1157. インクパーナの祈祷師 ~ワバンジャ
誰だろうと皆が思い、声を返す前に、上で何かが光る。
「おかしい」
きらっと光った瞬間、イーアンが怪訝そうに低い声で呟いた。さっとミレイオがイーアンを見ると、女龍は白い翼をびゅっと出して、いきなり消えた。
「え」
皆が驚くのと同時に、イーアンの六枚の翼が陽光の影になった。皆と馬車を守るように、宙に浮かぶ女龍。
片腕を上に伸ばしている姿に、誰もが何かがあったのかと目を見合わせた。浮かぶイーアンに向かって、頭上の声がまた響いた。その声は、戸惑うように揺れる。
「お前は」
「私はイーアン。あなたはなぜ攻撃しましたか」
「お前、お前。誰だ、その姿」
「私の質問に答えなさい。あなたはなぜ攻撃したのです」
「攻撃じゃない。お前たちに答えがない」
イーアンは、その声の主をじっと見ていた。岩の上に立つ者は男性で、逆光に影になった様子は人のものではないが、気配は人だろうと思う。
不思議なのは、気配が消えたり現れたりしていること。
最初に声をかける前は、相手の何も感じなかった。イーアンが鈍いだけではなく、仲間の誰も気が付かなったのだ。言葉を発した時から今は、人の気配を感じる。
その気配。危険なものがないのに――
「おかしいですね。あなたは悪い人間じゃありませんでしょう。なのに、槍を投げました」
「お前は誰なんだ。お前か?魔物を倒したのは」
話が食い違うのは面倒臭い。翼があって宙に浮いている人なんか見ないから、こうした会話になりがちなのは分かるけれど(※というか、大体こうなる)。
「やれやれ。仕方ない、先に言いますからね。
私は龍です。龍で、名前がイーアン。私の仲間に槍を投げたあなたは?」
「龍・・・イーアン?龍だって?」
「会話が続きませんっ(※苛っとイーアン)いいや、そっちへ行きましょう。私は攻撃しません。あなたが私を攻撃しても無駄です。
はい。どうしますか。このままじゃ、話にならないですよ」
「龍。攻撃が無駄?本当か?俺の槍はどこへ」
「あーーー(※メンドー)もー、良いです。そっち行きますから、逃げないで説明して下さい」
うんざりするイーアンは、首をコキコキ鳴らし、髪をかき上げて、うんざり丸出しの顔で会話相手のいる場所まで飛ぶ。
下方で、名前を呼ぶ伴侶の声がしたので『大丈夫ですよ』と振り返らずに返事はしておいた。
「うわっ 来た」
「おや。人間ですね。見た目が随分と暑そう」
驚いた相手は後ずさったが、逃げはしなかった。イーアンは翼をすぼめて、彼の前に立った。距離3m。
翼を畳み、両腕を垂らしたまま、首を傾げて、目の前の相手を観察する。相手もまじまじ見ている。
相手は若者で、思うに20代。顔にペイント。腕にもペイント。青っぽい目が影に見えるが、はっきりしない。
頭のついた肉食獣の毛皮を頭からすっぽり被っていて、胸の前と腹辺りで毛皮を閉じて体を包んでいる。
肘から下と、膝下は出ているが、その手にも足にも、ペイントと飾り物がたくさん着いていた。
「ふーむ。暑くありませんか(毛皮着用⇒今、夏)」
「何だ、その質問は。お前こそ、その黒い長いの」
会話の返しが小学生ですよ・・・うーん、と悩むイーアン。『これはクローク。熱くないの』と一応、教えてあげて、毛皮坊主にもう一度質問。
「さて。私は自分が誰かも話しました。あなたは何ですか。
まず質問に答えて下さい。なぜ槍を投げたのです」
「お前たちが答えないから。威嚇だ」
「動物みたいなことを。突然、槍なんか投げて危ないでしょう」
「動物を馬鹿にするな。槍は当たらないように投げたんだ。俺の槍はどこだ」
「消しました。っていうかね。消えちゃうのです。私に攻撃するものは」
「な。何だって?!返せよ、俺の槍!」
「何ですか。投げておいて。大事なら投げてはいけません(※正論)。返せないですよ、消えたし」
「お前、いきなり人の土地に入ってきて!勝手に動いて、槍まで」
あーメンドー・・・・・ イーアンは毛皮坊主に眉を寄せる。
毛皮坊主は怒っていて(?)槍を返せとそこにこだわる。そこじゃないでしょう、と思うイーアンの困った顔なんか見やしない。
ずーっと『あれは大切』『どうにかしろ』『返せ』を連呼するので、イーアンは小さく何度も頷いて(※軽く往なしてる)彼にちょっと黙るように伝えた。
「槍は、どーにかしましょう(※口約束満々)さて。あなたの名前。そしてなぜ攻撃したのか。この二つに答えて下さい。
聞かないうちは、おちおちお昼も食べられません。ザッカリアが、お腹を空かしているというのに」
「昼?腹が減ってるのか」
「あのね。あなた、いい加減に私の質問に答えて下さいよ。そっちはその後」
会話にならないよ~ イーアンは困る。
こういう人、時々いるけれど。全然、会話が進まないのだ。悪い人ではないのだろうが、攻撃したり威嚇したりの理由を確認しないと、仲間が騒ぐ(※血の気多い人いる=親方&ミレイオ)。
据わった目で、答えを待つ女龍。若者は何やら、ちょっとは理解したようで(※遅)鼻を擦ると『うん』と小さい声で答える。
「ワバンジャ。俺は、精霊と生きるワバンジャ。
攻撃していない。この土地に誰かが入れば、いつもああして威嚇する。答えがない場合は、碌なことがない」
「ふむ。ワバンジャ。ようやく、お名前呼べますよ。
先ほどからの言い方で、ここは『あなた方の土地』らしいですね。でも、道が通っています。道があるなら通過は」
違う、と遮った若者に、イーアンは黙って、彼の続きを促した。ワバンジャはすぐに『道は勝手に作ったんだ。ここは俺たちの土地だ』と答えた。
イーアン、了解。こうしたことはどの世界でもあるな、と理解した。『なるほど』短く答えて、ワバンジャに話そうとした矢先、下から名前を呼ばれたので、イーアンはそちらを向く。
「ワバンジャ。仲間が心配しています。もしくはお昼」
「ここから出て行け。来た道を戻って」
「目的があるのです。ここを選んだ目的」
「目的なんて知らない。違う人間は、迷惑しか持ち込まない」
「魔物を倒したのも、迷惑でしたか」
イーアンが静かに答えると、ワバンジャは口を閉じる前に黙った。『お前が倒して』そう言いかけて、首を振り『ごめん。イーアンが倒して、と言い直すよ』きちんと謝る。
おや、と思うイーアン。名前を教え合うと、ちゃんと名前を大切にする・・・ふぅん、と感心。
「そうです。私ともう一人で倒しました。犬の魔物の群れでしたが、もう出ないと思います」
「そう。有難う。本当にもう、魔物はいないのか」
「他にもいれば、それは知らないですけれど。私たちが倒したのは、犬みたいな、このくらいの大きさで。顔に石が付いているよう・・・岩のような皮膚なのですよ」
「うん、それ。倒せたのか」
頷くイーアンに、ワバンジャが数歩近づいて、目の前に立った。そして見下ろす。ワバンジャの方が頭一つ分、背が高い。イーアンは見上げる。
顔のかわいい若者で、目が青紫(※某・王様の目と同じ)。毛皮の下に見えた髪は赤毛のようで、肌は茶色くない。ただ、日焼けしているだけに見えた。
本当にテイワグナの人かなと思う雰囲気に、イーアンは人種の境目が分からない。
ワバンジャも見下ろした相手の頭にある、白く長い太い角を見つめ『本当に角が』と静かな声で呟き、イーアンの顔や、首、肌を見て『とてもきれいな白』と褒めた。
「有難うございます。人間の白い肌ではないから、気持ち悪くありませんか」
「どこが?白くて、少し紫色みたいに見える。龍は綺麗だな」
イーアンはお礼を言って、男の龍はもっと綺麗(※真実)と自慢しておいた。ワバンジャは目を丸くし、まだ龍がいることに驚いていた。
「龍か。強いのは当たり前だな。魔物を倒してくれたのは礼を言う。
もう一人にも礼を言いたい。だけど、それが終わったら、出て行ってくれ。腹が空いているなら、食べ物は分ける」
イーアン。彼の言葉の強い意志に、何かきっと、動かせない記憶が絡んでいると判断した。
嫌なことを味わったのかも知れない。それで、ここまで頑なに拒んでいるのかも。
その嫌なことは、彼に理不尽だったのでは。彼が、間違っていたわけではなさそうに思えた。
少ししか話していない相手であっても、この人が悪くないくらいのことは、イーアンにも分かった。
「私一人なら。そうします。ですが、仲間がいますから、私が返事を出来ません」
「礼を言いに行く。それで俺が直に言う」
こういうこともあるよね、と。イーアンは仕方ないこととして受け入れる。
彼の部族的な姿や話から、ここは彼らが大切にしていた土地なのだと、分かる以上、通り道に選んだだけの自分たちが抵抗するのも違うのだ。
ワバンジャが『下へ降りる』と崖の下を覗き込んだので、イーアンが『飛びますか』と訊いてみると、ワバンジャはびっくりした顔で『俺は飛べない』と答える。
「そうじゃありません。私があなたを支えるから、一緒に降りますかと、訊きました」
「お。降り。俺?俺を支え(※困惑丸出し)。手を離されたら」
「龍は約束を破らないです。じゃなくたって、私、個人的に約束破りません。落としませんよ」
やり取り長くなると思い出して、イーアンはさっくり終わらせると、翼を出して、凝視しているワバンジャの背中側へすたすた回り込み、彼の毛皮ごと、わしっと両腕で抱き締めると(※毛皮分で胴回りすごい)わぁわぁ言っているワバンジャを抱えて飛んだ。
「暴れて勝手に落ちても困ります。大人しくして下さい」
「浮いてるっ 浮いて!」
そりゃ、飛ぶんですもの・・・イーアンが可笑しそうに答えて、翼で宙を叩くと、ぐーんと空へ上がった。
「わ!下だぞ!上じゃない」
「どうせすぐに着いてしまうんです。ちょっと勢いつけましょう」
イーアン遊び心。純朴な部族の若者に、空を飛ぶなんて滅多にない体験だと思い、ニコニコしながらぐわーっと上昇。
ワバンジャが騒ぎ『怖い!地上を離れるな』と命令するが、イーアンは笑って相手にせず『そろそろ滑空します(※ワバンジャ真っ青)』掴まってね~・・・と言いながら。
旋回して翼をすぼめ、小さく見える谷の道にいる馬車をめがけて、飛び込むように滑空した。
「わーーーっっ!!!!」
「ハッハッハッハ・・・・・ ダイジョブ、ダイジョブ(※余裕イーアン)」
物凄い勢いで、落ちるように戻ってくるイーアンと、どうやら捕まったらしい相手(※決定)に、ドルドレンたちも半ば同情気味に見上げていた。
「あの速度で落下されたら、きっと夢見が悪いでしょう」
気の毒ですねと苦笑いしたフォラヴに、タンクラッドも笑って『寝れないかもな』と付け加える。
「イーアンは。また他の男を抱えて」
「よしなさいよ、その言い方。あれじゃ、捕まった方が可哀相だわよ」
ドルドレンの眉を寄せる横顔に笑うミレイオは、黒髪の騎士の腕をポンと叩いて『ほら。帰ってきた』と馬車の前に降臨した女龍と、その被害者を指差す。
「お帰り。どれ、その子は誰なの」
近づいたミレイオに、ワバンジャはさっと顔を向ける。その目を見て、お互いに目を丸くする。
「何だ!金色の目?」
「へぇ。綺麗な青紫ねぇ!」
それからミレイオは、獣の頭付きの毛皮を着た若者を、ちょっと背を反らせて全体的に眺め『ふぅん』と頷く。
「素敵ね。部族なのね」
「ワバンジャ。この方が、私と一緒に魔物を倒しました」
ハッとした若者は、自分より少し背の高い男を見て『倒してくれたのか。有難う』とすぐ礼を伝え、それから、自分を見ている全員を見渡した。
「魔物を倒してくれたのは、礼を言うべきだ。だから言いに来た。だけど。ここは俺たちの土地だ。道を戻って出て行ってくれ」
唐突に『出て行け』と宣言されて、タンクラッドはドルドレンを見る。ドルドレンも親方を見てから、すぐにバイラを見た。バイラは僅かに首を傾げる。その目が不可解そう。
「ここは誰かの土地?」
小さい声でザッカリアが訊ね、バイラはすぐに『いいえ。この奥はそうだけど』と答える。その答えを聞いたワバンジャの顔が、さっと怒りの色を含んだ。
「俺たちの土地だ。ここは『インクパーナ』。精霊と魂を迎える土地。他の誰の土地でもない」
ワバンジャの一声で、親方とミレイオ、イーアンが顔を見合わせる。若者は彼らの視線が行き交うのを目端に捉え、イーアンを振り向いた。
「何だ。何かあるのか」
「ワバンジャ。聞いて下さい。インクパーナの金属を探しに来たのです。ここへ通った職人が教えてくれた場所が、あなたの土地」
「ん?金属・・・職人。キキ?」
あ、と声を上げたミレイオ。タンクラッドも少し眉を上げて『ほう』と展開に驚いている。
「お前。俺はタンクラッド。キキにこの場所を聞いた。俺はキキから、この場所で金属を調べるように言われた。あいつが通ったとか」
「キキに。俺の槍を作った男だ。決して壊れない槍を」
タンクラッドは満足そう。ミレイオも少し口端を上げて頷いた。イーアンとしては、複雑(※消しちゃったから)。
ドルドレンは彼らの話の流れを見ていて、ゆっくりと割って入る。
「そうか。ではお前の槍はさておき。イーアンが連れてきたと言うことは、お前は危険ではない。それと、俺たちの馬車に『来た道を戻れ』と告げたかった。
俺たちは、インクパーナの金属を探しにここへ来たわけだが、どうもお前の土地にある様子。
つまり、『危険ではない、話せばわかる相手』の土地に『俺たちの目的の金属』があり、それさえ調べれば『俺たちは来た道を戻る』わけだ。さて、どうしたものかな」
低く落ち着いた声で、総長は毛皮の若者に、今どう判断するべきか、教えた。若者はポカンとしたように、黒髪の背の高い男を見上げ『調べるだけなら』と答える。
イーアン、伴侶のお話の仕方に、心の中で拍手を送る(※スバラシイ会話能力)!
黒髪の美丈夫はにこりと笑って頷いた。
「そうだな。それだけで帰る。と言いたいところだが、腹が減ったから、何か食べてからだ」
ハハハと笑ったドルドレンに、ワバンジャは笑わずに彼を見つめる。
「腹が減ったのか。一緒に来い。食べるものをあげるよ」
え?と笑顔を止めたドルドレンに、若者はもう一度言う。
「俺たちの土地に入った者が、腹を空かせていたら。俺たちは食べ物を渡す。ここは暑くて、乾いている。食べて力を付けて、それから出て行け」
ワバンジャの温かい言葉に、嬉しくなったイーアンは笑った。ミレイオも笑って首を振り、ザッカリアはそっとワバンジャに近づき『有難う』と先にお礼(※腹ペコ)。
見上げた子供の目に、またも『金色の』と言いかけて、見つめたワバンジャは、何かを言いたそうにして黙り、子供のお礼に微笑んで頷いた。




