1211. 別行動:老バニザットの庵
走り続け、辿り着いた先。
シャンガマックは暗い闇の中を、何時間過ぎたのか、全く見当もつかないくらいの間、無言で過ごし、ようやく明るさの漏れる場所に出た。
獅子はサブパメントゥの移動中、何も喋らず、それが考え事に囚われているようにも感じ、シャンガマックは話しかけにくかった。そのまま、時間は流れ、暗闇の沈黙は終わりもないくらいに長く感じた頃、外に出た二人。
「着いたぞ」
「ああ」
父の声に答えてすぐ、突っ伏した息子に、獅子は慌てながら『大丈夫か。どうした』としゃがみ、息子を背中から下ろす。下ろしてから、ササッと人の姿に変わると抱き起し、息子の力ない笑顔を見て、眉を寄せた。
「すまない。何でもない」
「何でもないわけないだろう。どうしたんだ」
「気疲れみたいな・・・そんなものだ。ヨーマイテスが俺のことで、考えていたみたいだから、俺は不安で」
「不安なんか、感じるな!」
まったくもー、と抱き上げて、ぐてーっとしている息子を抱き締めると『お前は優し過ぎる』と息子の髪に顔を付けて呟いた。背中もナデナデ。
「バニザット。お前は俺の命だ。魂は離れないと言った。お前を失うことは、俺の目が開いているうちは、決して選ばない。
お前が人間の体で短い寿命であることも、俺は、運命を左右してでも変えるだろう。お前が俺を失うことはない」
「有難う。俺も同じことを言うよ。ヨーマイテスは俺の大切な命だ」
ヨーマイテス感動(※初)。こんな息子が欲しかった(※願望1つ達成)。
ぐいぐい抱き締めて『元気を出せ』と、自分のために不安に陥る息子を励まし『苦しい』と笑われて、力を緩めた(※父身長2m50㎝程度ムキムキ)。
「俺が、ヨーマイテスの足枷になるんじゃないか、と何度も思った。あ、まだ何も言うな。
それは最初の内によくあったけれど、ヨーマイテスが根気強く、俺に伝えてくれたから、今はもうそんな思いはない。
ただ、別の視点で。俺の存在そのものが、俺の意図と関係なく、あなたの負担になったらと。さっきそれを考えていた。俺は精霊の加護が強いと、自分でもわかる。ヨーマイテスは」
「もう言うな。お前は賢い。さすが、俺の息子(※『俺』との繋がり大事)。お前がそこまで想像したなら、何も話すことはない。
俺とお前の気がかりを生む、その迷惑な部分の正体を今から暴く」
やっぱりそうだったか、とシャンガマックは頷いた。サブパメントゥの父は、コルステインに近いくらい、能力が高いと思う。
ミレイオが話していたのを、聞いたことがある。
イーアンがコルステインと触れ合えない理由。
彼女の龍気が強過ぎるのもあるし、コルステインの存在自体が、気に影響を受けやすいから、とも。
だけど『気力や想いが募って誕生』した、稀有なコルステインの存在は、サブパメントゥ・一の、強大な能力と強さを持つ。
サブパメントゥは能力が低いほど、別の種族と触れ合っても平気、と聞いた話。
現に、サブパメントゥにイーアンを連れて行っても、平気でイーアンに触れるサブパメントゥの輩もいるという。龍気にやられていないのだ。
だが、父は―― 父は、イーアンに触れることを嫌がっていた。強さを手に入れた後でも、恐る恐る触れるようなところがある。
この、『種族が異なること』で、誰がどこまで距離を持つのか。それは未だにはっきりしない部分で、この話になると、フォラヴもイーアンも、男龍たちも、これと言った答えを持たない。
分かっているのは。恐らく、父ヨーマイテスは、サブパメントゥでも強い方の存在であり、そのため反比例する強い相手に、体が反応すること。
多分、そうであろうとシャンガマックは考えた。弱い精霊が相手だと、精霊の方がやられてしまう。逆もあるのだ。強過ぎる精霊の力には、サブパメントゥで相当強いにしても、体に影響が出て・・・・・
「バニザット。そんな顔をするな。行くぞ」
抱き上げてくれた父を見つめながら、想像が現実なのではと、考えていたシャンガマックに、大男は少しの間、黙って見つめ返していた沈黙を断ち切る。
「うん。行こう。ここは?」
腕から下ろしてもらった場所は、人工的な岩の削られ方が目立ち、暗がりに通された通路は、何となく廊下のような印象。
暗い中でも、どことなく、ぼんやりと明るさがあって、よく見れば岩肌は、溶けた火山岩のようなガラス的な艶と、表面に無数の穴が。この場所自体が、特別な自然の中にも感じる。
父は息子の背中に手を添えて進みながら、『もう、分かる』とだけ答えた。
その答えの通り、数mも進むと薄い光を湛えた入り口が見え、近づいてみると布が掛かっていると分かった。父は振り向いて、後ろを歩いていた息子に中へ入るように言う。
「先に入って、窓に布をかけてくれ。俺には明るい」
「窓。分かった、窓の布は」
吊るしてある布を引くと良いと教えられて、シャンガマックは了解し、どうやら部屋状の空間と思って、父の横を通り前へ進む。入り口に垂れていた布を持ち、そっとずらすと、少し摘まんだ部分の繊維がほぐれて、崩れた。
慌てて手を離し、滑り込むように中へ入る。布が崩れるほど脆い。驚きをそこに最初に感じたのも束の間で、足に何か当たったため、さっと顔を向けると、そこには大きな頭蓋骨が置かれてあり、ビックリして足を退ける。
「こ。これは」
頭蓋骨は何かの獣のようで、頭が長く、牙がいくつも見える。それが扉のない入り口を守るように、口先を向けて置かれ、よく見れば首も背中も、骨だけの獣が絨毯のように置かれていた。
驚きのままに顔を上げるシャンガマックの目に、不思議でたまらない空間が映る。
『窓』と父が呼んだ箇所は、向かい合わせの抉りが壁にあり、その脇に布がまとまっている。
空間そのものは、夥しい量の蔵書が目に飛び込む。形状様々な物。箱。机があり、古びた椅子に掛けられた毛皮は色褪せ、床に毛が積もるように抜けていた。
石の壁に、どこの地図なのか。地図のようなものが掛かっているが、これも『織物か?』あまりに繊細な仕事の業は、一見して紙に描かれた絵のように見える。壁に縦に掛けられた、幾つもの長い棒。杖にも見えるが、下の先が湾曲していて、釣り針に似た形。
蔵書を抱えた空間は、天井にも不可思議な文字を蓄え、円形に広がる文字の群は、シャンガマックが読んだことも見たこともないものだった。
その文字は、ゆっくりと誘われるように足を踏み出したシャンガマックに合わせて、少しずつ光り始め、ぼんやりと空間を白っぽい緑の光で照らし始める。
大きくなりそうな呼吸を押さえて、そーっと『窓』へ進み、また崩れるかもと心配しながら、丁寧に布に触る。シャンガマックの小さく震える指は、布が脆いことを知り、両手で手繰るように布を広げた。
「これも・・・崩れてしまっては。どれくらい古いんだろう」
今や、息をしても何かが壊れそうで、緊張するシャンガマック。対になった抉りのある壁それぞれに寄り、窓らしき明り取りに、壊れかける布を引いて、外の光を閉ざした。
「バニザット。入るぞ」
「うん。でも、天井が光っている」
「それは毎度だ」
え?と訊ね返した息子の声と同時に、大男が空間に入る。すると天井は一層強く光り始めた。
ぼうっとして上を見上げる息子に、ヨーマイテスはちょっと笑って側へ行くと、彼の背中に手を当て、机のある場所へ押した。
「ここは。過去のバニザットが使った場所だ」
「過去・・・俺の先祖が」
そうだ、と頷いたヨーマイテスは、高い天井を見上げて『まだ。あいつの力が宿っている』と呟いた。驚愕のシャンガマック。どれくらい前か知らないが、未だに彼の力が終わっていないとは!
「何て人だ。何て偉大な」
「うーん。偉大かどうかは別だぞ。これは執着みたいなもんだ」
あっさり友人を『執着』と切り捨てる父にも驚くが、理由は続いて説明され、ああそういうことなんだ、と理解する。
「こうした魔法をかけているんだ。俺以外は入れないだろう。俺がいたから・・・かな。お前も除外とは思い難いが、まぁ。どこの誰が忍び込もうとしても、ここは普通に入れない。
執着と呼んだのは、俺がここに入ることで、過去のバニザットの目的に沿う行動を取るからだ。分かるか」
「ええと。俺の先祖が、彼の目的のために、ヨーマイテスが入ることを許可している?」
「そういうことだ。執着以外の表現は、あまり正しくない」
そう言うと、過去の魔法使いの『目的』自体には触れず、ヨーマイテスはここを訪れた意味を伝える。
「俺がここに来る時は、夜だ。明るい時間に来たのなんて、どれくらいぶりだろうな。何百年・・・あれから」
思い出したのか、少し黙った後、自分を見つめている息子に微笑み、机の上に並んだ分厚い本を指差す。
「バニザット。この字は読めるか」
父の指差した背表紙に描かれた、記号のような文字を見つめ、シャンガマックは数秒黙ってから『いや』と首を振る。大男は頷き、突然、違う言葉を喋り始めた。それは短かったが、父の言葉にシャンガマックはハッとした。息子の反応に気を良くしたように、大男もニコッと笑った。
「ということだ。お前は読む機会がなかっただけで、知っている」
「俺の部族に伝わる、口伝の言葉。文字があったのか」
「らしいな。バニザットの子孫だから、もしかしてと思ったが。さて、もう一度だ。文字を見ろ。俺がもう一回、発音する」
うん、と頷き、急いで背表紙に顔を寄せると、父が発音してくれた言葉を、ずらして動く指先と一緒に理解する。すぐに、『これは?』『その発音と、この文字は二つ?』と、シャンガマックは質問する。
教わりながら、次の本の背表紙を読んでもらい、自分の幼心に馴染んだ口伝の言葉と、今初めて知る文字を合わせながら、褐色の騎士は素早く、新しい文字を覚えてゆく。
「すごい。こんなことが」
「分かるか?文字さえ覚えれば、お前はここにある書物を読めるだろう。もちろん、俺も読めるが、お前にこれを教えたのは、今日はここで調べ物をするからだ。俺とお前の、二人で探した方が早い」
「探し物は、ヨーマイテスと俺の」
「仲を保つための知恵だ」
冗談めかしてそう言った父に、シャンガマックは笑って、ヨーマイテスも息子の頭を撫でる。
「よし。始めるぞ。俺の横にいろ。分からない所は聞け。最初は一緒に読んでやる」
ヨーマイテスは、これまで何度も来たこの部屋。
使う者の消えた部屋に、今、遥かな時間を越えて、かつての男の子孫と共に自分がいる。その子孫が、自分が生きてきたこれまでの時間において、一番の宝として迎えるなんて、想像もしなかった。
そっと手に取った古い本に、興味津々でページをめくり始める、褐色の騎士の横顔を見つめ、ヨーマイテスはこの部屋にいる時間の不思議に、心地良さと運命を感じていた。




