1172. 白いシカの森 ~レゼルデの頼み
珍しく機嫌の戻らないオーリンは、総長と話していたものの『ちょっと寝てて良い?』の一言を挨拶にして、荷馬車の荷台へ入って、再び眠ってしまった。
「オーリン。虫の居所が悪いのか」
タンクラッドとイーアンは、御者台に座って鉱物講座。バイラは木陰で、提出書類作成中。
荷台に入った龍の民を見送ったドルドレンは、自分を見ている二人に首を傾げて、ちょっと笑う。『どうかな』オーリンはいろいろあるから・・・そう言って、御者台に寄りかかった。
「うーん、気になる。もう一度、見てくる」
寄りかかってすぐ、ドルドレンは体を起こし、イーアンと確認した場所へ顔を向ける。一緒に行きますか、と言うイーアンに『見るだけだから』と微笑み、一人で、寝台馬車の消えた場へ行った。
ミレイオたちが消えてから、もう3時間くらい経つ。
馬車を見失った地点に立ったドルドレンの足元に、自分の影が落ち、その地面は至って普通に見えるのに。
「何か。腑に落ちない」
手を伸ばして指先で地面を擦っても、土が指に付くだけ。馬車の轍は、特に力が掛かった形跡もないし。『忽然と消えてしまった』以上の説明も出来そうにない。
だけど――
「なぜなのか。ここに馬車が、在るような気がするのだ。
ここから、まるで馬車の息継ぎが聞こえるように・・・ミレイオたちが見えていないだけで、ここに居るような感じがある」
精霊の力だと感じた、その気配。
それはずっと変わらず、薄れもせず、その場所に強く感じられるが、不思議なのは、一度気が付いてしまうと、自分たちの荷馬車がある場所も、来た道の手前少し向こうも、同じように精霊の気配を感じる。
ドルドレンの灰色の瞳は、何か見えるものを探そうとして周囲を見渡すが、一向に何も見つけることは出来なかった。
おかしい、と思いつつ。黒髪の騎士は、こんな感じの体験を、イーアンや親方もしたことがあるかどうか。それを訊きに戻った。
ドルドレンが訊きに戻って、3人で話している最中。道の先から一台の馬車が進んで来ていた。
馬車の御者は地元民のようで、旅の馬車が停まっている風景に、片手を上げて挨拶した。ドルドレンたちも近づく馬車に手を上げて挨拶を返すと、御者のおじさんは気にしているように、大きい声で訊ねる。
「旅の人?化かされた?」
*****
白いシカについて歩く、ミレイオたち3人もまた、ドルドレンと同じようなことを考えていた。
どちらかというと体感に近いので、頭で考えるよりも皮膚に伝わる、違和感が気になり続ける。
かなり歩いている気もする。振り向けば、もう馬車も見えない。広い森の中を歩きながら、それでもミレイオは『同じ場所を移動しているような』感覚を拭い去れなかった。それは騎士の二人も同じ。
ザッカリアもフォラヴも、一言も喋らない。さくさくと、葉っぱの落ちた森の土を踏む足音だけが、自分たちの声の代わりに思えた。
前を進んでいたシカは、歩調も変わらないまま、突然ぴたと止まる。
ハッとした3人もその停止と共に、足を止めた。シカは振り向き、シカと自分たちの距離が5mほどの間隔で、お互いは向かい合う。
『フォラヴ。ここへ』
『名前をなぜご存じで』
『お前たちが呼び合っていたからだ。そんなことはどうでも良い。ここへ来なさい』
言われて、ああそうか、と思うフォラヴ。はい、と頷く。名前を呼ばれた途端、親しみが沸いた自分に不思議を感じつつ、シカの側へ一人歩いた。
『何でしょう』
『ご覧。これがお前に手伝えるか、それを訊きたい』
シカはそう言って、足元の枯葉を掻く。枯葉がどかされた地面には、人の拳大の、何の変哲もない灰色の石が埋まっていて、それは割れていた。
『この石を・・・直すのでしょうか』
『この石は、黒く透き通った石だった。割れてしまった後、普通の石同様。これが何を意味しているか、お前は分かるか』
いいえ、と首を振る妖精の騎士に、シカは若葉のような色の瞳を向けて、ぐーっと首を空に向けて伸ばした。すると、白いシカの体は見る見るうちに・・・『あなたは』目を見開いて、小さな驚きを口にしたフォラヴ。
「え・・・何」
同時に、離れた場所のミレイオとザッカリアも、動いた白いシカを見つめながら驚く。
白いシカは、白い薄っすらした毛をまとう男の姿に変わり、流れるような鬣は、風もない場所になびく髪として揺れ、精悍な体には僅かな防具と布を着けて、その場所に立っていた。
大きな角はそのまま、頭に象徴のように伸び、彼の顔はシカと人の間のような面持ちだった。
「うそー・・・すごい素敵なんだけど(※不謹慎な人)」
ミレイオは、よだれが出そうな精霊の男に、開いた口が塞がらない(※この場合、締まりがない状態)。
背は2mくらいだろうが、角がある分、サブパメントゥの大型の人の姿と近い大きさ。
「あの人。シカの人なの」
ザッカリアも凝視して、すっきりと伸びた白い耳を見つめる(※ホーミットのふかふか耳を思う)。その腕は人の腕。足は腿から下がシカの足。立ち姿は堂々として、彼の周りだけ、静かな風が吹いているように見える。
「レゼルデ・・・あなたは」
「そうだ。この姿が私。シカの姿は普段ではない。私はここの精霊」
声が聞こえる、とフォラヴは思った。精霊の姿を取ったから、頭の中ではなくて声帯で会話が出来るんだと分かり、ミレイオたちの反応を見る。ミレイオはちょっと赤かった(※テレ)。
「聞こえていますか?あなた方にも、彼の声が」
「全っ然、聞こえるわよ。低くてカッコイイ声」
「ミレイオ、そうじゃないよ。内容だよ」
子供に注意されたミレイオは、ハッとして『そうね』と言い直したが、相変わらず生唾を呑んでいた(※不謹慎×2)。
人の姿を混ぜた精霊のシカは、ゆっくりとしゃがむと、側に立つフォラヴにも手で『しゃがむように』の仕草を見せる。フォラヴがその場に屈むと、精霊は割れた石を指で触れて、覗き込んだ騎士にも触らせる。
「この石が。私の森を守っている。一つではなく、幾つもある」
「守る石でしたか。それはもしや、魔物から」
「魔物だけではなく。人間からも。ここは動物の安息の場。生き物が休む森。私の元へ来た者は、私の目の届く範囲」
空色の瞳を見つめる、大きな黄緑色の目は温もりに溢れている。フォラヴは微笑み、頷いた。
「フォラヴ。この前。石が割れた。それから、私は常に見回るようにしたが、今日の暗い朝にも、また一つ割れてしまった。それは向こう」
レゼルデは腕を後ろへ向けて、離れた場所の石も割れたと教える。フォラヴもミレイオもザッカリアも、彼の話した『今日の暗い朝』が魔物の出た時間だと思った。
「レゼルデ。この石が割れることは、即ち・・・『あなたの結界』が解けてしまう、とした意味でしょうか」
騎士の静かな問いに、精霊は頷き『戻さねばならない』と答えた。
これにはフォラヴも、どうすれば良いのか、全く思いつかない。一度割れてしまった石を、彼は直してほしいのだ。
離れた場所で聞いているミレイオたちも、どうも石が壊れたらしいことは分かるし、その石が大切で『元通りにしてほしい』内容により、呼ばれたまでは理解する。
ザッカリアは精霊を見ていた目を、横のミレイオに向けて、視線を受け止めたミレイオの顔が、眉を寄せた戸惑いであることに、自分と同じだと思う。『ミレイオも、難しいと思ってる?』小さい声で訊くと、ミレイオは溜息と共に頷く。
黙る妖精の騎士の、困惑した表情に、レゼルデは答えを求める。
「戻す手伝いが出来るか?」
「そうしたいと願います。ですが、思いつきません。割れたものをどうすれば、元通りに出来るのか。私は妖精ですが」
「妖精は自然を癒す。お前は出来ないのか」
フォラヴ、眉をギューッと寄せて『ああ』と切なそうに、額に手を置く。
この前、妖精になったばっかりのような自分に、何が出来るのか・・・(※誰かに教えてほしいくらい)そもそも、そんなことが出来るのか。
困っているフォラヴに、二人の仲間も同情気味(※思うところはフォラヴと一緒)。
「あのね。あの、シカの人。フォラヴは最近、自分の力を知ったの。だからそんなに、たくさんのことをまだ知らないと思うよ」
ザッカリアは勇気を出して、フォラヴの助け舟を出す。
シカの人は、ゆっくりと子供を見てから、静かな足音と共に、見ていた二人に近寄る。
子供は緊張で心臓がバクバクする。ミレイオも違う意味でバクバク(※不謹慎×3)するが、かろうじて逃げずに彼を迎える(?)。
真ん前に立ったシカの人は、子供の顔とミレイオを交互に見て、少しだけ首を傾げた。
「もしやと思ったが。珍しい。空の者が来ていたか。お前は・・・サブパメントゥにも見えるのだが」
「そうよ。サブパメントゥだけど。光の魂をもらったわ。空で」
ミレイオが答えると、レゼルデの目がすっと大きく開き『不思議な存在よ』と呟いた。
それから、子供を見つめ、音もなく屈む。目線を子供と同じ位置にした精霊は、自分を見つめる大きなレモン色の瞳を覗き込む。
「お前もまた。人のようだが、全く違う。空の・・・龍の目か」
「知ってるの?そうだよ、俺は人間だけど、でも龍の目なの(※どっちもあり)」
「触れることは出来ないが、子供よ。お前はあの石を直せると思うか」
ザッカリアは、急に自分にお願いされたのでびっくりする。触れることは出来ない、というのは、自分が触れたら、シカの人は壊れてしまうのかもと不安になる。それじゃ、石も壊れるような。
「あのね。俺に触ったら、シカの人は大変なんでしょ?だったら、多分。俺もミレイオも、石に触っちゃダメだと思う」
素直な子供の言葉に、レゼルデは少し微笑んだ。
その微笑みはシカの顔に映る人の笑顔で、思いもしなかった優しい笑顔だった。ザッカリアの目が見開き『素敵な笑顔』と口にすると、レゼルデはもっと笑みを深めた。
「お前を抱いてやれたら良いが。それは出来ない。撫でることさえ出来ない。しかし、澄んだ心の子供よ。おいで」
気に入られたらしいザッカリア。レゼルデに招かれて、フォラヴのいる場所へ移動。ミレイオは呼ばれていないので、寂しいが佇んで成り行きを見守る(※『いつもイケメン相手には確実に私だけ除外』って思うところ)。
「子供。これが石だ。これがこの森を守る。私の代わりに見張り、私の大切な生き物を囲う。
大きな空の振動で、一つが壊れ、今日の朝、大きな魔物の振動で、また一つ壊れた」
「この石。どこにあったの?もうないの?」
代わりはないのかと訊ねた子供に、レゼルデはゆっくりと首を傾げて、すぐ近くまで顔を寄せると『あれば困らない。だが』と悲しそうに言葉を詰まらせた。その顔が可哀相で、ザッカリアは『どうしたの』と訊く。
「私が持つのは、これだけ。他は、大きな空の城が乗ってしまった。私には動かせない」
「『大きな空の城』。城?どこに乗ったの。『空の城』なら、空にあるでしょ」
「子供よ、そうではない。空の城が眠る。その下にある。しかし遥か昔の話。私が持つのはこれだけ」
レゼルデの言葉は謎めいていて、ザッカリアは懸命に考える。だけど、全然分からない。こんな時はイーアンだ、と思うけれど。肝心のイーアンがいない。
同じことをフォラヴも思ったらしいが、目を見合わせた二人は『イーアンに聞いてみないと』と呟いて黙る。
レゼルデの目がじっと二人を見つめた後、ミレイオに向く。
明るい金色の瞳は、精霊の視線を受け止めて、ふーむと腕組みしながら、助言を与えた。
「悪く思わないで頂戴。私たちは『空の城』が何だかも知らないの。
だけど、私たちの仲間の一人に女龍がいるのよ。彼女なら『空の城』がどうにか出来そうな気がしない?」
ミレイオの苦笑いに、レゼルデは大きな目を細めて微笑む。
「そうか。女龍もいるとは。あの大きな龍気は、女龍とは。何百年振りだろう」
そう言うと、精霊は両腕を広げ、大きな透き通った緑色の風を巻き起こした。




