1218. ハディファ・イスカン神殿の守り人
午前。馬車が進む道とは逆に、大きく逸れて。
ミレイオはフォラヴを抱えている状態で、西海岸を目指してお皿ちゃん飛行。
お皿ちゃんもそこそこ速さはあるため、飛んでしまえば問題ない距離ではある。しかし、同乗者がいるので、少しのんびり。そろそろ出発して、1時間近く経っていた。
「すみません。重いですか」
「え?あんたが重いなんて思わないわよ。タンクラッドくらいなら嫌だけど」
ハハハと笑って、二人は見えている海の話に移る。それまでは、距離の話だった。海風が強く、午前の乾いた日差しと潮の香りがする風が、空を飛ぶ二人の肌にまとわりつく。
「海沿いとは聞いていましたが、テイワグナの海ではなくて、もうすぐそこにヨライデの海もあるのですね」
「うーん。そうね。海に区別はないから、そうした感覚は意識的なものよ。見れば分かるけれど、風景もそこまで変わらないの。国境らしい区切りもないし、あの辺はどっちとも言い難いわ」
「ミレイオが若い頃。旅をされて、ここを通りましたか?」
「あ~・・・どうだろう。通ったけど、旅の都合じゃなかったかもね。もう、忘れちゃったわよ」
アッハッハと笑うミレイオに、フォラヴも笑って『あなたは何でも知っているから、訊いてみた』と添える。緑が豊かな場所と、バイラは話していたし、行くのが楽しみと続けるフォラヴ。ミレイオは、そこで真顔に戻る。
「それね。そうなのかも知れないけれど。私にはまだ信じられないのよね」
「はい。前もそう仰っていました。別の場所ではない?」
「別?違うと思うわよ。名前はそれしかないでしょう?地図で見た場所も同じだもの。でも風景が全然違う記憶しかないのよ、何かあったのかしら」
ミレイオの疑問は払拭出来ない。行ってみれば済むことと思い、深くは考えないようにしているが、着くまでの間は、何かにつけ気になる。
「後どれくらいでしょうか。もう、海は見えていますね」
「後・・・そうだな、このまま順調なら、30分かからないかしら。
ちょっと向かい風なのよね。抵抗があるから、これ以上は速度も上げられないの。一人なら気にしないけど、あんたが寒いからさ」
「寒いのですか?今、こんなに気温が高いのに」
驚くフォラヴ。飛んでいる分には、『少し温い』くらいの風を切っているのだから、もう少し早くても平気だと伝えると、ミレイオの明るい金色の瞳が向けられて『知らないわよ』と笑った。
「構いません。私は問題ありません」
「本当?じゃ、飛ばすわよ。寒かったら言うのよ」
ニコッと笑って、フォラヴをぐっと抱き締めると、ミレイオはお皿ちゃんをすっ飛ばす。
フォラヴもミレイオの胴にしがみつき、急加速に『うわ』と一声上げて苦笑い。さっきまでの速度が『安全』のためだったと分かるくらいに速い、冷たく抜ける風に目を閉じる。
「ミレイオ、早く着きそうですか」
「そうね。あんたが耐えられるなら、10分くらいじゃないの」
耐えましょうと笑うフォラヴは、ミレイオの胴に顔を付けて、目を閉じたままやり過ごす。ぶつかる風が激しくて、目が開けられないどころか、涙が出てくるくらいに痛い。
ミレイオは、自分の胸に顔を当てて縮こまる妖精の騎士に笑いながら『頑張って』と励ましておいた。
そうして、現地に到着した、10分後。
ようやく降りた地上で、フォラヴは膝に手を置いて前かがみに背中を丸め『生きた心地がしませんでした』と呟いた。
「何を言っているのやら。龍はもっと早いじゃないのよ」
「龍は。私の頭の前に、首がありますから。直に風は受けていなかったと、今知りました」
アハハと笑いながらミレイオは、妖精の騎士の背中を撫でて『帰りは急がないで行こう』と約束し、それから辺りを見回す。
見渡すそこは、バイラが話した通りの『木々の豊富な、海に張り出した岸壁の上』。おかしいなぁ、と首を捻り、ミレイオは遺跡が見えている、大きな木の向こうに顔を向ける。
「フォラヴ。あそこよ。あれがそうでしょうね。私の記憶とは違うみたいだけど」
「やはり違うのですか。遺跡も?あれは神殿?」
「どうでしょうね・・・木の枝で、ここからだとあまり見えないけど、神殿って感じには思えないかな」
ミレイオの言葉に、フォラヴも頷く。遮る木の枝の向こう、人工物があるのは分かるが、それは神殿的な形ではなく、もっと崩れた遺跡で、神殿というよりも家のように見えた。
とにかく行ってみよう、と促され、フォラヴはミレイオに並んで歩く。近づくにつれ、眉を寄せる二人。
「バイラは・・・ミレイオはあの話の時、彼から聞いていないかも知れませんが、バイラが言うには『比較的、形が残っているほう』と話していました」
「ふーん。そうは見えないねぇ。バイラが護衛の時は、妖精はまだ棲んでいなかったんでしょ?」
「そう、聞いています。その後に棲み付いたのではと。彼の話の続きでは、『神殿』は『状態が良い』らしく『周囲は緑豊かな場所』にあり『近くに小川』も流れています」
ミレイオとフォラヴは立ち止まる。目の前にした、『神殿』を見つめてから二人は顔を見合わせた。
「聞いて良いかしら?」
「勿論です」
「私の目には、ここ。とっても不安定に見えるんだけど」
「正しいと思います。私にも、風景が二つに見えていますから」
そうよね、と頷いたミレイオは、神殿にまた視線を戻した。フォラヴも空色の瞳に戸惑いを浮かべて神殿を眺める。
そこは二つの風景がちらつき、風が吹くとめくれ上がる布でもあるかのように、ゆらゆらと、全く異なる場所を見せていた。
一方の風景は、緑の茂る木々の中の神殿的な一画があり、脇には細い川が流れている。
だが、何かで揺らされるのか、その風景を切り取るかのように、別の風景が垣間見え、そこは殺風景で岩だらけの、枯れ木さえない場所。そして『神殿』は、廃墟の家に似た形だった。
「遠くから見ていた時、この家の状態が見えていたのですね」
「そうみたいね。空から見た時は、分からなかったのに。でもさ、これ。ここに来る人達も見えてるのかしら?」
「それはどうでしょうか・・・だとすればもっと、噂に」
「誰なの?」
二人の後ろから急に声が掛けられ、かなり離れたところから聞こえたので、二人は振り向いて姿を探す。男女の別がない、掠れた声の主は見えず、他に音もしない。
「どなたですか。私たちは、この神殿を訊ねました」
気配のない相手に違和感を感じ、フォラヴがすぐに丁寧に応じる。大きめの声で、宙に向かって答えると、数秒してから『妖精はいないよ』と声が戻った。
「妖精をご存じですか。話だけでも聞けませんか」
「誰なのかな。妖精はいないし、怪我をしているわけでも、病気でもなさそう。どうして訊ねて来たのかな」
独り言のように戻ってくる返事。ミレイオも感覚を研ぎ澄ますが、相手がどこから話しているのか、全く分からない。反響するような場所でもないのに、なぜか声が散る。
フォラヴもそれは分かっていて、ミレイオと目を見合わせると、離れないように側に寄った。
「あなたは、このお近くにお住まいですか」
「変だなぁ。どこも悪くないようだ。それに本当に変だよ。どうして人間じゃないのに、人間みたいなのだろう」
返事になっていない独り言。その内容に、ミレイオとフォラヴがさっと構える。訪問者の二人が人間ではない、と言い切った相手――
「ミレイオ」
「大丈夫よ。離れないで」
腕が付くくらいの近さに立ち、お互いの背中を守るように。フォラヴとミレイオは周囲に目を向ける。
「武器はないのか。じゃ、妖精に何かしようと、してはいないのかな。でもいない方が良い」
「あなたはどこにいますか。どなたでしょう。私たちの前に現れて下さい!」
観察している様子の言葉に、フォラヴは頼み込む。次の瞬間、フォラヴの右側から、何かが飛んできた。
ミレイオがすぐに気づき、グォッ、と力を出して潰す。目の前で潰れたのは熟れた木の実で、弾けて落ち、騎士の足元を赤く染めた。
「攻撃した以上は覚悟しろよ」
青白い隈模様が顔に浮かんだミレイオは、妖精の騎士の前に立ち、どんどん青い光に包まれてゆく。
「ミレイオ、いけません」
「黙ってろ。出てこい、ちんたらしてると勝手に潰すぞ」
「わぁ!サブパメントゥ?!何で、明るいのに大丈夫なの?」
「そこか」
さっとミレイオの顔を向けた方向は、地面。神殿紛いの建物がある風景、その中に見える、干上がった地面に、目を見開いたミレイオ。
「わ!やめっ、やめて!やめろ・・・おえっ、やめ」
「覚悟しろって聞こえてたか、おい」
「ミレイオ、いけません!やめてあげて下さい!」
慌てた声が絞られるように苦し気で、それを当然のように撥ねのけるミレイオ。
フォラヴは急いでミレイオの腕に触れ、その顔を見上げて止める。白目しかないくらいまでに瞳孔が縮んだ、別人のようなミレイオにゾクッとしたものの、縋りついて必死にお願いする。
「お願いします。許してあげて下さい、あなたが怒っては」
「フォラヴ。出てこねぇぞ」
「構いません、止めて下さい。殺してはなりません」
懇願する騎士に、ケッと吐き捨てたミレイオは、首を振って『死んだところで』と、穏便ではない一言をぼやき、青白い光は鎮まった。
普段の姿に戻ったミレイオに、フォラヴも、どっと緊張が抜ける。目を閉じて大きく息を吐き出すと、ミレイオを抱き締めて『良かった、戻って下さって』静かにそう呟き、額に浮いた汗を手で拭う。
「あんた、何でも許して良いわけじゃないのよ」
「私が攻撃を受けたから。あなたは私のために怒りました。その強い想いだけで充分、嬉しいです」
「そう。じゃ、あんたが続きを相手しなさい。あそこにいる奴」
私じゃ殺しかねないわよ、と面倒そうに呟き、ミレイオが顎で示した場所に振り向くと、フォラヴの目は信じられないものを見つめる。
荒くなる息に心臓が打ち破られそうになり、ばっとミレイオを振り向き『なんてことを!』と叫んだ。
地面に倒れた子供が、内臓を飛び散らしている姿―― フォラヴは動転し、ミレイオの服を掴んだ。ミレイオの冷たい目が、騎士の手を見て『あんたったら』と馬鹿にしたように呟く。
「あなたは・・・あなたは、そんなことをする方では」
「ああ、いい加減にしなさい。あんなのも引っ掛かるの?」
苛ついたように髪をかき上げたミレイオは、フォラヴが掴んだ手を取り、手首を強く握る。痛みで顔を歪めた妖精の騎士に『よく見なさい』と注意した。
言われている意味が分からず、フォラヴは荒い息をそのままに、恐る恐る残酷な光景に、再び目を戻し、ポカンとする。飛び出た内臓はなく、地面に染み付いたような赤い血は、何もない。
「え」
「馬鹿馬鹿しい。幻覚でしょ?あんた、妖精なんだから、しっかりしなさいよ!」
「なぜ」
「フォラヴ!馬鹿ね、あんたの同情に付け込んだのよ!それだけでしょ。あいつはサブパメントゥよ」
「何ですって?」
混乱するフォラヴ。面倒臭さ丸出しのミレイオは、大袈裟に首を振って溜息を吐くと『あー、もう』と騎士の目から視線を逸らす。その顔の向いた方向は、神殿紛いの廃墟。誰も何もない地面に向かって、大きな声で怒鳴った。
「あんたぁ!こっち出て来なさいよっ!3秒以内に来ないと、殺すわよ」
「やめてよ!」
「後一秒」
「出る、出る!待て!」
その声と共に、辺りの風景が一変する。ワッと暗がりが広がり、ミレイオとフォラヴの立つ辺りまで、大きな黒い影と、荒廃した風景が現れた。
そして出てきた姿は、蛇の体に、人間の子供の上半身が付いている、奇妙な生き物。
顔も人間らしくなく、どことなく蛇に近く、体色は濃い灰色だった。大きな薄緑色の目は、猫のように縦に縮まる瞳孔を持っている。
「あなたは・・・・・ 」
「ここを守ってる。妖精が戻るまで」
「あん?何て?」
ミレイオの声にビクッとして、下半身が蛇の子供はささっと逃げる。ミレイオは容赦なく、その尻尾の先を踏み、びたんと地面に顔を打った相手に『全部お話し』と睨みつけた。
フォラヴは可哀相になって、ミレイオに『もう少しお手柔らかに』と頼む。
くさくさした顔のミレイオは『こいつらに同情しちゃダメなの。そういう相手よ』と当たり前のように言い捨てた。
「怖い。こんなところに、サブパメントゥが来るなんて。それも光の時間」
「どっちが怖いのよ。あんたの化け物じみた姿のが、ずっと怖いわよ。で?何だって」
「ミレイオ。お願いですから、可哀相なことを言わないで下さい。もう少し穏やかに」
「あんたさ、さっきそれで『やられかけた』のよ。優しいだけじゃ、何もなんないわ」
怯えていそうな、蛇の子供に同情するフォラヴ。一切、そういうの無視のミレイオ。思ってもない強敵が出て来て、ビビる蛇の子供。
「子供ですよ」
「違うって。違うの。そういう見た目なの。おい、あんた。どんくらい生きてるの」
「俺はまだ、100年ちょっと(※意外に長生き)」
ほら、とミレイオがうんざりしたようにフォラヴを見る。フォラヴも戸惑う。でも見た目が子供なので、優しい騎士には(※総長の教育により)乱暴な言い方や、傷つける追い込みが出来ない。
そんなオロオロする騎士をじーっと見て、ミレイオは溜息をつくと、尻尾の先を踏んでいた足を上げ、蛇の子供に顔を向けて命令。
「逃げたら殺す。話しなさい。私たちはこの神殿にいた、妖精を訪ねて来たのよ」
「何で、話す必要がある。妖精はいない」
「あんた、サブパメントゥでしょ。どうして妖精が戻るまで守るのよ。関係ないじゃない」
「言わない。言う必要はないんだ」
「殺すわよ」
「俺を助けてくれたからだ(※あっさり)」
蛇の子供の大きな目に、言いたくなさそうな動揺が浮かぶ。
ミレイオは黙って、すぐ近くの石の上に腰を下ろした。フォラヴは蛇の子供に少しだけ近づき、その顔を覗き込む。
「教えて下さい。私も妖精です。消えた話を知り、心配で来たのです」




