1197. メニ・イスカン地区コリナリ村
夕方も近い頃。バイラは何度か、首を揺らして前方を確認すると、荷馬車の横に馬を並ばせ、げんなりしている総長と、持論を展開する若い騎士に『村ですよ』と指差して教えた。
総長も、前をちらちら見ていた顔(※前向くと『目を見て、話を聞け』とロゼに注意される)を固定し『ふむ』と頷く。
「町かと思っていたのだが」
「はい。間違えました(※素直)。手前が村でした。その続きに町です。で、また村・・・だったかな」
「宿はありそうか?」
真っ先にその質問をしたドルドレンは、ちらっと、真横にくっ付いて煩く咎めるロゼールに冷えた視線を向ける。
「何です。その目。俺の言ったことが気に食わないみたいに(※強気ロゼ)」
「お前が何度も臭うと言う」
「事実です。俺だって、都合は理解出来ますが、遠征じゃないんだから」
「地味に傷つくぞ。お前は言われたことがないから、分からないのだ」
「言える相手にしか言いませんよ」
何だって?!と怒る総長に、ロゼールは『歯ブラシ、いつ替えましたか』とまた、強烈にも解釈出来る注意を投げる。バイラはロゼールから少し距離を取って(※臭い対策)『宿はあると思いますよ』と笑う。
「宿は大体、テイワグナはどこでもあります。満足な宿かどうかは疑問ですが。
お風呂があればそれなりに掛かりますし、この辺は水がよく止まる地域だから・・・風呂のある宿はちょっと高いかも知れませんね」
「水が止まる?」
「山脈から離れていて、湧き水のある場所も遠いじゃないですか。谷も向こうですし。そうすると、井戸が限られてしまうんですよ。水がある所に、人は住み着くので、不足はないと思うけれど」
「断水ですか?」
「はい。そんなところです。雨が少なくて、地下水が減ると・・・最近。夏はまぁ、どこもですけれど。雨期でも来ないと、水が減るので。断水も可能性としては」
バイラの説明を聞いたロゼールは、そうなんだ、と深刻そうに眉を寄せる。ドルドレンは『事情が違うのだ』と、ここぞとばかりに言い返す。
「お前は衛生云々、俺がまるで皆の面倒をサボっているように言うが。地域の問題というのがある。
遠征ではないが、これだってかなり綺麗にしている方だぞ。ミレイオが日々、洗濯物を請け負ってくれるし。
布団や枕の掛け布だって、せっせと気にして洗ってくれるから、遠征よりもずーっと清潔だ(※強調)」
「ミレイオに」
「そうだ、ミレイオが地下」
まで言いかけて、ドルドレンは口を開けたまま黙る。さっとバイラが見たので、ドルドレンの灰色の瞳も彼を見て、そのまま続きを閉ざした。
「何ですか?地下って」
「何でもない地下水で洗うと」
無理やり、先ほどの話に繋げた総長に、ロゼールは『地下水のある場所まで、ミレイオは移動して洗濯』と理解した様子。目を丸くして、そんなの一人に任せちゃ可哀相だと言い始めた。
面倒臭い総長は、違うの、そうじゃないの、と往なそうとするのに、ロゼールは『分担がなさ過ぎ』と責める(※総長なのにって感じ)。
苦笑いでバイラが止めて『いろいろ。面倒もありまして』とロゼールに言うと、宿に入ったら洗濯もしますと(※嘘でもない。パンツくらいは)それっぽいことを伝えて、少し世話焼き心を抑えてもらった。
バイラは、この際だからと思い。そして総長が気の毒(※総長なのに、優しいから責められてる)で、ロゼールに『テイワグナという場所は』と話を聞かせた。
気候、地域の別、気温と生活。宗教観などについては触れず、一般的なテイワグナの知識を伝えて、その度に若い騎士が、真剣に頷くのを見ながら『水が豊かなハイザンジェルは羨ましい』と水の貴重さも教えた。
こうして時間が過ぎる頃、空も夕方の色に変わり、風も落ち着いて涼しく、平野の道の前に、塀と門に守られた村が現れた。
「着きましたね」
ロゼールの一言に、バイラはニッコリ笑って『今日は早かったかも知れない』と答えた。明日かなと思っていたので、夜になる前に村まで辿り着いたことが良かった、と呟くと、ロゼールは少し黙った。
「魔物に会わなかったですよね。俺は、もう。魔物だらけだと思っていたけれど。順調に今日は進んだのかも知れないのに、それでもこんなに・・・何もないっていうか」
「そうです。テイワグナは本当に大きい大地ですから。馬車や馬を急がせても、休む場所に草一本、水一滴ない所もたくさんです。これはもう、土地柄ですね。馬に無理をさせれば、自分も命を捨てるようなものですから、これは急げない部分です」
馬を走らせたら、喉も乾くし、疲れも癒さないといけないけれど、とバイラは言う。当たり前のことを、騎士に言うのは憚られたが、ここはと思ってバイラの思うことを伝えると、ロゼールは真面目に頷いた。
「ハイザンジェルは。荒野と言われる場所はあるにはあるけど、こんな規模じゃないかもですね。全然違うんだな」
「水がないというのが、一番怖いですよ。砂漠もあるし。テイワグナは砂が移動するから」
こんな話をしてくれるバイラのおかげで。
部下の攻撃を終えたドルドレンは、ホッとしながら、村に入ることが出来た(※憔悴)。
「ここはコリナリ村です。門はありますけれど、昔からなので。旅人は誰でも入れます」
決して高いとは言えない塀。そこに申し訳程度にある、長方形の二枚の扉。その枠。これが村を守る唯一の部分。
さして広くもない門は開いていて、内側にはないのに、門の外側の地面に、敷石がずらっと並べられている。
面白いことに、敷石は何か印が描かれていて、国の文字ではない様子。バイラも無反応なので、これは装飾かもとドルドレンは思った。シャンガマックがいないから、聞けないな~と見送って通過。
通り過ぎてから、振り向いて門と塀を、また見てみる。
確かに、何かからの防御とは思えない様子。アゾ・クィの堅牢な構え(※786話参照)を比べると、ここは気持ち程度に見えた。
「危なくないのか。でも、塀と門が」
「野生動物ですね。この辺の町村の塀は。家畜が襲われるのを防ぐために、造られているような」
「ああ~・・・そうか。ホーミットみたいなのが、いっぱい」
馬車を進める土の道。ゴロゴロと音を立てて、馬車が移動する様子を、村の人が見る。でも特に、嫌な視線もなければ、いつまでも見ている風ではない。誰もが少し、こちらに顔が向く程度。
「気にしないのか。よそ者」
「気にしますよ。だけど、どう見ても旅人ですから。私たちは」
ハハハと笑うバイラに、ドルドレンも『この馬車だものね』と頷く。
ハイザンジェルの馬車の民は、テイワグナでは通じない。テイワグナの馬車の民~太陽の家族~は、また違う馬車だし、彼らは宿に泊まらないのだ。それは『ハイザンジェルの馬車の家族』も同じ。
旅人は必ずと言っていいほど、町や村を見れば寄るから、とバイラは話す。理由は先の通り。
ドルドレンたち旅の一行もその理由に倣い、早速、宿を探す。熱い日差しや、カラカラの風に疲れる、旅の日々。ドルドレンはまだ、馬車育ちだから良いものの。他の皆は疲れも出てくる。
フォラヴやミレイオの御者状態を見て、何か思うところがあったのか。ここのところ、親方も寝台馬車の御者を引き受けるようになった。
細身の彼らに同情したのかも知れない、とドルドレンは思う。自分と似ていて、親方も採石に出かけたりして、体や、旅路の不自由は融通が利く。それで自分が、となったのかなと。
バイラは宿のある場所を村人に訊ね、教えてもらった2軒の宿へ案内した。
どちらも小さい宿で、同じ通りの並びにあったため、バイラがすぐに宿へ話を聞きに行ったが、戻ったバイラが言うには『安い方が埋まってる』らしかった。
「安い方。どうして安いの」
「総長は良い質問しますね。お風呂がないからです」
ハハハと笑った総長とバイラは『風呂のある宿が空いていて良かった』と喜んだ(※逆じゃ悲しい)。宿のおばさんが出て来て、馬車二台を裏に回すように路地を教える。旅の馬車は細い路地を通り、裏庭に馬車を停めると、ようやく馬に、干し草と水を与えることが出来た。
「疲れたな。お前たちも休んでくれ」
馬車から外して、馬を厩に入れると、馬車から皆が出て来る。皆で宿に入り、宿泊人数と部屋、風呂の状況を聞く。お宿の人は『お風呂、湯が少ないんです。夏なので、水不足で』と教えてから、事情が事情なので少し値引きしてくれた。
そして。皆はいそいそとお風呂へ(※総長とバイラとタンクラッドは真っ先に向かう)。
特にロゼールの話を聞いたわけではないフォラヴも、当然の如く、石鹸片手に着替えとあれこれ、小脇に抱えて風呂へ向かった。ロゼールもザッカリア、ミレイオと一緒にお風呂。
この時、ロゼールはミレイオにちょっとだけ『衛生事情』について訊ねた。なぜミレイオには臭いがないのか、不思議で。
「ロゼールは分からないかもね。ハイザンジェルって、水はどこでもあったから。
ここだと、馬車の移動で運べる水も限られてるし、水が汲めるのも場所で左右するの。魔物出ると、もう無理」
ここで初めて、ロゼールは魔物で壊滅的に破壊された『アギルナン地区』の話を聞いた。
それは悲惨で、町が破壊されて、地区全体で本当に壊滅してしまった集落のことも聞き、ロゼールは言葉を失う。
ミレイオは、皆から少し離れた場所で体を洗いながら、横に座って体を洗う若い騎士に『その状況で、食料や水なんて、旅人の自分たちが減らせない』と教えた。
「毎回じゃないのよ、あれだけ酷い被害は、テイワグナで初めてだったもの。
ここって、魔物の出方が一度に何百匹、って感じなの。同時にあちこちで出られると、もうそれだけで」
「よく倒しましたね」
「イーアンもいたし。龍よ。龍で戦ったんだもの。アギルナン手前でも、龍になったし。コルステインも夜の間は倒してくれるの。
だけど条件付きよ。破壊力が大き過ぎるから、人が多い場所では使えない力なの。そうなると、も~・・・ほんとに、精神が壊れそうになるまで、こっちも戦うことになるわ」
「すっごい大変じゃないですか。ミレイオ、お皿ちゃんですよね」
「そうよ。龍がいない時も、何度かあったの。龍ってほら、ドルドレンたちが乗る龍。イーアンも龍たちも、疲れ過ぎると地上で回復出来ないから、空に上がっちゃうんだけど。
もうその状況って、私しか飛んで動けないからさ。休む暇なんかないわよ。飛びまくったわよ」
「うわ~・・・・・ 」
それで洗濯とかもしているのか、と(※続きが日常)ロゼールはしみじみ理解する。ミレイオはフフンと笑って、オレンジの髪を撫でると『ここ、泡』と流すように教えてやる。
「私も。皆のお風呂とか洗濯とか、気にはしているの。でも風呂って難しいのよね。洗濯くらいならどうにかなるけど、体を洗う量の水はどうにも」
「ミレイオ。言い難いんですが、ミレイオだけ・・・あとオーリンも。臭いがしないです」
とっても小さい声でミレイオに伝えたロゼールは、さっと自分を見たミレイオに笑われた。
「誤解されたら皆が可哀相だから。まぁ、あんたには言うか。
私は人間じゃないのよ。地下に戻って家があるの。だからそこで私は風呂に入れるけど。他の人、連れて行けないのよ」
え、と止まる若い騎士に『自分だけは風呂入ってる』とミレイオは強調し、『皆と同じ状況なら、私だって臭うんじゃない?』と苦笑いを見せた。
「だから。テイワグナに限らないかもだけど。旅って本当に大変よ。慣れちゃうと慣れるもんだけどさ」
ロゼール。ミレイオが人間じゃないことも、少し驚いたが(※打ち明けられても違和感ない)。
それよりも、臭いのない理由が普通だったことに驚いた(式:人間じゃないミレイオ=地下に、家と風呂あり⇒自分は入れる・・・答:だから臭わないだけ)。
こんな理由なんだよと笑顔で諭され。
若い騎士は、自分が何か出来そうな気がしなくて、はい、と頷くだけ。
それから湯の少ないお湯に皆で入り、大きい体の総長と親方のおかげで、どうにか皆さん、肩近くまでは湯に浸かることが出来た(※体積増す)。
ロゼールは、ちょっと総長の顔を見る。目が合って『何だ』と普通に訊かれ、何でもないと首を振ったが、総長を苛めてしまったみたいで、すまなく思った(※今頃だけど)。
この後。皆は夕食に出かけ、近くにあった食事処で、微妙な量のお食事を頂き、お代の割に腹ペコなので、結局馬車にある食料を少し食べて腹を満たした。
バイラが言うには『水も少ないし。村だから』と、食べ物の状況も良くないかもと。『でも村人にも生活はありますものね』との良心的にも思える一般的解釈を伝えた(※ホント、料理ちょびっとだった)。
「ずっとかな」
ザッカリアは心配そうにミレイオに訊ねた。ミレイオも、分からないことに返事は出来ず。
「どうだろうね。でもさ、雨も降らなかったじゃないの。元から乾いている国だから、こうしたこともあるでしょうね」
宿に戻った一行の話を聞いた、宿のおばさんは、綺麗な顔をした子供が心配そうなので『どうしたの』と声をかける。
ザッカリアは、見た目、テイワグナ人。それも南の海の方の、一番肌の色の濃い人たち。そして側にバイラもいるので、おばさんは『同じテイワグナの人が旅している』と思ったことで話しかけた。
話を聞いて『あら』と意外そうに言うと、少し黙ってから『ちょっと待っていて』と厨房へ入った。
すぐにおばさんは戻り、ザッカリアに白い布の包みを見せた。
「これね。お菓子なんだけど。あんた、お菓子食べる?」
「俺、お菓子好きだよ」
「良かったわ!食べなさい。海の方から来たんでしょ?おばさんの親戚がね、ティヤーの近くに住んでいるの。そこの人そっくりだもの。
あっちは海があるし、水も困らないから。こっち初めてだと驚くわね。
時々あるんだけど、水が止まっちゃうの。井戸も水がなかったりして。料理出来ない時もあるんだよ」
「そうなの。おばさんち、大変なの」
「大丈夫よ。お腹空いてるの、これ食べて。あんた、可愛い顔してるんだから。ちゃんと食べて、大きくなって格好良い男にならなきゃ」
冗談に聞こえない真剣な力説で、ザッカリアは思わぬお菓子を頂戴する。お礼を言って、待っていてくれた皆と部屋へ上がる時、ロゼールは呟いた。
「俺はもっと、何か持ってくれば良かったですね」
「知らない場所なのだ。俺たちも初めてだらけで。バイラがいてくれるから、まだ心構えも理解も追いつく。お前が気にすることではない」
総長はそう言って、ロゼールに微笑むと『朝食は宿で出る』と教えて、自分の部屋に入った。
皆もそれぞれ、自分の部屋に入り、挨拶を交わし、旅の一行の一日は終わる。
同じ頃――
この地下。水脈の畔に異様な形の像を作った、土色の男が笑うのも知らず。




