11. 空き部屋
執務室では、簡単な事情説明と対処の予定を伝えただけで済んだ。
室内には採光の良い大きめの窓2つがあり、石の床には4つの大型の机と椅子がきちんと置かれていた。部屋の奥には壁だけで仕切られた扉のない書庫が見え、そして視線を戻せば机にかじりついて仕事をする3名の騎士がいた。
そのうちの一人に、ドルドレンは手短に用件を伝えた。普段から執務を担当している彼らは優秀で、ちらりとイーアンを見たものの、ドルドレンが話している間に数枚の書類を手早く用意して必要な部分だけを抜粋した簡素な文をさらさらと書いた。
「お話は了解しましたので、後は手続きをこちらで行ないます。これとこれに、総長のサインを書いて下さい。」
あっさりと了承されたので、イーアンは面食らった様子で立っていた。ドルドレンは差し出された書類にそれぞれサインして、ペンと紙を担当の騎士に返した。
「では、部屋はどうしましょう。空いている部屋が北の6と西の11です。あとは掃除がまだなので今夜使うには遠慮頂いたほうが良いでしょうが・・・・・ 」
紙の束を両手に持った騎士は、イーアンの方を見て言葉の最後を濁した。掃除が入っていない空き部屋には女の人は行きたくないですよねぇ、といった感じで苦笑いする。イーアンもちょっと笑って、うんうんと頷いた。
「そうか。北の6は日が当たらないから寒いな。西の11は・・・ トレスのいたところだな。あそこも周囲環境が悪い。ふむ、俺の部屋の横はどうだ。空かないか?」
はい? 間抜けな返事をした騎士は、ドルドレンの言葉を理解しようとしばし黙った。ドルドレンは真面目な顔で騎士の返事を待っている。イーアンも騎士と同じように目を見開いて口が少し開いていた。『空かないか』という意味は、既に居る誰かをそこから出せないか、ということ。
「空けられないか? 今、俺の横はポドリックだろう。ポドリックは寒さにも強いし、西の部屋の連中とも仲が良いんだ。今空いているどちらかにポドリックが移って、俺の横の部屋を彼女に使わせよう。
女性だからな、快適を管理できない部屋に滞在させるわけにはいかない」
へ? 騎士の間抜けな声2発目が響く。 イーアンも目を細めて、痛々しいものを見つめるようにドルドレンを見ている。騎士は、ドルドレンとイーアンを交互に見て、目を瞬かせながら返答に悩んでいた。
「ポドリックに言いにくいのか。なら俺が言う。もし何か言われたら、俺に押し通されたとだけ弁解すればいい」
「ええ、はぁ。そうですか。総長がそう仰るなら、ポドリックも納得すると思います。
して、掃除をするのでしたら、やはり今晩はさすがに使用は控えたほうが良いのではないでしょうか。何年もポドリックはあの部屋ですし、体臭もしますし、壁に臭いや汚れも」
「分かった。確かに臭いはダメだ。仕方ない、ポドリックには今晩の内に部屋を移るように指示する。明日中に掃除を行なうよう、今週の待機陣に伝えろ」
騎士の言葉を遮ったドルドレンは、ちょっと面倒くさそうに話を畳んだ。騎士は戸惑いつつも、頭をかきながら『それでは掃除の手配を連絡します』と呟いた。
「よし。では明日までは俺の部屋に」
へぇっ!!?? 騎士は腰を抜かしそうになって間抜けな声で叫んだ。イーアンも目を丸くしてドルドレンを見上げた。
「何を仰っているんですか。女性を部屋に連れ込むとは、総長だからってそれは許されないですよ」
「連れ込むとは何だ。ほら、イーアンがビックリしている、言葉を慎め。
お前は何を勘違いしているんだ。一緒に寝るなんて一言も言っていないだろ、寝台を分ければ良い」
「総長、これから夜なんですよ。野宿でテントで今日はやむを得ないってわけと違うでしょう。女の人を自分の部屋に連れ込んで夜明かしなんて、堂々と胸張って言えることではありませんよ」
「お前は口の利き方を誰に教わったんだ。イーアンを辱めるような言い方はよせ。イーアン、気にするな。こいつは誤解している」
振り返って微笑んだドルドレンに、イーアンは眉間に皺を寄せて『うーん』と唸った。後ろで騎士が『誤解じゃないですよ』と騒いでいる。
「ドルドレン。私のことでしたら大丈夫です。突然お世話になるのですから、寒いとしても、周囲の環境に問題があるとしても、部屋を使わせてもらえるだけで充分ありがたいと思っています」
イーアンは説得するように丁寧に訴えた。ドルドレンはすぐに承知できず、それから数分これを繰り返したが、結局の所、今晩だけは西の11の部屋を使うことになった。
しかし、ドルドレンが見張りに付くことが条件として出され、それを断るイーアンをドルドレンは説得しつつ、早々西の11へイーアンを引っ張って連れて行った。
執務室の3人は、西の11の鍵を引っ手繰るように持って行ったドルドレンの背中を、呆気に取られながら見送った。
建物の中央と左右の端には、2階へ続く階段がある。執務室を出て廊下を曲がり、端の方の階段を上がると西の寮に入る。西の寮の廊下には何人か人がおり、いつもこの場で見かけない総長が女性を連れて入ってきたことで廊下はちょっとした騒ぎが起こった。
「総長、珍しい」「どうしたんですか。その女性は誰ですか」「何かあったんですか」「その女の人はここに住むんですか」「見かけない顔ですね、地域の人ですか」「この人まさか騎士じゃないですよね」「総長の親族ですか」「こんにちは、お姉さん。名前を聞いても良いかな?」
「駄目だ」
最後の『名前を聞いても』の辺りでドルドレンが振り返り、それを言った男を冷たく撥ねつけた。男は怖がる様子もなく、にこにこしながらドルドレンにおどけて見せた。背はドルドレンより少し低いくらい。金髪の巻き毛を後ろで結んだ緑色の目の男の顔立ちは柔和で、年は30前後。「怒るなよ」と掠れた声で笑う。
ドルドレンは金魚の糞状態の部下に呆れ、付きまとうむさ苦しい男たちの方を向き、蔑むような目つきで一同を睨んだ。同時にイーアンの肩を引き寄せて、
「近づくな。この人は、事情あってしばらく俺が保護することになった。今晩だけは空き部屋の都合で不本意ながら11の部屋を使うが、明日からは俺の部屋の隣に移動する。
彼女に用もなく近づくことを始め、詮索すること、また失礼な発言及び言動は許さん。殺すぞ」
静かな口調で一気に言いたいことだけを告げる。男たちは押し黙った。最後の一言を放った時に、異様な重圧も一緒に投げられたような気がしていた。
「ドルドレンの拾った『彼女』という意味か?」
先ほどの金髪男がからかう。ドルドレンは睨みつけ、剣の柄に手を置いた。
「諸君、聞け。早速、良い例だ。ノーシュの発言は、俺の注意事項の『失礼な発言』に値する。つまり」
「殺したりはさすがに・・・・・ 」
イーアンが困った顔で遮った。
イーアンの低い声を聞いて、周囲は少しざわつく。イーアンは周囲の反応に溜息をつき、ドルドレンの険しい表情を見て慰めるように微笑んだかと思うと、小さな声で挨拶を始めた。
「皆様に挨拶もせずに上がりこんで、大変失礼いたしました。本日、森で迷っていたところをドルドレンに助けて頂いた上、この方の配慮ある提案により、行き場のない私は少しの期間こちらにお世話になることになりました。
私はイーアンと申します。ご親切に感謝して、滞在中はご迷惑にならないように気をつけます。出来るお手伝いがありましたら、是非手伝わせて下さい。不慣れながらも努力しますので、どうぞ滞在をお許し下さいますようお願い申し上げます」
男たちは静まり返って挨拶を聞いていた。金髪のお調子者も調子が狂ったようで呆気に取られている。
「イーアン・・・・・ 」
ドルドレンは驚いて名を呟き、灰色の瞳でイーアンを見つめた。鳶色の瞳が優しい光を返してくる。ドルドレンは思わず、ぎゅっと力をこめて一層イーアンの体を引き寄せた。
そしてすぐに踵を返し、11の部屋へ向かう。立ち止まったところからほんの5m先にあったその部屋の鍵を開け、イーアンを先に部屋に通すと、自分も中に入り、扉を閉める間際に男たちをもう一度睨みつけた。
「以上だ。死にたくなかったら近づくな」
言い終わる前に扉が閉じた。
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