1252. 種を背負う男
オロノゴ・カンガを運ぶタンクラッドは、イーアンが龍気を注ぎ続ける。タンクラッドは、混ぜる対象が近くにないなら、龍気に包まれている状態。
眠っている様子のカンガを、裏庭の一番影が濃い場所に寝かせる。手放してすぐにタンクラッドは後ろに離れ、イーアンは、親方の手や胴体をさっと見渡し、緊張した顔が少し緩む。
「大丈夫ですね。良かった」
「俺も緊張するが。魔物だったら、この俺の状態でも、お前の龍気でも、相手はとっくに潰されているだろう?」
「そう思います。だから、違うんだと思うのです。瘤は引かなかったもの」
「ドルドレンがな。短い時間で話してくれた。今日、シャンガマックから連絡が来て」
親方は、簡潔に内容をイーアンにも伝える。ギョッとする目を向けたイーアンに頷き、聞いておいて良かったと、親方も呟いた。
「それでは、オロノゴは」
「そういうことだ。体中、魔族の種だらけ」
ぞわ~っとするイーアンは、彼を見て『どうしてそんな恐ろしい運命を』と憐れむ。
タンクラッドは自分の手を見て、手首や、肌の出ている箇所、首なども触り『大丈夫だよな?』と女龍に確認。
「大丈夫です。後で、服を脱いでもらって、全身の確認をしましょう。万が一、があれば男龍に」
「お前が確認するのか」
何言ってんのと、親方に素で返す、目の据わるイーアン。
冗談言える状況じゃないでしょうと、ぼやく女龍は、ちょっと恥ずかしそうに顔を背けた親方に咳払いし、『それはドルドレンに任せる』と添え(※これ大事)恐らく大丈夫だろうと続けると、地面に寝かせた男を見る。
「シャンガマックの話では。魔族の種が割れるのは、近くに宿主がいる時、なのですね。オロノゴは・・・宿主にされてしまった」
「俺の心配がもう一つある。彼が運んでいた袋がないことだ。彼の荷物がない気がするんだが」
部屋にはなかった、とイーアンは答える。『異質、と感じるものは、彼以外になかったのです』本当にそうで、ミレイオにもフォラヴにも、同じように調べてもらったこと。なので、それについては、話が進まなかった。
ミレイオとフォラヴは、馬車の荷台に入り、ドルドレンとオーリン、バイラは、馬車の側に立ち、ドルドレンは冠と剣で、戦闘に備えている。
彼らを振り向き、親方はイーアンの側に寄る。イーアンはタンクラッドとオロノゴの間に立ち、『私は大丈夫です』と親方に伝えた。
「何かあれば。龍気がまともに効く相手か知りませんが、とにかく私の龍気を遣って、タンクラッドは応戦して下さい」
「お前の龍気は」
「オーリンが側にいます。彼も呼応は出来るから、長い時間でなければ、龍なしでも」
分かったと頷き、親方は暗くなりつつある、夕暮れの紺と淡い桃色の雲を見送る。そろそろ、コルステインも来る。
イーアンの肩をちょっと抱き寄せ『お前の判断でコルステインに変われ』と囁いた。プライドがあるだろうとの、小声で伝えるその配慮。イーアンも、ぐっと顎を引いて頷く。
「あの方に、任せないといけない事態にならないよう、気張って挑みます」
「来たぞ」
え?とイーアンが親方を見てすぐ、親方がオロノゴに向ける顔に驚き、イーアンも次の瞬間、ビックリする。
オロノゴの真横。影の深いところに、いきなり渦が現れて、そこから恐ろしい体を持つ男が出て来た。
黒い体が、影によるものか、そうした色なのか、分からない。背は自分と同じくらい。形こそ人の形だが、真っ黒の体にボコボコ瘤があり、それらは皆、赤黒い鈍い光を持っている。
肉は既に、干上がった土のような割れ方で崩れかけ、崩れた隙間から何か滲んでいるが、滲んで体の外に落ちそうになると、そこで乾いて固まり、液体は新しい瘤の元に変わっていた。
顔も、『顔だった』と分かるだけで、溶けた鼻や目の辺りは、最初の形を一つも残していないと分かる。
男と知ったのは、その姿が話した時。彼は『俺』と言った。彼の声は、何重にも重なったような音だった。
「俺はもう、戻れない。カンガは戻れる。俺が『種』を引き取ったら、カンガを」
その男は、勢いのようにそこまで話すと、目の前にいる白い女を見て止まった。イーアンは彼の、目のある部分が動いていることに、息が荒くなる。あまり怖がらない性質だが、何とも言えない悲しい恐ろしさに、心が苦しかった。彼は人間だったんだ、と分かる。
「龍・・・龍?」
「そうです。私は龍。あなたは龍の側にいても、平気なのですね」
「俺じゃない。俺を奪う奴らは皆、だ。龍、人間のうちに会えて嬉しい」
「ああ」
男の言葉に、イーアンは涙がこぼれそうになる。この人も、テイワグナの人だと思ったら、数奇な運命を哀れまずにいられない。タンクラッドはそっと、女龍の肩を抱き寄せ『何もしなくて良いかも知れん』と呟いた。
――何もしなくて良い。
その意味は、現れた相手が、オロノゴ・カンガの種を引き取ったら、その場で消し去る・・・それをしなくても良い、とした意味。
イーアンも、出来ることならそうしたい。でも、これは脅威と感じる相手。こうした時、『龍の愛を使うんだ』とも理解したイーアン。脅威と知っていて、自分の役目を果たさないわけにいかない。
男は何を感じ取ったか。寝かされた人物の側にしゃがむと、肌に膨れ上がった瘤を、次々に触り、衣服の上からでも見えているかのように、全身に手を当て続けた。
そして彼が立ち上がった時、その黒い体には、びっしりと赤黒い点が埋め尽くす。
「俺を今。殺したいかもしれない。だが無理だ。俺の体はもう人間じゃない。もうすぐ、意識も変わる。
龍。教えておく。もしこの先、こんな俺のような者を見たら、完全に『魔族』に変わらないと倒せない。種は、魔族の巣のある世界に返すしかない。
こっちの世界の聖なる気は、魔族を阻むことは出来ても、消すことは出来ない。『写しの壁』を」
急いでそこまで告げた男は、うっと呻いて、頭を揺さぶり、ヨロヨロと黒い体を起こし『もう無理だ』そう言い残して、逃げるように渦の中へ飛び込んだ。
ハッとしたイーアンが前へ出ようとして、タンクラッドは引き留めた。渦は瞬く間に消え、そこには暗闇の風景が戻る。
「タンクラッド、あの方は」
「彼は。最後の人間の意識で、自分が背負った」
ぐーっと握り締める拳、こみ上げる涙に、イーアンは俯く。様々な思いが頭の中を駆け巡り、悲しみが心に広がる。親方の大きな手が、イーアンの頭を撫でる。
「彼の言葉。後で書き留めるぞ。今はカンガだ」
「はい」
涙を拭いて、イーアンは寝かせていたカンガの側に膝をついた。イーアンの角の光で、彼は柔らかく照らされる。カンガの体には、一つの瘤も残っていなかった。
「見て下さい、タンクラッド!」
「おお・・・助かったんだな。フォラヴ!フォラヴ、来てくれ。お前の出番だ」
呼ばれたことで、フォラヴはすぐに側へ駆け寄る。ドルドレンたちも側へ行き、暗い場所に倒れたままのカンガに目を凝らし『瘤がない』と驚く。
「フォラヴ、癒せるか」
「彼をどこまで癒すのか。私にその力はまだ、足りないかも知れません。タンクラッド、私はあの日。助けた妖精が下さった、『癒しの雨』(※1143話参照)を使います」
妖精の騎士は、そのつもりであったように、美しい小瓶を手に握っていた。
フォラヴは小瓶の蓋を開け、目を閉じたままのカンガの額に、煌めく雫を落とす。
癒しの雫は、続けて、額から唇、唇から喉、喉から胸。両腕、腹、両足に一滴ずつ落ちては、月明かりに浮かぶ泉のように静かに輝き、すっとカンガに染み込んだ。
暫く見守る7人。オーリンが変化に気が付き『見ろ』とカンガの頬を指差した。
カンガの瘤があった箇所は皮膚が角質化していたのに、皮膚は滑らかに変化していた。『イーアン、照らしてくれ』ドルドレンに言われて、イーアンはカンガの側に頭を寄せる。
女龍の角の光に照らされたカンガの顔に、少しずつ人間らしい柔らかさが戻ってゆく。
「助けられたな。妖精に」
呟いたタンクラッドの言葉に、フォラヴは彼に微笑み『はい』と答えると、そっとカンガの頬に手を伸ばし、白い指で頬を撫でた。
「起きなさい。あなたはもう、大丈夫」
妖精の騎士の囁きに、横たわる男の瞼が動く。イーアンは彼の顔を照らし『あなたを、命に代えて助けて下さった方がいました』と伝えた。
「ボボス」
カンガの瞼が開いた時、彼の声で、全ての怖れを引き受けた、友の名が呼ばれた。
*****
「カンガは?」
宿の裏にある、人の少ない食事処で、戻って来たフォラヴとイーアンに、ドルドレンは席を示して訊ねる。
「眠りました。少し・・・泣いていたけれど」
「そうだろうな」
彼の話は?と訊ねたオーリンに、イーアンは横に座って『少し聞きました』と答えた。
食事処では、来客のガーレニーも、一緒に部屋に入っていた、ザッカリアやロゼールも、もちろん一緒。
タンクラッドは部屋に一度戻り、食事と風呂を済ませることをコルステインに伝えていたため、イーアンたちの後に食事処に入る。これで全員揃った状態。
オーリンとドルドレンの間に座ったイーアンは、皆に、彼が話したことを伝える。フォラヴはとても憔悴していて、心が疲れていると分かるので、説明はイーアンが引き受けた。
話を聞いて、横のオーリンはゆっくり頷き、同情の眼差しを向けた。
「カンガの友達だったのか」
「そうだと言っていました。彼は、自分に触れていた、あの人がそうだった、と分かったらしいです。
声も姿も違ったし、何よりカンガ自身が、意識を取られかけていたところだったのに」
イーアンとフォラヴが、カンガから聞いたこと。
裏庭の地面に横たわる彼は、意識はなくても、周囲の動きは分かっていた。
彼は、自分の側に近づいた相手が、一緒に出発した仲間の姿ではなくても、その人であったことに気が付いた。彼が、カンガの瘤にある種を取り始めた時、『触れている彼の思いが、流れたような気がする』と言っていた。
ボボス、と呼んだ仲間。その思い。
彼がスランダハイの町の手前、崖のある道を通った林で、魔物に襲われた時から始まる。
抱えていた荷袋と一緒に、彼の体が破かれ、彼はそこで致命傷を負い、仲間は彼が死んだと思い、袋を受け取って魔物から逃げた。
致命傷の彼は、その時――
体に違う力が沸き上がった。それは何かが潜り込んだように、体のあちこちに起き、彼の体を再び立ち上がらせた。魔族の種を宿した体は、熱に浮かされたままだったが、血は止まり、動くことが出来た。
彼は、自分の体が、人ではなくなる、と気が付いていた。
魔族の種と気が付いたのは、彼が死ぬ間際に選択肢を迫られたことによる。彼は死なない方を選び、数日、人間から魔族へ変わる時間を過ごした。
「ドルドレン。タンクラッド。あなた方が彼に聞いた『カンガが、いるはず』とした部分は、この時の彼の行動では」
イーアンはそう思うことを話す。ドルドレンは頷き『そうかも』と。
並びで聞いていたミレイオも、『親父が話していたのは、あの、魔族になりかけた人のことだった』と知った。
魔物でもなく、人間でもなく、魔族にも変わっていない、一人の男の存在。『カンガもそう、なりかけていた』と聞けば、魔性もない相手に気が付けなかった自分たちは、仕方ないのかとも思う。
でもそうすると、なぜ親父は『変だと思った』のか。あいつだけが気が付いた、その理由も腑に落ちなかった。
『これ以上は分からないのです』話を終えたイーアンは、小さな溜息をついてフォラヴと目を合わせた。
空色の瞳も、食事の手を止めて『そうですね』と困ったように返す。何が?と訊ねたドルドレンに、イーアンは顔を向け『袋がありませんの』小さな声で教えた一言に、皆はさっと顔色が変わった。
「袋?元凶」
「そうです。私たちも探したし、カンガにも訊ねたけれど。彼は昨晩、意識が消えた後のことを思い出せません。翌朝の今日、私たちとの会話までの間」
「イーアン。俺が新しい情報を渡せる」
イーアンの不安を止めたのは、タンクラッド。口に料理を突っ込んで、あまり噛まずに飲み込むと、水を一息に飲み干してから『今話す』と口を拭いた。
「コルステインに、さっき教えてもらった。俺は解釈を間違えていた」
「間違えていた?コルステインは何て」
「袋の中身は『魔物』だったんだ。正確に言えば、魔物の残骸だ」
「え。でもあれは魔族」
だからな、とタンクラッドは、骨付きの肉を引き寄せて自分の皿に載せると、注目する皆を見渡して『俺が話す間、質問するな』と言ってから、説明し始めた。
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