1248. 旅の八十四日目 ~『その欠片』を胸に
コルステインが気が付いたのは、すぐではなかったが、イーアンは先に感じ取った。
訴えかける『助けてほしい』誰かの声が聞こえた丁度その時、イーアンはのんびり部屋にいて、ドルドレンにがっちり抱き締められていたが、伴侶の腕をさっと解き、驚く伴侶に『誰かが困っている』と伝えた。
「俺が今。やっと奥さんを」
「ええ。私もやっと、旦那さんとほのぼのしていましたが。でも救助が先」
「それはそうだ。でもね、イーアン」
「ドルドレン。服着て下さい」
ええ~~~・・・『せっかく脱ごうとしてたのに』と嫌がる伴侶に、さぁ服を着ろと、女龍は容赦なく上着を伴侶に被せ、『表へ行きます。どこだ?どこだろう』100%業務に思考が切り替わって、気配を掴もうと真顔モード(※イーアンはそういう人)。
奥さんがこうなると無理(←夜)と誰より知っているドルドレンは、仕方なし『俺も勇者だからね(※渋々)』服を着て、猟犬のように目をギラつかせる奥さんの後に続いて、部屋を出る。
「イーアン。誰が困っているって?そうしたことは分かるの」
「そこまで分からないのです。でも、この『困っている』は、死ぬか生きるかの状態、とは分かります」
「そんなことに?!魔物か」
「いえ・・・でもちょっと、怪しいですよ。魔物ではなさそうなのに」
私もはっきりしていないと、伴侶を振り返り、イーアンは宿の外に出る。ドルドレンは丸腰なのだが、とりあえず奥さんが強いから、大丈夫かなと任せることにして(※これ助かる)。
夜にぼんやりと白く光る女龍の後に続いて、宿屋の庭を調べ、それから裏に回った時、ドルドレンもイーアンも立ち止まる。一気に緊迫した意識は、ドルドレンを間髪入れずに動かし、倒れている人間に駆けよらせる衝動をもたらしたが、イーアンはすんでの所で、伴侶を引っ張って止めた。
「イーアン!」
「変です。触ってはいけない」
「何?でも、倒れて」
「いけません。あなたは触らないで。触るなら私が」
イーアンとドルドレンの夜は、思いもしなかった急な事態に変わり、イーアンはドルドレンに誰かを呼ぶように言い、この時、親方と一緒にいたコルステインも、さっと眉を寄せて『あれ。違う』と呟いたところだった。
*****
『これはどう、病気ではありませんでしょう』
『違います。フォラヴ、神殿の妖精が魔物をどうしたのか、もう少し詳しいことは分かりますか』
『いいえ。私もあの子に聞いただけですから。それが全てです』
『ねぇ、魔物ではない感じだけど。でも魔物的よね、これ。イーアンはどう感じる?』
『私も同じ意見です。魔性ではないけれど・・・何か、この中に知らない存在があるような。安全ではないものです』
『イーアン。それでは頼んだよ。出かけるけれど』
『ミレイオ、何かあれば教えに来てくれ。今日回る場所は、さっき持たせた地図に印がある』
『分かってる。大丈夫よ。気を付けて。私は行けないけど、職人に宜しくね』
医者は・・・? 医者じゃ無理だ、ガーレニー・・・ コルステインは何て言っていました・・・? 駐在所に一応知らせて・・・ あの人大丈夫なの・・・・・
――誰かが。側で話し続けている。一人、三人、五人・・・もっと。誰だろう。目が開かない。体が重い。体・・・あるのか。俺の体は、どうなった?――
側にいる人間たちが話し合っている内容は、少しずつ耳に入り、朦朧とする意識に呼びかけるように残る。ここはどこなのか。声は誰なのか・・・・・ 意識は再び、熱の疼く体に連れて行かれる。
体中に熱が溜まる。所々に瘤のように膨らんだ部分は、更に熱く、自分の体の内側を何かが掻きむしっている気がする。その何かは、ずっと、ずっと遠くから幾重にも聞こえる、ざわめきを止めない。
あの日。
妖精が消えた後の神殿は揺らぎ、風景が一度変わった。そこは昔の風景で、殺伐とした草一本生えない岩場に見え、しかしまたすぐに、風景が戻ったことで、自分たちは『妖精がいなくなる』前兆と知った。
神殿に集まっていた自分たちは、妖精が守ってくれたことを感謝した。
そして、海に落ちた魔物のいた場所に、千切れた一部が残っていたのを見て、しばしそこで相談し、一人が、馬に積んでいた空き袋を広げ『これを、妖精の偉業として祀ろう』と提案した。
魔物の一部は、湾曲した板のような形に、ボコボコと半円の凹凸が表面を覆っている物だった。
色は汚れた緑色の藻に似て、魔物の体の背中辺りだろうと、皆で話した。襲った魔物の形は、人と言うには粗末な物体で、雑に作り上げた肉の塊のそれだった。
分厚い体は、全てが覆われているわけではなく、背中や腹、腕と足の一部に、拾い上げた板状のものが付いていたが、後はむき出しの筋肉や、そこからぶら下がる、血のない血管が揺れていた。
顔も頭もないような、はっきりしない頭部は肩辺りにめり込んでいて、頭頂部に見えた赤い光が気味悪かった。
その魔物自体は生きているふうにさえ見えない、雑巾のような具合なのに、赤い光だけは・・・妙に生々しい、憎悪を感じさせた。
そして自分たちは集落に戻り、ハディファ・イスカン神殿で起こった出来事と、持ち帰った魔物の残骸を加工しようと決めたこと、ひいては、ムバナの町へ行くことを他の者に伝え、その日のうちに出発した。
加工出来る話は、最近の警護団から聞いて知った。隣の国から来た騎士たちが、テイワグナを魔物退治で回っているという話。
その話の中に、最初こそ信じられなかったが、『倒した魔物を、武器や防具に変える方法も教えている』という内容があった。
魔物に勝ち続けていることだけでも驚いたのに、更に触ったり、加工してしまうのかと、皆の間でその話持ちきりになった。
他人事のように聞いていたが、魔物の出現が増える中、とうとう神殿も襲われて、妖精も消えてしまった。
遺された魔物の残骸は、触れる気になどならないくらい、醜悪で嫌な感覚を覚えさせるものだったが、加工出来る話を聞いていたから、これを町のどこかに相談すれば、違う形で祀る品に変わるのではと考えた。それは、これまで長い間、皆を癒してくれた妖精を称えるため。
ムバナへ着いた自分たちは、それを町役場で相談した。
すると、ここでは出来ないから、スランダハイへ行けと言われた。スランダハイの方が、ありとあらゆる武器防具に長けた職人がいる。『持ち込めば、希望は叶うだろう』と答えが戻り、紹介状をもらって、北へ向かったのだ。
だが。
町へ着くまでの道のりで、魔物に襲われ、5人で出発した仲間の内、3人は死んでしまった。
虫の顔をした獣のような魔物は昼夜関係なく現れ、引き返すことも出来ない距離で、自分たちは仲間を一人ずつ失いながら、助けることが出来ようはずもなく、ひたすら逃げて隠れて、どうにか町へ着いた時、既に自分ともう一人だけだった。
そのもう一人も、町へ着くなり、宿屋に入ったその日。高熱で息を引き取った。
逃げている間に負った傷だったのか、胸から腹にかけて大きな引っ掛けたような傷があり、それは血も少なく、深さもないものの、腫れ上がっていた。きっとそこから、熱が出たのだろうと、悔しい涙を流した。
残った自分は、魔物の体を包んだ袋を持ち、工房を訪ねたが、工房が多く集まる通りでは、『個人は相手にしない』と門前払いで、人に聞きながら奥の工房へ進んだ。
町の奥にある、雰囲気の違う工房の幾つかを見て、一軒の工房に入り、話をしたところ、その職人はすぐに『見たい』と言ってくれた。
見せてから、失った仲間のことも思い出して泣いた。自分の恐ろしい旅に同情してくれた職人は、茶を出そうと一旦、席を外した。
その時、体の中から叩きつけるような苦しさを覚え、自分は驚き、胸を押さえた。急な体の異変は続き、息苦しさと怖れに見舞われた時、袋から出ている魔物の体が赤黒く光っているのを見て、怯えた。
もしや、最後の仲間が死んでしまった理由は、これでは、と察した時、逃げ出しそうになったが、しかし、置いて行くわけにいかないと、混乱する思考を抑えて荷袋を掴むと、自分はその工房を離れた。
工房を離れ、その日も、次の日も、自分は町外れの人のない茂みで倒れて過ごした。
どのくらいそうしていたか。
熱と苦しみが引き始め、思考が戻り、死にかけたと思ったものが生き延びたと分かった。ようやく体を起こし、荷袋から覗いた魔物の体を見た時、異様な赤い光が消えているのを確認する。
それと同時に、自分の体に、気持ち悪い瘤が、沢山出てきたことも――
瘤は、握りこぶしくらいの大きさがあり、丸く盛り上がった中心は、皮膚が角質化している。慌てて体中を見ると、胴体も手足も瘤だらけで、気がおかしくなりかけた。大雨に備えた布を荷物から引っ張り出して体を包むと、動転する気持ちを抱え、一先ず、町の中に戻ることにした。
痛みや熱はなかった。腹が減って仕方なく、喉が渇いていた。
町の中へ出て、食事処に入り、腰袋にあった金を使って食事と水を摂った。体は瘤があるだけで、普段と変わらない状態に戻った気がした。
食事をした場所は、人が多く、自分の厚手の布を巻いた姿は気にされないかもと、そこを選んだ。
すると。表が騒がしくなり、『龍』の声が聞こえた。少しして店に入った団体は、テイワグナ人ではなく、ハイザンジェルの男たちとすぐに分かった。そして一人、白い肌の女には、何と角があった。あれが龍の女か、と驚いたものの、本当に驚いたのはその続きで。
彼らは、自分の席の近くに座り、会話の様子から、彼らこそ警護団が話した『旅する魔物退治』の一行と知った。
その場で話しかけようとしたが、彼らは『スランダハイの工房に断られたばかり』のような内容を話しており、様子を見ることにした。
体は言うことを聞いたので、彼らが向かった先の工房にも、後をつけ、宿に戻るまで追い続けた。
どこで、いつ、話し出せばいいのか。自分には分からなかったが、人目がない方が良いと思った。
機会が出来たら。妖精の倒した魔物の欠片、それを祀りものに変えたい相談。そして、自分のこの状態は、魔物の影響で生じているのかどうか。治せるのか、どうか。百戦錬磨の彼らなら答えてくれる――
それで、同じ宿で機会を待つつもりだったのが、部屋に入った途端、力が抜けて熱が上がり、体が重くなった。それが、昨晩・・・・・
なぜか今は、一度は途切れた意識が、妙にはっきりとし始めた。体の熱が、異様な恐れが、何か強い力でねじ伏せられたような。
――もう、死ぬのかも知れない。ふと、そう思う。死ぬ間際、鮮明になると聞いたことがある。今がそうなのではないか――
『イーアン。助かりますか』
先ほどの声がまた聞こえた。澄んだ声で、男なのか女なのか。思い出すのは、神殿の妖精の声。
『分かりません。でも聖別しました。私の聖別で何が起こっているかまでは。しかし、おかしい。魔性ではありませんから、聖別も別の作用をしているのかしら。なぜこの、変な心配が消えないのか』
この声も、男女の別が分かりにくい。でも、この声の主が、自分に何かを施したのかと感じる。
『動いたわ。何か喋ろうとしてる!』
男の声で女の話し方。その声に、ハッとした自分は瞼が開いた。
「起きた!」
「大丈夫ですか」
そこは、朝の光が入る部屋の中。自分を覗き込む三人は、一人が妖精のあの人にそっくりで、一人は刺青だらけ。そしてもう一人は『角・・・龍の女』呟いた声に、白い肌の女は微笑んだ。
「あなたを助けます。話せますか」
お読み頂き有難うございます。




