1207. 別行動:熱い湯・二人の絆
湯気立つ、岩の窪み。白い湯の満ちる黒い岩の囲む中では、シャンガマックがのんびり、岩に凭れかかって疲労を癒し中。
「ヨーマイテス、どこ」
連れて来てもらって驚いた、そこは温泉。テイワグナは温泉が多い、とはバイラに聞いていたし、入国後にエザウィアの農家でも教えてもらっていたが。
地域も分からない場所で、また温泉に会えるとは。湯は少し熱めで、最初こそ少しずつしか入れなかったが、慣れてしまえば潜れるくらいの気持ち良さ。
感激して暫くの間、一人わぁわぁ喜びの声を上げて温泉を満喫していたが、ふと、姿の見えない父に気が付いて、彼の名を呼んだ。
「お前の近く」
後ろから聞こえた声に振り向くと、湯煙越し、黒い岩の上に大男が座って、はしゃぐ息子を面白そうに眺めている。
「ヨーマイテスも入ろう。気持ち良いか、それは分からないけれど」
「俺には意味がない」
「そんなこともないよ。これも経験だ。来て。ここに入ろうよ」
嬉しそうな笑顔の息子に誘われて、ヨーマイテスはあっさり折れる(※弱)。意味がないぞ、と言いつつも、下りて来て白い湯の中に足を入れ、意外な浅さに驚く。
「これしか湯はないのか。もっとないと、ダメだろう」
「俺にはちょうど良いよ。これだけあれば、充分だ。ヨーマイテスは大きいからだ」
「お前。俺が座ったら、こんなもんだぞ。これ、『入っている』うちに入らんじゃないか」
ヨーマイテスが大き過ぎて、座った姿勢の腹部は湯の上。笑うシャンガマックが側に来て『でも入っているんだよ』と、これで正解であることを教えると、ヨーマイテスも笑う。
「俺が入るから、水位が上がってお前は少し浸かれるのか。それならその方が良いな。どうなんだ、気分が良いのか」
「うん。すごく気持ち良い。こっちはもう少し深いよ。真ん中だからかな。ここだと、俺も少し潜り込める。うーん、久しぶりの熱い湯だから、出たくないくらいだ」
こんなに喜ぶなら、もっと早く連れて来てやれば良かったな、と思うヨーマイテス。これぞ、誕生日に連れ回すべき場所だったか、とさえ悔やむ(※そのくらい、息子喜んでる)。
「バニザット。俺にもっと、欲しいものを言え。そうでなければ、俺は何も分からない。
お前に体を拭かせていたが、ここの方がずっと、お前のためになるようだ。他にもあるなら、俺との生活に持ち込め」
「うーん・・・でも。いつもも、別に思いつかないんだ。必要なことは全部してもらっていると思うよ。ヨーマイテスは優しいよ」
「お前は本当に・・・(※言わない)そうか」
何にも望まない、無欲な息子。望むことは、強さだけ。真面目で直向きに努力し続け、疲れて倒れるまで没頭する。
そんなカワイイ息子をよいしょと引っ張って、ヨーマイテスは座る自分の足の上に乗せる。が。
「湯から出ている・・・ダメか」
足の上に乗せたら、息子が湯に浸かれない(※父は大型)とすぐに分かり、すまなそうに笑う息子を湯に戻してやった(※残念)。
この後、シャンガマックは『ヨーマイテスの長い髪の毛も洗おう』と提案し、心なしか不満そうな父を傾けて(※でも従う)長く豊かな金茶の髪をせっせと洗ってあげた。
洗髪中、父の首に掛かる、誕生日のお守りを見て『よく似合っている』とまた褒めると、父は碧の目を向けて『お前も同じものを作れ』と呟いた。
髪の毛を洗い終えたシャンガマックは、この後。
風呂を済ませてすぐ、夕方前に森に入り、父と二人で蔓草と木の実、石を探して、もう一本の首飾りを作った。それを自分の首にかけると、眺めたヨーマイテスは満足そうに『お前にも似合う』と喜んでいた。
今日は、朝から様々なことがあった一日だったが、シャンガマックは疲労よりも、新たな学びと発見の方が多く感じた。
夕食時。ヨーマイテスが魔法陣まで連れて帰ってくれ、魚も持ってきてくれて、身だけ焼いてもらってから(※最近ずっと)。シャンガマックは、今日の出来事をぽつりぽつり話し出す。
横にいる獅子の姿の父に、『魚。食べる?』と訊ねながら、大きな口を開ける獅子に切り身を食べさせ、自分の感じた、今回の魔物への見解を伝えた。
獅子は黙って息子の話を聞き、もぐもぐし終えてから、息子が意見を聞きたそうな目を向けたのを見て、答える。
「それはつまり。お前は『相手が魔物でなないと判断している』といった意味か」
「でもないよ。魔物だとは思うけれど、単に魔物という雰囲気ではないし。だからと言って、魔法使いの範囲にしては変だった。魔法の一部なのか。俺が知らないだけかな」
「区別した方が、お前の中で理解しやすいのか?」
区別にこだわる息子に訊ねると、息子は頷く。『どう戦えば良いのか、瞬時に判断が出来る』のが理由だそうで、ヨーマイテスもちょっと考えて教えることにする。
「あれは既に魔物だ。『魔法使い』については、意味が少し、俺とお前の解釈が異なるような気もする。
今日の相手が、人間だったのは間違いない。元々は人間で、あの能力を得るために、魔物の王に力をもらったんだろう。
だがな、それをすると、もう人間ではいられない。魔物の王の力を受け取った時点で、魔物に変わるしかない。
魔法については、お前は俺の説明を最初、どう理解した」
獅子の質問に、シャンガマックは魚を食べながら考え、『人間の魔法は、誰の力を操るか。その方法』じゃなかった?と訊ねる。獅子は、まぁまぁ、といった具合に頷く。
「それに則れば、あいつの虫だらけの体は、人間じゃない以上、そうした状態で耐えられ、また操っていたわけだから、『あれは魔法使い』と言っても言い過ぎじゃないな?」
「あ。そうか。そうだね・・・俺の結界が利かなかったんだ」
「お前の結界が利かない?そんなわけないだろう」
完全な魔物じゃない、と思ったのは、結界で弾かれているだけだったから、と教える息子に、ヨーマイテスはじっと見つめる。
「ふむ。どうも、魔物の定義が違うんだ。魔法使いの定義も。結界に影響されていないわけでもない。お前が思う状態を、あの魔物に見られなかっただけだ。『利いていない』とは言えないぞ」
「利いていない、とは言い過ぎかも。でも・・・今の俺は、前の結界よりも」
「考えてみろ。最初のお前は・・・つい最近だが。結界に全力だ。あれだけの精霊の力を、意識をナシャウニットに預けてまで使うなんて。何度も行えば、お前自身が崩壊するぞ。
あの量と、今、操れるようになった量を比べるな。最初の頃のお前の結界は、暴走に近い」
う、と呻くシャンガマック。強烈な力だと自覚はあったが、暴走とは。獅子は首を少し傾ける。
「分かっていなかったのか。何て危険なことを。お前の結界の使い方を、初めてちゃんと見たのは、この前の、魔法使いの墳墓跡だ。あれでも驚いたのに。
操り方を学べなかったのは分かるが、自分の力の量も動かし方も知らなかったのか、と気づいた時は、お前はこれまで、暴走状態だったとしか思えない」
凹むシャンガマック。食べている口が地味に動き、青白い炎を見つめて、黙りこくる。
獅子は息子の変化に気が付き(※ゆっくり)あれ?と思って、ちょっと側へ行った。息子の目に涙が溜まっているのを見て、慌てて『どうした』と訊ねる。
ちらっと見た漆黒の瞳が、ウルウルしている・・・(※父は焦る)
ガッカリ状態が分かりやすい息子は、肩を落として、力なく食べ物を飲み込むと『俺は。自分なりに勉強していたんだ』と呟いた。
「お前を褒めているんだ。強い力を持っていても、それに気が付かなかっただけだろう。バニザット。泣くな」
「でも。俺は暴走とは思っていなかったから。自分でも気を付けていたつもりだし」
「暴走状態だった、と言ったんだ(※苦しい言い訳)。俺を見ろ。泣くなって、泣かないで聞け。あ、涙が落ちた。おい、泣くな」
瞬きした息子の目から、一滴二滴と涙が落ちて、その顔が可哀相でならないヨーマイテス。急いで人の姿に戻って、涙を静かに落とす息子を抱き上げると(←息子34才)頭を撫でて、顔を覗き込む。
「お前の力は、それくらいの量だ。何度も伝えているぞ。バニザット、こっちを見ろ。あ、また泣く。ダメだ。泣くなよ。お前は本当に強い力を・・・おい、泣くな。頼むから泣くな(※とうとう頼んだ)」
心優しいシャンガマック。
自分でも、精霊を呼び出し、強大な結界を意識が消えてでも貼り続けたことを、過小評価などしないが。
皆を守るため、自分が出来ることを最大限で行っていたつもり(※ここでイーアンの気持ちがわかる⇒中年でも吼えて戦った女)。それが、『暴走』とは・・・何て悲しいんだろうと思う。
さめざめ泣く息子を抱き締めて、せっせと頭を撫でながら、ヨーマイテスは懸命に慰め、励まし、隙あらば(※息子と目が合うと)謝った。
「風呂、また入るか?連れて行ってやる」
「・・・いいよ。さっき温まった」
「何か食べるか。魚は」
「もう。お腹はいっぱいだよ。有難う」
「泣くなって。俺の言葉が悪かった。お前を傷つけるとは思わなかった」
「俺のことを、そう思う人もいたかも知れない。でも俺は、結界しか出来ないから」
「ああ、泣くな!涙が。涙、止めろ(※ムリ)。バニザット、こっち見ろ。泣かないでくれ」
でも、と呟くと、ぎゅーっと眉を寄せて、涙が落ちるシャンガマック。
命懸けで戦ってきた、魔物との攻防。ひたすら自分を削る魔法の力と知っていて、それを選んだ。のに・・・・・(※ここでまた泣く)
ヨーマイテスは、何が何だか分からない(※錯乱)。とにかく息子を泣かせた、自分の心無い言葉を後悔し、息子の涙を拭き続けて、謝り続けるしか出来なかった。
で。もう、どうして良いか分からないので。
破れかぶれにも似た思考が動く。ヨーマイテスは、息子を抱き上げて、自分の顔の真ん前に、彼の顔を合わせると、『出かける』と一言(※目を見て言い聞かせる)。泣き顔のシャンガマックは『どこへ』と訊き返す。
「疲れているんだろうが。どこで眠っても、俺が連れて戻る。行くぞ」
「どこへ行くんだ。もう夜なのに」
「俺には、これしか思いつかん」
これ以上の会話は、また泣かせかねないと判断し、ヨーマイテスはもうそのまま、シャンガマックを腕に抱えた状態で影の中へ滑り込んだ。
そして。次の瞬間。シャンガマックは目を丸くする。『ここは』呟きが唇からこぼれた、その光景。
「ここか。お前だけだぞ。過去のバニザットも来たことはない。俺の、俺だけの世界だ」
下ろしてやることは出来ないと、抱えた息子の目を見て、しっかり言い切ると、その腕をぐっと強くしたヨーマイテスは、目の前に見える光景を、もっと見えるように青白い光を放つ。
そこは、ヨーマイテスのたった一人の城。狭間空間――
「ヨーマイテス」
「バニザット。お前が大事だから。お前が泣くのを止めるために、ここに連れて来た。だが、お前がその足で、ここを歩くことは出来ない。ここは俺のための場所だからだ」
「いつも、ここに居るのか」
そうだ、と頷いた父を見つめ、シャンガマックは偉大な存在に目を閉じた。目の前には古代の遺物が山のようにある。誰一人入れなかった、自分の先祖であり、友達でもあったはずの過去のバニザットさえ、来たことがない場所。
「有難う」
「礼は言うな。あれだ。あれに用がある」
震える小さな声で、感動を詰め込んだお礼を伝えた息子に、低い声で続きを告げるヨーマイテスが指差したのは。『船・・・ここにあったとは』シャンガマックの顔が輝く。
「言うなよ」
「言わない。これは、ヨーマイテスが管理する運命なのだろう。俺は、誰にも言わない」
フフ、と笑った焦げ茶色の大男は、息子を抱える腕を強めて『分かっている』と答えると、濡れた睫毛をそっと手で拭ってやり、白い船に跳び上がって乗り込んだ。
「まだだ。ここから出たら、甲板に下りて良い」
シャンガマックの目から涙はとうに消え、父の孤高の世界から、空を走る船に乗ったことで、沈んだ気持ちは高揚するばかりに変わる。
ぎゅーっと父の首を抱き締めて『有難う』とお礼を伝える。ヨーマイテスはちょっと顔を離し、息子に笑顔が戻ったので『やっと泣き止んだ』と笑った。
それから二人は、白い船を外へ出す。
夜空に、姿を見せては透けて消える、謎めいた神秘的な船に乗って、シャンガマックはヨーマイテスの大きな愛と、その齎してくれた素晴らしい時間に、ただただ、心から感謝する時間を過ごした。
お読み頂き有難うございます。




