1202. 鍾乳洞の逃亡
※少々、気持ち悪いと思われる描写があります。
戻ったタンクラッドの手に、総長の剣の鞘があるのを見て、騎士たちはぎょっとする。ミレイオとバイラも驚き、タンクラッドが歩いてくるのを待たずに駆け寄った。
「それ、総長の」
「ドルドレンは?どこにこれあったの」
「すぐだぞ。本当にすぐそこ・・・その裏回ったところに、これが落ちていた」
タンクラッドは鞘に入った剣が丸ごと、建物の壁脇に落ちた状態だったことを伝える。横倒しに、まるでそこで外して置いたようだったと教え、示された場所に行こうとしたミレイオを止めた。
「おかしいでしょ。剣帯は?あの子、これベルトに吊るしているじゃないの」
「そうですね。これだけ抜き取ったとは思えない」
ミレイオの指摘に、バイラも顔を手で拭って呟く。親方もそんなことは分かっているが、首を振るだけ。
「ないんだ。他に。この剣だけが・・・鞘ごとな。すっぽ抜けたように」
「抜けないですよ。イーアンが作った鞘は、ここに絡むようにベルトを通すんです」
ロゼールも寄ってきて、総長の鞘の背中を見せて、編み込みのくぐりを指差す。彼は、緑の森のような瞳に不安をありありと浮かべ『声一つ、聞こえなかった』と続けた。
フォラヴと一緒にいるザッカリアは、もう確信しているように眉を寄せて辛そうに顔を歪め、その顔を見たミレイオは、タンクラッドに『ドルドレンがいないなんて。私が見に行く』と訴える。
「ミレイオ。お前まで」
「何言ってんのよ。あんたたち、人間でしょう。フォラヴは違うけど、この子じゃ無理よ。こんなことする相手に、あんたたちじゃどうにもならないわよ。私が調べる」
「待て。ドルドレンは強い。剣がなくても、それ相当の動きが出来る男だ。冠もある」
「総長と連絡が付きません。呼んでも出ない。もしかしたら、また違う次元に連れて行かれたかも」
フォラヴの心配する言葉に、ロゼールは『え』と振り向く。『次元?何の話?違う世界があるの?』驚きが怖れに聞こえる声。バイラが、ロゼールの肩に手を置いて自分に振り向かせ、首を振る。
「ロゼール。私はハイザンジェルの魔物について知りません。魔物被害が深刻だったことしか。
テイワグナも始まったばかりで、これからどう変化するか分からないけれど。どうも皆さんの話と比べると、テイワグナの魔物の質が違うみたいなんです」
「違うって。どう違うんですか?その、異次元とか」
「それは言い切れないのですが、一度に多く出たり、人を引きずり込む魔物がいたり」
バイラの話で、ロゼールは言葉を失う。一度に多く出ることはあったけれど、人を引きずり込む魔物なんて、聞いたことがない。『それは・・・川や、洞窟に引きずり込む、という意味じゃないですよね?』この雰囲気だとそうではない。そう思って確認すると、バイラは小さく首を横に振った。
「違う世界。だと思います。私たちが追い付けない場所へ」
「どうやって・・・勝ったんですか?どうやったら、そんな。そんな場所に、総長は今」
「ロゼール。落ち着いて頂戴。決まったわけじゃないのよ」
バイラの両腕に縋りついたロゼールを、ミレイオが宥める。ロゼールはさっとミレイオを振り向き『俺が行きます。俺は総長といつも一緒でした。俺が助ける』早口にそう告げると、ロゼールは馬車に荷物を取りに体を翻す。
「ダメだ、ロゼール!気持ちだけじゃ勝てないぞ」
親方の一声で、若い騎士は振り向く。『ミレイオと行きます。ミレイオは入れるんですよね?』無我夢中で行くわけじゃないと、タンクラッドに言い返す。
「私と?あんた、何言ってるの。あんたは人間で」
「でも。俺は総長の育てた部下、ロゼールです。子供の頃から、あの人の動きは知っているんだ。俺を連れて行って下さい」
「そうじゃないのよ、気持ちは分かるけど。相手が人間じゃ、何されるか分からないのよ」
「お守りならありますよ。イーアンの鱗がある。ギアッチが俺に持たせてくれた、白い鱗。それに」
「ロゼール」
ミレイオの腕を掴んで、自分と動いてくれと頼む必死な騎士に、親方は胸が切なくなる。止めないフォラヴとザッカリアを見ていると、ロゼールの気性もあるんだろうと理解する。
思わずロゼールの肩を掴んで引き寄せると、片腕の内に若い騎士を包み、見上げた反抗的な目に『ダメだ』と呟いた。
「タンクラッドさん」
「ドルドレンは、お前を巻き込みたくない。お前は戦うために来たんじゃない。ドルドレンなら俺と同じことを言う」
「でも」
「分かる。分かるが、行くな」
親方の太い腕に包まれて、ロゼールは悔しそうに、遣り切れなさそうに、目を閉じて首を振った。『俺たちは、一緒に動けばいつだって離れなかった』それなのに、と歯を食いしばる姿。
「ドルドレンは良い総長だな。お前のような部下がいる。だがな、フォラヴもザッカリアも同じくらい、お前と同じくらい、彼を助けに行きたい。それが出来ない理由を、身を以て知っている。テイワグナは、そういう場所なんだ」
親方に諭された若い騎士は、フォラヴたちを見て、彼らの悲しそうな目に溜息をついた。ミレイオもロゼールの想いが伝わるだけに、気持ちは連れて行ってやりたいが、そうもいかない。
タンクラッドの片腕に収まった彼の頭を優しく撫でて、その緑の深い目を覗き込む。
「待っていて。待つ方が辛いと思う。辛い方を選んで頂戴。ドルドレンも理解したのよ、強さの質が違う相手には、それに応じた誰かが立ち向かうことを。
・・・・・彼は『勇者』の仕事があるの。知らないだろうけど。
でもね、勇者でも手が出せない場面なんて・・・悔しかろうが何だろうが、指くわえて見ているしか出来ない時なんか、いくらもあったのよ。
あんたも彼の部下なら、それを覚えないと。ここは私よ。この仲間の中で、動けるのは私だけ」
ロゼールの半開きの口が、何かを言いたそうにして動いては止まる。何も言えないのだと分かるので、ミレイオは微笑んで、皆を見た。
「ここにいなさい。もし、万が一。ここにも出たら。その時は頼んだわよ。地下へ行ってくるわ」
「気を付けろよ。お前も」
「私を誰だと思ってるの。ミレイオ様よ」
ハハハと笑ったミレイオは、タンクラッドの苦笑いに頷くと、彼の片手に持ったままのドルドレンの剣を受け取り、『あんた。皆を守っておやり』と真面目な顔を向け、馬車の影に入ってその暗がりから、ずるっ崩れる黒い土の穴に滑り込んで消えた。
凝視するロゼールに、タンクラッドは『あれ。お前出来ないだろ?』と呟いた(※俺も、って)。
*****
向かったミレイオが一旦地下・サブパメントゥまで下りた頃。
ドルドレンは冠一つで、暗い鍾乳洞の中にいた。
どこだか分からない上に、暗過ぎてほとんど見えない。聞こえるのは水の音と反響する音、それに自分が歩いている、濡れた硬い岩に踏み出す足音のみ。
突如、足元が抜けたようにここに落ち、付いた手も膝も、一瞬で水に濡れて慌てて立ち上がったが、腰に帯びていたはずの剣がないことに気が付き、どうして外れたかと再びしゃがんで手探りで探した。
しかし、剣はおろか、鞘もない。丸ごとない。腰のベルトは2本。腰袋と剣用に、一本ずつのベルトが、そのまま付いている。バックルが外れているわけでもない。
焦るドルドレン。イーアンが編んでくれた鞘が壊れるわけはない。
魔物の皮で緻密な編み目を作った、頑丈な鞘の包みだ。それに編み目の下には硬い鞘の皮が添えてある。あれが切れるとなれば、体に衝撃があるくらい強い力でもないと・・・・・
ここまで考えて、ドルドレンは止めた。考えたところで、剣がないのは事実なのだ。そして自分は、たった一人。今、真っ暗な鍾乳洞にいると分かる。
イーアンと二人で入ったことがある、テイワグナ最初の、染色の町・フィギの奥の洞窟(※777話参照)。
思い出すのは、あの場所の、空間の湿気のある臭いや音の響き、石の感じ。水の音もする以上、ここは『そうした場所』と判断した。
出口など分からないにしても・・・水が側に流れているのは音と、石の傾斜で知ることが出来るので、少しずつ、足を滑らせないように水の流れに近づき、手を入れるのは危険と思い、吊るすもののないベルトを一本外して、垂らした。水の流れに先端が連れられて、水の進行方向は左側と分かる。
「問題は。進行方向に出口があるとは、限らないことだな」
行った先が滝壺かも知れないし、亀裂に注ぎ落ちるだけの川かも知れない。そしてもっと困るのは、奥に向かって流れている可能性もあること。
剣を吊るしていたベルトを川から引き出すと、ベルトが短い気がする。あれ?と思って手繰り寄せた手に、ベルトが短い。革のベルトが千切れている?
千切れた場所を指で確認すると、何か削られたように切れている。ドルドレンは、何かが川にいたのかと警戒したが、手に持ったベルトと、自分の腰にあるベルトに触れて、そうではないと気が付いた。
「剣のベルトの先。腰袋のベルトに引っかかっている・・・こっちも切れて。え、じゃあ。今、手にある、バックルのある方は」
ハッとする。剣の鞘が千切れたのではなく、ベルトが千切れていたのかと。それも、何かが切り取ったような状態。困惑するが、今は暗いし確認出来ないので、ベルトは腰袋に突っ込み、とりあえず移動する。
鍾乳洞はどこまでも続く場合がある。
ドルドレン自体は体験したことがないが、昔、ジジイが人から聞いた体験談で、『中で彷徨った奴がいてさ』と話していた。そういう場所もあるんだ、と子供心に怖かったのを思い出す(※ドルジジは気楽にそういう話をする)。
ロゼールを迎えたばかりで、まさかの事件。それも『俺が、とは』何で俺、と呟く黒髪の騎士。
皆もどこかにいるのか。散り散りに分散してしまったか。もしそうなら、一刻も早く・・・どうにもならない。自分さえ、どこにいて何故なのかを知らない。
被っておいた冠は、チリチリと何か、弾けるような小さな刺激を額に与える。
ここに魔物がいたのか。それともいるのか。この感覚は、魔物相手に反応する時。マズいなと思うが、剣のない自分に出来ることは少ない。
ドルドレンはとりあえず、川下と思われる方向へ、壁に指を添えて、ゆっくり歩き続ける。
自分がここに来た、目的。剣がない、その理由。それを考え続ける時間は、焦りと不安を募らせるだけ。ドルドレンの神経は逆立つように過敏に研ぎ澄まされ、灰色の瞳は何も見えない、暗い場所の僅かな光を探す。
その時、ドルドレンの耳に生温かな風が吹く。ぞわっとして首をすくめ、さっと振り向くと目の前に変な人間がいた。
そう。目の前・・・ドルドレンの顔から、僅か20㎝程度の場所に、のっぺらぼう的な顔が。
「うわっ」
ビックリして体を反らすと、顔らしい部分はぐにゃぐにゃ動き始め、動きながら何かしら潰れるような、嫌な音を立てる。反射的に腰に手を伸ばし、剣がないことを改めて意識する。ハッとして、急いで走るドルドレン。
何だあれ、何だ? 見えない洞窟の中を、滑る足に慌てながら、ドルドレンは一目散に駆け出したものの、目の前に出てきた『異様な人間みたいなものを』考えた。
暗過ぎて、目のすぐ近くに出した手さえ見分けられないのに、あの変なものは、真ん前にいて『少し、光っていたのか?』黄土色に濡れた顔。顔とさえ言えない、粘土の出来損ないのような凹凸は、ドルドレンの目に映っていた。
もしかしたら、本当は見えないのか。冠があったから・・・ここまで考えて、足首が引っかかる。
「うぉっ」
何に引っかかったか。左足首を取られ、つんのめりそうになったところで、ぐっと体を丸めて回転し、急いで転倒を避ける。
じゃり、と音がし、濡れた石の上の砂にしゃがみこんだドルドレンは、またしてもギョッとする。屈みこんだそこに、あの顔。悲鳴が出そうになって、ざっと立ち上がると、それは凄い速さで伸び上がり、あっという間にドルドレンを覆う。
「何?何だと!」
伸びたと思ったら広がり、ドルドレンに大きな布が被されるように、それは騎士を丸ごと飲み込む。が、すぐに何かに驚いたように、それはバッと離れた。
仰け反って仰向けになりかけたドルドレンは、何が何だか分からない。ふと、濡れた顔を片手で拭って気が付く。首元の『ビルガメス』男龍にもらった、彼の毛が自分を守ってくれたんだ、と知る。
「助かった」
発光し始めたビルガメスの毛。ドルドレンの声に反応するように、フワーッと白い光を放ち出すと、ドルドレンの首元を中心に、柔らかな虹色の光がドルドレンの周囲を照らす。
「ああ、ビルガメス」
こんな形で救われるなんて!感謝したのも束の間。一度は遠ざかった、あの異様なものが光に照らし出され、その姿に目を丸くした。
「何と醜悪な」
『太陽の民ドルドレン。弱い勇者』
嘘みたいに気持ち悪い、魔物としか言いようのない人間の形がそこに在る。息が早くなるドルドレンは、目が逸らせるなら逸らしたかった。
相手の声は、崩れた喉から直に漏れているようにも思える。口がないのに、喉が破けてそこから息でもしているのか、べろんと垂れた肉片が揺れている。
指も骨や肉が出ていて、そこに何かが動いている。飛び出ている突起状の肉には斑点があり、それは体の至る所から出ていて、のっぺらぼうの顔は、掛けていた布が落ちたように、むき出しの崩れかける顔があった。
ただ崩れているのではなく、何か病的な症状をそのままに崩れ続けている様子。
そして、人間とは決定的に違うこと。腕が変な所から出ていて、腹の脇や、胸の斜め下あたりから垂れ下がり、その手は人の手ではなかった。虫の脚のような手、指、そこに人の骨。
よく見れば、足も鼠径部に切り込みがあり、そこからも虫みたいな足が何本か出ていた。
何がどうくっ付いたら、こんな状態になるのだと、恐ろしい相手にドルドレンは後ずさる。
『俺の体で生きている虫。俺が閉じられた場所で、俺を食って生きた虫』
「来るな」
ドルドレンは、近寄ってくるその魔物に叫ぶと、流れる川の反対方向に向かって目一杯跳躍した。今や、明かりで見える、川の幅。浅いと分かるその流れに、どんっと跳躍して向こう側へ渡り、最初の場所へ戻るように走り出す。
『逃げてもお前は出られない』
全力で走るドルドレンの耳に、あの声が聞こえ、ちらっと横を見ると、川の流れに何かいる。凄い勢いで自分を追いかけ、逆流の浅い川にその体が浮き沈みする。
『お前を食べる。食べて、お前を使う。お前の仲間も』
その声にハッとしたドルドレンは、うっかり答えそうになり、ぐっと堪えて口を閉ざす。
仲間?俺の仲間に何をするんだと、頭に怖れが沸く。走り続けながら、どこかでこいつを倒さねばいけない、その方法を考える。
自分を捕まえるつもり・・・それは分かった。そのために、すぐに殺そうとしなかった。
捕まえ、食べたら死ぬだろう、と思うが、そこは考えない。冗談じゃない。『俺を使う』と言った。俺を使うために、俺だけをここに落とした、と考える方が早い。
でも―― 考え出すと、あちこち疑問が出てくる。
なぜ、すぐに捕えなかったのか。剣を取り上げたのもこいつだと思えば。剣を外せるくらいのことが出来て、どうしてすぐに、俺を捕獲しなかったのか。
どうして夜は出なかったんだ。夜は俺が一人だった。なぜ、今になって。
それを言うなら、どこから狙っていたか知らないが、旅の馬車でも良かったはずだ。どうして、いつ、なぜ。
疑問が溢れる、全速力の逃亡。ドルドレンの走り続ける石の真横。その川に、獲物を追い詰めて楽しむように追いかける魔物。
時折、魔物はドルドレンに腕を伸ばし、その動きを察して飛び退いては、黒髪の騎士が走る。
どこまでも続く鍾乳洞の中で、ドルドレンは必死に戦う方法を考えた。
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