだけらしくて」
「最初に通過した、国境治安部みたいですね。そういう感じなのかしら」
イーアンたちがハイザンジェルから入った時、国境を管理する警護団がいた(※774話参照)。彼らも交代で、数名が担当するような具合だったのを思い出す。
「そうかもね。でも、人もいないような地域だし。ホントに放っておかれっ放しかもな」
「幻の民ですか。下見の時、彼らの畑や何か、見ましたか?」
見てないよ、とオーリンは首を振る。一体どうやって生活しているんだろうなと、ちょっと笑ったオーリンは、何かを考えているようで、そこから黙った。
「もうじきだ。最初の目印だ。あれ、分かる?大きく削れた山の頂」
指差すオーリンは、黒い影になった山々の、とても目立つ形の山頂を教える。イーアンは頷いて『あれが最初』そう呟いて、龍の民を見た。オーリンが言うには、目印からさらに1時間くらい飛ぶらしい。
「ちょっとそっとで着けるとは思っていませんが。時間が掛かると、皆さんも心配」
女龍は速度を上げることにする。馬車の皆も心配なら、夜の訪問者が嫌がられる、その確率高い民族の心配もある。ここまで進むと、一度、空に上がってからというのも似たり寄ったり。
オーリンの龍を見て『ガルホブラフ。オーリンを包んで下さい』そう頼み、ちらっと見た金色の目に微笑んだ。オーリンは、何のことかと女龍を見る。
「オーリン。飛ばしますよ。停まる場所を教えて下さい」
「何?」
加速直前のイーアンの答えはなく、オーリンは、女龍の体に尻尾がびゅっと伸びたのを見ただけで、後はガルホブラフの首にしがみつく。
自分たちの前を駆け抜ける、白い女龍の尾だけが、オーリンの視界に揺らいで、これまでとは比べ物にならない速度に魂消続けた。
加速して10分後――
オーリンはしがみつくだけで精一杯の中、ガルホブラフの白い光に守られて、眼下の暗がりに、小さな点のような明かりを見つける。
「イーアン!イーアン、止まれ!あそこだ」
叫んだ声に、女龍は長い尾をぶるんと振って、ぐーっと急停止。龍は急に止まれないので、イーアンは、突っ込んできたガルホブラフの体に、尻尾を巻き付けて引き留めた。
「すげぇ技だな」
苦笑いで、声も小さめの龍の民は、ガルホブラフと一緒に、慣性の法則でつんのめってから、顔を上げる。『これは初めてだ』こんな速さはまず、体験しないとぼやく。
「始祖の龍が教えて下さいました。こうよ、ああよ、って」
「始祖の龍って、本当に凄まじかったみたいだもんな。君の成長が恐ろしい」
ハッハッハと笑ったイーアン(※エラそう)は、『それよりとにかく』そう言って、尻尾を解くと、真下に見える、集落のものらしき灯を見つめた。
「降りましょうか」
「そうだな。どこが入り口か分からないけど、側まで行って。広そうなところで」
そうしましょうと答え、イーアンは降下する。龍も続いて降下。少し疲れていそうなガルホブラフに『帰りはミンティンを呼ぼう』と言い、イーアンは龍を労った。
「ニヌルタの情報は、まだなんだろ?」
降りながらの質問に、イーアンは頷く。『今日、何も連絡がなかったです』忙しいのかも、と言うと、オーリンは『ここで聞ける情報で済めば良いな』と答えた。
二人は暗がりの集落が見えて来たところで、ぼんやりと分かる様子に、少し戸惑う。『オーリン、これは』振り向いた女龍に、オーリンも首を振る。
「俺はもっと上から見ただけで。こんな近くで見ていないから」
「ここに住んでいるの?」
二人は、柔らかい白い光に包まれた星のように、集落の一画に降りる。
ガルホブラフを一旦帰そうと思っていたが、オーリンは何となく帰せず、それはガルホブラフも理解してくれているようで、離れようとしなかった。
降り立った足元の石を、じっと見て。続いて、自分たちの背丈を越える壁を左右見渡し、前後に続く道と、家らしきものに視線を止める、イーアンとオーリン。
「ここは。遺跡の中」
「天井、ないけどな」
二人が降り立った場所。そこは、大きな大きな、迷路のような遺跡のそれだった。
龍が降りても問題ないくらいの幅の道は、かつて、天井のある通路だったのかと思う。両脇に高く積まれた壁の石は、上が崩れて不定形だが、その高さに『人間用に見えない』オーリンが呟く。
「誰?」
二人は一瞬、別の気配を感じて、ふっと同じ方向を振り向く。気配はとても穏やかで、でも弱くはない。女龍と龍の民の感じた気配は、かなり遠くにいたようで、少しずつ近づいてくる相手を、二人と龍は見つめる。
明かりは空の星と、針のように細い月。
吹き続ける山頂の風は冷たく、相手の体を包んでいる長い布はなびいていた。そして、闖入者の10mほど手前で立ち止まる。
「あなたたちは。空の」
男の声は静かに風に乗って響く。その声は、白く発光する龍と、人間の形をした来客に、僅かながらの驚きを滲ませていた。
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