1205. 地下水脈の精霊クスドの話
黒い不気味な卵が、跡形もなく崩れた中から現れた、青緑色の光。
それは、体の長い魚のようで、大きな鰭、白っぽい柔らかそうなお腹と、青緑色の鱗を持っていた。
大きな銀色の目を向けて、瞬きをしたそれは、岸に立ってビックリしている二人の人間に顔を寄せて『有難う』と囁く。そのお礼は、水が揺れたような音が声で、ドルドレンは笑顔を見せた。
「あなたが精霊か」
『精霊。クスド。水を守ります』
「クスド。名前か、名前がクスド。ここの水を守って」
『守ります。だから、虫危なかった』
クスドはそう言うと、勇者の真ん前まで顔を寄せて、瞼をにゅーっと歪ませ、まるで笑っているように見せた。その愛嬌のある顔に、ドルドレンは少し笑い『もう魔物は倒したよ』と教える。
『分かります。有難う』
答えたクスドの顔が、次にシャンガマックに向く。シャンガマックを見つめ『誰?ナシャウニット』と訊ねた。褐色の騎士は嬉しそうに頷き『ナシャウニットの加護を受けている』と答えた。
『有難う。力たくさんくれました。有難う』
御礼を言う可愛い魚(※デカい)にシャンガマックも笑顔で頷いて『良かった』と返事をし、何があったのかを訊くことにする。
『クスド。捕まりました』
体の長い魚は、大きな目を何度か瞬きさせて、少し考えるようにして話し出した。
クスドが見たのは、近づいてくる、人間の形の違う生き物だったという。それは、外の水から入ったのか、この鍾乳洞に来て水を汚し始めたので、クスドは驚いて止めた。
止めた時、クスドの体に何かたくさんくっ付いて、それは『小さい虫。いっぱいいました』と悲しそうな顔で伝える。ミレイオは聞いていて鳥肌が立つ(※気持ち悪い)。
クスドは、体にびっしり付いた虫を消すために、水を集めたが、集めた水がどうしてか、どんどん固く貼り付き始め、慌てて逃げようとしたらもう、閉ざされてしまった。
自分が、閉ざされた場所から出られないと分かり、クスドは出来ることをすぐに実行する。
それは、水の量を減らすこと。この魔物が、水を汚して何かをする・・・それは分かったので、クスドは人々の使う水を減らしにかかった。閉じ込められた場所から出来るのは、それだけだった。
鍾乳洞の中で、誰かが助けてくれるのを待ちながら、クスドはひたすら水を地盤に沈ませた。
話を聞いていて『それが、村の水が少なかった経緯だ』とミレイオは理解した。
ドルドレンも『それで』と呟き、話してくれた精霊に『あなたは勇敢だ』と褒めた。クスドはとても嬉しそうに首を振って『助けてくれました。有難う』をもう一度言った。
『だから。水多くするの、これからです』
「クスド。その前に一つ訊きたい」
ドルドレンは、クスドの一仕事の手前。一つだけ質問を頼む。クスドは顔を向けて頷いて『訊いて下さい』と言ってくれた。
「クスドは戦わない?魔物を止めたのは、どうやって」
『魔物を流そうと思いました。でも流れなかった。クスドは戦わない』
やっぱりそうなのか、と思うドルドレン。シャンガマックがその質問に、不思議そうな視線を向ける。総長は部下に微笑むと、またクスドを見て『場所を守る精霊は戦えないのだろうか』と、訊きたかったことを口にする。
戦おうとすれば、それなりに力もあるのに。しかし、彼らはそれを選ばない。理由はあるのだろうから、もし今後もそうした被害があるなら、魔物被害から守るのは人間や人の生活だけではない。ドルドレンはそう考えていた。
クスドの銀色の目が瞬きした後、ドルドレンに顔を近づけて『戦わない』ともう一回教えてくれる。
『戦う精霊。違う場所。精霊、戦うのと、戦わないのがいます』
「え。戦う精霊?そんな精霊もいるのか」
『います。このずっとあっち。あっちに、たくさん洞窟ある場所。その精霊、戦います。クスドのこと知ってる。あなた、クスドとお話したって言います。わかる?』
ポカンとしていたドルドレンだが、クスドがどうも、自分の名前を出して良い・・・ような言い方をしていると気が付いて、ハッとして頷いた。
クスドはもう少し教えてくれる。
戦う精霊は、クスドよりもずっと、人間に関わるという。
洞窟の精霊の話を教えてもらい、これから通過する部分に、その洞窟地区が掛かっている気がした、地図を思い出すドルドレンはお礼を言い、この場所を後にすることにした。
話を終えた大きな魚は体をねじらせて、水面に1枚の鱗を落とす。
水の流れにくるくる回って流れてゆく、青緑に輝く手のひら大の鱗・・・『これ、あげます。クスドの鱗、もらったって言います。話してくれる』と。そう言うではないか。
びっくりしたドルドレンは、怪我をしているのも忘れて、流されていく鱗を慌てて取りに行き、受け取った(※足ずぶ濡れ)。
この時、水に入ったドルドレンに何を感じたか。
クスドは、水から出る前のドルドレンにさっと寄って、足元に顔を寄せ、鰭を当てて『よしよし』と呟く。
「あ。怪我をしているの、分かってくれたのか」
『痛いのないです。クスドがよしよししました。大丈夫』
「はい?(素)」
ドルドレンは驚く。長い綺麗な模様のある鰭を、水の中の足に触れて揺らしたのは分かった。そして、その意味も、すぐに分かる。
「あ、ああ!痛くない。本当だ、え?怪我を治してくれたのか」
『そう。痛いのない。ない?』
「痛くない!有難う、クスドはそんなことが出来るのか。助かったよ」
クスドは嬉しそう。鰭を当ててドルドレンを岸へそっと押し、乗せてくれる。
優しい精霊に、ドルドレンは何度もお礼を言い、ぼんやりと照らす光に、傷を負った足を見た。傷の痛みは消え、傷跡があった箇所は、銀色の薄い皮が貼り付いているように煌めいた。
「総長。良かった・・・クスドの力なんでしょう。精霊に寄りますね」
覗き込んだ褐色の騎士も、足を見て笑顔で喜びを伝える。ミレイオとヨーマイテスは近寄らないようにしているので、離れた場所でそれを見ていて『不思議な』と呟いていた。
クスドは、サブパメントゥの二人にも顔を向け、目の合った二人に、離れていてくれてありがとう、と伝えた(※ミレイオ胸中複雑・・・)。
「ではな。クスド。会えて良かった。これから俺たちは地上へ戻る。クスドも元気で」
『さよなら。大事な運命。頑張って下さい』
何か知っていそうな魚に、ドルドレンは少し気になったが、それ以上は話すことなく、クスドの鱗を手に、お別れの挨拶をすると、4人は影の中へ戻る。
クスドは4人が上がってから、水を戻すと教えてくれたので、真っ暗な影に入ったところで、ミレイオがドルドレンを、ヨーマイテスがシャンガマックを抱え、4人は暗い闇の中から、外へ向かった。
*****
「帰ってこないな」
親方が静かに伸びをして、ぼそりと落とした声に、自分の馬に寄りかかっていたバイラが彼を見た。
「昼ですね・・・どうしたのか」
「ミレイオが行ったなら、まずは問題ないと思うが。ドルドレンだな、問題は。あいつに何があったのか」
「彼が狙われたような印象ですね。印象だけですけれど」
「いや、間違えていないだろう。剣が落ちていた時点で、ドルドレンの攻撃を先に閉ざしている。『彼を狙った』と思うのは自然だ」
ミレイオが出てから、この話は少し避けていた二人。ザッカリアとフォラヴ、ロゼールがいる中、彼らの慕う総長だけが狙われたことを、話題に続ける気にならなかった。
今、ロゼールは昼の買い出しに出てくれて、近場の食品店に向かった。店は、停めた馬車の真ん前の通りにある店なので、彼が店に入るところも出るところも見える。親方は許可して頼んだ。
見える位置とはいえ、何かあっても困るので、親方もバイラも馬車の横に立っていた。
いい加減、戻ってくる気配のないミレイオとドルドレンのことを、ぼそっと口にしたのは、そろそろ別の動きも必要かと考えたから。
「どうするかな。馬車もあるし」
「タンクラッドおじさん。手洗い行きたい」
バイラに相談したすぐ、下りて来たザッカリアがおトイレ所望で、親方に話しかける。バイラが頷いて『おいで。そこの左官屋さんで借りよう』と手を繋いだ。
「もう一度。左官屋さんに、他に何かなかったか、訊いてみます」
バイラはザッカリアの手を繋いでから、タンクラッドにそう言うと、すぐの左官屋に入って行った。続いてフォラヴが出て来て、タンクラッドを見上げる。
「総長とミレイオ。気配は」
「お前が分からないくらいの気配を、俺が分かるわけないだろう。お前は妖精なんだから」
「はい・・・でも。私よりもあなたの方が、そうした経験がおありです」
「フォラヴ」
横に立つ妖精の騎士の、白金の髪をくしゃっと撫でて、親方は彼の空色の目を見つめる。寂しそうな目つきに苦笑いで『お前の方が上だぞ』と励ます。
「自信を持て。お前が気が付かないなら、俺も分からん。イーアンがいると、俺の場合は能力的に上がるような気もするが。あれは、龍の祝福に釣られているんだろう(※イーアン効果⇒釣り)。
お前みたいに、存在から違うわけじゃない・・・何て言えば、お前はその遠慮がちな感覚を抜け出すのかな」
頭を撫でてやりながら、親方は困ったように笑う。フォラヴも大人しく撫でられつつ、『申し訳ありません』と謝る。
「せっかく、自分の所在がはっきりしたのに。まだ私は未熟で、大切な総長が消えたというのに、何の役にも立てず」
「そういうことを考えるな。ミレイオが言っただろう、ロゼールに。それぞれの役割があるんだ。気持ちと力は比例しない。それは、俺でもそうだぞ」
「タンクラッドは。そんなこともないような」
あるんだよ、と笑って、剣職人は小脇に騎士を抱き寄せると『しっかりしろ』と微笑んで励ます。元気の少ない笑顔を向けるフォラヴは、情けなさそうに頷いた。
「ドルドレンたちが戻るか分からないうちは、下手に動けない。しかしこのまま、ここに居続けるわけにも行かん。
ロゼールが軽食を買ってくるから、それを食べてから、午後の動きを相談する。いいな?」
タンクラッドが騎士の顔を覗き込んで確認すると、フォラヴはニコッと笑って『はい』と答え、通りに目を向けた。『ロゼールです』彼の声に、親方も通りを見る。両手に一杯・・・袋を抱えて歩く姿。
「手伝いましょう」
「そうだな。あんなに買って。いくら掛けたんだか」
二人はロゼールの姿に笑いながら、少し気持ちを明るく持ち、両手の塞がる買い出しを手伝いに行った。
ザッカリアも、お腹の痛いところを解放され、体の元気をまず取り戻す。
待っていてくれたバイラと左官屋さんにお礼を言うと、心配してくれた左官屋さんに『胃薬、持ってる?』と薬までもらった。
「旅しているとね。体に合わないものも食べるし、弱った時には普段の食事でもやられるから。これ持って行きなさい」
「有難う」
「最近、暑かったから。虫が湧いてるしね。ここも昨日と今日は、もう、台所も水場も虫が出て大変だったのよ。消毒薬、丸まる一缶使ったくらい。
暑いからね。清潔を保つのは、旅なんかでは特に大事よ。どこの町でも村でも、出来るだけきれいな所に泊まるんだよ」
はい、と答えて、ザッカリアは左官屋さんに改めてお礼を言い、バイラと一緒に馬車に戻る。同じ頃合いで、親方とフォラヴ、ロゼールが戻り、皆で昼食にする。
ロゼールは交渉して大量に買い、余分で取って置ける分もあった。
「まとめて買ったので、渡されたお金のお釣りもありますよ。これだけあれば、総長たちが戻ってもすぐに食べられるし。夕食が遅れても、皆の一食分にはなります」
「厨房担当は動きが違うな。お前の能力は、旅の生活費を守る」
タンクラッドに褒められた言い方が可笑しくて、ロゼールも皆も笑う。買ってきた大型の焼き生地を切り分け、瓶詰の油煮の肉と、酢漬けの野菜で食事を済ませ、お腹の空いていそうな親方には、瓶に残った油と硬い生地の縁を渡した。
「擦りつけて食べると美味しいです。こっちの油は料理に使いましょう。瓶は濯がないで下さい。もう一度油を入れて・・・干し肉、ここに入れとくと、これだけでも後で食べれるんで」
ロゼールは家庭的。一食限りと思っていた買い出しも、次の料理用に使い倒す。ミレイオ&イーアン組とはまた違う、家庭的な方法に、皆は感心して見守った。
こんな、少し落ち着いた昼食を済ませた後。タンクラッドは、気になっていた敷石を見に行くと言った。
「危なくないように」
「そうだな。踏まないで、手前で見てみるつもりだ。一緒に来るか?」
親方に誘われて、バイラとザッカリアは一緒に行く。馬車から10mくらいの位置に門があるので、フォラヴとロゼールは馬車の荷台に座って、彼らの様子を見ていることにした。
親方は門の向こうに敷いてある石を見つめ、バイラに『あれ。何だと思う』と質問。バイラはすぐ、書かれた文字の事と判断し、彼を見て首を振った。
「私は言語に通じていませんが。テイワグナの遺跡や石碑などには、見たことない気がしますね」
「そうか。俺もそうじゃないか、と思っていた。バイラの確認なら、確実だ。
ザッカリア。あれをな、ミレイオは『ヨライデの遺跡で』見たことがあると話していた。あんな感じの似ているものを。魔物の像に刻まれていたそうだ」
さっとタンクラッドを見たザッカリア。バイラはこの話を知らないので、二人を交互に見て、続きを待つ。
「ヨライデ。魔物の王がいるところ」
「かもな。今回はまだ、断定していないが、伝説ではそうだ。お前は俺の考えが分かるな?」
「お兄ちゃんみたいな・・・魔法使い?」
「可能性は高い。もう少し、近づくか。朝は、俺とミレイオはここから出られたんだ」
ぎゅっと拳を握り、ザッカリアは親方の後に続いて、数歩進む。湾曲した門の出入り口向こうに敷かれた石は――
「あ。何だ、これ」
「タンクラッドおじさん、これもう」
「どうしたんです・・・え?何です?」
3人が敷石の真ん前に近づいた時、敷石はどんどん形を変え始める。
そしてこの時、同時に。村の外、50mほど離れた場所から、ドルドレンとミレイオの二人が鍾乳洞を上がって出てきた。
二人は上がった場所から、親方たちが、門のすぐ側に集まっているのを見て、喜んで声をかける。タンクラッドたちも驚いたすぐ後、『おお!無事だったか!』と大声で手を振った。
この最中も、彼らの足元にある敷石は形を変え続け、それは崩れた石のなれの果てか。干からびた虫の死体が、敷石のあった場所を埋め尽くしていた。




