117. 工房らしい風景
この日は朝から忙しかった。作業部屋、もとい工房の暖炉試運転が、朝っぱらから入った。
イーアンが留守の間に、ダビが会計に相談してくれたらしく、何と窓際の壁に暖炉が設置されていた。
2日前に設置され、その日に火を焚こうとしたがダビが止めたという。『生もの(回収の)がある可能性もあるから』として、イーアンが戻ってから試運転?をしよう、と待っていたらしい。
朝食前にダビが部屋へ来て ――愛妻(※未婚)の素肌の温もりに、幸せを堪能していた美丈夫を苛立たせたものの―― 伝えた内容が『工房の暖炉試運転』だけに、ドルドレンは仕方なし『行っておいで』とイーアンを送り出した。
急ぐからチュニックで、と言いかけて『イーアン』と後ろから声がかかり、昨晩それは止めるようにと言われたことを思い出す。綺麗な服は着用に時間がかかるが、とりあえず(7分近くかけて)急いで着た。
胸の黒い絵がしっかり出るように楔型に開いた赤紫色のベロアに似た生地のブラウスに、コンカーブラウンの大きく広がるドレープ、縁に幅広の透かし生地が付いた長いスカート。でもこのスカートは前合わせのように重ねる着用で、膝上から下が出る。
丈の長い革靴を履くと、丁度足がほとんど隠れる上に歩きやすい。上着はなしで、胸下までの革のコルセットを締めた。以前の世界で使った事はなかったが、実にコルセットは使い勝手が良い。便利だ。
で。ドルドレンの反応(以下同様)が一通り済み、10分経った。
「暖まるまで時間がかかるから」
廊下に待たされる事10分後。ダビは文句も言わずに用件を話す。イーアンは突然のことで、驚いたり嬉しかったり。お礼を言いながら喜びを伝え、2人は工房へ向かった。
確かに生ものがあるので、ダビの判断は助かった。その相談をすると、部屋に地下倉庫があると教えてくれた。
「そんなのありましたか」
倉庫の存在など知らないイーアンは聞き返した。ダビは頷き、工房に入って『ここです』と指差す。そこには既に引き上げの戸が付いていた。引き戸は新しく作った、と言う。
「ここだけ床の色が違いました。開けてみると階段があり・・・」
そういって引き上げ戸を持ち上げる。確かに元から在ったような石の階段が7段ほど見える。
「入ってみますと、この部屋の四分の一くらいの地下室です。樽や棚があり、酒の空き瓶も残っていました。酒を収容した倉庫だったのでは?と会計も話していました」
『昔ここは、勉強室だった』とドルドレンに聞いていたので、その部屋にわざわざ酒の隠し倉庫・・・・・ そう考えると、昔は規律が相当厳しかったと想像できた。
ダビの案内で一緒に地下へ降りると、本当にがらんとした天井の低い倉庫、といった雰囲気だった。
イーアンは屈まなくても歩けるが、ダビはちょっと腰を屈めていた。ドルドレンじゃ腰が痛くなりそうな。でも後で『自分も入る』と言うだろう。
天井は相当がっちり作ってあり、太い梁が何本も通っていた。・・・・・お酒、よほど大事だった。
樽や瓶は片付け、明かり用の燭台も用意してあると指差し、『地下の室温は低いです。でも土の中なので、凍る事はないでしょう』そうダビは言いながら、塩漬けの皮や、処理待ちの生ものはここへ、と教えてくれた。
部屋へ上がり、暖炉に火を焚き始める。低い温度で管理したいものは地下へ移した。
変な言い方だが、この部屋が自分を待っていたような気がしてしまう。地下の天井の高さも、自分にはぴったりと思うと、イーアンは嬉しかった。
暖炉は無事、問題なく使えると分かり、快適な冬を過ごせる事に感謝した。
暖炉がこんなに早くできるとは、とダビに話すと『壁をぶち抜いたんです。あとは煉瓦で固めて、煙突もまぁそれなりに』と恐ろしく簡単に答えた。
壁に埋まったような暖炉は、内側は石と煉瓦。壁際にしっかりした木材で枠が組んであった。床板が暖炉の手前50cmくらいから切られて抜かれていて、木の板の代わりに石が敷き詰められていた。
暖炉の中に、金属の棒が横渡しに入っていて、『あの棒に鉤をかけて、鍋とか吊るせば料理できますよ』とダビが教えてくれた。鍋や鉤は後で持ってきてくれる、と言ってくれた。
「あと。棚が要るでしょう?総長が棚用の木材をその辺に集めておいたらしいので、私が組んでおきました」
ほら、と指差されて、イーアンが振り返ると、あら本当。自分がドルドレンに頼んでおいたサイズの木材が既に棚として設置されていた。
ダビが言うには『置き場所はもう限定ですから』と。地下室の戸の上には置けないし、ど真ん中に作業机もあるし、窓際には暖炉もあるし、作りつけの棚もある。だから、そこね。と・・・・・
本当は。イーアンは抱きついて喜びたかった。感無量、何と感謝を表現したら良いのか分からない。
抱きつくわけに行かないので、それを言葉にして――とても嬉しい。抱きつきたいくらいに嬉しい――と、ダビに伝えて、深く頭を下げてお礼を言った。イーアンの気持ちは『ドラ○もん』がいる気分だった。ド○ちゃん、ありがとう・・・・・
ダビは照れて『そんなに喜ばないでも』と笑っていた。工房作りは楽しいですから、とサラッと返してくれた。
丁度その時、扉を叩く音がして、『朝食は?』とドルドレンが扉を開ける。
イーアンは、ドルドレンにいろいろと嬉しい出来事を説明した。
聞いていると(若干、焼きもちによる)良い所を持っていかれたような気持ちもあるが、この間、自分はイーアンと過ごしていたのもあり、素直にダビに感謝した。ダビは『自分も物を作るから分かる』と返した。
部屋に鍵を掛け、3人で一緒に朝食に向う。イーアンは食事中、ドルドレンと一緒に行った鎧工房の話や、ダビの作った剣の威力、ソカの具合や、金属の問屋の話をした。
ドルドレンが実際に剣を使った感想と、イーアンのソカについても自分が見たままを伝えた。イーアンは問屋で、金属と一緒に工具や砥石も購入した事を話し、それはダビの分だと教えた。
興味深そうに聞いていたダビは、砥石や材料を自分のために購入した話を聞いて、とても嬉しそうだった。
「私には演習などもありますから、空いている時間で手伝うしか出来ないですが。でも出来る限り、イーアンの力になれるように時間を作りましょう」
材料を入手すると、こんなに良い笑顔。イーアンはその気持ちが良く分かる。
あっ、と思い出して、ルシャー・ブラタの職人から預かった手紙があることも話した。ダビの顔つきが変わり『午前中の演習が済んだ後で見ましょう』と約束した。
「そうでした。私、シャンガマックの鎧を作ってあげたいのです」
イーアンがそう言うと、『じゃあ、工房の指示を参考にやってみますか』とダビも面白そうに乗ってきた。朝食の光差す広間で、この二人のきゃっきゃ、きゃっきゃ(※ドルドレン視点)した世界が――
――完成品は俺が最初。 君はそう言っていたが。いつの間にシャンガマック。
確かに彼の鎧は破損したし、代替品も購入するの忘れていたけど。だからって。処女作は旦那様じゃないの? その話、覚えてる?
もしかして。暖炉と地下倉庫と新しい棚で、俺は消えたのか。 ・・・・・暖炉+地下倉庫+新しい棚+工房の秘儀=新しい鎧(必要者:シャンガマック)の創作意欲 > 俺。 か?そうか?
無表情で頬杖を付きながら、とっくに食べ終わった朝食の皿を、指でくるくる回し続けるドルドレン。真横に座るイーアンと向かいに座るダビの会話に入っていけないまま、二人を眺めて自分の存在を考えた。
朝食時に傍から見ていた騎士たちは、総長がもの凄く疎外感に浸っているのが怖かった。演習に影響すると思うと、不安が募った。
昨晩のプチ会議の何人かも、この異様な状況を遠くから見ていたが『ダビは良いんだ』と思うだけだった。
確かにダビは女に関心もないし、イーアンが服を着替えた時も誉めてはいたが『素材扱い』していて、別にイーアンが男でも、女でも、間でも?良いのだろう・・・と伝わってくる稀な男である。
だから総長も怒らないのかなー、とひそひそ話し合った。どう見ても、二人の世界を見守っている(不本意そうだけど)そんな総長に哀愁が見えた。
いつもより長めの朝食時間が終わり、ドルドレンは執務室に出向の報告(鎧工房変更と使ったお金)をするため、イーアンを工房へ送り『後で迎えに来る』とイーアンの頭にキスをした。
「帰りに欲しいものはあるか」
「もうそろそろ紙がないのです。執務室で紙をもらえますか」
分かった、とドルドレンは頷いて『出来るだけ、扉を開けてはいけない』と少し緩めに注意して、執務室へ出かけていった。
工房を見渡す。 戻ってきたら、暖かな火が燃える暖炉があり、地下倉庫があり、大きい材料をしまう棚が出来ていた。しばし感慨に耽る。
さて、と気持ちを切り替え、出向で見た魔物の特徴と素材用の回収部分を紙に書き始めた。
鎧工房のオークロイに最後に教えてもらったことを思い出し、紙に絵を描き写す。字を書き込みながらハッとする。
ギアッチの授業。今日もあるだろうか、と。
時間はもうすぐだけど、工房を出るのもどうしよう、と考える。昨日は戻ってから顔を合わせていないので、ギアッチの予定を聞いていないままだった。
扉が叩かれ、顔を上げると『イーアン、おはようございます』とギアッチの声がした。
超能力か、と思うタイミングだったが、急いで開ける。『やあ、昨日は会わなかったですね』とにこやかに言うギアッチ。イーアンは中へ通して、今授業を思い出したことを話すと、ギアッチは笑った。
「そうだろうと思いました。あなたは夢中になるといろいろ忘れるから。さっき広間で、ダビと鎧の話で盛り上がっていたでしょ」
そう言いながら教科書とノートを作業机に置いて、『今日授業するならここでも良いですよ』とイーアンの答えを訊いた。
「すみません。宜しくお願いします」
多分、年齢は自分のほうが年上だと思うが、何となく先生・ギアッチには大人しく従う自分がいる。『いいの、いいの。勉強はどこでも出来るからね。工房も良い感じになったじゃありませんか』とギアッチは茶色い目を細めて工房を見渡した。
「これだけ居心地が良くなると、授業はこっちの方が良いかな」
ギアッチが笑いながら、イーアンにノートを渡して教科書を開いた。イーアンは出張授業を有難く受けた。
一時間後。 授業の終わりに、自分の名前を書けるようにしたいことと、試作ソカを使ったことを話した。ギアッチは微笑んで『名前はすぐ書けますよ。あのソカは危ないから心配ですが、普通のソカはまた教えてあげましょうね』と言って、また明日、と工房を出た。
一人になった工房で、時間を見るとまだ早い午前。
勉強すると慣れない頭を使うからか、すごく時間を使った気がする。でも休んでもいられないので、材料が届いたらすぐ取り掛かれるよう、作るものの候補をリスト化しておく。
常時取り組み、はシャンガマックの鎧。
他の時間に取り組むのは、武器と道具。遠征に出れば数日間は作る時間がないから、同時進行でキリの良いところまで進めながら、いつ戻ってきても続きが出来るように予定を組んだ。
ドルドレンには剣が良い、と思っていた。長刀を使うから、長さが取れる材料で、強くて硬くて使いやすい剣。一つ、考えている事があった。
細身の剣は剣身そのものが【板皮甲】だった。あれでも良いみたいだが、長さがあれ以上にはならない。だから。
「イオライセオダで・・・剣身を金属にして、刃を板皮甲にして・・・柄に革を巻いて」
思っている剣の姿を紙に描く。ドルドレンの剣を思い出しながら、こんな具合、こういう感じ、と思いつく事を書き込んでいく。
鞘はルシャーブラタに相談してみて、剣の刃に負けない作り方を聞いてみて。
可能かどうかは相談しないと分からないし、可能であっても耐久力がなければ意味もないから、自分の知識は一部的。相談して、試作してみて、上手くいくとなったら。
「ドルドレンにあげよう」
イーアンは剣のイメージを紙に書き終わって、微笑んだ。
そこまで済ませると、扉を叩かれた。
『イーアン。表に荷物が届きましたよ』
開けると今日の門番の騎士がいて『結構、買い物したでしょ』と笑った。『もう着いたの!』喜んだイーアンは門番の騎士と一緒に玄関へ向かった。
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