124. 友達
ハルテッドの言葉を聞いても、意味が分からないので『はい』と答えたイーアン。
その時、裏庭の方から誰かが走ってきた。見ればクローハルだった。クローハルの後ろにも何人かいて、ちょっと怒っている気がした。彼らはイーアンの前で止まり、ハルテッドを困ったように見た。
「演習中に抜け出すな」
クローハルがあからさまに困った様子で、ハルテッドに注意した。注意された彼はケロッとした顔で『ごめんなさい』と肩をすくめて笑顔で答える。
後ろにいたクローハルの部下は、何か悩ましげにクラッとした感じだったが、さすが隊長。クローハルは渋い顔で『謝る前に抜け出すな』と畳み掛けた。
「イーアン、おはよう。すまないね、仕事の邪魔をして」
珍しい言葉を隊長らしく言うクローハル。 ――あなたは常に私の邪魔をしていました、とは言えないで、イーアンは頭を振って『そんなことありませんから』と微笑んだ。ハルテッドがイーアンの後ろから、イーアンの両肩越しに腕を回して、イーアンを自分の胸に引き寄せた。
「友達になったの」
可愛く言うハルテッドの態度に、クローハルの目がビックリして皿。口も開いてる。部下の顔が赤らんで羨ましげな声が漏れていた。
「ね。イーアン。友達だよね」
うへっと心の中で声が。巻き込まないで下さい、と思いつつも、必死に『そう。そうです』と顕在意識を振り絞って答える。作り胸の威力がすごい。これは男の人はやられかねない。
「おい。イーアンから離れろ。何、抱き付いているんだ」
信じられない、といった様子でクローハルは絡みついたハルテッドの腕をベりべりはがした。『俺だって、そんなしたことないのに』とハルテッドを睨みつける。
「イーアンの邪魔するな。イーアン、まだ外で仕事かい?中には入れない?」
クローハルが急いで質問したので、『もうじき工房に入ります』と開けた窓を見た。クローハルが頷くより早く、ハルテッドは真横の工房を見て『ここがイーアンの仕事場?』と目をきらっと輝かせて訊いた。
「答えちゃ駄目だ」
クローハルが叫ぶと同時に、イーアンは反射的に『そうです』と答えていた。ハルテッドが笑って『私、後で遊びに来る』とイーアンの背中をぽんと叩いた。
「ねぇ、お昼一緒に食べよう」
それはドルドレンがどう言うやら・・・・・ イーアンは躊躇う。
クローハルが『もう。いい加減にしろ』とハルテッドの腕を引っ張って歩き出した。護衛(部下)にハルテッド周囲を固めさせて、『イーアン、気にしないで』とクローハルが最後に言い、彼らは裏庭演習の場へ去って行った。
イーアンは、しばらく呆然としていた。だが自分の腫れた瞼やらを見せていたことを思い出し、少し凹んだ。誰も何も言わなかったから、気を遣ってくれたのかも、と思うことにした。
溜息をついて。さて、と毛皮を見る。直に日は当たっていないから、このまま午前中は草の上で干しておく。アティクにどうしたら一番良いか、後で聞いてみよう。
次のすることは、毛皮の用途を書き出さないといけないので、工房の中へ入った。
暖炉の炎が部屋を暖めているので、青い布を畳んで棚に置き、手袋を外した。お茶を淹れられるように、お湯を沸かしたいな、と暖炉を見て思った。忘れないように紙に書いて、ふと思い出す。
今日はギアッチが来なかった。
もしかしたら、ドルドレンが伝えてくれたのかもしれない。明日はちゃんと授業を受けなければ、と忘れやすい授業の事も紙に書いた。
幾つか、今ある魔物の材料で思いつくことを書き溜めている紙に、新しく思いついたことも書きこむ。
時計を見ると、まだ昼まで1時間くらいはあるので、地下へ行って下顎の袋を引っ張り出した。下顎を灰に埋めてから2週間近い。それ以上経ったかも、と思いながら、下顎を一つ出した。
切り取った下顎の毛皮や歯茎に変化があった。机の上に粗紙を敷いて、その上で顎に付いた毛や肉を押すとボロッと取れた。
「もしかして」
僧院から持ってきた匙状の石製ヘラを出し、肉と骨の間の隙間に差し込んで押してみると、いとも簡単に肉が剥がれていく。歯茎も歯と隙間が見えているので、そこにもヘラを入れると乾き始めの粘土のように取れる。
落ちた肉を手に乗せてみると、粒子が見える。可視出来るほどの大きな粒子に変わった塊が、水分をほとんど含まず、脆く壊れると分かった。見た目こそ毛も生えている顎と歯茎だが、色が褪せている。
骨と歯はどうだろう、と思い、力を籠めて押すと、歯は大丈夫そうだが骨はイーアンの力でも亀裂が入った。
イーアンは手を打って喜んだ。 ――上手く行くもんだ!と嬉しくなる。
もしかするとこのまま放置していたら、歯もいずれは壊れるほど分解したかもしれない。丁度良いタイミングで取り出すことが出来たことに感謝する。ここからは、せっせと歯茎や顎の肉を取り外した。
これが全部終わったら、次は骨を砕いて歯を取り出す。それは午後の作業になるだろうが、もう楽しみで仕方ない。
昔、羊やイノシシやカイオテの頭から歯を取り出した時は、本当に骨が折れた。あれに比べたら、魔物は実に効率のよい相手である。
命を懸けて戦う人達には決して言えないが、魔物は、毛皮も骨も角も管理しやすいし、毒や何やらも使い道が山のようにある気がした。使わない手はない。やる気が漲るイーアンだった。
昼の銅鑼が鳴り、あっという間にお昼の時間になった。
イーアンは15個の下顎から肉を全部取り除いた。骨が亀裂が入っているので、早く割りたくてうずうずしていた。
扉がノックされて『はい』と答えて、鍵を開ける。戸を開けるとドルドレンが。――ではなかった。
「イーアン」
ニコニコしているハルテッド。『まぁ』と真顔で一声漏らすイーアン。『もうお昼よ。ここが仕事場?入っても良い?』と言いながら、よいしょと扉を開けて茶髪の美女(男)が工房に足を踏み入れた。
「わぁ。すごい。何かいろいろあるのね。イーアンは何かを作るの?」
「はい。皆さんが倒した魔物を使います」
もう入っちゃったから仕方ない、と諦めて返答するイーアン。イーアンの言葉にハルテッドが驚いて振り向く。
「魔物? 魔物って使うの?」
『使える部分だけですが』とイーアンは作業机の上の顎を見せた。ハルテッドの顔が笑っていない。
イーアンはたった今、行っていた事を簡単に話し、それから試作した鎧と、脇にかかる引き剥がしたままの一頭皮を棚から下ろして並べた。
「まだこれからなのです。最近始めたばかりですが、こうして使うことが出来れば、魔物も皆さんの役に立てましょうから」
イーアンは控えめに微笑んだ。気持ち悪いと思う人もいるからと思って、多くは語らなかった。
彼女(彼)は鎧と、その素材になっている丸ごとの皮に、顔を近寄せて覗き込む。そして眉根を寄せていたハルテッドは、何かを言おうとして言葉を飲み込み、躊躇いがちに横にいるイーアンの目を見た。
「あなたが作ったの?」 「もう一人協力してくれる人がいます。自分だけでは出来ませんでした」
「イーアン。すごいわ」 「そこまでだ」
ドルドレンの声がして、ハッとして扉に視線を移すと、戸口に黒髪の美丈夫が、腕組みして仏頂面で寄りかかっている。
「あら。総長いたの」 「おい。何でお前がここにいる。出ろ、ここはイーアンの仕事場だ」
「いいじゃない。私たち友達になったの」 「バカ言うな。あっち行け」
『おいで、イーアン』と寄りかかったままのドルドレンが、不快な溜息をついて両腕を広げた。イーアンはそそくさ近寄って、『でも友達にはなりました』と自分を抱き寄せる黒髪の騎士を見上げて伝えた。
「止めなさい」 「なんでよ」
ドルドレンはハルテッドを無視して、イーアンの肩を抱き寄せる。『出ろ。昼に行く時は鍵をかける』と命令し、ハルテッドを出して扉に鍵をかけ、広間へ歩いた。
広間は人で一杯だった。それでも総長と新入りとイーアンの組み合わせは目を引いた。
イーアンは食堂で食事を受け取ったら工房で食べる、と言うと、ドルドレンは了承した。『もう気にするほどではない』と一応イーアンの目について伝えたが、イーアンは『でも』と躊躇った。
それで食事を運んで、工房で昼食にした。ハルテッドも来たがったが、ドルドレンは追い返した。
昼食を摂りながら『ハルテッドは何を話したか』と訊かれ、イーアンが外の作業中に声をかけられたことや、さっき工房に来て自分の仕事を尋ねられたことを話した。
「あいつは自分が男だと言わなかったか」
ドルドレンが何やら気が付いて確かめる。イーアンは首を振って『そういえばその話は出なかった』と答えると、ちょっと考え込んでいた。
でも、とイーアンは思い出す。
「クローハルさんの態度を見れば、間違いなくあの人が男性だと分かります」
意外なことを聞いたドルドレンが、続きを促がした。イーアンは見たままを話した。クローハルはまるで、男の部下に話すように注意していた。自分に対しては気遣うが、あの人が自分を抱き寄せた時にビックリして引き離した、と。
「ちょっと待て。抱き寄せただと」
やってしまった、とイーアンは思った。怒るドルドレンを宥めて、急いで状況を説明した。女同士のように振舞うので、男の人の抱き寄せかたではなかった、と伝えると。
「こういう感じです」
イーアンが座っているドルドレンの後ろに回って、同じ動作を繰り返す。『私は胸がないのでアレですけど、あの人は胸があるので、体にべったりではありませんでした』と感想を伝え、腕を解こうとすると、ドルドレンが腕を掴んで『もう少し』とねだった。
「あるとかどうとか、そうではなくて、イーアンの胸に寄せられると嬉しい」
気持ち複雑。でも嬉しい言葉にイーアンはそのままで喋った。話の内容を聞いたドルドレンはイーアンを振り返り『食事を続けて』と言った。
「それを聞いていると。いや。うーん、どうなんだろう」
ドルドレンが思うことを話した。ハルテッドは昔から、女の友達が多かったこと。
ただ、男と知っていて友達になった女は、人生経験豊富な一定の職業の者で、普通の感覚の女性が友達になった様子は見たことがない。
イーアンは『人生経験豊富な職業の人』については、特に質問しなかった。何となく理解できた。
「あいつはイーアンに、自分が男だとは言わなかった。だが俺や周囲が言うから、そこは気にしていないかもな。どういうつもりなのか」
「どうでしょうね。自分の口からは言わないで、私がどう反応するか様子を見ているのかもしれません。男性と知っても、そのままのハルテッドさんと、私が友達になれるかどうか・・・」
イーアンは少しハルテッドが気の毒になった。
ただ自分らしくいたいだけで、世間はそれを奇妙な目で見る。あの人は堂々と生きているし、楽しんでいるけれど、いざ初めて出会う人と仲良くしたくても、やはり一歩手前で躊躇するのかなと。
「ドルドレンはどうして、あの人が私と友達になるのを『止めなさい』と言ったのですか」
イーアンが疑問に感じたことを訊くと、ドルドレンはちらっと鳶色の瞳を見た。
「相手は男なんだ」
そうですけれど、とイーアンが続きを聞こうと待つ。ドルドレンは困って、もう一度『ハルテッドは男なんだ』と答えた。
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