1183. 旅の七十四日目 ~精霊の石
バシャンと音を立てて、海中から噴き上げられたシャンガマック。
ビックリしたのも一瞬。大慌てで、落下する宙を掻く腕に、さっと何かがかすり、あっという間に、自分は龍の背に救われたと知る。
「おお、ジョハイン!待っていてくれたのか」
有難う!と抱きつく褐色の騎士。龍は昼の光を受けてぐーっと空へ上がり、長い首で振り向き、乗り手の顔を見つめる。
「心配かけたな。お前は大丈夫か?俺が行ってから、そう時間はかかっていないと思うけれど」
赤紫の鱗を撫でて、シャンガマックは頼もしい龍にお礼を言う。龍は少し顔を傾けてから、元の位置に戻し、違うというように首を横に振った。
「あれ?大丈夫じゃないのか。どうした」
宙に浮いたままのジョハインは、何をどう伝えるべきか考え中。でもその答えを出す前に、さっと響いた声が、地上から空気を劈いた。龍もちらと下を見る(※知ってた)。
「バニザット!!」
「あっ。ヨーマイテス!ヨーマイテス!戻ったよ、石はある」
「早く降りろ!龍はその辺で放せっ!俺をめがけて降りろ」
枝の大きな木の暗がり。真昼間なのに、父がいる。その影から叫ぶ父に、無茶言うなぁと、褐色の騎士は困る。
降りろって言ったって、父までの距離は相当ある(※高さ50mくらい)。ジョハインはゆっくりと乗り手を見て、お互いの黒目がちな目を見つめ合うと、うん、と頷き、滑空した(※物分かりの良い龍)。
「ごめん。ジョハイン。待っていてもらったのに」
いいですよ~・・・と示すような和やかな顔を向けて、地上にいる獅子の手前、体をねじった龍はシャンガマックを背中から落とす(※そっとのつもり)。
わぁ!と叫んだ、落下する騎士が地上に落ちる寸前、暗い影から獅子が飛び出し、騎士を銜えて(※食べられる気分)向かい合う木々の影に飛び込んだ。
びっくり続きのシャンガマックは、影の草むらに下ろされて、獅子を見上げる。
「有難う。こんなに明るいのに」
「本当だ。こんなクソ明るい時間に」
「ごめん。でもどうして、ここへ」
「いつまで待っても帰らない。龍気も消えたから、俺は朝からここで待った」
「朝」
父の言葉を繰り返し、シャンガマックは目を瞬かせると『朝』の言葉をもう一度、訊いてみた。獅子の碧の目は、息子の質問に何かを理解したように細まった。
「お前。中に、どれくらい居たんだ」
「え?いや。そんなにいなかった。と言うべきか。遺跡の中には入らなかった」
「何だと?詳しく話してみろ」
ヨーマイテスは、読みと違うのか、少し間が開いてから詳細を確認する。聞かれたので、とりあえず何があったか、その流れをシャンガマックは教えた。
「ファニバスクワンに会ったのか。そうか・・・なら、まだマシな方だったんだな」
父の呟きに、何のことかと眉を寄せた息子を見て、獅子はゆっくりと短く伝える。
「バニザット。お前は、昨日。海に挑んだ。そして、遺跡の影響を受けてはいたが、ファニバスクワンが動いたために、お前の時間は無駄に流れなかったんだ」
「それは・・・どんな意味で」
「お前が入った場所は、すでに遺跡の中。行ってみれば敷地だ。『ファニバスクワンのいた場所だけ、絵が違った』とお前は話した。そこ以外は全て、時空の向こう。お前が入ったのは、ファニバスクワンの導きあってこそ。
魔法陣の日々が、こんな形で活かされたか。よくやった」
話ながら、段々安心してくるのか。ヨーマイテスの獅子の顔が和らぐ。褒めた言葉の後に続いて、座っている息子の頭を、大きな獅子の手で撫でた。
ニコッと笑ったシャンガマックは『有難う。ヨーマイテスのおかげだ』と答える。獅子は何も言わないで、ゆっくり首を横に振ったが、その碧の目は嬉しそうだった。
「とにかく。影の中を動く。お前は俺の背中に乗れ。真昼間だからな。移動も影伝いで少しかかるぞ」
「どこへ。総長たちも心配しているから」
「馬車だ。お前が戻って、その石を渡さないとならんだろう。それが目的なんだ」
ちょっと、ふくれたようなぼやきで、獅子は面倒そうに返す。その言い方が可愛いな、と思う騎士。
きっと、また『魔法陣の場所』へ連れて行きたいんだ、と分かる。一日ずっと、心配させてしまったんだから、今日は付き合おう(※いつも付き合ってる)と決めて、シャンガマックは獅子に『馬車へ』と促した。
獅子は背に乗った騎士を振り向かず、そのまま影の深い場所へ進み、暗さをどんどん濃くしながら、気が付けば闇のような黒さの中を走り出した。
「魔法が役に立ったな」
暗い世界に聞こえる、獅子の声。シャンガマックもそう思う。『ああ。こんな形で使うなんて』意外だったよ、と答えると、獅子は間髪入れずに伝えた。
「戻ったら、また練習しろ。使った魔法を俺に見せてから、次の魔法だ」
「え!次の。分かった、早く戻ろう」
新しい段階へ進むと分かり、シャンガマックはパッと顔が明るくなる。
獅子が振り向いたかどうかは、暗すぎる世界で全く分からない。でも、掴んだ鬣が一瞬、ふかっと手に被さったので、きっと彼は振り返ったと思った。
ヨーマイテスは、背中の息子の声が喜んだのを聞き、さっと振り向いていた。
その嬉しそうな顔を見て、ようやく心がホッとする。やっと。やっと帰ってきたと、それが心底嬉しい自分に、今は皮肉も思いつかなかった。
獅子はサブパメントゥの闇の中を走り抜ける。精霊の力を宿し、体の中に、同じサブパメントゥの流れを持つ息子を乗せて。
*****
馬車で待機するドルドレンたちは、先日に別行動に出た時の場所から、少し進んだ先で一泊し、そこに留まって午前を過ごした。そしてもう、昼になる頃。
昨日。シャンガマックが遅くなるとは聞いたが、全く戻らないまま、夜が来て、夜中になり、朝を迎えた時、さすがに『探しに行こう』とドルドレンが言い出したのだが。
親方がそれを止めて『コルステインが教えてくれた』の前置きから、迎えに行かずに『ここで待とう』と決まった。
――コルステインは昨日の連動後。龍気が消えるのを待ってから、その場所へ行った。
すると、強い龍気は消えていたものの、これまで、薄っすらしか感じなかった精霊の力を感じたという。
そして、シャンガマックも精霊と共にあることだけは理解し、精霊が守っているなら平気だろうと判断した。
コルステインの見た時間は、満潮時。
それから干潮が来るまで、興味本位で、コルステインはその場を見ていた(※親方は気が付かずに一人で寝てる)。
干潮を迎えた海をじっと観察し、コルステインは頷いて戻る。昔と同じくらい、戻っている、それが分かったので、精霊がそこに居ると確信した――
この話を明け方に聞いた親方は、コルステインが夜中に居なかったことを寂しく思ったが、そこは黙って(※またケンカしかねない)貴重な情報にお礼を言うに終えた。
そうしたことで、ドルドレンたちは朝食後もその場に停留し、シャンガマックの無事を祈りながら、帰りを待っていた。
「コルステインが言うにはな。昔、昔だぞ。どれくらいかは知らんが。
連動の起こった場所の海は、毎日、潮の満ち引きで、陸地が出ていたという」
親方は馬車の荷台に座って、剣の柄を作りながら、皆さん相手にお話をする。
「それが、随分前から、陸が出るほどではなくなっていたそうだ。海底が見えるくらいに潮が引く、そんな場所だったから『本当は、コルステインも手伝いたかった』と話していたな。
多分、現在。それほど水が引かないにしても、コルステインが手を出せば、どうにか水を引かせるくらいのことは出来る、浅瀬なのかもしれないな」
「コルステインは優しいのだ。海水を引かせるって、どんな力だろうとは思うが」
馬車の荷台端に腰かけたドルドレンは、親方にそう言うと、彼の目を見る。親方は首を振って『俺は、コルステインが何をしようとしたかまでは知らない』と、好奇心旺盛な総長に笑った。
「恐らく、バニザットも潮の満ち引きの話をしていたわけで、引き潮まで待つ気だったんだろう。空の城も精霊の石も、あの付近の海のどこかと知ったのか。
その辺は、あいつが戻ってからじゃないと、何とも言えないが」
「でも。例え待っていたとしても、現在は全部・・・引かないんだろう?水」
親方に質問するオーリンに、親方も首を傾げる。
「どうなんだろうな。少し引いてくれたら、それで何とかなりそうだったんじゃないか?コルステインが確認した時は、既に、相当な水位の低さだったらしいから」
「水位と精霊の関係?何かあるのかな」
オーリンはイーアンを見る。黙って聞いていたイーアンは、小さく首を振り『私はグィードの渦潮しか』と答える。『あれで海底も見えましたが、渦は水が集まるから深く思えましたよ』自分の見た状態は異例、と教えた。
「精霊の気とかさ、そういうのあった?」
「いいえ・・・そういう、あなた。あの時、どこにいらしたんですか」
「俺?総長たちと一緒に出てから、俺は周辺を一人で回っていたよ。君が『独り対処』って聞いていたし。変な被害、出てても困るだろ」
ふと。皆、あまり気にしていなかったオーリンの言葉に、彼を見る。そうなのだ。昨日、オーリンはいつの間にか単独行動し、いつの間にか戻っていた(※自由な人)。
「何だよ。フラフラしていたわけじゃないぞ。俺なりに、被害調査だ」
「何かあったのか。聞くの忘れてたけど」
総長に今更訊かれて笑うオーリンは、『大した被害はないね』と答えてから、連動の影響に思えた崖崩れは見た、と教えた。
「崖崩れ?どこで」
総長他。騎士たちが廻った場所に、崖は特になかった。海に突き出る崖ならあるが、オーリンは『陸を回っていた』という。
「もっと先だよ。でも連動だろうな、原因は。崩れたばかりって印象だった。木なんかも、ガサッと倒れて転がっているような具合だ。
ええとな、この道はヨライデに向かうんだろ?この道のもっと、ずっと向こうだ。ヨライデだと思うけど、大きい山脈の影が先に見えた。連動の場所からも結構、距離あるよ」
そんな先まで?とミレイオが驚く。山脈の話が出たので、それはヨライデ国境かも知れないことを教え、かなり離れた場所まで、オーリンが見に行ったと、ミレイオが代わりに説明した。
「うん。でも、ガルホブラフだから。あっという間だ。緑が多い場所が見えたからさ、人間が住んでいそうかと思ったら。まぁ、ちらほら。ただ、崖自体は、集落みたいな集まりの手前だったし、そこまでかな」
感心してくれたミレイオに笑顔を向けて、オーリンが遠慮がちに、大したことはないと答えた時。
イーアンがさっと道の脇を見た。ミレイオとタンクラッドもそっちを見る。フォラヴが影に顔を向けたところで、『戻りました』の声がした。
「シャンガマック!」
ドルドレンは彼の声に、急いで立ち上がり、影のある大きな薮の側へ駆け寄る。すぐに褐色の騎士が薮の向こうから出てきて、にっこり笑った顔を見せた。
「やっと帰ってきたな!もう、探しに行こうと思ったくらいだ。コルステインが事情を」
「すみません。俺もまさか、こんなに時間が経っているとは。ちょっと不思議な場所で・・・あの、これ。石です。これだと思います」
戻ってきたシャンガマック。総長と一緒に薮の影を出ながら、自分の腰袋に入れた石を取り出した。
「これか。黒く澄んだ、どこか青緑に見える石」
「はい。これを・・・フォラヴに。ああ、フォラヴ!ほら、これだ」
こっちを見た馬車の皆に、片腕をさっと上げた褐色の騎士は、目の合った空色の瞳に石を掲げて見せる。
妖精の騎士の優しい笑顔が深まり、馬車を下りたフォラヴは、両腕を広げてシャンガマックを抱き締めると、笑顔を返した顔に、満面の笑みで頷いた。
「まさしく。あなたの力の証。栄えある力試しに成功したことを、祝福しましょう。
有難う。シャンガマック。これこそ、そうですよ」
妖精の騎士の喜ぶ顔に、シャンガマックも笑って頷く。そして、精霊の石を手渡した。
お読み頂き有難うございます。




