1188. イーアンと空の城 ~始祖の龍との出会い・自覚
「ビルガメス」
「何だ」
「イーアンの龍気が消えたぞ」
「知っている」
どうする気だとニヌルタが、ビルガメスの顔を見た。ビルガメスは腕組みしたまま、少し考えて『もう少し待つ』そう言って、金色の瞳を白赤の男龍に向けた。ニヌルタは、それが良いとは思えない。質問する。
「一人では、動けなくなるぞ。潰されたら」
「そんなに弱くないだろう」
「俺が行こうとすれば、止めるな?」
「そうだな」
「なら、お前が行け。イーアンは」
「もうあの身体だ。大丈夫だろう」
ニヌルタは、呆れたようにビルガメスの答えに首を振る。その顔にビルガメスは涼しい目を向けて『何だ』と小さく訊ねた。
「体。龍気。それ以前だぞ。それ以前の話だ。お前はタンクラッドを連れて行ったが、彼はお前と一緒だったから、どうにか持ったんだ(※841話参照)。あれだって、タンクラッドが死んでもおかしくなかった」
「ニヌルタ。イーアンは、始祖の龍とほぼ同じ要素を持っている。まさか、辿り着くとは信じられなかったが」
「ガドゥグ・ィッダンが受け入れた以上、今ここで、暢気なことを言っていられないぞ。お前が行かないなら、俺が行く」
話にならないと判断し、ニヌルタは目の前の島に飛ぶ。すぐにビルガメスが追いかけ、その肩を掴んだ。
振り向いた10本角に、首を横に振ると『行くな』とだけ言うが。
「無理を言うな。龍族だろうが女龍だろうが、いきなりどうにかなる場所じゃない。俺はイーアンを一人では行かせん」
「もう入った」
「だから焦っているんだ。ビルガメス、お前が止めたんだぞ。
始祖の龍と同じ強さをイーアンに渡すために、俺が意見を出した時。お前が止めた(※1088話参照)。それなのに、今は一人で行かせる気か」
ニヌルタの顔に怒りが含まれた。苛立ちを越えて、すぐに怒るのがニヌルタ。その体が白く輝き始める。ビルガメスは彼の肩を掴んだまま、『俺に怒っているのか』と訊ねた。
「俺はさっき言ったぞ。暢気に話している時間はないと。放せ」
「俺が行こう」
「勝手について来い。俺が行くと言ったら、もう行く」
ニヌルタは、大きな男龍の手を振り払ったと同時に島へ降下し、続くビルガメスを無視して、一目散に森へ駆け込んだ。
後を追うようにして森へ入るビルガメスは、ニヌルタの走る姿を久しぶりに見る。『いつも飛ぶからな』若いからさすがに早い・・・感心しながら(※暢気)ビルガメスは大股で森を進み、あっという間に見えなくなったニヌルタを見送った。
森を駆け抜け、上がる場所へ着いたニヌルタは、大急ぎで飛び、ガドゥグ・ィッダンへ向かう。
「イーアン。無事でいろ」
どうするとビルガメスは平気でいられるんだと舌打ちし、ニヌルタは、小さな女龍の倒れていない状態を祈った。
ぐんぐん飛んで、最速で到着した男龍は、すぐにイーアンを探す。
「イーアン、イーアン。居るか。返事をしろ」
女龍は始祖の龍に導かれる・・・(※1088話最後参照)自分で言った言葉だが、『それは俺が一緒なら、の話だ』勝手に入って、無事な保証はない。俺が一緒でも、無事かどうかは見極めながらと、そう考えていたのに。
「イーアン!どこだ、イーアン」
灰色の空間をまずは外から探し、龍気が全く動かないので、仕方なし、見落としていないことを願って、ニヌルタはガドゥグ・ィッダンへ向かい、その中へ入る。
「イーアン、どこにいる。答えろ、イーアン。どこだ」
広い広いガドゥグ・ィッダン。ニヌルタはここから出なかったこともある。だから知っている。自分より、ここを理解できる者はいないことを。ビルガメスも他の男龍も来れるが、何があるかをニヌルタより理解していない。
「呑まれるぞ。分かっていないと」
焦る気持ちを抑えて、女龍の無事をひたすら願い、ニヌルタは次々に部屋を回った。
その頃。イーアンは、一つの部屋にいた。
ガドゥグ・ィッダンと知らずに入った、この不思議な空間が、まず間違いなく、空のどこでもないことは確信した。
靄がかかったような雰囲気の広いどこかで、遠目の利かないイーアンは、少し頭痛がする頭に手を添えて、方向を確かめながら移動した。
しかしそれが無駄かも、と思うのはすぐだった。振り向くと靄は全てを隠し、来た道が見えない。元から道らしき道もないので、それは諦めた。
少し考えて、ここまでの方向と、自分の大体の歩数を思い出す。それを距離に換算し、イーアンはとりあえず、ここからは歩数で凡その距離を測ることにした。
靄のせいで、歩いていても遠近感もなければ、空気の香りもない。目安になるものがない状態で、イーアンは静かな場所を歩く。自分の足音さえ、沈み込んでしまうような。
「音も。しないですね」
不思議な場所だなと思いながら、前に大きな影が見えてきたので、そこに歩いた。そして目の前に、見るからに曰く付きの遺跡が現れ、少なからず緊張する。とはいえ、嫌な予感はしない。
「入りましょう」
上手く言えないが、ここを知っているような気がするイーアン。
似た場所を見た記憶も全くないのに、大きなこの遺跡の、不気味なほどにありとあらゆる面を埋め尽くす彫刻群を『どうしてだろう』知っている気がしてならない。
「神殿みたいにも見えますね。雰囲気から、遺跡、遺跡と思っていたけれど、考えてみれば朽ち果てた様子がありません。ここは保存状態が良いのかな」
独り言の大きいイーアンは、普通の声で喋りながら、中へ中へと進むのだが、暗いしよく見えないので、奥の方の扉のない部屋へ、とりあえず入ることにする。
周囲も床も柱も埋める、細かな彫刻は、まるで生きているように見えるものばかり。
少し気持ち悪い感じもするけれど、そもそも、こうした場所はいろいろと宿るだろうと思う。しかし、全く新しいタイプの絵に、時々、立ち止まっては顔を寄せて『面白い』と観察した。
そうしているうちに、部屋の一つに着き、そっと中へ入ってみる。
あまりにも静かで、イーアンは自分の動く音だけが世界の全てのように感じる。暗い部屋の中は、本当に『何にも見えません』こりゃ、トラップがあったら一発(※即死の意味)ですよと呟き、一歩だけ踏み入れた足はその場に立ち止まった。
「ふーむ。明かりがありません・・・というかな。おかしいですね。私の角、光っていません」
あれ?と思う。いつもなら角が暗いところで光っている。変だなぁと思い、部屋を出て廊下に立ち、爪を出す。ちょびっとだけ出した爪の光は、一瞬で消えた。
「ええ?変ですよ。何で?」
爪はあるのに、光らない。こんなこともあるのか、とイーアンは困る。『ミレイオみたいに見えればな』どうしようかと悩みつつ、他の明るそうな部屋はないか、探すことにした。
どこまでも続く廊下。度々、左右の壁に空いた、扉のない入り口を見て、どこもが同じように暗いと思う。明り取りの窓もないのだ。それに気が付いた時、ふと、暗い廊下の壁も注意深く見てみる。
「松明の穴もないです。蝋受けの皿もない。油入れもない。ここは炎が要らない場所。そうか、イヌァエル・テレンとそこは同じ・・・だとすると。つまり」
自分が光るか、光らせるかしかないのかな、と考える。
これまた不思議なことに、さっきからずっと。イーアンは暗い場所を歩いているが、何となく見分けているのだ。目が慣れたとか、そんなレベルの暗さではないのに、見えている。
ただ、それはぼんやりとしていて、歩くのに不自由はないが、細かい部分を見ようとすると無理がある。
「どうしてなのか。一々、不思議な場所ですよ。そう、不思議。なぜ、私怖くないんでしょう」
イーアンはお化け屋敷キライ。大っ嫌い。暗い中で、こんにゃくぺちん(※簡素なお化け効果)されただけでも悲鳴を上げる(※ギャーって)。
そんなイーアンだが、ここは本当に怖さもない。馴染み・・・とは違うが、知っている感じしかない。
一体どうしてこんな感覚があるのか。変な感じだなと思って、立ち止まる。
にしても、あまりにも広いし、どこまで歩いても、ちっとも明るくならないので、両手を腰にあてがって、イーアンは思いっきり息を吸い込むと、目一杯溜息(←デカめの『はぁぁぁぁ』)。
その途端――
目の前の壁がクワッと明るく照り輝く。ビックリしたイーアンが目を丸くすると、そこら中の床から明るい青の、透き通った光が沸き出し、それが壁に反射して、全てが明るくなった。
「んまー。すご~い」
なんでどうして、とキョロキョロするイーアン。不思議だらけで、度肝を抜かれる。廊下は5秒前と打って変わって、明るくライトアップ。某ネズミランドの夜のようである。
だが。某ネズミランドのライトアップなら、お客様は写真を撮り、ロマンチックな夜に寄り添い、子供は夢を胸に笑顔を弾けさせるところが、ここは『凄まじい迫力』全体が浮き彫りで、保存状態の良い、気持ち悪いくらいの彫刻群がビッシリ。
「明るいと怖いなんて。いや~、何があるか分かりませんねぇ」
いやはや、と首を振り振り、イーアンはちょっと気持ち悪い生々しい彫刻群を見ないように、一つ、向かいの部屋へ入ってみる。
この部屋はまだ暗かったが、もしかしてと思って目一杯、また溜息(※覚えた)ついてみたら、大当たりで明るくなった。『すごい。溜息が前向き(?)』こんなことも生きているからこそ、と意味の分からない感動をしつつ、イーアンは明るくなった部屋に進む。そしてすぐに立ち止まった。
「あなたは」
イーアンの足元に、ぼんやりと浮かんだ顔。大きく床石を越えて映る、ホログラムのような顔は。
『イーアン。隣の部屋ですよ』
「始祖の龍」
彼女の顎のあたりに立っていた足をさっと退けて後ずさり、イーアンはその大きな映像の顔を見つめる。
自分によく似た女性が。でも。『外人さんですよ』この方、と呟く。モンゴロイド系の顔つきだけれど、もっと大陸側の人種に見える。
微笑んだ女性は、静かに目を閉じて、そのまま消えた。
ハッとしたイーアンは、急いで部屋から出ると、『隣の部屋』と言われた場所を探し、奥に見えた入り口のある部屋へ入る。
そこでまたふーっと息を吐くと、部屋は昼のように明るくなり、箱型の部屋の全ての面に、始祖の龍が映る。様々な場面での彼女を見て、イーアンの鼓動は早く打つ。
「こんなことが。これは。あの方」
『イーアン。3度目の女龍。ここまで一人で来るとは、呼んだ甲斐がありますよ』
目の前の壁に映った女性は空を飛びながら、横を振り向く形で笑顔を見せる。その顔は自分のようにも見えるし『でもあなたは、とってもきれい』ちょっと寂しいイーアン(※自分そうでもない)。
女性はニッコリ笑って『強く逞しい知恵の女神。あなたはそのまま。ご覧。イーアン』そう言うと、視線を全ての面に向けた。イーアンもその視線を追う。
「これがあなたでしょうか。あなたの力」
『そうです。イーアン。あなたにも同じことが出来ます。私と同じ位置に来なさい。
この部屋で、受け取りなさい。私が何をしたのか。見える全てを覚えなさい。そして使うのです』
「始祖の龍。私は人間だったのです。この世界へ来てまだ一年も経たず、力だけは手にしたものの」
イーアンは急いで自分の本音を話す。打ち明けて良い相手。たった一人の、自分の気持ちを理解できるであろう相手。次にいつ会えるか分からない、この人に。
必死な顔のイーアンに、始祖の龍は微笑む。鳶色に青い光を宿す、二色の混ざる瞳が崇高に見えて、イーアンは唾を飲んだ。始祖の龍は自分と同じ肌の色。角が生え、翼があり、そして尻尾もある。
始祖の龍はイーアンの凝視する視線を知って笑う。よく笑う女性で、気持ちが和らぐ。
『あなたも出来ます。尻尾があると、飛ぶ時、楽ですよ』
そう言うと、始祖の龍は長い白い尻尾をぶーんと横に揺らし、あっさりと方向を変えて飛ぶ。
「抵抗がないのですか」
『尻尾は飛ぶ間の向きを変えます。イーアンもやってご覧』
「始祖の龍。そこじゃないです(←尻尾の利点)。あなたは、人間だったと聞いています。その姿に抵抗は?その力の強大さに」
『イーアン。抵抗は過去です。過去が終わる時、確認するのが過去。あなたは今、終わる過去に立っています』
イーアンは目を瞬かせ、早くなる呼吸と共に、涙を落とす。何が悲しいわけではなく、先を歩んだ彼女の言葉に、今、初めて全ての気が緩んだ。
涙を落とした女龍の顔に、始祖の龍は一層優しく微笑む。
『あなたを探しに男龍が来ます。でもね。彼らを返します。あなたはここで、私の生きた時間を見て学びなさい』
始祖の龍はそう伝えると、ぶれるように壁の映像を揺らし、話しかけていた姿は消えた。その代わり、イーアンを包むように6面全ての部屋の面に、彼女の映画のような人生が動き出した。
食い入るように見るイーアンは気が付かなかったが、入ってきた入り口も壁に変わり、完全な守られた一室となり、その外まで来たニヌルタとビルガメスは、始祖の龍によって丁寧に追い払われていた。




