1236. 旅の八十二日目 ~馬車歌とスランダハイの町
目覚めて少ししてから。ドルドレンはボーっと、ベッドに横になったまま。
頭の中にどうしてか、同じ曲が浮かぶ。浮かぶ曲を聴きながら、気が付けば歌を口ずさむ。
ドルドレンの寝起きの声は掠れていて、小さな呟きにも似た声は、自分の耳にしか届かないはずなのだが、聞いている人は聞いている(※あの人)。
扉が開いて、ミレイオかなと、ベッドの横から頭をずらして下を見たら。
「おはよう。歌っているのか?」
超絶イケメンの朝のスマイルをもらった。ドルドレンのぼんやりした思考に、彼の笑顔が眩し過ぎて『おはよう』と答えるのもちょっと恥ずかしい。
「お前の歌が聞こえる。最近、歌っていなかったな。起きてるなら、こっちで聴かせてくれ」
お前の歌声が好きなんだよと、爽やかに、にっこり笑ったタンクラッドは、言うだけ言っていなくなる。残されたドルドレンは、朝っぱらから恥ずかしくて、もそもそ着替えて、少し照れて馬車を出た。
焚き火の周りに、ミレイオとバイラ、ロゼールがいて、親方も隣に座っているところ、出てきた総長に『ここ』と親方は横を示す。ドルドレンは皆に挨拶し、タンクラッドの横に腰かけた。
「歌ってたの?私は料理していて聞こえなかったけど、馬車歌?」
「そうだ。俺も起き立てで、なぜか思い出していた。でもテイワグナの馬車歌で、俺の育った歌ではないよ」
水を注いで差し出したミレイオは、『もう少しで食事が出来るから』その間、歌っててと微笑む。バイラはニコニコしているし、ロゼールは少し不思議そう。親方はロゼールの顔を見て『彼は歌が上手だ』と教えた。
「総長、歌うのか・・・そうか。ハルテッドたちが馬車の歌を」
「うむ。歌うだけなら俺も出来る。彼らのように、演奏は出来ないにしても」
「思えば。馬車歌が謎を広げたな」
ロゼールと総長の会話に、タンクラッドが『馬車歌が大きな旅の始まりだった』と呟き、ドルドレンもニコッと笑って頷く。
水を飲み干すと、ドルドレンはテイワグナの馬車歌を歌い出す。ジャスールが教えてくれた、馬車歌の教える創世記。
聞き慣れない言葉が、何の引っ掛かりもなく自然に流れる歌。ドルドレンのよく通る、張りのある声に、その言葉はとても神秘的で、ずっと一緒だった総長が、別の民族のように感じる、ロゼール。
「わぁ・・・上手いな。それに違う国の人みたい」
歌を邪魔しないように、ポツリと落とす感嘆の言葉に、ドルドレンの灰色の瞳が向いて微笑んだ。
歌い続けるドルドレンの、雄大で大らかな馬車の歌。テイワグナの馬車の歌なので、ドルドレンの馴染んだ歌ではないけれど、言葉は分かるから心の奥に懐かしさがある。
反対に、この言葉を理解することの出来ないバイラは、同じテイワグナに生きる民の歌を、分からないにしても、幸せそうに聴き入っていた。
タンクラッドも微笑みながら、歌う総長を見つめる。ミレイオも料理をする手を休めて、伸びやかな馬車歌に聞き惚れた。
「目覚めが良いです。素敵な起こし方をして下さって」
歌が止まりかけた総長に『そのままで』と、笑みを湛えた妖精の騎士も側に来て、ミレイオに水をもらう。ドルドレンは皆が楽しんで聴いてくれることを、素直に喜び、15分ほど歌って声を控えた。
拍手と一緒に『上手い』『また歌って』と褒められて、朝一番でシアワセ満喫ドルドレン。
この後、朝食の時間は、昨日の話と馬車歌の関わり談義で染まり、出発してもその話は続いた。
ミレイオとタンクラッドは、スランダハイにもう着くからと、荷台で準備。寝台馬車の御者は、フォラヴとロゼールの二人。ドルドレンは荷馬車の前で、いつものようにバイラと話す。
バイラは『私は分からないけれど』と前置きをして、何度か、もう一度歌ってほしいと頼んだ。好きな音の部分があるようで、ドルドレンが歌うと『その部分の音の変わり方が好きなんですよ』と笑顔を向けた。
ザッカリアが楽器を弾いている時、ドルドレンが歌うのを聴いていたバイラは、いつも『好きな韻がある』ことを伝え、ドルドレンは気を良くして『ハイザンジェルの歌も歌う』と・・・彼らの午前は、すれ違う馬車にちょっと微笑まれるような、長閑な歌の時間で過ぎた。
町に近づくにつれ、馬車の台数が目立つようになり、狭い道でも通り慣れた様子のテイワグナの馬車は、旅の馬車を止めさせることなく、器用にすり抜けてくれた。
そうして、昼も近くなる頃。外壁に守られた町が見えて来た。
町の外壁はしっかりした石造りで、その白い石が陽光に輝く。見張り台の高く細く伸びたそれは、まるで尖塔のように見える。
『要塞みたいだ』呟くドルドレンに、バイラは彼を見て『ここの町は襲われやすかったと思う』と教えた。その言い方に、ドルドレンはふと、いつもバイラはどこでも知っているのに、と思った。
「そう言えば、バイラ。スランダハイの町の事。あまり話さなかったのだ」
「はい。先日も言いましたが、本当によく思い出せないんです。有名なのは知っているんですが」
でも、そうした地域も結構ありますよと笑ったバイラに、こんなに広い国だから、それもそうかと総長は頷く。
自分も、ハイザンジェルを隅々までは知らない。一人、魔物退治に国中を動き回っても。馬車の家族と周回した若い時代があっても。それでも、記憶に残らない場所だってあるものだな、と理解した。
バイラは馬を進めながら、徐々に落ち着きがなくなる。それはいつも真面目で素直な男だから、分かりやすかった。
どうしたのかと思いつつ、ドルドレンは警護団員を見守る。そわそわしているし、町に近くなる間で『待てよ、ここだったか?』と呟きも聞こえる。
「バイラ。町に行くの、何か」
「あ。いえ、そうじゃないです。町は行くの、構わないのですが。その、ええと。駐在所を先に探してきます。総長たちは宿で」
バイラが急いで返す言葉に、いつもと違うと気が付いた矢先。歌声が聞こえた。ドルドレンもバイラも、町に目を向ける。白い壁の左奥。ぐるっと奥へ続く町は、林に囲まれている、その林の辺りに。
「あれ?あ!馬車の家族である」
「うわっ、なぜ」
え?とドルドレンがバイラを見る。バイラはハッとして『いえ。いや、何でも』と慌てると、困ったように顔を掻いてすぐ『私は、あの。早めに駐在所に行きます。宿は後で、馬車を目印に探し当てるから』そう言って突然、馬を早足にし、驚くドルドレンを置いて、さっさと町へ先に行ってしまった。
ドルドレンは唖然とする。バイラは、何を急いだのか。でも、後で宿を探して戻るようだしと思い、時間があれば、自分たちも駐在所へ寄ることにして。
それから、ゆっくり近づく町と、その左側に停まっている、数台の馬車に視線を動かす。『ジャスールの馬車じゃない』別の家族だ、と分かり、ドルドレンは出会いに嬉しくなった。
町のすぐ近くで、荷馬車にいる職人たちも、続く寝台馬車の二人も、歌が聞こえることに気が付く。
ずっとドルドレンが歌っていたから、気にしていなかったが、声が違うし、音も違う。
「あら?これ、馬車歌?」
「そうだな。ドルドレンじゃないぞ。ってことは」
「タンクラッド。見て下さい。馬車の民です!」
気付いた荷台の二人に、フォラヴは進行方向を指差して『別の馬車の民がいる』と教える。二人の職人はさっと立ち上がって外を見ると、『前の子じゃない』『ジャスール以外の家族だ』と話し合う。
ロゼールは、町の外に停まっている馬車を見つめ『あれが。テイワグナの馬車の民』そう呟くと、横に座る友達に『よく会うの?』と訊いた。フォラヴは首を振り『今回で二度目』と答える。
「総長の一周年。この前でしたね。あの日です。丁度、テイワグナの馬車の家族に、お会いしました」
「そうなんだ。ついこの前か。俺も仕事中、昼食でマブスパールによく行くけれど、また違う雰囲気だ」
自分たちの乗る馬車をサーッと見渡し、ロゼールは『ハイザンジェルの馬車と、違うんだね』と視線を前に戻した。
歌声は穏やかに聞こえていたが、向こうも近づいてくる旅の馬車に気が付いたようで、歌は消える。
ドルドレンは側まで行くと、馬車を停めて、馬車の家族の言葉で挨拶した。離れた場所にいた中年の女性3人は驚いた顔をして、その声にすぐには応えず、後ろを向いて何かを叫ぶ。
すぐに彼女たちの、夫か兄弟と分かる男性が出て来て、旅の馬車に乗る、背の高い見目の良い男を睨む。
ドルドレン。気にしない。馬車ってこんなもの。自分たちもそうでした、と思うところ。
気にせず挨拶を続け、ジャスールの名前も遠慮なく出した。すると相手の男性の一人が、一緒にいる男たちに何かを囁き、それからドルドレンに近づく。
話しかけた男性は、ドルドレンの父親くらいの年齢(※この場合、ドルパパ参照52歳)で、深い茶色の肌に、長い鼻と窪んだ目、しっかりした顎で、背はそれほど高くなかった。
テイワグナを旅で回っている自己紹介をして、ドルドレンはジャスールの教えてくれた歌を少し聴かせる。歌を聴いた男性は、目を見開き『勇者はハイザンジェルだったか』と、馬車の言葉で叫んだ。
いきなり勇者と言われ、目を丸くするドルドレンに、彼は突然、態度が変わって笑顔が浮かび『その冠。勇者だ』そう言った。
ここからはあっという間に、人が群がる。まだ町の手前で、馬車は停まったまま、ドルドレンはテイワグナ馬車の家族に歓迎された。
彼らは30人ほどの団体で、馬車が5台。10代の子供と、30代の数人が親。その兄弟が40~50代、さらにその親のおじいちゃんおばあちゃんがいた。男女は均等数に見える。
ジャスールを思わせる顔つき・見た目は、同時に、母国のバアバックを思い出させた。黒い髪、茶色い肌はテイワグナ人と同じだが、ここの馬車の家族は、あまり混じり気のない固有の特徴が似通う気がする。
ドルドレンは旅の仲間を紹介し、顔立ちの良い皆に、奥さんたちはニヤニヤしており、旦那が不安そうなので、ドルドレンは部下と職人に『ちょっと離れていて』と頼んだ。
「大丈夫よ。ザッカリアがいたらまずかったわね」
フフンと笑ったミレイオは、10代の女の子数人の、じーっとフォラヴとロゼールに注がれる視線を向ける様子を、ちょっと指差した。『14~15才でしょ。ザッカリアは格好の餌食だったわよ』と可笑しそうの言うオカマに、ドルドレンも真顔で頷いた(※いなくて良かった)。
「大人の女は旦那付きだし、人数も少ないから。寄られたって、何もしないわよ。でも、あの年の子はねぇ」
「それ以上言ってはいけない。誰でも良い伴侶を探すものだ」
ハッハッハと笑ったミレイオは、一歩前に出て馬車の家族に挨拶。『言葉は?通じる?』最初に訊ねると、何人かは頷いて、老人は首を振った。
彼らは不思議そうな目で、ミレイオを見ていた。何か小声で話し合っていたが、それは『ミレイオの感想』のようで、ミレイオも特に嫌な感じは受けなかった。
ドルドレンは用も町にあるし、とりあえず宿を探さないといけないから、出逢えたことを感謝して、彼らに『時間がある時、話を聞けないか』と相談した。
一人の男が前に出て『俺はアンブレイ』と名乗る。アンブレイは30代の男性で、ヒゲがあり、少し雰囲気がベルと被る。彼はタバコを吸いながらドルドレンを見上げ、握手をして『スランダハイは、あと3日いる予定』であると教えた。
「ドルドレン。歌が聴きたいのか」
「出来れば知りたい。そして、ジャスールの歌の意味も。箇所に分からないことがあるから」
「そうか。この家族では、俺が歌い手だ。俺たちの家族は、テイワグナ馬車歌の『3部』を歌う。『2部』は別の家族が持っている」
アンブレイの言葉に目を見開き、ドルドレンは是非聴かせてくれと頼む。
歌い手は頷き『あんたが勇者か。ハイザンジェルの馬車の民』そう答えると、人懐こい笑顔を見せて『誇らしい』と言ってくれた。
「龍の女は?」
「彼女はもうすぐ戻る。今は空で勉強中」
勉強中の龍、と聞いて笑ったアンブレイにドルドレンも笑い『本当だ』と付け加え、『戻ったら会わせよう』と約束した。
「どんな性格?」
「優しい。小さなことで動じない。俺の奥さんだ」
「え。結婚しているのか。そうか、お前の奥さん。ドルドレンは手が早い」
早いんじゃないよ、と否定して笑うドルドレンに、後ろで聞いていた親方は『早いよな』とぼやいていた(※横恋慕復活中)。
この後、皆は馬車の家族に『また来る』とお別れし、馬車を白い壁の先へ進める。
町の入り口を通った側には、左右に大きな標識があり、『ウェ・リフ地区スランダハイ』と公用語で書かれていた。
馬車で町に入った一行は、通過する際。その標識に、剣と鎖帷子、弓と斧の紋章が刻まれているのを見て、『本場に来た』と喜んだ。




