1145. 別行動:山脈の人々 ~再会と別れ
天井のような岩盤を抜けた、二人。シャンガマックは、出てきた明るいその場所で、凍りつく。
「おお・・・何と言うことだ」
山脈の、削れた山頂の中。壁を残した屋根のない、大きな広間のようなその場所に、ざっと見て、50人以上の人間が立っている。
ぞわっとした体を奮い立たせ、褐色の騎士は目を凝らす。人々の様子を見つめ、近づく前に把握しようと決める。近づいたら、この異様な光景に、様々な感情が渦巻きそうで。
「どうだ」
「うん、思っているより衝撃的だ」
「そうか。さっき言ったように、あれらは何もないぞ」
「分かる・・・分かっている。だけど、同じ人の形をしているから。それに、あの人たちは」
遠目から見ても分かる、ハイザンジェルの人間。
彼らの時代は古くない。シャンガマックは、総長が気にした『連れ去られた人々』のように感じる。
年齢は子供から年寄りまでいて、全員が人形のように立ち、衣服は霜でも付いているのか、日差しに光っている。皮膚は白い。それが死人の皮膚の状態か、ただの色白か、そこまでは分からなかった。
そして、シャンガマックの中の諦めに似た部分が、溜め息を漏らす。
中には、衣服が血に染まっている人もいる。手足などは、皆に付いているように見えるが、胴体に何か傷を負ったのか。頭もあるので、血の出た箇所は体だろうと思う。
離れた場所からでも、血塗れた衣服の様子は、散々、血を見てきた騎士の目には、すぐに判別が付くものだった。
もう一つ、シャンガマックが悩まないといけない問題もある。
彼らのうち、見える範囲で老人が多い。彼らをもし・・・助けたとして。
その老人たちはどうするだろう。帰る家があるのか、どうか。家族がいるのかどうか。
それに、もし、体が動かなかったら?傷や心の痛手に、後遺症があったら?起こった現実を受け止められずに、意識が飛んでしまったら?
生活はどうするだろう。例え、家や家族があって、本人が泣いて喜ぶ再起だとしても。ここにどれくらいいたのかも分からないのに、仕事や生活するお金は、すぐにあるだろうか。
『助ける』の言葉を使うことが、正しい気がしない。
大きく息を吸って、褐色の騎士は人々に向かって歩きだした。ヨーマイテスは彼を見つめ、その後ろをゆっくりと付いて行った。
山脈の黒い岩の上。床のように平らで、誰が作ったのかを思う、『奇妙な一室』。
屋根を失ったこの場所は、時間が午前だからか、反り立つ壁のある方は影が落ち、それのないむき出しの部分は清々しい日差しに照らされている。
思っているより広い床で、人々の集められた場所へ着くまで、シャンガマックの歩みは時間が掛かった。
その間に、緊張と不安から早くなる鼓動を感じながら、騎士は自分が、何を決定するかを考えていた。
近づく人々の群れから目を逸らさず、じっと見つめて進むシャンガマック。心の優しい騎士には、苦痛の時間でもある。
その側へ近づけば近づくほど、自分の選択肢の是非を問う。もう、決まっている選択肢。
一番手前の人間の側まで来て、向かい合う2mほどの距離で、騎士は立ち止まった。この位置からだと全員が見渡せる。
山脈を吹き渡る風は冷たく、青空は輝くばかりの美しさ。風と一緒に、山頂に積もった雪が散る中で、シャンガマックは対照的な光の温度を肌に感じる。
自分が感じる温度を。音を。明暗を。感触を。心を。
過去と未来という記憶の時間を。この人数にどう――
「バニザット」
「はい」
「俺はこれをどう思うか。訊きたいか」
「いや」
「そうか。後で話す」
影の中を進んでついて来たヨーマイテスは、騎士の顔を見なくても、彼が何を感じているのか。大体、予想が付いていた。
「ヨーマイテスに訊きたいこと。彼らの時間が動くとすれば、それはここから出た場所じゃないと、誰一人身動き取れない。どこで命を、彼らの時間を戻すのか」
「俺が運んでやっても良い。あまりやらないが、まとめてな」
ヨーマイテスが言うには、彼の持っている道具で、一度にまとめて運ぶらしいが、その先の事も考える必要がある。どこの誰かも分からない以上、一度、北西支部に連れて行かないとならないかも知れない。
「どうする気だ。命を戻すのか」
「俺はこの中から選ぶ。俺の選択肢を、俺は一生後悔するかも知れないが」
「これも誰かの手の動き。『お前が決めたこと』と言うが、ここへお前が辿り着く手配があってこそ。
言いたいことを理解しろよ。男龍がここを削らなければ、誰も知らないままだった。そして、その時に男龍しかいなければ、お前が知ることもなかった」
つまり、お前が決定する運びになっていたんだと、父は教える。『そして。俺が側にいることも、だ』父は、大切なことのように付け加えた。シャンガマックは、大きく息を吸い込んで、彼に頷く。
「傷を負った人、老人は命を戻すことを選べない。ヨーマイテス、一緒に見てくれ」
日の当たらない場所にいる人間を、ヨーマイテスにも見てもらい、シャンガマックは自分の判断することを伝えた。
サブパメントゥの大男は何も反対せず、ただ息子の話すことを、頷いて聞いていた。
「でも。ここに残していくのも。全員をハイザンジェルへ連れて行こうかと思う」
「お前以外がこの状態を見た時、どうにかしろと騒ぐ奴も出るぞ」
「だけど・・・この場所にずっと、とは。もう誰も、ここへは来ないだろうし」
「そうだな。誰も来ない。ここにいるこれらは、皆、お前がいることも知らん。誰も来ないし、誰も知らない」
父の言葉に、シャンガマックはゆっくりと理解をする。『置いていくことに、抵抗があるのは誰か?』と、父は問いかけている。
それは最初の問いにあった『その続きを考える』ことに繋がった。
シャンガマックは理解し、『そうだな』と答えると、静かにそこにいる皆を見渡す。最初と違う立ち位置で見渡すと、そこにいる人々の多さを余計に実感した・・・のだが。
その視線の動きを止め、ハッとしたシャンガマックは、突然、駆け出した。
「どうした」
「総長!総・・・前総長だ!」
「誰だと?」
「総長!副総長もっ!ああ、何てことだ。ここに攫われていたとは」
シャンガマックの目が見開き、駆け寄った相手の顔を見つめる。生気を失った、塗り物のような皮膚の色に、薄目が開いたままの二人の男。支部を出て行った時と同じ格好で、彼らはそこにいた。
午前の光に照らされているのに、吹き抜ける冷たい風で、その衣服に付いて長いと思われる霜が、皮肉のように美しく煌く。
「ベリスラブ総長・・・チェスティミール・・・俺です、シャンガマックです。こんな形であなた方と会うなんて!おお、勇敢だった人たちよ。俺たちを導いた勇気ある人たち」
シャンガマックは涙を流す。目に手を当てて、ぐっと下を向いて堪え、もう一度顔を上げて、動かない二人を見た。
溢れる思い出が、褐色の騎士に蘇る。
支部にいた頃、何度もベリスラブ総長の指導を受けた。
チェスティミールが来たのは遅かったが、彼も頭の良い男で、シャンガマックと一緒に地図を見て相談したこともあった。
二人の総長は気が合って、年の差はあったけれど対等だった。そして魔物退治が始まってから、彼らも動き回ったが、ある時。二人で出て行ってしまった。元凶のこの山脈の『穴』へ・・・・・
「俺は。いや、多分皆も。あなた方が死んだとは思えなかった。だけど、その可能性も。総長、ダヴァート隊長が、今の総長です。大変だったけど、彼が本当に必死に戦って。いろいろ・・・とんでもないくらい、ありました。皆が、戦って耐え抜いて。
イーアンって、軍師になってくれた女性も来てくれて。そう、この前、魔物は終わったんですよ、魔物はもう。ハイザンジェルで」
「バニザット」
後ろから声をかけるヨーマイテス。止め処なく報告しようとする息子に、彼の見つけた相手が知り合いだと分かり、影の中から息子を呼んだ。
シャンガマックは涙を抑えて、一度は流れた涙を拭うと、父のいる影へ戻る。『ヨーマイテス、彼らは同じ支部で戦った、俺の指導者だ』そう言うと、経緯を短く話した。
「気持ちが昂ったな。あいつらを助けようと思うのか」
「う・・・いや。状態を見てから」
シャンガマックは一瞬、ここのいる全員が、今の自分と同じように感じる、誰かを待っている気がした。
それを見抜くように、サブパメントゥは静かに教える。『聞け。バニザット』後で話そうと思った、と前置きし、大男は息子の肩に手を置いた。碧色の目が、褐色の騎士を見据える。
「お前は俺に訊かなかったが、お前が思い違いすると良くない。この状況がなければ、今話さなくても良いかとは思えたが。
バニザット。俺はこれらに命を与えるわけじゃないぞ。俺にそんな力はない。ただ、俺が動いたことにより、結果はそう見えるだろう。
この場所は魔物がいた場所に近い。魔物が出てくる次元と繋がる場所は、すぐそこ。それがお前の言う『穴』だ。タンクラッドが閉じた・・・そこだ。
あまり突っ込んで教えるわけに行かないが、ここはもう一つの力が眠っていた。
それがこの前。うむ。う、そうだ。動いたことで、男龍たちが来た。その力は、龍族・空の者しか応じることは出来ない。
俺が何を話しているかと言うと。ここの場所は、魔物に一番近い場所にも拘らず、偶然にも、同じ場所に在った空の力の影響で、魔物の害はゆっくり進行していた・・・それを今、教えている」
不思議そうに目を見つめ返す騎士に、ヨーマイテスは話を続ける。
「早い話が。『相対した時に、勝ちようのない相手の真上に、偶然出てきてしまった魔物の通路が在った』。そういう話だ。
しかし、魔物の通路が存在出来た理由は、空の力が眠っていて、ビクとも動かなかったからだ。
それにしても、影響は受ける。その影響がここだ。これらは残っている。
ただ単に、魔物の餌食にされているだけなら、とっくに消えているだろうに」
「え。じゃあ。空の力のせいで、魔物は彼らを消せなくて、と」
「そうだ。だから『ここにいるだけ』となったんじゃないか。これらを集めたのは、砂の城と似たような魔物が、近くにいたんだろう。魔物も種類だけは、バカみたいに出てきていたようだから。
これらは、魔物の餌だ。精気を取って使っていた、餌で道具だったと思うぞ。
お前たちは魔物を倒し続けていたと、聞いているが、お前たちの全く知らぬ場所で、犠牲もあったはずだ。それはこういう形でも、当然あっただろう」
さっと目を逸らして、俯いた騎士に、ヨーマイテスは彼が悲しそうなのを見て、彼が傷つくことを話したのかと気付く。『バニザット。俺の話はお前の傷じゃない』すぐ、騎士の顔に手を添えて教える。
寂しそうに見つめる漆黒の瞳に、ちょっと悪いことをした気持ちになったヨーマイテスだが、話が半端なので、もう少し続けた。
「そんな顔をするな。俺はお前を認めている。だが、起こったことは思うに今話した様だったろう。
続けるぞ。ここからが、お前の判断材料になりそうなんだ。
害はゆっくりだ、と言った。ゆっくりだったから、これらはまだ姿もある。触れることも可能だ。
お前が見て判断した『生きるに難しい』者を抜くにしても、『生きていける』可能性のある者は、お前の目で見つけているだろう。
ここで最初に戻る。
俺は命を戻すわけじゃない。こいつらに貼り付いている魔物の残りを、引っぺがしてやることは出来る。即ちそれが、命を戻すことに繋がる。
お前が選んだ相手は、命が動く状態を迎えるだろう。それは、見た目に無事と判断するからだな?
だが覚えておけ。ここに来る前の状態も同時に再起する。皮肉なことが起こるかも知れん。俺には分からんが、人間は体が弱い。何が命と一緒に動き出すかは、見当も付かん。
そしてな。この状態のこれらは、ここでどれくらい置かれていると思う?『害はゆっくり』だが、『晒されている』環境も同時に受け取っている。これらが命と同時に動き出すぞ」
父の最後の言葉の部分に、シャンガマックはハッとする。恐れるように目を見開き、後ろにいる動かない人を急いで振り向く。
じっと見つめるその目に、相手の皮膚の様子が映る。割れたような、色のない肌。凍った髪。
うわ、と声を上げて、シャンガマックは火が付いたように、他の人にも走り寄ってその状態を見る。大怪我をしている血まみれの人も、無傷に見える人も、子供も大人も、男女も。
「凍傷」
無理やり押さえ込んだ、小さな息切れが苦しい。さっと、前総長と副総長のいる方へ顔を向け、その二人の場所に急ぎ、顔を見つめる。
同じように―― 他の人たちと同じように。唇も瞼も、頬も耳も鼻も。手指は手袋があるから分からないが、首の辺りも。
「凍傷が。こんな、岩のような肌で。乾燥した大地のような体に」
思わず、ぐらりと揺れた体に、気を引き締めて持たせると、シャンガマックは戸惑いを抱える頭で考えた。
もし。彼らのうち。命を戻せたとしても。
俺が思っていた範囲を、とうに超えた、恐ろしい現実が待っている。割れた皮膚がどこまでか分からない。何かに包まれた状態であっても、ゆっくりと進んだ劣化から逃れられない体は、戻してどうなるのか。
「俺は。俺は、どうすれば」
「息子よ。聞け。俺は運べると言った。命を戻さなくても、選んだ者たちはまとめて動かせる。
命を戻す気なら、耐えられそうな奴にしておけ。俺は、さっき。そう言おうと思っていた」
「ああ、ヨーマイテス」
苦しいシャンガマックは、ふらつきながら打ちのめされた思いを胸に、父の元へ戻る。そして彼の胴体に頭をつけて項垂れた。大男は、心を痛めた騎士を抱き寄せる。
「お前が選んだ相手に、俺は何も言う気はなかった。最終的に質問をしようとは考えていたが」
「最終は、命を戻す手前」
「そうだ。俺がこれらに取り憑いたものを引っぺがす手前」
「ヨーマイテス・・・どうしよう」
ぎゅうっと大男の胴を抱き締めて、苦しみに絞る声を出すシャンガマック。可哀相に思う、ヨーマイテス。
人間の体の限界など知らないから、どこまで言えるものかと思っていたが。想像する範囲で、これまでの知識の範囲では教えてやろうと思った。それは良かったことだったと今、思う。
もし―― ヨーマイテスが何も言わなかったら。騎士はもっと苦しんだと分かる。戻った状態が悲惨であれば、そうなる。だから、自分が一緒に来たんだろうと、ヨーマイテスは感じていた。
「バニザット。運命だと思えるなら。これらの運命はこれらのもの」
「うう・・・う。う・・・・・ 」
ヨーマイテスの隆起した筋肉に、騎士の涙が伝う。温度は少し分かる。息子の温度は、今、視界に入っているあれらにはない。
サブパメントゥの男は思う。
これが、ドルドレンなら、それでも全員、連れ帰って葬ろうとするだろう。よく知らないが、あの妖精も同じことを選ぶ気がする。
タンクラッドは、恐らく手を着けないで戻る。ミレイオは・・・分からない。でも、ミレイオも立ち去る気がした。
イーアンになると、もっと分からない。だがあの女龍であれば、この場所を放っておかない気がする。
龍族として、ここを丸ごと消すかも知れない。それが龍の愛だ。
バニザットは。俺の息子は――
「バニザット」
「ヨーマイテス。俺を。俺が目を開けないうちに」
「そうだな」
苦痛の涙声を受け止めて、ヨーマイテスは息子を抱き締める。そのまま影に消え、来た道を戻った。
お読み頂き有難うございます。




