1177. 夜明けの想い・シャンガマック出発
寝つきの悪い夜を過ごした、シャンガマック。
魔法の力を使うのかどうか。自分が行った先で何をするのか。『石を持ち帰る』以外は何も分からない仕事に、想像し過ぎが良くないと思っていても、ついつい想像していた。
起き上がりはしなかったものの、何度か寝返りを打つたびに、一緒に寝ている獅子は気にして顔を寄せていた。目を閉じたまま、ヨーマイテスが気にしないでくれるようにしていたが。
そう思っていたのはシャンガマックだけで、ヨーマイテスは息子が眠れていないことは分かっていた。
寝返りを打つたびに、目を開けない表情に筋肉が動く、微妙な変化を見て取るヨーマイテスは、息子の顔に鼻を付けて臭いを嗅いでは(※確認)、ペロッと舐めた(※舌がデカいから顔が濡れる)。
ヨーマイテスとしては、息子が間もなく向かうであろうことが心配でならないし、自分が行けないことも、輪をかけて辛く、どうにも仕方なかった。
その思いが引くに引かず、眠れていない息子が何度も寝返りを打つので、ついつい。
あんまりにも顔を舐められるので、シャンガマックは笑いそうになったけれど、そこは堪えてそっと顔を拭き(※冷たくなる)獅子の鬣の中に埋もれて、考え事を続けた夜。
早い夜明けに、シャンガマックの目が慣れる。薄目を開けて、洞窟を少しずつ明るくする変化を見送り、心に決めた。
「行くか」
呟きにも似た声を、ふと口に出すと、獅子が動く。自分に顔を向けた獅子の碧の目と、シャンガマックの目が合う。
「もう行く気か。俺が送ってやるんだから、急ぐな」
「うん。有難う。だけど、気持ちが昂る。馬車に戻るよ」
「バニザット。まだ行くな」
獅子は手を動かして、シャンガマックの腰の上にどさっと置く(※止めてるつもり)。大きな獅子の手に微笑み、騎士はその手を撫でた。
「俺に。ヨーマイテスくらいの強さがあればな」
「これからだと何度も言っているぞ。お前はこれから強くなる。俺が育て」
「分かっているよ。俺はね、今。強かったならと思ったんだ。それなら、ヨーマイテスに心配かけなくて済むじゃないか」
「お前・・・お前は。バニザット、こっちへ来い」
息子の言葉に、獅子は遣り切れなさそうに仰向けになると『こっちへ来い』と両腕を上げる。
その姿が、お腹を撫でてほしい猫みたいに見えて、シャンガマックは思わず笑い、言われたままにお腹の上によいしょと重なった。
「何笑ってるんだ(※ちょっと不機嫌)」
「いいや。だって。心配し過ぎるよ。生きて戻れないわけじゃない」
「バニザット。甘く見るなよ。相手は・・・お前の記憶に新しいはずだぞ。
お前と俺が初めて、一緒に向かったあの遺跡だ(※945、947話参照)。あれの一つだ。お前は中へ入るなり、時空を跨ぐ」
獅子は両腕で、お腹に寄り添った騎士を抱き寄せると、大きな手で騎士の頭をぼふっと叩く(※シャンガマック、頭が沈む)。
自分の頭をばふんと叩いた大きな手を見上げ、その黒い肉球をナデナデしながら、シャンガマックは訊き返す。
「あの。最初の遺跡か。俺の先祖のバニザットを見た」
「そうだ。あれの系統だぞ。お前は出るなり、倒れた」
「あの話も・・・俺はちゃんと知らないままだな。一体、あの場所は」
シャンガマックが肉球を撫でる指を止めて呟くと、獅子は大きな手で息子の顔を自分に向ける。目の合った漆黒の瞳に『それが言えないから困るんだ』と教えた。
「お前に教えてやりたくなる時は何度もあった。だがそうもいかない。事情が混み合う。それに」
言いかけて、違う方向へ心が動いたので、ヨーマイテスは言葉を切る。自分の常に抱えている心配が、少し頭を擡げて、話を変えそうになった。
「何?」
「いや。何でもない。うむ。お前が・・・事情を知った後。俺をどう思うか、そんなところか」
獅子がそう言って目を逸らすと、シャンガマックは片手を伸ばしてその頬の毛を撫でた。自分を見た碧の目に、小さく首を振る。
「俺はヨーマイテスと一生一緒だ。そう言った。約束だし、誓いでもあるが、そんな形じゃなくて、俺がそう決めたんだ。
ヨーマイテスが例え、俺に嫌われるようなことだと思っていたとしても、だ。俺はヨーマイテスが父で、俺が息子である以上、離れはしないよ」
「親子だからか」
「親子だからだ。これでも不安なら、言い換える。俺はヨーマイテスが大事だからだ。他の言い方を知らない」
心配しなくて良い、と言う息子に、獅子は溜息で答えた。
じっと見つめる漆黒の瞳に、洞窟の外から差し込んでくる、薄白い夜明けの明るさが光を撥ねた。
――きっと。サブパメントゥの統一のために利用したと、思うだろう。
そしてすぐに続く、世界の統合者を目的に、空も中間の地も掌握しようとしている、と知れば。
真面目な息子は、そんな俺を『魔物と同じ』だと思うかも知れない。
統一する時、自分の望む世界に創り変える。それは、老バニザットとの約束で、二人の目的だった――
「ヨーマイテス。信じろ」
黙る獅子に、シャンガマックは丁寧に静かに伝える。獅子はその声に、大きく息を吸い込んでから、体を人の姿に変えると、息子を抱き締めた。
「信じているが。それでも想像は計り知れない」
「大丈夫だよ」
抱き締められたシャンガマックは、父がどうしてそこまで、自分の反応を想像して怖がるのか、理解に難しかった。
「大丈夫だ。俺は側にいる」
大きな焦げ茶色の体に包まれた騎士は、力強い父が何か、怯えてさえいるように感じる。それがとても悲しい。信用されているはずなのに、自分よりも、彼の中にある『恐れ』の大きさが伝わる。
シャンガマックは、言葉で越えられない何かに、父の恐れを取り除くくらいの存在になりたいと思った。
抱き締める父の胸をちょっと押すと、体を起こしたシャンガマックは、自分を見た碧の目に『もう行くよ』ともう一度言った。
「早い。食べてもいない」
「朝は馬車でも何か食べさせてくれるだろう。保存している食料をもらえる。馬車へ戻る」
「バニザット。行くな」
「『行け』と言ったのは、ヨーマイテスだよ」
「『行け』なんて、言っていないぞ。行くことになる、と俺は言っただけだ。誰がお前に『行け』なんて言うか」
何か怒り始めたので、シャンガマックは苦笑いする。怒っている父に手を伸ばして、顔を撫でると『俺の勘違いだ』と謝った(※父、ちょっと機嫌直る)。
「うん。ヨーマイテスは言っていない。だけど、俺の仕事だ。それは理解した。
何が出来るか分からないが・・・それに。少し不思議にも思ったが。これは情報量が少ないからそう感じるだけなのか。
なぜ、男龍たちが、精霊のためにわざわざ力を貸してまで、助けようとしているのか。そうしたことも、求められる『俺の沈黙』にあるのだろうと思えば。早めに行って、考える時間を作りたい」
勘の良い息子に、ヨーマイテスは答えなかった。
その辺の精霊が悩んでいるからと、龍族がやって来て、誰か力の属性に合う者を遣わすなんて。
息子の言う通り、本来なら、起こるはずもない出来事。別の種族の悩みなんか、知ったことないのだから。
ヨーマイテスは、男龍の言葉の意味は説明されなくとも、知っていた。
『ガドゥグ・ィッダン』を下手に探られるわけにいかない。それは、男龍もサブパメントゥも同じ。あの様子だと、イーアンも分かっていない状態。勿論、ミレイオも。
世界の頂点を目指す同士。知られることを拒む対象がある。それが共通しているため、やむを得ない『ささやかな精霊の用事』に答えてやるような動きになっているだけ。
「行くよ」
答えない父に繰り返す騎士を、仕方なし、腕に抱えたまま外へ出るヨーマイテス。
夜明け前で影が多いこの時間。ヨーマイテスは体を獅子に戻し、背に乗せた息子を連れて、ドルドレンたちの休む馬車へ、影の中を走り始めた。
*****
シャンガマックたちが出発直前。
馬車と馬車の間で休んでいる、コルステインも起き上がる(※寝てない)。ホーミットが動き出したのは知る由ないが、別のことに反応した。
そろそろ帰る頃というのもあり、コルステインは眠るタンクラッドをちらっと見ると、そのまま浮上。
昨日。タンクラッドと少しモメた(※しょっちゅうモメる最近)けれど、すぐに解決したので、特に気にはしない。
いつも通り、タンクラッドが起きていないか、少し見てから、その場を離れた。
ヨライデ方面へ向かう間に、コルステインは自分の感覚が正しいと分かり、ちょっとだけ困る。このままだと『コルステイン。来る。ない』手伝える時間じゃないなと思う。
『龍。あれ。動く。する・・・コルステイン。違う。どこ?守る?』
イーアンが動く用事なのは分かっているので、イーアンが動けない場所は、自分が対処してあげたら良いかな、と思う部分だが、如何せん、時間が難しい。
『うーん。どう?』
自問自答しつつ、夜が明け始めたのを見て、コルステインは影の中へ入る。
出来るなら手伝ってあげたいのに、明るい時間はどうにも出来ない我が身に、コルステインは、サブパメントゥに戻っても、うーんうーん、考えていた。
*****
馬車の朝はいつものように、早め。イーアンは早起きなので、いそいそ料理を始め、地下から戻ってきたミレイオと、おはようの挨拶を交わして、二人で朝食作り。
「昨日」
イーアンはミレイオに、小さい声でちょっと打ち明け話。ミレイオが横で炒め物を作りながら、明るい金色の瞳を向け『何?』と、言い難そうなイーアンを促す。
そそっとミレイオに顔を寄せたイーアンは『ザッカリアの、あれ・・・あれで』ひそひそ話を始めたので、ミレイオは察して少し笑う。
「どうしたの。何かあった?」
「私たちではないのです。親方が」
「あん?タンクラッド」
昨日の夜、丸聞こえだった内容を、ミレイオにも教えるイーアン(※井戸端主婦)。ふむふむ聞きながら、顔が笑ってしまうミレイオ。
「え。それ、私に言ってどうなの。ただ教えてくれただけ?」
「はい。うーん。でもちょっと、その。余計なことかも知れないのですが、情報を聞こうと思いました」
「どんな?コルステインの体のこと?」
はい、と頷くイーアンに、ミレイオは『ハハハ』と小さく笑い、首を振った。
「あのねぇ。サブパメントゥって、そんな難しいもんじゃないのよ。でもそれは、私がそこの育ちだからかしらね。
前も言ったような気がするんだけどさ・・・体って、幾つか変えられる種類が決まってるのよ。もう、決定なの。
コルステインは最強だから出来るんだけど、あれだけ体を変えるの、本当に稀なのよ。それを・・・まさか『イチモツ外せ』とはね」
「いえ、そこまで露骨では。そうではなく」
「だって、言ってることそうでしょ?『体の一部を消せるものなのか』って。
コルステインからすれば、男女の体を持っていること自体が、何の意味かも分かってないのよ。あれは、ああした概念があって、そうなるんだもの。平たく言えば、人間みたいになりたい、ってやつよね。
確かにその通りになったわけでさ。それ以上の何も文句ないはずなのよ。
だからそこを『変える』って言われても。それはコルステインとしても、自分に不満でもあるのかと思うでしょうね」
複雑な心境で頷きながら、聞くイーアン。その顔に笑うミレイオは、イーアンの頭を撫でて『あんたが心配するんじゃないの』と教える。
「ザッカリアの言葉が悪いんじゃないのよ。タンクラッドも、多分、気にしていたんでしょ。それを人間的な感覚で言っちゃったら、そりゃケンカにもなるわよ。
私は、そういう見た目の縛り、嫌いだから気にしないの。でも普通の人間の男なら、こんだけ我慢する生活(※夜)はまぁ・・・ヤラしいねぇと思わなくもないけど、仕方ないかしらね」
「オーリンが正常」
「どうか分からないけど。それ言ったら、あんたたちは健全でしょ」
ぐふぅ、と萎れるイーアン(※イタイところ突かれた)。
ハハハと笑ったミレイオに『使命のある旅も、大変ね』で、まとめられて、この話はここで終えた(※倒れるかと思った)。
こんな心臓に悪い時間を越えて、皆が起きてきて朝食。
心なしか元気のないオーリンに、イーアンはちょっと優しくしてあげて、お肉の良いところをあげた(※反省もこめて)。
親方も静かで、笑顔が控え目。その理由は、馬車に眠った全員が知っているので、誰も親方に話しかけなかった(※コルステインに振られる展開一歩手前)。
ドルドレンは奥さんの横に座っていたが、いつものような接近はせず、少し遠慮がち(※こっちも自覚ある)。
ザッカリアは、自分のせいだとは思っていないので、皆の元気が少なそうなことを『どうしたの』と訊こうとして、フォラヴに止められた(※『お食事中ですよ』って)。
バイラもミレイオも黙ってはいたが、とりあえず、時間が解決することを祈りつつ(※そんな大げさでもない)合わせて大人しく、朝食を終えた。
そうして。
馬車は出発する。ヨライデ方向の道を、海の見える風景を維持しながら進む。
途中、鬱蒼と茂る、葉の多い木々の中を通過する道、ドルドレンはふと、精霊の気配を感じた。
「精霊が。近くにいるのかな」
影の濃い細い道を馬車がゆっくりと進んでいると、ふと、木々の影の重なる場所に何かが動いた。
「今のは」
さっとそちらを見たドルドレン。あ、と小さく声を上げて、手綱を引いた。バイラは気が付いておらず、すぐに止まった馬車を振り返り、総長に『何か』と訊ねる。
「シャンガマック」
総長はバイラをちょっと見てから、また森の中に視線を戻して呟く。そこには、大きな獅子の背中に乗った、褐色の騎士の姿があった。
「戻りました。馬車に乗せて下さい」
騎士はそう言うと、影の中でニコッと笑った。




