119. 総長VS部下
イーアンは自分がワガママだと思った。
真っ暗な地下室に閉じこもって、ひんやりする土の臭いの中。自分と対話を続ける。
自分はいつも、他の騎士の人達と話したり笑ったりしているのに、ドルドレンが女性と話して笑っているのを見ただけで、こんな反応をする自分が酷い奴だと思った。
――でも、でも、と何かが頭の中でぶり返そうとしている。以前の世界で、形だけの結婚前提相手との生活で、他の女の人とやり取りしているのを知った時のこと。
冷える地下の階段に座りながら、両腕で体を抱き締めて震えるのを堪える。
出るに出られなかった。出て、もし見られたら。何かを聞かされたら。聞かされる内容が、一番知りたくないことだったら――
ごくっと唾を飲み込み、暗闇を見渡す。目が慣れてきて、下顎の入った袋が目に入った。下顎の袋は灰が詰まっている。下顎の袋に寄りかかって、少し温かさを移そうと決めた。
さすがにこんな事で涙は出ないが。でもどうして良いのか、自分を扱う方法が見えないままだった。
自分がいて良い、と信じきった場所で。お告げみたいな夢も見て。自分が動ける、と理解して。それでこの状況は一体・・・・・
寒い。寒い中で、いつ上に出ようか、悩んでいた。
誰かが工房の戸を叩く音がした。声がする。ダビ――? ダビと、シャンガマック。
そうだ、と思い出した。ダビは演習後に鎧の紙を見てくれる、と言っていた。それで来てくれたんだ、と。鎧を作るのはシャンガマック用だから、きっとシャンガマックも連れて来てくれたのだ。
――それをこんな事で、出ないわけにもいかなかった。
うわ~・・・こんなしっちゃかめっちゃかな心境で、と思うものの、やむを得ず、地下から上がる。
工房の扉の鍵を開け、そろりと隙間から覗くと、ダビとシャンガマックが立ってこちらを見ていた。二人とも何か意外そうな顔でイーアンを見ている。
「イーアン。泣いているのか」
シャンガマックが切れ長の黒い瞳を細めて、心配そうに声をかけた。ダビも『なんで』と困惑しながら目を瞬かせている。
イーアンは自分が泣いたなんて思っていなかったので、手で顔を触った。目も頬も濡れていた。
「すみません。後でまた」
どうすれば良いのか分からなくて、戸惑うイーアンは扉を閉めた。鍵を急いでかけ、扉越しに『来てくれたのにごめんなさい、本当にごめんなさい、また後で』と思いつく事を叫んで、工房の死角に逃げた。
地下は暗くて寒くて、どんどん凹んで行きそうだった。だから窓から見られない死角に縮こまる。泣いているなんて知らなかった。こんな程度で泣くとは思わなかった。こんな程度、前にもあったじゃない――
そう思ったら、涙がボロボロ溢れた。声に出したくなくても、嗚咽が喉を突き上げた。誰にも聞かれないように、青い布に顔を押し付けて涙を止めようと必死になった。
昼の銅鑼が鳴った。
窓を叩いても返事がないし、工房の中にイーアンが見えない事を心配したドルドレンだったが、来客も居るので一旦執務室に戻った。
二人の騎士が北西支部に派遣されてきたので、彼らの手続きを済ませ、部屋の案内などは執務の者に任せた。
落ち着かず、話も生返事で続けられないまま、気持ちだけが焦っていた。昼の銅鑼が鳴ったと同時に『すまないが挨拶などは各隊で』と告げて、イーアンの工房へ急いだ。
工房に続く廊下で、ダビとシャンガマックが向こうから歩いてきた。
彼らは総長を見て、表情を変えた。ダビは怪訝そうに、シャンガマックは怒りを含んで。
「何をしました」
シャンガマックが総長の目を見据えて、静かな声で問う。ドルドレンも少し睨み、『何の話だ』と答えた。
「イーアンを泣かせるなんて。何をしたんですか」
その一言にドルドレンの心が凍りついた。自分に怒りの色を向ける黒い瞳に『泣いた・・・?』と目を丸くし、ドルドレンの口から言葉が漏れる。
ドルドレンの後ろで、何人かが追いかけてきたような声が聞こえ、廊下の角から先ほどの女性が現れ『総長、ここでしたか。ちょっと待って』と手を上げた。
その姿に、シャンガマックの目が怒りに見開かれ、唇がうっすら開いた。『あなたって人は』爆発しそうな怒気を含んだ声を喉の奥から絞り出す。ダビが怪訝そうに目を細めて女性を一瞥し、総長を見上げる。
「それでか」
ダビの一言は温度もなく、ただ無関心な感想だったが、ドルドレンにはシャンガマックの言葉と同じくらいの痛みで突き刺さった。
「工房へは行かせない」
シャンガマックが仁王立ちで立ちはだかった。ダビも溜息をついて『気の毒ですが総長、私も総長を向かわせるのは気が進まないです』と珍しく反抗派についた。
「帰れ。イーアンに近づくな」
淡い茶色の髪は、褐色の肌を隠し黒い瞳にかかる。貫くような眼差しで、自分より少し背の高い総長を睨みつけるシャンガマック。既に敬語ではなく、男同士の態度に変わっている。
女性が近づいて、ドルドレンの横に立ち『どうしたんですか?お昼を一緒にと思ったのですけど』とケンカでもしそうな雰囲気を気にせず、ドルドレンの腕に手を置いた。
ドルドレンは自分の前に立ちはだかる部下を見つめながら、その腕を静かに払う。『他の者に案内を』短くそう伝え、部下2人から目を逸らさない。
「何かいざこざ中みたいですね。じゃ、また後で」
女性は肩をすくめ、来た道を戻った。行き違いでロゼールが小走りに入ってきて、異様な光景に立ち止まる。『イーアン知りませんか。卵出しっぱなし』と言いかけて、さっと状況を読み、総長の横にそっと寄る。
「もしかして。さっきの女の人は」
ドルドレンはこちらを見ない。シャンガマックも目を逸らさないまま睨み合っている。
ロゼールは大きく溜息をついて『ちょっと、そりゃないかな』と呟いて、ダビの後ろまで歩いた。『イーアン大丈夫です?』とダビに訊ねる。ダビは首を横に振って『泣いていた』と答えた。
ギアッチが通りがかり、『何でうちの隊が集まってるんです』と寄って来た。総長VS部下の状況に、ギアッチは『ああ、もしかして』と頷いた。
「彼女か。さっきのね。ではイーアンが心配かな」
耳を掻きながら、ギアッチが誰かに返答を求める。ロゼールが『泣いてたみたいです。卵も毛皮もおいて。作業中なのに』と呆れたような言い方で答えた。
ギアッチはそれを聞いて『え?イーアンが泣いた?』と声に感情が表れた。『何してるんですか』と総長に向かって嫌そうに言う。ドルドレンは振り向かない。
そして『やれやれ。じゃ、とにかく、イーアンの苦悩を一個でも減らしたげなきゃ』とその場から立ち去った。
「シャンガマック。そこをどけ」
ドルドレンが灰色の瞳をぎらっと光らせる。低い声には怒りはなく、重さだけがあった。
「イーアンに近づくな」
シャンガマックの唇が小さな音を出し、誰も聞いたことのない言葉を呟き始めた。漆黒の瞳に違う色が渦巻く。
ドルドレンは初めて見るシャンガマックの表情に、本能的に危険を感じて一歩下がった。ダビもロゼールも、シャンガマックの呟く言葉に目を見合わせて、少し離れる。
呟きが少しずつ大きくなって、シャンガマックの声がこれまでと違う重なりあう音に変わる。窓のない廊下に風が廻り始め、総長を見据えた漆黒の瞳に炎の赤と水の青が揺らめくと、シャンガマックの足元からぼんやりした光の輪が広がった。
「魔法・・・」
ダビがビックリして目を丸くした。シャンガマックは全く知らない言葉を喋り続ける。
光の輪は廊下の幅と同じくらいに広がり、輪に包まれたシャンガマックは両腕を広げる。輪は360度の光の球体に変わった。
「これは」
初めて見た光景にドルドレンが呟く。『この輪を超えられるものは俺だけ』シャンガマックの声と誰か別の声が重なって、光の輪の中から響いた。
『俺はイーアンを守る』
ドルドレンは胸の中が煮え繰り返るような怒りに襲われた。だが、人を超えた何かが目の前にいるのは、気配でも分かる。迂闊に近づけない気がした。怒らせたシャンガマックが魔法を使うとは考えもしなかった。
ギアッチが戻ってきて、『ロゼールが教えてくれて良かったです。彼女の作業の続きは、アティクに事情を伝えてお願いしました。彼は作業の内容を理解してるから』と話した。
「シャンガマックが魔法を使うとはね」
ギアッチは珍しそうでもなく、光の球体を見ながら何やら納得している。ちょっと考えた後、ドルドレンに向かってギアッチは『言いにくいですけど』と前置きした。
「この手の魔法使う人はね。もう本人ではない場合が多いですから、これ、引き下がったほうが良いですよ。総長でも勝てない相手はいますからね」
『魔物じゃなくて精霊じゃあ、総長だって無理でしょ』とギアッチはシャンガマックを見ながら言った。
「シャンガマックはこの後どうなる。イーアンがもし工房から出たかったらどうする」
ドルドレンは苦い顔でギアッチに質問する。小さく溜息をつき、ギアッチは『知りませんよ。私だって間近で見たの初めてですから』と冷たく突き放した。『こんな古代の魔法、本当に使う人いたんだ、って感じですよ』と付け足して。
ドルドレンは大きく息を吐き出して、光の球体の前にどかっと胡坐をかいて座り込んだ。
「根競べですか。お止めなさいよ」
ギアッチがしょうもなさそうに言うが、ドルドレンは光を黙って見つめる。ダビたちはシャンガマックに任せることにして『また見に来ますよ』と言いながら、下がって行った。
会議室前の廊下 ――工房前の廊下でもある―― に、正体不明の光の球体と、総長が座っている事が支部全体に知られるまで、時間はそうかからなかった。
お読み頂き有難うございます。




