1158. インクパーナの祈祷師 ~祈祷師の導き
馬車の一行は、ワバンジャの案内で道を戻る形で向きを変え、少し進んだところに岩山の道があることを知った。
そこは道に対して、急角度に切れ込んだ狭い場所で、道から眺めれば、岩肌に亀裂が入ったようにしか見えない。
ワバンジャがそこへ入ったので、馬車は入れないのでは、と皆が気にすると、どういうわけか、見ている前で亀裂にも似た隙間はがくっと奥を見せた。
それは一瞬で、直視していたミレイオの目もかっぴらいたが、『何があったのか分からない』とガン見しながら呟くしか出来ない。戸惑う一行に、中から出てきたワバンジャは『早く』と普通に声をかける。
大丈夫なんだろう・・・な。 と、ドルドレンはドキドキしつつも、馬車を出す。後ろの馬車も続き、ほんの数秒前まで人一人分の亀裂しかなかった場所へ進んだ。
「今の。何だったのか」
ドルドレンの小さな声は、横のイーアンの耳に届く。二台の馬車の間にいるバイラも、怪訝そうにしていて、ドルドレンと同じ疑問を、荷台に乗る親方に訊ねていた(※超ちっちゃい声で)。
問われた相手も知るはずないこと。イーアンも親方も、首を傾げて苦笑いするのみで終わった(※親方は見ていない)。とりあえず、不審な人物には思えない、ワバンジャ。疑うのも違う気はする。着いてから訊こう、と皆の胸中に同じ思いが渦まく(※不思議でいっぱい)
岩が両脇に狭く立つ道を通る馬車。開いたんだろうと分かるのは、岩から突き出ている木々の根が見えること。
光は頭上の隙間から入ってくるので、そこまで暗くもないが、その不思議な隙間をゆっくりと進んで、暫くしてからようやく『出たら、俺の言うことを聞いて』と前のワバンジャが伝えたので、出口だと知る。
出てきた場所は、まるで風景が違った。
御者台にいるイーアンとドルドレンは、ビックリして声を上げた。その声に驚いた、バイラ、後ろの仲間も、次々に二人の声の意味を理解した。
「すごい。さっきと大違いだわ」
ミレイオは感動する。草原が広がるそこは、遠くにぐるっと囲む山の連なりに守られ、青空にはたくさんの鳥が飛んでいた。青草は風に揺れて、そこかしこから花の香が運ばれる。
よく見れば、小さな紫色の花が花穂で咲く草の群れだった。姿は見えないが、澄んだ空気を振るわせる動物の声も聞こえる。離れた場所に点々と、塚のような影が見え、そこから白い煙が立ち上っていた。
「俺の部族が生活している。来い。食べ物を渡す」
一行に声をかけると、ワバンジャは滑るように草原を走り出す。後を追う馬車も少し早く進め、爽快な草原の夏に、ドルドレンもイーアンも嬉しくなる。
「ハイザンジェルの・・・北東の山みたいだ」
「そうなのですか。ここは、美しい場所ですね」
「シャンガマックがいたら、きっと喜んだだろうに。彼の部族の住まいは知らないが、彼が教えてくれた地域は、こんな感じの風景だった。
同じテイワグナに思えない・・・というべきか。さっきまでの場所が、近距離とは信じられん」
ドルドレンは笑顔が子供のようで、きらきらしている灰色の瞳を見ているイーアンはシアワセ(※伴侶絶世の美丈夫=最高)。神様に感謝して(←毎度)それから、イーアンも草原の海を見渡す。
離れた向こうで、動物の群れが走る音がし、そちらを見ると、野生動物の群れの影が走って行く。
すぐにそれが、普通の動物と分かるのも意外な安心感を得る。魔物の気配が一切ない、この場所。
流れる草原の青草。香りも麗しく、本当に青っぽく輝く生気漲る元気な草たちに、イーアンは快い安堵を覚えた。
後ろからも、きゃあきゃあ喜びの声が聞こえる。
特にミレイオが大喜び。フォラヴとザッカリアの声もする。二人も、美しい草原にはしゃいでいる様子。親方も『旅行みたいだ(←旅なのに)』と嬉しそうな、大きい声を出していた。
そうしているうちに、どんどん近づく部族の住まい。
気が付けば、軽い足取りとはいえ、走る馬車と同じくらいの速度で、ワバンジャは走っていたのだと、今更思うイーアン。彼はぐーっと馬車を引き離してから振り返り、『止まれ』と合図。
馬車は急に止まれないので、ドルドレンもミレイオも急いで手綱を引いて、速度を落とす。その距離がちょうど、ワバンジャの前だった。
若者は二頭の馬に近寄って、鼻づらを撫で『疲れたか。お前たちも、草をたくさん食べると良い』と笑った。
センもヴェリミルも、ワバンジャの言葉を知るように首を揺らすと、ワバンジャも微笑んだ。
ここからは、いろんなことが早送りのように起こる。
馬車が到着したのは、ワバンジャの部族の住まい、その門に当たり、中から数人が出てきた。ワバンジャと彼らは少し会話し、彼らは頷いて、あっさりと馬車を通した。
しかしすぐに馬車は止められる。どうも『馬の場所』があるようで、バイラが馬を下り、馬車からも全員が下りると、馬は綱を外されて、草と水のある場所へ連れて行かれた。
ポカンとして見送った一行。旅人より先に、馬を案内した人たちを見つめていると、別の人たちがやって来て、彼らはワバンジャに挨拶をした後、旅の一行を手招きで案内。
ワバンジャも一緒に移動したが、『ちょっと先に行ってくれ』とイーアンに言うと、一時的になのか、姿を消した。
不安な中、一行は部族の住まう土地の中を歩き、通り過ぎる皆に見られながら、一つの家に入る。
家という印象ではないが、塚のように裾が広く、上がすぼむような造りの家で、土と草を混ぜた壁で作られていた。
そこへ入ると、中は少し薄暗く、ひんやりしている。一行は意外に思えるほど広さのある、その塚型の家の中で座るように指示され、段のある場所に腰を下ろす。座面には毛皮が敷かれていて、ザッカリアは興味津々だった。
皆が座って間もなく、ワバンジャが現れて『食事を』と頷く。その言葉を合図のように、仕切られた壁の向こうから盆を両手に持った人たちが来て、一行の前にある、低く長い机に料理を置いた。
料理は、木の実と芋と肉を煮たものと、栽培種なのか、穀物に似た大きい黄色の粒が炒ってあった。
どうやって食べるのかと見ている皆に、料理を運んでくれた女性たちは、円形にほどなく近い匙を渡し、木のコブをくり抜いたような形の椀に料理を入れてくれた。
女性は若い人もいれば、中年の人もいるが、無表情で何も喋らない。手渡されたイーアンたちはお礼を言ったが、彼女たちは少し目を合わせただけで、その場を離れた。
イーアンはこの光景には驚いた。
うちの『イケメンズ6(※バイラも漏れなく参加)』を前に、ここまで無表情・無関心はスゴイ!ある意味、鉄仮面のような精神性の高い表情に、イーアンは心の尊さを感じる(?)。
心の中で驚くイーアンに、皆の方が驚いていた。皆の目には『角ある人いるのに』料理を運んだ女性たちは、一切、イーアンに反応しなかった。
しかし驚いている時間も僅か数秒。『食べて』と促されて、ワバンジャと一緒に客人は食事を摂る。
ワバンジャも食べる姿に、何となく皆は親しみを感じた。食べている間、いくつかの質問をしようとしたが、ワバンジャはちらっと見ただけで、小さく首を振って答えなかった。
なので、誰も食事中は話すことなく。
ザッカリアも『美味しいよ』とは言ってみたが、ワバンジャが微笑んだだけなので、それ以上は何も言えなかった。
静かな昼食は終わり、食べ終わって家を出た皆が、美味しい素朴な料理の礼を言うと、ワバンジャは振り向いて頷く。
「口に合って良かった。次は金属だな」
「ワバンジャはなぜ、食事中は喋らなかったのだ」
金属に話を流したので、ドルドレンがちょっと聞いてみる。若者は背の高い男を見上げて『食べている』と答えた。分からなさそうな黒髪の男の顔に、若者は少し笑う。
「俺たちが食べている命を、体が受け取る。命が命になって続く。話をしたら、命を渡しているのに、逃がしてしまうぞ」
ワバンジャはそう言うと、馬を取りに行き、3頭の馬を連れて戻ってきた。ドルドレンたちの馬も、ちゃんとお腹いっぱいになったようで、げっぷをしていた(※馬満腹)。
若者の話したことが、とても印象的で。口数少なく感心に浸るドルドレンたちは、馬を受け取った後、謹んでお礼を伝えた。
それから、慌ただしく出発する。会話は移動中。
ワバンジャは丈の長い草の中を、何に乗ることもなく走り続ける。無理をしている様子はなく、常にそうであるかのように、草原を泳ぐように滑るように、彼は動いた。
後ろから見ていると、彼の被った動物の皮が動いているように見えて、まるで動物に案内されているようだった。
草原を抜ける間。ドルドレンはイーアンに『少し気になったことが』と小さい声で呟く。イーアンが待っていると、ドルドレンの話は、自分の気になったことの一つと知った。
「ワバンジャが特別」
「そう思わなかったか?彼だけが人種が違うようにさえ見えた。
他の者は、同じ民族と分かる。バイラのようなテイワグナの人ではないが、皆に似通う特徴があった。それはワバンジャと異なる」
「思いました。でもこうしたこと、時々見かけますね。私、他にも思うところあり」
何?と訊いた伴侶に、イーアンがずっと気になっていることを教えた。
「気配か。それは、冠を今使ってない俺には分からないか。
ふーむ、それに立場的なもの・・・ワバンジャが、あの村の最高位と思うのか」
「間違ってないな」
イーアンとドルドレンが目で追っていた動物の皮はそのまま、前を進んでいるのに――
ハッとした二人が横を見た時、ワバンジャはイーアンの横に座って、笑顔を向けていた。驚く二人は目を丸くして『いつ?』と同時に呟く。
「さっき。でもそんなことはいい。これから金属のある場所へ行くが、俺の話も、ここの話も誰にもしないでくれ」
「それは構わん。するなと言われれば、そうする。親切も受けたし」
イーアン越しに答えた男に、ワバンジャは頷く。
若者を見つめる二人。毛皮は一人で走り続け、並んで御者台に座る男は、腰に布を何重かに巻いただけで、上半身は裸。簡素な靴は履いているが、装身具がたくさん着いていて、ペイントの模様も体じゅう。
日焼けした細身の体は筋肉質で、青紫色の目と赤い髪が目立つ。目が少し垂れていて、顔が子供っぽさを引き立てているような印象。
「俺は祈祷師だ。部族を守り、導く。これ、触っても良い?」
自己紹介を始めたと思ったら、いきなりイーアンの角に手を伸ばす(※良いって言う前)。
おいおい、と勝手に触る坊主に、イーアンの目が据わる。『引っ張ってはいけません。痛いから』そういうことしそうだよ、と思って先に言うと、触りながらワバンジャはイーアンの目を見た。
「そんな乱暴なことはしない。綺麗な角だ。俺は生き物を大切にするよ」
生き物・・・何気ない純粋な一言に、イーアンはさらに目が据わり(←生き物)ドルドレンは可笑しくてちょっと笑った。
奥さんがちらっと見たので、ドルドレンは咳払いして『ワバンジャ』と呼び、自分を見た若者に、『彼女は龍だよ』と特別であることを念を押す。
「聞いたから知ってる。でも生き物だ。俺たちは同じだ。強くても弱くても、生きている。俺は皆に優しいよ。傷つけるものには立ち向かうけど」
ドルドレンもイーアンも。彼を見つめ、なかなか・・・こうしたことを言える若者は会えないなぁと(※大人)しみじみする(※イーアンは角をナデナデされ中)。
ワバンジャはイーアンの角が気に入ったようで、龍は他にもいるのかと訊ねたが、イーアンのお話により『龍は空』と理解し、残念そうに角を撫で続けた。
それから『金色の目は』と彼から質問。
「ミレイオとザッカリアの目ですか。彼らは特別に美しい目を持ちます」
「あれは精霊?」
思ってもいない言葉に、イーアンが聞き返すと、ワバンジャは『金色の目は、この世界の遠くにいる存在だ』と思っているらしかった。
「良いところ突いています。彼らは空の力を受け取った存在」
「そうか。でもイーアンは普通の目だな」
ぬぅ、と唸る女龍。ドルドレンは笑うのを我慢し、丁寧にワバンジャに『彼女が特別、空では目立つ存在だ』と教えた。
「ワバンジャ。精霊に会ったことがあるのだろう。祈祷師というのだから」
「あるよ。だけど、顔を見れるわけじゃない。あんたの目も綺麗だよ。まるで、太陽の熱を受けた金属のように輝く」
ドルドレンの灰色の瞳に、ワバンジャが褒める。ドルドレンは迂闊に心にさくっと来た言葉に、ちょっと照れた。お礼を言ったが(※少し顔が赤い)頭がぽーっとしたので、黙っていた。
「どこからどこへ行くのか。出て行けと言ってはしまったけれど。でも、イーアンたちは善良。また会いたくなるな」
「遠い旅です。まだまだ終わりません。いつか会う日が来れば、それは運命でしょう」
角を撫でるワバンジャは、見上げた女龍の顔に微笑み頷く。『そうだね。運命だな』と答えると、前方の山の手前にある、木々の境目に視線を向けた。
「あそこに金属がある。あの溜まりだ」
それを教えると、ワバンジャは立ち上がり、御者台を下りた。走る馬車から下りるにしては、あまりにも普通に。ぼんやりと見ていた二人は、ハッとして、すぐにワバンジャがいないことに気が付く。
さっと前を見ると、走り続けていた動物の皮が振り向き、ニコッと笑ったワバンジャがいた。
「彼は」
「ええ、一体。あの方は」
ドルドレンも、勿論イーアンも、ワバンジャの不思議に声を失う。
そんなことを何にも気にしない、自由な若者は、走り抜けた草原からひょっと跳び上がり、木々の開いた場所に突出する岩の上に立った。
「ドルドレンみたい」
「いや。俺はあそこまで自然には動けないぞ」
何かが変だ、と二人は感じながら、ワバンジャの人間とは思えない動きを見つめ、馬車は草原切れ目で停まった。そこには、そこかしこに輝きを撥ねる硬い地面が続いていた。




