1222. 雨雲の鬼
「フォラヴ、ザッカリア!上と下へ分かれろ!ロゼールが出るまで、上下から敵を。俺は雲の中へ」
「ロゼールは?!」
総長の命令にすぐにフォラヴが頷いて、上昇する水色の龍の背から叫ぶ質問。
ドルドレンは彼の顔をさっと見て、首を横に振るだけ。分からない。ロゼールが突っ込んだ・・・無事かどうか。
雲に突っ込むなんて・・・何てことを、と思うのも終わる。ドルドレンも、ショレイヤの龍気を保護膜にして、雲の中に入った。
入った霧のようなその中で、ドルドレンはいきなり剣を抜く。人の姿を模った黒い物体が飛び出て襲い、ドルドレンの冠が熱を持ったので、急いで斬り放す。
一瞬、人の姿を見た時に意識は躊躇う。だが、冠が判断する善し悪しに、信頼以外のものはない。慌てて斬って、間近に見た顔に怖気が立った。
ショレイヤは気にせずに、雲の中を飛び回る。黒い物体は左右からも前後も上下からも出てくる。
雲の外への攻撃は何をしているのか、それも気になる。焼ける礫はまだ、降り注いでいるのか。馬車は無事でいるだろうか。
心配するドルドレンは、一刻も早く部下を守り、この魔物の親玉を倒さないといけない。雨雲ごと来たわけだから、思うにこの中にいるのだ。
襲ってくる黒い魔物は、雲の中を浮かんでいるのか、何なのか。自在に雲の中を跳ね回る。
飛び掛かっては、騎士の剣に斬られるか、龍の尾で打たれて壊れることを繰り返すが、数が多い。これは地上の魔物と変わらないが――
「お前の尾が打って、壊れるのだから・・・イーアンに触れて魔物が倒れるのと同じで、こいつらは魔物なのだな?」
剣を左右の相手に振り続けるドルドレンは、雲の中を潜るように疾駆するショレイヤに訊ねる。藍色の龍はちょっとだけ振り向いて、瞬きで答える。
龍の返答に頷いてお礼を言い、ドルドレンはロゼールを探し、雲の中を飛びながら考える。
――龍気が凄まじいことになっていると、龍が触れただけでも、魔物は壊れる。イーアン龍がそう。男龍たちもそうなのだと思う。
ミンティンは、イオライカパス戦で、多くの飛ぶ魔物を叩き落としたが、あれはイーアンが『落として』と頼んだからだろう。
今、ショレイヤも何かに遠慮しているように、龍気を大きくしていない。もしくは、龍気の使用限度に気を付けているのか。
他の戦闘時も、龍が飛び込んだ魔物の群れの中で、触る側から魔物が壊れることはなかったから、それは彼らの判断の範囲・・・つまり、『瞬く間に、魔物が崩れないこと』は、魔物かどうかの正体を判別する理由にはならない――
側で見た魔物の顔は、崩れた肉が炭化したよう。見た目は違うにしても、あの蟲の魔物を思い出す。
あれも『魔物』というには、印象の変わった相手だった。こいつらも同じように感じる。
蟲の魔物はあれ一人だったが、これらは大勢・・・あれよりも、こいつらの方が見境ないように見える分、魔物っぽく思えないことはない。とはいえ、何か変わった気もしている。
「本当に魔物なのか。こいつらはそうでも、あの時のような輩が潜んでいそうな」
ドルドレンが呟いて、上から襲ってきた魔物を斬り払った直後。
前で、カンッと、金属の高い音が聞こえた。『ロゼール』もしや、と顔を向けると、龍も音のした方へ向かう。
「ロゼール、ロゼール!」
彼は武器をまず持たない。彼の武器は、彼自身である。今であれば、ミレイオの盾が武器だが、それ以前は武器たる道具がなかった。
しかも接近戦でしか、彼は自分の力を発揮出来ないのだ。
居ても立っても居られない総長は、何度も何度も部下の名前を呼ぶ。音は聞こえたのに、彼の返事が聞こえない。
「ショレイヤ、ロゼールを」
探してと頼もうとした矢先、ボンッと雲を吹き飛ばすような勢いで、一瞬周囲の雲が搔き消された。驚いたドルドレンは龍にしがみつき、飛び掛かる魔物を斬り捨て、もっと声を張り上げる。
「ロゼール!!どこだ、俺だ!ドルドレンだ」
「総長!」
応えた声に、ドルドレンはハッとする。藍色の龍はグーッと向きを変え、斜め前方へ加速し、すぐに目的の相手を見つけた。オレンジ色の髪、派手な両腕の盾。
「ロゼール、無事か」
「乗らせて下さい!」
叫んだロゼールは、何かを足場に蹴り飛び、藍色の龍はそれにすぐ間に合うよう、滑り込んで小柄な騎士に首を向ける。
飛んだ勢いで、長い龍の首に腕を回した小柄な騎士は、くるっと体を巻き付けて、すぐに『お皿ちゃん』と叫ぶ。その彼の呼び声と同じくらいのタイミングで、灰色の霧の中から、白い龍気を仄白く放つ板が飛んできた。
お皿ちゃんをパっと掴んだロゼールは、足をすぐにお皿ちゃんに下ろし、龍の首に片手を掛けたまま『有難う』と龍にお礼を言った。
彼の無事を確認した直後、ドルドレンはぶるぶる震えて、心配とお怒りで怒鳴る。
「お前は、勝手に飛び込んで!」
「中にデカイのがいます。説教は後で聞きます」
「どこだ」
叱ろうとしたすぐ、部下に指差されて示された情報『デカイの』の言葉に目を見開いて、ドルドレンも振り向く。
『あっちです。俺じゃ無理です。爆発は食らわせたけれど』ロゼールは龍の首に手を置いたまま、急いで状態を教える。
「爆発」
「はい。イーアンが作った粉。俺はこの盾で、それを爆発させます。でもあのデカかった魔物、普通の魔物じゃないですよ」
「魔物に損傷は」
「『損傷ない』んじゃなくて、あいつ、体がないんです」
「何?」
「空気の塊みたいな感じで」
え?と訊き返したドルドレンは、突如、急旋回した龍に慌ててしがみついた。ショレイヤが気が付いた相手、すぐそこに『あれです!』ロゼールは前方に見える、薄黒い奇怪な塊に叫んだ。
*****
雲の真下、旅の馬車は道を逸れて逃げ続ける。走らせるのも危険な乾燥した大地で、馬を急がせて馬車を走らせる、タンクラッドとミレイオ。
バイラも前に出て、危険な場所を避けるように誘導しながら、追ってくる雲を振り返り、馬を走らせる。
「あの、あれはザッカリアの龍」
大声で後ろのタンクラッドに訊ねるバイラは、雲の下で飛び回る、不思議な形の龍らしき生き物が気になる。タンクラッドは御者台から動けないので『見えない』と答えるだけ。
「ザッカリアがどうした?何か危険か」
「いえ。乗っていないんです。ザッカリアの龍だと思うのですが、雰囲気も違うし、背中に誰もいないから」
不安な顔を隠せないバイラは、ザッカリアに何かあったのでは、とタンクラッドに教える。だが、それを聞いた親方の表情は変わる。『いない?』手綱を捌きながら、バイラにもう一度よく見るように頼む。まさか――
「いません。そうとしか見えない。あの子は、あの龍も来た時と形が違うし」
「バイラ、雲の下に礫は」
「はい。ずっと降り注いでいます。でも、何だか最初と違って」
「勢いが消えて落下している?光っているか?」
見えていない背後の光景を知るように返した、親方の言葉に、バイラは目を丸くして頷く。その途端、タンクラッドが笑った。『そうか、それなら』といきなり安心した様子。
「それは、ザッカリアだ。彼は自分の龍と同化する。そして、金属的なものは、彼にかかると」
「タンクラッドさん!雲が止まりました!」
後ろを見ながら走っていたバイラが、青毛の馬の手綱を引いて、タンクラッドを遮って教えた。それを見て、おっと、と自分も手綱を引く親方。
急いで立ち上がり、御者台から首を出し、後ろの空を見て確信。ミレイオも馬車を並べて停止。馬車を引いて走った馬は荒い息をして、蹄で乾いた地面を掻く。
「雲が止まりました」
急停止したミレイオにも、バイラは同じことを伝える。ミレイオも止まってすぐ、御者台から立ち上がり、後ろを確認。
「ホント?いきなり止まるから・・・本当だ。どうして?」
「止まった理由は、中だろうな。ドルドレンたちが、何かし始めたんだろう」
「あれは?あ。あれか、ザッカリア」
雲の下を高速飛行でぐるぐるしている、乳白色の体に青い縞模様の龍。白い鬣が首も胸も覆い、力強い四肢で宙を走る、その姿は小さなイーアン龍のような形。
ミレイオもタンクラッドと同様、彼がその姿と気が付いて、友達に顔を向ける。
親方も頷いて『そうだ』と言うと、驚いているバイラに、前にも一度、ザッカリアがあの姿に変わったことがあると教えた。
「ザッカリア。君まで」
「ハハハ。そうだな、初めて見ると驚く。彼は龍族ではないが、空の一族だから。何かあるんだろうな。詳しくは知らん」
「あの、彼は何しているんでしょうか。彼が口を開けた先の・・・礫が皆、そのままボトボト落ちて」
「あれか。全部終わったら、確認すると良い。ここでも同じだと、凄いことになるな」
ちょっと鼻で笑う親方の横顔を見つめ、バイラはミレイオを見ると、ミレイオもニヤニヤしていた(※宝変化期待)。
「とりあえず。雲が止まっている間は、少し様子見だ。ドルドレンたちは、どうしているのか」
親方は雲の上に、数秒に一度、緑色の閃光が飛び散るのを見つめ『あれはフォラヴか』と呟いた。
ミレイオも、雲の上面側が光る緑の色に『あれは、広範囲用だもんね』心配そうに顔を曇らせる。上にも、魔物の攻撃が動いている。だが、彼らには龍がいる。ここで気になるのは。
「ロゼール、無事かしら」
「無事だと思いたいが・・・仲間が龍で上がったから。自分だけ大人しくなんて出来なかったんだろう。しかし、大した勇気だ。お皿ちゃん一枚で」
「私の武器もあるわよ、盾だけど」
「あいつは肉弾戦だ。嫌でもそうなるのに。子供みたいな顔をして・・・無事でいろよ、ロゼール」
職人二人の会話の横、バイラも雲を見つめて、騎士たちの躊躇ない動きに、毎度脱帽。今、話に上がったロゼールに対しては、特に。それくらい『魔物』に対して、彼らは恐れもを持たないんだと、しみじみ思わされる。
灰色のどんよりした雲は、その場所で停止したまま。
上では緑色の妖精の閃光が、下では不思議な姿の龍が、雲から出てくる攻撃を落とし、そして、雲の中心では姿も見えないが、総長とロゼールが戦い続けていた。
*****
雲の中、その奥にいた大玉と対戦中の二人は、弱点の分からない相手に四苦八苦する。
ロゼールは総長の動きが楽なように、周りから出てくる黒い物体を倒す。お皿ちゃんが高速移動出来るので、ロゼールの両腕の盾で攻撃を続ける。
盾は二つに分かれていると、その形状から部分的に切っ先のような鋭角を持つ。接近戦でも動きの速いロゼールは、この両腕の盾と持ち前の能力で、触れる物体の魔物を相手に、戦う。
ドルドレンと龍は、大玉の魔物に攻撃をするのだが、これが思ったよりも厄介だった。
ロゼールが教えてくれた通りで、攻撃の意味がない。
斬りこんでも手応えなく、相手は言ってみれば『色の付いた空気』で、一旦、斬れた場所が開いて散っても、すぐに戻る。
大きな人間に似た形、頭と手足指があり、胴があり、その大きな頭の上には、2本の角に見えるものがある。顔らしい陰影も、近づけば分かる。
斬り付ける時に突っ込み、首と胴を切り離した剣に、歪む目と鼻、開けた口を見た。しかしそれらは、霧のように儚く離れたと思いきや、呆気なくまた元通りになった。
空気のそれなのに、この相手は、放っておく時間があると、体内で何か動き始め、それが黒い人の形の物体として飛び出してくる。この大玉が、あの黒い魔物を作っているのだ。
これを知っても、どこでどう、物体を生み出しているのか。ドルドレンには見当も付かない。
「だから。魔物なのだ」
普通じゃないのだから、理由を探っても無理がある。分かったことは、この空気の塊の人間型魔物は、形を持つ不完全な人型の黒い物体を作っていること。
そして、もう一つ――
「こいつらが、あの礫の正体とは」
黒い物体は、ドルドレンとロゼールが倒すと崩れて消えるのに、何体かは雲の上下へ向かって飛び込み、飛び込んだ最後に、体が弾けて礫と変わるのを目にした。
弾ける時に熱でも出すのか、一度赤く熱されたように黒々しい体が鈍く光り、その後に散るのだ。全員がそうはしないが、命じられているのか、その動きは途絶えない。
ドルドレンの冠はチリチリと額に刺激を与え、熱を帯びて、相手の親玉らしき魔物に警戒を示し続ける。
剣を構えては切り裂き、龍と共に、この親玉が魔物を生まないように止めるのが精一杯。龍に触れても、その時だけのこの魔物、一体・・・・・
それに、体が重い。これは湿気。湿度はあの、テイワグナ沖地震の津波の日を思い出すほど。同じようにロゼールも『体がベタベタだ』と口にするのが聞こえる。
「霧か。雲の中は霧の中って、ことだものな。参るな」
ここでドルドレンは、ふと・・・イーアンが話していたことを思い出す。ギールッフの戦う職人たちと話した、何度かの会話に、イェライドという剣職人、彼の道具の扱いを教えてくれたことがある。
もうギールッフを出る頃で、オーリンと二人で『あれは危険』と何度も気にしていた。
理由は、僅かな刺激で爆発するからと。
彼の工房で出た『屑』が主体のその道具は、僅かな水にさえ反応して――
「鉄粉」
ハッとしたドルドレン。さっとロゼールを振り向く。そして確認する。
「ロゼール!お前はイーアンの道具の、何を使って爆発を起こした」
大声で龍の背から訊ねると、若い騎士はお皿ちゃんでさっと近寄って、『骨の粉。目灰の』と答えた途中、また魔物を見つけて倒しに飛んだ。
ドルドレンはそれだけ聞いて、また剣で大玉の体に斬り付けるがため、龍を走らせる。
この間で、必死に急いで考えること。イーアンは南支部の洞窟で『骨の粉』や『カラナ』を使い、幾つも炎を出した。
この前、首都の警護団本部で講習をした時も、カラナを用意して炎を上げて。ここにカラナはない。だが、カラナは金属で、イェライドの屑粉も鉄粉・・・・・
『鉄の粉だけでも、水を吸ったら危ないんだ』と、奥さんは話していた。つまり、つまり!
ドルドレンは魔物の大玉に剣を滑らせながら、濡れる手の水滴を振り払い、その水滴とこの環境を考え、一か八かで賭けに出る。
「ロゼール!遣いに出てくれ!タンクラッドかミレイオに」
大声で叫び、部下に『持ち物』を命じると、すぐに雲を飛び出したロゼールの背中を目端に映し、総長は龍で大玉を再び斬り始めた。部下が戻るまで――
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