121. 長い一日
「あの人は男の人」
フォラヴに聞いた話。信じられない気もするが、そう強ちない話でもない。
以前の世界はそうした男性もたくさんいたし、性転換をしたいと考える人も多かった。同性を愛する人もいる。イーアンは知人に同性愛者や、性転換者がいたので、抵抗は全くない。
ふと、フォラヴが最後に言った『廊下で戦う男たち』の言葉を思い出す。
表にいたから廊下の音は聞こえなかった。
顔が。顔・・・・・ 瞼が腫れてそうだけど。やっぱり青い布を顔に当てて、そっと扉を開いてみる。明るい光がいつも暗い廊下を照らしている。イーアンが廊下に出ると、そこに光る球体と中に人がいた。
「これは何が」
青い布を顔から外し、イーアンが呟く。呟きと共に、ふっと光が揺れ、光の中の人がこちらを向いた。
「シャンガマック?」
光はゆらゆらと揺れて、徐々に薄くなっていく。黄金に輝くシャンガマックが振り返って、自分を見ている。シャンガマックの瞳の色が不思議な美しさに光っていた。
「イーアン」
シャンガマックの声も、どこかいつもと違う。誰かと一緒に発声しているような。何が起こっているのか、全く理解を超えている。
「シャンガマック。あなたに何があったの」
イーアンは近づいた。シャンガマックがこの世の人ではないような微笑みを向け、腕を伸ばした。伸ばされた腕に、イーアンは応えるように手を差し出した。
――これ、何かおかしなことが起こったな。それしか分からないが、シャンガマックをこの光から出したほうが良さそうに思えた。
「どうしたの?大丈夫なの」
微笑み続けるシャンガマックに、眉根を寄せたイーアンは、彼の手を掴んでそうっと光から引っ張り出そうとする。彼は素直に腕を引かれるまま、ゆっくり足をイーアンへ踏み出した。
「この光は何か別の・・・誰かではないですか」
そう言いながら、刺激しないようにシャンガマックを光の外に導く。光の向こう、光から先の廊下は見えないまま。光は、壁のように廊下を隔てていた。
「イーアン。俺が君を守っていた」
声がいつもと違うシャンガマックは、優しい眼差しを向けてイーアンの腕に引かれる。そしてゆっくり屈み込んで、切れ長の目にうっすら睫を伏せ、イーアンの唇に近づいた。
「シャンガマック?しっかり!」
驚いたイーアンは、シャンガマックに大声をかけて腕を離し、体を反らした。途端にシャンガマックの顔つきが変わり、はっとして瞬きする。
どこからともなく風が吹き抜け、彼を包んだ光も、壁となって遮っていた光も、見る見るうちに静まっていった。廊下は普段のように暗く、光の壁の向こうには――
「イーアン!!」 「ドルドレン」
床に座っていたドルドレンが、イーアンの姿に急いで立ち上がる。しかしイーアンは、心の何かが自分の動きを止めて、すぐに動けなかった。
青い布を握り締め、ドルドレンを見つめながら戸惑って動けないまま、その場に立ち尽くす。
シャンガマックはイーアンの横で、少しぼんやりしている様子だった。ドルドレンが躊躇いがちに少しずつ近づく。
「 ・・・・・イーアン。こっちへ」
ちょっとずつ、ちょっとずつ。ドルドレンが近づく。
怯えさせないように、手を伸ばして、不安な表情でイーアンを見つめて。動かないイーアンに、そっと触れる。そっと、腕に触れ、肩に触れ、困惑した目で見上げるままのイーアンをゆっくり抱き寄せる。
たくさん泣いた後の顔を見るのが辛い。力を籠めないように、静かに抱き寄せる。
「イーアン」
腕の中の温かな愛する人の名前を呼ぶ。胸の内に納まったイーアンが震える。泣いている。俺はいつも、こうして彼女を泣かせて――
「良かった。工房から出てきてくれて。会いたかった」
驚かせてごめん、と言いたかったが、イーアンが何をどう捉えているのか分からないので、それは言えなかった。
ドルドレンの温かな腕の中。イーアンは再び涙が出てきて、どうにも出来なかった。
廊下では目立つから、と。ドルドレンが気を遣いながら、壊れ物でも触るようにイーアンを包んで工房へ戻った。ぼうっとする疲労したシャンガマックに『お前も工房へ』とドルドレンは声をかけた。
工房へ入ると、シャンガマックもふらつきながら入ってきた。ドルドレンは扉を閉めた。
シャンガマックは朦朧としている様子だった。『聞こえるか、シャンガマック』ドルドレンが椅子を引いて彼を座らせ、呼びかける。
シャンガマックも応じるように頷くが、声は出なかった。何かとても疲れているのが見て取れた。
涙で濡れた目を向けるイーアンに、ドルドレンがどこから話すべきか悩んだ。
「イーアン。その涙の理由は・・・あれだよな」
蒸し返すみたいで、またイーアンが離れてしまったらと思うと、口に出すのも嫌だった。イーアンの手を握りながら、頭を振ってドルドレンは溜息をつく。
「すぐには信じられないかもしれない。だがあれは男だ。俺の育った一族の一人だ。一緒にいた奴も」
ドルドレンはイーアンの反応を見た。信じられないだろうな・・・と思いながら、どう説明して良いか難しかった。
シャンガマックやダビにも同じ理由で言えなかった。本人に言わせるしか、信じる方法がないのだ。
――あいつは、あのなりが板に付いている。あれの親もそうだった。中身は男だが、単にあの格好が大好きなだけだ。
性欲は薄そうだが、自分に引っかかる男を楽しんでいるという、旅芸人だからこそ通じた生業を一生続ける気だ。仕事がなくなったからと言って、今後は騎士で。
兄弟で来た上、本部からの報告書で北西の支部を指名したとあったから、俺を当てにしただろう、と聞いてみれば『当たり前だ』と言う面の厚さ。
こんな事がこれほど大事になるとは・・・・・ 思わなかった――
「イーアン。本当なんだ。あいつらは兄弟だ。兄の方は普通の男だが、弟がちょっと趣味がな。あんなだから」
「あれが男?」
頭を振って、意識を戻しかけているシャンガマックの声が聞き返した。声が戻っていることに気がついて、イーアンはホッとした。
ドルドレンもシャンガマックの様子が戻っている事に安堵したらしく、安心したような顔で頷いた。
「そうだ。あれの親がすでにああだった。それを生業にしていた。中身は完全な男だ」
「てっきり総長の女かと」
「そういう誤解を生むような思い込みを口にするな」
危険で言ってはならない言葉を、ぴしゃっと遮るドルドレン。両手を額に当てて大きく息を吐きながら、そのまま髪をかきあげた。
「夕食の席で紹介があるだろう。昼食は食堂で取ったはずだから、もう知っている者も少なくないだろうが」
「私。寝るまでここに居ても良いですか」
イーアンが疲れきった声を出した。ドルドレンが心配する。まだ信じていないのかも・・・・・
「そうじゃなくて。信じます。だけどこの顔・・・明日の夕方まで人に見られたくないのです」
散々泣いた後の顔。それを言われるとドルドレンは無理が言えなかった。シャンガマックも気の毒そうに濡れた睫のイーアンを見つめた。
明日の夕方まで。誰にも見られたくない、とイーアンは言い続けた。お風呂だけは入るけど、と小声で言う。
「分かった」
ドルドレンは承諾し、シャンガマックに向き直った。『お前に余計な心配をさせた。とんでもない力を操るんだな。勝てる気がしなかった』そう苦笑しながら、シャンガマックの想いの強さを認めた。
艶やかな漆黒の瞳を細め、シャンガマックはいつにない総長の優しさを心に感じた。
「いえ。やり過ぎました。自分が持って行かれるところでした」
シャンガマックは立ち上がり、二人をそれぞれ見つめてから『俺も今日はこのまま自室で休みます』と断りを入れて、イーアンに『助けてくれて有難う』と微笑んでから出て行った。
ドルドレンは彼の最後の言葉が少し気になったものの、気に留めないことにした。
シャンガマックがどれほどイーアンを想っているのか。自覚が足りなかった自分が情けなかった。
フォラヴもそうだが、彼らはヨライデまでついて行き、イーアンを守る騎士でいようと決心した男たちだ。それを今日、まざまざ見せつけられた気がした。
「俺はまだ足りないな」
肩を落とすドルドレンに、イーアンはそっと近寄る。大きな肩に頭を持たせかけて、独り言のように囁いた。
「ドルドレンが私をとても愛してくれているのに。私は自分のことは棚に上げて、怖がって泣いてばかりいました。信じていないわけじゃないのに。これでは信じているとは言えない。本当にごめんなさい」
『イーアン』ドルドレンは胸が切なくて、苦しくて、イーアンを抱き寄せて髪に顔を埋めた。『違うよ。俺がいけないんだ。俺が』イーアンにしか聞こえない声で謝るドルドレン。
2人はそのまま、しばらくお互いの温もりを感じ続けていた。離れるとどんなに怖い思いをするのか、今日はそれを心底味わった。
イーアンはこの後すぐ、夕食前の人がいない時間に風呂へ行き、着替えないチュニックのまま、その後は工房に籠もった。工房は暖炉のおかげで暖かく、眠るまでは工房にいるほうが都合が良かった。
ドルドレンは総長だから夕食の挨拶には出席するという事で、身を切られるような思いで『挨拶したらすぐここへ来るから』と鍵を閉めないでも良いと伝え、イーアンにキスをして抱き締めてから、広間へ向かった。
紙に描いていたドルドレンの剣を、もう少し描きたくなって、イーアンは一枚新しい紙を出した。
それに最初から、――図案ではなく―― 一枚の絵として丁寧に描いた。
絵の具があれば良いのに、と思いながら、ペン画で出来る限りの絵を描いた。少し間違えたりしたが、何となく誤魔化し、30分経つ頃には額が欲しいと自画自賛する剣の絵が出来た。
『ドルドレンの剣』と日本語で下の方に書いた。自分のサインを少し躊躇ってから、『イーアン』と記した。
良い絵が描けて満足する。パチパチと音を立てる暖炉の暖かさが眠気を誘う。
食事は二食抜いていたが、空腹は感じていなかった。イーアンはペンを置いて、少しだけ、と目を瞑った。
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