1221. 午後の曇り空
旅の馬車は、お昼が遅かった。理由は、ミレイオがいないから(※待ってる)。
いつものお昼の時間を過ぎ、一時間も経つと、進む寝台馬車から出てきたザッカリアが走って来て、ぴょんと荷馬車の御者台に乗る。
ドルドレンは、彼の行動の理由が分かっているので、目が合った瞬間で頷いた(※何も言うな、の意味)。しかし、子供は黙ってはいなかった。
「お腹空いた」
「分かっているって、今それで頷いたのに」
「何で食事にしないの?さっきも日陰、あった。通り過ぎちゃったでしょ」
「だって」
「ロゼールは『作っても良い』って話してたよ。夜中動いてたからまだ寝ているけど、『起こして良い』って言ったし」
「いや。可哀相である。真夜中にコルステイン一家と遠出しては」
「じゃ、総長が作れば良いじゃないか。バイラも料理は上手だよ(※子供は見透かす)」
面倒臭いんだもの、とは言えないドルドレン(※ミレイオ昼に帰るって言ってた)。
肉料理は皆が喜ぶから作ろうかな、とは思うけれど、イーアンがいない時にあんまり肉使うと、ミレイオに叱られる。言い訳を考えるのが、面倒。イーアンは喜んでくれるけれど(※肉好きだから)。
ちらっとバイラのいる方を見ると、青毛の馬はもう、荷馬車の後ろに下がって消えていた(※お話の場に遠慮してるつもり)。
「ねえ。お腹空いた!」
「もうちょっと待つのだ。ミレイオが戻るから」
「どうして作らないの?ミレイオだって、作ってもらったら嬉しいと思う」
「ザッカリア。もうちょっと待つの。分かるか?そんなに空腹でもないはずだ。お前は、お菓子もあって」
「食べちゃったもの。町で買わなかった」
うぬ、と唸る総長。『買って』と言われていたけど、何となく後回しで買うの忘れていた。痛いところを突かれて目を逸らすと、顔に手を伸ばされて、子供の方を向かされる(※子供は許さない)。
「これ。そんな無理に」
「総長『目を見て話せ』って、言うじゃないか。お菓子もないんだよ」
うっかり注意したら、やり返され、ドルドレンがうーんうーんと悩み始めた時。進行方向の左手から『お待たせ~』間延びしたオカマの声が、空に響き渡る。
ハッとして希望の光に喜ぶドルドレンは、御者台に立って『ミレイオ、お帰り!』と大声で答え手を振る。
冷めた目で見つめる子供に振り返り『もう食事だぞ』と伝えると、『作っておいてあげれば良いのに』と嫌味を言われた。
お空から降りて来たミレイオとフォラヴに『あっちに日陰がある』と教えてもらい、ザッカリアの嫌味に言い返す暇もなく、ドルドレンは馬車を向ける。バイラも前に出て、二人に挨拶すると日陰まで道案内。
ザッカリアはさらっと御者台を離れ、後ろに駆けて行って、戻ってきたミレイオに何やら告げ口していた(※聞こえる)。
そんなことで、いつもよりたっぷり1時間以上遅れて、旅の一行はお昼にあり付く。
ミレイオが調理している間中、ザッカリアは珍しく付きっきりで『お昼の担当』のことを提案して、笑うミレイオに味見をもらいながら、徐々に気持ちが落ち着いた。
出かけていたミレイオとフォラヴは、夕食の時にゆっくり話すらしいので、特に大きな問題のない現実だったのではと、皆は判断し了解した。
ロゼールはバイラに質問されていて、聞こえてくる内容はどうも、昨晩に出かけたことについて。
これはドルドレンも同じ。
食事中、ドルドレンはザッカリアの攻撃を受けないように、親方の側で食べ、親方のお話に相槌を打ちながら、また新しい情報を得る。それは、親方がロゼールから聞いた話で、そこに親方の見解が付いた内容。
「いきなり、仲が良くなれるものなのか」
「さぁな。ロゼールももしかすると、俺やお前のように、前世の絡みって可能性もあるだろう。当の本人が一番、不思議がっている」
「コルステインたちに抵抗がない、という」
「そうだな。そこに俺も驚いた。コルステインは平気なんだよ、俺も。
だが、『マース』といって、彼女の家族の男は正に別の力の持ち主と、そんな印象だ。お前は、近くで見たことがあるか?」
ないかも、と首を振る総長に、タンクラッドはマースの顔を思い出しながら、少し眉を寄せて首を傾げ、向かい側に座ってバイラと話す、小柄な騎士に視線を向ける。
「あいつは平気だったらしいんだ。怖くないかと訊ねた。俺は畏怖の意味で聞いた。するとロゼールは『そういう意味では、龍の方が怖かった』と」
「イーアンのことか。そう言えば・・・ロゼールは、イーアンが龍の姿で戻ってきた最初の夜。騒動の日だから、お前もいてくれたな。あの姿を見て『鱗を撫でてみたい』と、後日に話していたのだ。
それでな、ひょんなことで(※余計なこと伏せる)イーアンが昼にも龍状態で戻った時、ロゼールは彼女の側に行く機会があり、その時はとても勇気が要ったようだったのだ。
俺も分からないでもないが。見ているだけなら彼は平気で、触るとなると龍に怖れを持った。それも、すぐに消えたみたいだったが」
黙って話を聞いていた親方は、ロゼールはいつもそうした騎士だったのか?と訊ねる。ドルドレンは少し思い出しながら、頷いた。
「あれは、怖れをあまり持たないような。いや、人並みに恐れ怯えの類が、無いわけではないだろう。
しかし、ほら。ロゼールは武器防具ナシで、魔物と戦う男だから」
「あ、そうか。あいつは剣を使わない」
「そうなのだ。大型の魔物相手にはすぐに動かないが、3m程度の相手だと、平気で向かって行く。
実際には、触らないでも攻撃は可能だから、危険という感じでもないが。普通の動きではないからこその、度胸はあるだろう」
子供の頃に入会して以来、面倒を見て来たドルドレンは、バイラと楽しそうに話す部下を見つめ『彼は、そういう意味では非常に強い』と呟いた。タンクラッドも何となく理解する。
「真ん前で、コルステインの家族と向かい合っても、平気。
ロゼールらしいと言うかな。これがもしも、前世でも絡んでのことであれば、運命の動きはつくづく巧みである」
笑う総長に、タンクラッドも笑って同意。『今夜も出かけるそうだぞ』付け加えて、ロゼール情報を与えた。
昼食を終えた一行は、片づけを済ませていそいそ出発。動き出したのは昼下がりで、夕方まで2時間ない。
風の向きが変わり始め、山際へ近づいていると分かる道のり。曲がった道を進む先には、遠い風景に山々が見える。
「明後日か、その次の日には着くかな・・・どうでしょうね。私も、スランダハイの町はよく覚えていなくて」
「遠いとか。道が悪いとか」
「はい。それは分かりますよ。道は良くないと思います。
私が通過した時から年月は流れていますが、この辺りを整備する理由はないので、多分、変わっていないような」
「馬車は通れる?」
「それは大丈夫でしょう。道が良くない意味は、荒れているというのではなく、狭かったり、大回りの意味です」
バイラは前方に見える、大きく曲がる道の入った向こうを示し、『あの先から、少しずつ幅員減少します』と教えた。
「どこもそうですけれど、山沿いに近くなると、道はそう広くないところだらけです。岩場も多いし、削るのも大変だから必要最低限の広さで、皆それを普通とします。
あの向こうは、確か・・・えーっと。崖みたいな道もあったような」
両脇が崖になっている道があるのは、この辺だったと思う、とバイラは言う。柵は付いているが、通過し切るまで少し緊張する雰囲気。
そんなことを話しながら馬車を進めていると、雲行きが少しずつ、怪しく変わってきたことに気が付く。
バイラは空を見上げて『雨が来るかもしれない』と呟いた。通り雨だと思うことと、雨期はまだだから、強い雨ではないことも付け加える。
「あんまり・・・この時期、テイワグナの西側は、雨もないんですけれどね。でも風が、少し冷えてきました。後、数十分くらいか」
「山から来る雨だろうか」
「それはあるかも知れません。馬車の荷台を閉めるように伝えます。総長も庇を出しておいて」
そう言うと、バイラは馬を下げて後ろへ行き、ドルドレンも立ち上がって、御者台の上に庇の固定をする。
立ち上がった序に、ここから先の風景もじっと見つめる。ドルドレンの灰色の瞳に、彼の灰色とは質の違う、濁り曇った灰色の空が見える。
「うーむ。何か嫌な予感がするのだ」
ぼそっと呟いてすぐ、こういう時はと、御者台の背板を外し、中の物入れに入れてある剣を出す。冠は最近、毎日朝から晩まで、被っているから良いとして。
冠の反応を気にしていると、若干。若干の、チリチリした感覚を、額に受け始める。
「あー。やっぱり」
近づく濁った雲は、風に煽られるようにこちらへ進んでいる。その雲は、いつもの曇り空の灰色よりも重く、どことなく低い位置にある。
こういう時。いつも思うことがある。自分たちは戦い慣れているし、このテイワグナに来た理由も『退治』だから、こうして出くわしても受け止めるのが常だけれど。
今もどこかで、魔物の被害に遭っている人々がいる思うと――
こんなふうに近づかれ、対処が可能な状態の人間はどれくらいいるだろう。
大きな数や範囲は、天地の力が対応してくれているとはいえ、各地に少しずつ出ている魔物は、常に誰かが被害に遭う。
ドルドレンは鞘を新しいベルトに通し、戦闘の準備に小さな溜息をつく。ベルトは、イーアンが置いて行った予備を借りた。
「君たちが助けてくれているから、まだ・・・『このくらいで済む』と思うべきなのだろうな」
奥さんの女龍。彼女のベルトをそっと撫でて、自分が出来る範囲の狭さに寂しく感じる。龍や地下の味方がいなかったら、テイワグナはもっと危険だったのだ。それは事実――
「ドルドレン」
御者台に立っていたのを、腰かけたところで、後ろから親方に呼ばれる。御者台から首を出して『どうした』と訊ねると、親方は荷台を出て来て、御者台に移った。背中に剣を背負っている。
「魔物だろう」
「タンクラッドも感じるか。あれじゃないかな、と思う。どう?」
「あれだな」
ドルドレンが顔を向けた、向かい合う空。そこに先ほどよりも近づき、先ほどよりも垂れこめた灰色の雲があり、隣に座った親方もゆっくり頷いた。
「どうする。龍を呼ぶか」
「俺は呼んでも良いのだが。馬車が」
「馬車は俺が見ている。どうせ俺は、バーハラーが戻るまでは待機だ」
そーお?と済まなそうに確認する総長に、親方は少し笑って『もう龍を呼べ』と促した。そのつもりで御者台に移ってくれた親方にお礼を言い、嫌な感じの雲から1㎞程度の距離で、ドルドレンは笛を吹く。
総長の笛の音を聞いた、後ろの馬車でも、続くように笛は二回鳴った。すると、その音に加速するように、雲は突然距離を縮めてきた。
「間に合わんな。ドルドレン、龍が来たらすぐに乗れ」
タンクラッドは剣を抜いて、龍を気にしながら『時の剣』の力を動かす。親方の剣は、ブーン・・・と静かな音を立て、煌々と金色の光を放ち始める。
「俺がこの力を使えるのは、お前たちの龍が来るまでだ。龍が来たら、即、止める」
「分かった。その数秒で龍に乗る」
加速して接近する、空を覆う雲を相手に、タンクラッドの剣と体がどんどん金色の光に包まれ、御者台から馬車の屋根に飛び移った、タンクラッドの腕が振り上げられた時、雲の中から一斉に礫が飛び散った。
間髪入れずに、タンクラッドも応じる。勢い良く剣を振り払い、金色の光の鎌が、雲と礫に向かって走る。
光が直に当たらなくても、至近距離の礫は消え、光の鎌は雲を突き抜ける。抜けた時、ゴオッと大風のような唸りが響いた。
消し切れなかった礫の多くは、馬車の脇に落ちたが、馬や馬車にも少なからず当たる。馬は驚いて嘶き、馬車の壁は礫の当たった場所だけ、焦げたような臭いと煙を上げた。
「ヴェリミル!」
礫に驚いて二本足で立ち上がった馬に、ドルドレンは慌てて飛び乗る。急いで馬を見ると、首と顔、腹に怪我をしていた。後ろでも、センの名を呼んだフォラヴの声が聞こえ、同じことが起こったと分かる。
「タンクラッド、馬が怪我を!」
「知っている。だが俺の剣の攻撃は、これで終わりだ。龍だ」
親方が言い切らないうちに、空が光り、親方も大急ぎで金色の光の鎌を振り放った。二回目の光の鎌は、礫を出す前の揺らいだ雲の下に滑り込む。
それと同時に、雲の中で大きな音が鳴り、親方も剣を下ろして御者台に飛び乗った。
「行け。馬は俺が」
「頼むぞ。あれだったら、逃げろ」
「そうしよう」
こんな時。タンクラッドもドルドレンも、思うことは一つ―― 空中戦は、龍族。イーアンとオーリンがいてくれたら、と思う。
降りてこない相手に、ドルドレンは挑む。急降下で突っ込んで来てくれた藍色の龍に、馬の背から飛び乗り、後方でも龍に乗った部下二名を目端に映し、龍で雲の上に向かって急上昇する。
「フォラヴ、ザッカリア!上からだ」
はい、と答えた後ろの二人の声に混じり、パンパンと手を打ち鳴らす音・・・今のは、とドルドレンが気が付く。戦闘前に、必ず出すこの合図――
「見てきますよ」
気が付いたと同じくらいで、駆け抜ける声が耳の側で聞こえた。ハッとして横を向くと、輝く外套をなびかせた、子供のようなそばかすの笑顔が、龍の横をすり抜ける。
「ロゼール!ダメだ、お前じゃ」
「見るだけです」
彫刻だらけの年代物の龍の骨、お皿ちゃんに乗って。
赤毛の騎士は、イーアンの作った手袋と、鎧職人のくれた外套、ミレイオの芸術・派手で不思議な盾を両腕に装着し、灰色の淀んだ雲に向かって、龍より早く突っ込んで行った。
「ロゼールッ!!」
ドルドレンの声は、同時に吹き荒れる風に消される。ロゼールはもう雲の中。その姿はあっという間に消えていた。




