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魔物資源活用機構  作者: Ichen
護り~鎧・仲間・王・龍
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120. 助け舟

 

 工房の中で、しゃくり上げながら涙を止めようと頑張るイーアン。


 笑い上戸だが、泣き上戸でもある。昔から感情が激しくて、映画でもコマーシャルでも泣く性質だった。一回涙の堰が切って落とされると、もうどんなに理性を総動員しても勝てなかった。



「これ絶対、朝、不細工よ・・・・・」


 ただでさえ、化粧道具もない上に元からの顔立ちが微妙なのに。泣きはらしたら翌日がえらい事になる。ふと、あの綺麗な人を思い出した。また涙が出る。もーーーーーーーーーっ。



 窓の外でしばらく何かの音がしていた。木を叩いたり、何かが落ちるような音。他にもいろいろな音が聞こえる。


 誰かが毛皮を片付けているのかも、と思ったが、この顔では出られない。魔物は勿体無いけど、今日だけはごめんね、と魔物の皮に心の中で謝罪する。


 時間を見ると、もうとっくに昼の時間は過ぎて、午後の任務の時間に入っていた。それでも外からは音が聞こえる。誰かが、外で片付け続けている・・・・・



 徐に窓を叩かれた。イーアンはドキッとしたが、居留守を決め込んで窓ガラスをじっと見つめる。


 もう一度窓が叩かれ『おい。いるんだろ』と低い抑揚のない声がした。アティクの声――


 青い布に目から下の顔を押し付けて、そろそろと窓の方へ進む。窓の外に表情の少ない男が立っていた。手には鈍角のナイフ。地面に散らばる割れた卵の殻。


「あ」


 アティクが窓を開けるように身振りで教える。イーアンは頷いて、仕方なし青い布も置いて窓を開けた。窓の外を見て確信した。アティクはイーアンのやろうとしていた事を代わりに済ませてくれていた。


「イーアン。お前の作業はこれで良いな?」


 自分より若いのか、同じなのか、上なのか。年齢不肖な顔つきのアティク。彼は(オシーン以外で)イーアンを『お前』と呼ぶ唯一の人。でもアティクに呼ばれても普通に受け入れられる自分がいるので、うん、と頷いた。


 見れば外に背の高い杭が打ってある。杭の横には、遊具の鉄棒のように誂えた木製の加工道具もある。


「作ってくれたんだ・・・・・ 」


 イーアンが欲しいと思っていたものが、そのままそこにある。アティクは『お前はどこから来た。なぜこれを知っている』と小さな声で呟いたが、その答えを待っている感じではなかった。


「有難う。有難うございます」


 アティクにお礼を言う。まだ声が震えていて、目を見ようとすると涙が訳もなく溢れそうになった。アティクが腕を伸ばした。『来い。皮を見ろ』とイーアンの腕を取って窓の外に出した。

 アティクの手は冷たかったが、がっしりしていて硬い皮膚に、彼がこうした作業に慣れていることが分かる。


 皮は全て絞られ、余計な部分をこそげ落とされて、きちんと卵を塗って畳まれていた。


「アティク・・・ 本当に何から何まで。ごめんなさい」


 イーアンが嬉しくて呟くと、アティクが肩に手を置いた。『お前の作業は俺のしてきた事と同じだ。これを行なう仲間が出来てよかった』と言ってくれた。



 アティクは、イーアンが泣いていた事を何も訊かなかった。

 鼻をすすり上げるイーアンに、『明日の作業も手伝おう』と伝えて『毛皮を一枚もらえないか』と続けた。イーアンは涙に濡れた顔で『もちろんです』と微笑んだ。


 アティクの無表情な顔に、ほんの少し優しい笑顔が浮かび、『イーアン。笑え。お前はいつも笑っている』そう諭した。イーアンも頷いて微笑を深める。何故か涙が出そうになるが、堪えて笑顔を作った。



「そうだ。お前は笑う。笑う神だ。笑う顔で、俺たちの苦しみを断ち切った女よ」



 その言葉に、感無量。イーアンはせっかく笑ったのに、涙がわっと溢れてボロボロ涙を流した。


 アティクが笑っていた。両手に顔を押し付けてワンワン泣くイーアンの肩に、手を乗せたまま、アティクは一生に何回かの笑顔でイーアンを見守った。




 一頻(ひとしき)り泣いた後。イーアンは、アティクに彼の経験から得た知識を教わって、時間を過ごした。

 アティクはダビと似ていた。自分のことを、異性とか異なる人種とかではなく、『ただ人間』として扱ってくれる。イーアンはそうした人付き合いが嬉しかった。


 アティクがそろそろ戻るから、と言うので、重ね重ねお礼を伝えて、また明日とお別れした。



 時間は既に3時を回っていた。


 泣き顔は消えたけれど、泣きはらしたのは翌日まで持ち越すはず。アティクは気にしないでいてくれたが、他の人は見たらギョッとする。そう思うと、顔が戻るまで工房に籠もりたくなった。


 ドルドレンのことを考えると、また意味なく泣きそうだったので、少しの間は皮や制作のことを考えることにした。


 毛皮は外に置いておけ、と言われたので、自分だけ中に入ろうと思って窓枠を掴む。



「お手伝いしましょうか」



 鈴のような声。


 ――ああ。振り向けません。 イーアンが振り向かないまま『大丈夫です』と小さい声で答えると、『私を振り返らなくて結構です』と柔らかい声が降り注いだ。


 次の瞬間。フォラヴがイーアンの腰辺りを抱き上げて、窓の高さに持ち上げた。いい、って、と思いながらも、既に持ち上げられたので人に見られる前に、そそくさ部屋に入る。


「私はお邪魔でしょうか」


 イーアンは溜息をつく。彼を屋外に取り残すわけにも行かないので、どうぞ、と力なく答える。


「冗談です。工房には入りません」


 私はここで、とフォラヴが窓に寄りかかった。泣きはらした顔を見せたくないので、青い布を引っ張って顔に当て、目だけでフォラヴを見た。

 フォラヴはイーアンの目を見て、すっと悲しそうに目を細めた。窓を挟んで二人は見つめ合った。


「可哀相に。私があなたに何もできない事が苦しいです」


 イーアンは首を振った。優しい人に会えて、その人が自分のことで一緒に悲しんでくれるだけで、もう充分。


「イーアン。あなたが苦しんでいることを、皆知っています。トゥートリクスは、あなたが心配過ぎて落ち着かないから、ギアッチが追加課題を与えて教室に拘束中です」


 フフ、とイーアンが笑うと、フォラヴも涼しい顔に微笑を浮かべ『午後、私たちは授業でしたが、ギアッチが私をここへ遣わしました』と話した。



 窓の外は冷たい風が吹いている。イーアンはフォラヴを工房へ入れようと思ったが、フォラヴは『風は気持ち良いので』と断った。


「あなたの苦しみを、私が開放する事はできないでしょう。それが辛い。でも一つ、助け舟を出して差し上げることは出来ます」


 意味深な言い方に、イーアンが空色の瞳を見つめる。白金の髪を午後の太陽に晒して微笑む、妖精のような騎士はイーアンに驚くことを言った。



「あなたが今日ご覧になった方。あなたの苦しみを作った方。あの方は、()です」



 彼。 彼? イーアンの表情が固まる。


 その反応をフォラヴは分かっていたように、困ったように溜息をついた。『そう。彼なのです』と。


「イーアンは思っていたでしょう。あの方は女性で、総長との関係があるのではと。

 でも、あの方は女性ではありません。見た目こそ女性ですが、肉体的に決して女性になる事のない・・・こんな事をあなたの前で言うのは嫌でしたが。あなたを救うために頑張って言いましょう。


 あの方にはイーアンには()()()()()()()があります。総長の幼少期の知人であるようですが、あの方は昔からあのような・・・ええ、紛らわしい姿だそうです」



「それはどうして、あなたがご存知で」


「私は最初から、あの方は女性ではないと気がついていました。女性のように見せたい()だ、と。私には人以外の血が流れているから、気がつけたのかも知れません。


 あの方がいらした理由を、先ほど執務室で伺いました。あの方は総長の幼少期の知人で、最近になって行き場がなくなり、騎士に志願したそうです。もちろんそれは本部です。


 本部もかなり取り乱したそうですが、あの方は、あの姿が有利であると主張し、戦闘に充分な身体能力をお持ちでいらっしゃるようです。ご一緒にいらした方もまた、同じように大変体力的に優れているようで、入隊を通過しました。


 お二方はもちろん総長の(つて)を頼ってここを望みました。ここで基礎を身につけるのでしょう。


 北西の支部はあの方たちを一時的に預かりますが、隊はクローハル隊長とポドリック隊長に入るそうです。そしてしばらくしましたら、彼らの希望通り、東へ移すと聞きました。

 彼らは東の町から来たから、そこを守りたいようです」



 フォラヴの話は衝撃的だった。『でもあの人、胸が』とぼそっと呟くと、フォラヴが笑って『作り胸をご存知ではない?』と返した。イーアンが戸惑っていると、フォラヴは『ちょっと失礼します』と言って、ひょいと窓を越えて工房へ入った。


「演習の連中が、もうじき終わりますので。外で立ち話をしていると目立ちますから」


 そして窓際の壁に寄りかかって、イーアンをじっと見た。



「他意はありません。だから言わせて下さい。イーアンはこの世界で、男女の別がないと思われる事が多いでしょう?」



 グサッとくる一言。自覚はあるけど、言われると痛すぎる。『うっ・・・』と俯くイーアンに、フォラヴが慌てる。


「すみません、そういうつもりではなく。私が言いたかったのは、あなたが中性的な美しさを持つ稀な女性だから、と」


 今更何を言われても、もう痛いだけ―― 泣きはらした顔に手を当てて、作業机にもたれかかるイーアン。


「イーアン。許して下さい。私はあなたが大好きなのです。私は作った女性の姿は好みません。

 あなたのように、素のままの自分で性別さえ越えて魅了する、高みにいる人が好きなのです。それを女性が表現してくれたなら、私はその人に心が攫われないわけないのです」


 だからつまり、とフォラヴはイーアンの頬に手を伸ばして、俯くイーアンを少し上向かせた。


「作り物は作り物なのです。そして私は、私の中に流れる血の在り処・妖精と同じように性別を越える、本物の美しさを持つイーアンに惹かれて止みません。


 女性の魅力は、実に其処に在るのではないでしょうか。イーアンは誰より女性らしいですよ」


 澄んだ空色の瞳に微笑まれ、頑張って笑みを作って『ありがとうございます』どうにか答えたイーアン。



 フォラヴがちょっと笑って、『では私の助け舟をお使いになって、廊下であなたのために戦う男たちを労ってあげて下さい』とイーアンに挨拶をして、再び窓から外へ出て行った。



お読み頂き有難うございます。

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