1212. 旅の七十八日目 ~メニ・イスカン地区ムバナの町
朝は早くからロゼールが食事を作り、いつもは作るミレイオも提供される側に回った朝。
「俺がいる間なんて、あと数日ですから」
やらせちゃって悪いわねぇ、と笑ったミレイオに、ロゼールは笑顔でそう答えると『うん、食材が違うから、また違う料理みたいだ』と研究的な呟きを続けて、味を楽しみながら食べる。
昨晩の夕食が好評で、朝もロゼールに任せたのだが、昼は、と言うと。
「ロゼール、お昼も作ってよ。美味しい」
ザッカリアが嬉しそうに頼むと、ロゼールは『いいよ』と軽く返事をする。でもすぐに、バイラがそれを閉ざした。
「今日の昼前には・・・多分、町に着いちゃうんじゃないかなぁ」
苦笑いで、さくっと教えてあげる警護団員。ドルドレンも、地図で見た限りでは、コリナリ村とムバナの町が近く思えていたので、やはり距離が開いていなかったのかと頷いた。
バイラの言葉に、つまらなさそうな目をさっと向けた子供に笑い、ドルドレンは『距離は仕方ないだろう』と言う。
「でも。ロゼールはもう帰っちゃうんだよ。次に会うの、ずっと先じゃないか」
「そんなことを言ってはいけない。ロゼールが来てくれたことだって、思いがけない贈り物だったのだ。俺たちは魔物退治で世界を回る、その目的で動くのだから、今を感謝する方が良い」
ドルドレンがザッカリアの側に行って、ちゃんとそう教えると、ザッカリアはちらっとロゼールを見てから『この食事が、ロゼールの作ってくれる最後なんて嫌だな』と粘っていた。
こんな朝の一場面の中。ロゼール本人と、反対側に向かい合って座っていた親方は、思うところあっても喋らなかった。
旅の馬車は出発する。バイラが進行方向を指差して『ここから少しずつ右手に向かって、海を離れる』ことを教え、内陸に向かうと飛砂が増えることから、御者に布を使うように提案した。
「ムバナの町で買いましょう。コリナリ村は、置いている店まで分からなかったから」
動き出した旅の馬車に、馬を寄せて、バイラが総長に購入を促すと、総長も『あった方が良いかも』と同意(※しょっちゅうザリザリ)。
「メニ・イスカン地区といって。もう、この辺りはヨライデに近い方面ですから、町には両方の物品が並びます。町に着いたら早い時間でしょうし、少し買い物して回るのも良いでしょう」
「そうなのか・・・バイラ。その、メニ・イスカン地区」
はい、と答えた警護団員に、ドルドレンは『イスカンとは違うの』と質問。バイラは『ああ』と頷き、すぐに教えてくれる。
「イスカン地区のことですね。メニと付くと・・・そうだな。『他の』というか、そうした意味です。イスカン地区はもっと向こうで、ずっと広い地区でもあります。メニ・イスカン地区は、ちょっとイスカン地区から出ていて、離れているにしても距離が微妙なんですよ」
だから、『他のイスカン地区』と呼ばれるようになりました・・・バイラが教えてくれた内容にお礼を言い、ドルドレンはバイラにもう一つ質問する。
「バイラ。覚えているだろうか。妖精の棲む遺跡、神殿だっけ。本部で話を聞いた、あの」
「あ、そうですね!あれはイスカン地区です。ハディファ・イスカン神殿か。イスカン地域、かな」
「違うの」
「厳密には、です。あまり、区別しても意味ないんですけれど。
地区には集落や町村がありますが、地域的な総称では、山や海なども含みます。神殿は離れているから」
「あそこみたいだ。タサワンの神殿。ショショウィがいたところ」
説明したドルドレンに、バイラも頷いて『あれもおおざっぱ』と答える。タサワンは、地区とも地域とも呼ばれるし『あっちは、村にさえ名前がないですから』ああした場所もあることを伝えた。
「本当に広い。俺たちはバイラが道を見てくれるから、何となく馬車を進めて、目的地にたどり着いているものの。これ、自分たちだけでは迷子も良いところだ」
「それは否定しないです。私も警護団に入る前、国中を馬で回ったから、お役に立てているけれど・・・テイワグナ国民でも、一生地域から出ない人はたくさんいますから。出会いって必然なんですね」
そう笑ったバイラは『寄れそうであれば、都合や日に配慮して、イスカン地域まで動いても』と言い、その場合、日数は今の倍以上を見ないといけないことも教えてくれた。
ハディファ・イスカン神殿は海沿いだから、また左側へ向かうこと、道としては大回りであることと、目と鼻の先にヨライデを臨むくらいの場所であることにより、『地域全体が広いから到着までも遠い』とした情報も添えられた。
「問題があるわけではなさそうな、神殿の話でしたから。行っても行かなくても、良いかも知れないですが。フォラヴは行きたいでしょうね」
「そうだな。どうするか。ちょっと時間の取れる時に、皆で相談するか」
ドルドレンは行っても良い気がする。ただ、精霊クスドの教えてくれた『洞窟地区の戦う精霊』との出会いも考える。示唆はどこにあるか知らず、何が導きの手かも分からない。
この辺のことは、皆の意見も重ねて決める必要があると感じた。そんな総長の顔を見ていて、警護団員はクスリと笑う。
「こういう時。お導きがどーんと出てくれると、悩まないで済むんですけれどね」
冗談ぽく言うバイラに、ドルドレンも笑って『本当にね』と頷いて、お導きを祈るかと続けた。
前の二人が、こうして笑って話している間。荷台では、ミレイオとタンクラッドが、小声でぼそぼそ話し合う。
「知らないわよ。人間がサブパメントゥに入れる気がしない」
「だがな。コルステインだけなら、ともかく。他の連中が、そうちょくちょく、会いに来てくれるようにも思えないからな」
「ないわよ~。ないと思うわよ。サブパメントゥに人間なんか入ったら、死ぬんじゃないの?知らないけど。あれ、耐えられないわよ・・・て、あんたは私と入ったけどさ」
「入ったな。何も見えないし。暗くて気が滅入る」
「でしょ?あんなところ、うろつけないわよ。多分、あっさり操られるもの。さすがに・・・無いんじゃない?」
何の話かと言うと、昨日の晩の話『メーウィック』という人物。
親方は疑問があった。メーウィックのパシリ具合が、コルステインの笑顔を呼び戻すくらいに便利だったらしい、と理解したが、それに加えて、コルステイン曰く『マース。メドロッド。リリュー。ゴールスメィ。皆。好き』な状態でもあったから・・・だった。
コルステインは、自分一人でも中間の地と呼ばれる地上へ、よく出て来ていたようだから、そう不思議もない。しかし、残りの家族は、コルステインに呼び出されないと、まず、出てこない印象しかない。
彼らも愛した(?)貴重なパシリ『メーウィック』。
物怖じしなさそうな性格の話から、もしや、一人でも地下に入ったりしたのではないかと思った。そうでもないと、コルステインの家族にまで懐かれるほど、親交を深めるに至らない気がする。
で。どうしようかな、とは思ったが。
今後、ロゼールが本当に度々、自分たちの旅に顔を出す(※近所みたい)のであれば、ミレイオには話しても良いかと思い、地下の国・サブパメントゥに、人間が出入り出来るものか?と質問したのが、先ほどの会話。
ミレイオは明るい金色の瞳を向けて、ゆっくり首を傾げる。
「でもさ。仮に、その人が出入りした、としてよ。別にロゼールまで、そうなるとは限らないじゃない。心配しなくても良いような」
「まぁ。そうなんだが」
「もし。ないと思うけど・・・そうするように言われたり。そうするような話が浮上したら、言いなさい。私が話すから」
「コルステインとか」
「他の誰と喋るのさ。コルステインには、ロゼールとメーウィックの区別も曖昧なんでしょ?あんたと過去の男が、混ざってるみたいなもんで。ちゃんと教えないとダメよ」
『あんたと過去の男が混ざってる』・・・複雑な一言を胸に受けた親方は、微妙な気持ちで頷いた(※軽く傷つく)。
「長い時間、生きているってのもね。何とも言えないわね・・・寂しいのも通り越すような、気の遠くなるような時間の長さだと思うけれど。それでも、覚えていて、見つけたら嬉しいんだものね」
同族のコルステインに、少し同情したような言い方のミレイオの言葉。タンクラッドは小さな溜息をついて『そうだな』と答える。
そんな顔のタンクラッドに、見透かすような目を向けたミレイオは少し笑った。
タンクラッドの気にする部分は、思うに―― 自分が知らない時間に、コルステインが関わってきた、数少ない人間との繋がり。
「元気なくしてるの?あんたが生まれる前から、いるんだもの。いろいろあるわよ。気にしないの」
「元気をなくしているわけじゃない。途方もない時間を生きてきたコルステインと、俺はどう」
「そのままで良いじゃないの。考えたって、何が変わるわけじゃないわよ。コルステインも、今。あんたが好きでそれで良いんだもの」
励まそうにも難しい関係。男女の状態にもなれず、異種族である以上、生きる時間の長短も異なる。
好きになることが、良いことかどうかさえ――
「昼前には着くんだって言うし。ドルドレンに予定聞いて、時間がありそうなら、ちょっとブラッと歩く?」
話を変えたミレイオに、タンクラッドは『そんな気分でもないんだよ』と首を振る。
笑うミレイオは、水を注いでやってタンクラッドに渡し、『なんか食べたら?』と気を紛らわせるように、燻製の魚を一つ取り出してあげた。
黙って力なく笑みを浮かべる顔の友達に、ミレイオは少し見つめてから『いろいろ、あるから。絆が強くなるもんじゃないの?』と呟く。魚を齧ったタンクラッドは、友達を見ずに、少し考えてから頷いた。
タンクラッドの気持ち。
いきなり。唐突に現れたロゼールが、自分よりもコルステインに近くなった気がしたことへの、戸惑い。ロゼールのことなんて、ほんのちょっと前まで忘れていた。
コルステインは彼を見て、何度か見て。そして、メーウィックの影を思いだした。数百年は前だろう昔の、遥か昔の一人の男を。
家族ぐるみで仲良くしてやった『使いっ走り』かも知れないが、その男の話をしている時の笑顔が、自分と話している時の笑顔と同じで、何とも言えない気持ちになった。
その上。メーウィックがどうだったか知る由もないが、もしもロゼールが地下にまで入って、『当時のメーウィックと、変わらない存在になる』としたら――
ギデオンを好きで慕ったコルステインだが、元々、愛情深い存在でもあるし、純粋な想いが作る体だから、他の人間でも同じように、多さ少なさの差はあっても、愛情を向ける気はするが。
ショショウィにも少し、こんな気持ちを持ったことはある。特別さが薄れる感覚。タンクラッドはなぜか、こうして別の種族に気に入られることが多々あるが、それは彼らの『とっかかり』とした窓口みたいな意味なのか、と・・・・・
しかしそれはさておき。コルステインまで、『その枠』で俺を見ていてほしくないな、とタンクラッドは思う。それは、思うというよりも、願いに近かった。
町への距離が、順調に縮まる午前の道、後ろの寝台馬車でもロゼールが悩む。
ザッカリアと話しながら、時々、意識が散漫になるので、ザッカリアはとうとう『どうかしたの』と訊ねて来た。
ロゼールは、ちょっと黙ってから、子供を見て微笑むと首を振る。『何でもない』そう答えたが、子供は大きなレモン色の瞳を向けて、ロゼールが話すのを待っているよう。
「後、少しで帰っちゃうんでしょ。俺と話しておいてよ」
「うん。そうだね。何て言えば良いかな。俺がね、もし・・・時々、この旅にこうして来たら」
「え?来るの?」
「いや、早合点しちゃだめだよ。こうして来たとしたら。俺は、何か役に立てるのかなぁって、思ったんだよ」
立てるよ!と喜ぶザッカリアに笑って、ロゼールは彼に『落ち着けよ』と言うと、ザッカリアは笑顔で頷く。
「来るつもりなの?そういうの、仕事にある?ギアッチは何も言ってなかったけど」
「ギアッチも、騎士修道会も知らないよ。だって俺が、そう思っただけだから。
昨日。総長が攫われただろ?あんなことはないみたいだけど、これからも同じようなことがあるとしたら・・・うん、お前たちは強いだろうし・・・俺が何をするわけでもないんだけどね」
言い難そうで、自分の中に言ったり戻ったりする言葉を呟く、オレンジ色の髪の毛の騎士に、ザッカリアはじっと見つめてから『ロゼール。知りたい?』と訊ねた。
ふと、顔を上げたロゼール。ザッカリアのレモン色の瞳が、ビックリするくらい透き通って見えた。
「ザッカリア」
「ロゼール。俺、見えるよ。ロゼールはここから俺たちと関わるんだ」
「何?」
「いつもじゃないんだ。少しずつ。俺たち・・・違う。ええっと、コルステインたちだ。あの人たちが、ロゼールを呼ぶ時があるよ」
「それは、それは?あの人たち?」
ロゼールはハッとする。以前もイーアンが攫われた時、支部が騒然となったあの日。ザッカリアはこうして、見えないものを見続けた。あれを今、俺に見ているんだ、と気が付いて質問する。あの人たちって?
「コルステインの」
ザッカリアが答えかけたところで、馬車がガタンと揺れた。二人が一度、会話を切ったすぐ後、フォラヴの声が聞こえる。
「ムバナの町ですよ。ここから少し揺れますから、気を付けて!」
馬車の後ろに過ぎていく道が、これまでの乾いた土を越えて、石畳に変わる。石畳は古い木の角材と交互に並び、それは次第に『橋』に変わる。
旅の馬車は、広い浅い川に架かった橋を渡る。ザッカリアは水の音に気が付いて、もうそっちに意識が向いてはしゃぎ始めた。
続きを聞けなかったロゼール。ザッカリアと一緒に、渡る橋の上から見える広い川を見ながら、自分がこれから関わる、この不思議な旅のことを思った。
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