1144. 別行動:山脈の人々 ~到着と問い
テイワグナに出発した旅も、六十七日目の午前。
ドルドレンたち(※主にフォラヴと親方)が、妖精と精霊を助け、再び道を戻して、次の町ヒンキラへ向かう頃。
白と青と黒に包まれた絶景に、シャンガマックは到着していた。雪が残るこの場所に立つと、テイワグナの猛暑が信じられなくなる。
影の中から見える、牙のような山脈の頂に切り取られた青空。白銀の山頂が輝くそこは、ハイザンジェルとテイワグナの国境近くだった。ヨーマイテスに連れて来られ、あっさりと着いた山々の足元に広がる黒い影の中で、シャンガマックは感動していた。
「素晴らしい。美しいな」
「そうか。寒いとか。そうしたことはないのか」
「少し寒くはある。だけどヨーマイテスが一緒だから。このふかふかした毛が」
そう言うと、背中に乗せてもらっている騎士は、大きな獅子の背中上も覆う、長く豊かな鬣に、ばふっと埋もれた(←クセになる)。
「俺は体温がない。何がお前を温めるかも分からんな」
「温かいよ。体温がなくたって、これだけの毛があれば気持ち良い」
「お前は・・・無欲だ」
そんなことはない、と笑顔で鬣に顔を埋め、幸せそうにスリスリ頬ずりするシャンガマック。
自分は恵まれているなと毎日思う。こんなに大きな獅子の父親がいて(?)こんなに楽しい体験が出来る。
優しいし、力強いし、何でも知っている。どこへでも連れて行ってくれるし、知恵も沢山教えてくれる。
謎めいた戦士のような姿でも、雄々しい獅子の姿でも。どちらのヨーマイテスも大好き(※ネズミ忘れてる)。
――シャンガマックが、まだ子供の頃。部族で山猫を飼っていた。
大きな山猫が人を襲ったので、それは悪い霊が憑いたとされ退治された。困ったことに、その子供が後からひょこひょこ現れた。
子供の山猫は、当時、幼い兄弟の多かったシャンガマックの家が、世話をすることにした。
あの時の山猫を思い出す。ショショウィを見た時も、思い出した(※976話後半参照)。
ショショウィは山猫型の精霊なので、大きさも雰囲気も近いが、触るのに難しい。だから、ヨーマイテス(※獅子状態)のように抱き締めることが出来ると、嬉しい思い出が蘇る・・・・・
獅子をぎゅーっと抱き締めて、頭も埋まるくらいの量の鬣の中で深呼吸(※子供と一緒)。シャンガマックは、本当に幸せだった。
もう到着しているので、下りても良いのだが。
言い難いヨーマイテス(※山脈の人影探しに来たはず)。息子が・・・よく分からないが幸せそうなので、『着いたんだぞ』も言えなければ、『下りないのか』も言えない。
ひたすら首を抱き締めて(※苦しくはない)ぎゅうぎゅう腕を締めては、嬉しそうな深呼吸が聞こえる。
「太陽の匂いがする・・・!」
「そんなわけないだろう。俺たちは、殆ど影に居たんだから。夜の間に動いて、夜中にお前を寝かせて、朝方にこの近くまで移動したんだ。太陽なんか受けてもいない。大体、俺が太陽の真下なんて(※正論)」
「いいんだ。俺がそう思うんだから(※決め付けるシャンガマック)」
幸せそうに遮られ、黙るヨーマイテスは、息子が何かを思い出していそうだと理解する。
そして多分、俺と似たような動物なのではないか・・・それを思うと眉が寄る(※獅子だから顔分からない)。
「おい。バニザット。そうしているのも良いがな。お前、俺とその辺の動物を一緒にしていないか」
「していない。昔、シコバという名の山猫がいた。とても可愛かった」
一緒じゃないか!と怒るヨーマイテスに、シャンガマックは続きを聞くように言い(※父は黙る)話を続ける。
「怒ることじゃない。シコバは、俺の大好きな山猫だった。名の意味は『白い花』だ。白い体で、本物の花みたいに可愛かった。
俺も、シコバも子供だった。よく一緒に遊んで、それは人間の友達と何も変わらなかった。シコバは俺の友達だったし、兄弟だった」
「それと。俺と山猫を一緒にしていない理由は、どう」
「ヨーマイテスは、俺の父だ。人間の父も勿論いるし、人間の家族もいる俺だが、ヨーマイテスは異種族でも俺を息子と呼んで、大切にしてくれる。
俺もヨーマイテスが、同じように俺の父として大切だ。種族なんてどうでもいいんだ。愛情があることを伝えたかった」
満足そうに喋り終えた息子は、そこで話を終えて、再びぎゅうぎゅう・・・・・
どうもピンと来ないけれど、『ヨーマイテスを、家族と看做しての行動』とした意味か、と捉えることにした(※分かるのそれくらい)。
もう、深く考えても、バニザットの感覚と違う部分もあるし、小さなことで困るのも望まないので、ヨーマイテスは諦める(※息子に対してだけ理解ある)。
到着しているにも拘らず、騎士が一向に背中から下りようとしない上、嬉しがって鬣に頬ずりを続けるため、獅子は暫く、その場で佇んでいた。
そして―― 嬉しいには嬉しい。だが。
「おい。もうそうして、何十分も経つ」
「ん。そうか、そんなに(※放心)。それじゃ、早く行かないといけないな」
いい加減、動かないと、と言う父に、シャンガマックは目的を思い出して背中から下りる。
お礼を言って(※鬣堪能)山の雰囲気を見るために、山影の外へ出て、岩壁の間を這う川原で、薄氷を踏みながら移動し、聳える高さを見上げた。
「この上?上なのか。総長はそう話していた。確かに山の形が奇妙だ。
少ししか見えないが・・・周囲に比べると、ここだけ、山肌の上の方が削れているような」
「そうだろうな。俺も、上は見ていない。しかしあの、ハンパな低さ。『男龍共が消した』と聞けば、なるほどと言ったところ」
ヨーマイテスは、何てことなさそうに答える。
褐色の騎士も、それを聞きながら頷く。男龍が山を消した話を、総長とタンクラッドさんに聞いた。
一瞬で山の頂が消えてしまい、その内側の窪みには、何十人もの人影があった。出てきた事実にも驚かされるが、山を消した男龍を前に、総長たちはどれくらい、畏れを持ったかと思う。
そんな凄まじい相手と、自分たちは関わっている。シャンガマックには、真横にいる父・ヨーマイテスも同じ、想像を超える相手。自分が共に生きる意味を思う。
「行くか。ここから見ていたところで、埒も明かん」
ヨーマイテスは、山を見上げたままの息子に、そう声をかけると、人の姿に変わった。
この姿の変え方も、毎回見ていて、毎回感動する。イーアンが龍になるように、光に包まれてポンと変わる(※簡単そう)のではなく、ヨーマイテスはめきめきと体の部分を変化させる。生々しいというか、肉体的な虞を感じるのだ。
「何をぼんやり見ている。来い。お前を抱えて移動する」
獅子じゃ掴めないからな(←肉球)と呟く父は、褐色の騎士の体を片手に抱えると、山の亀裂に入り、その崖を跳び上がり始めた。
「お前は獅子の方が好きか」
蹴り跳びながら訊ねるヨーマイテスに、どうしてと聞き返す騎士。ちらっと見た碧の目が、面白くなさそうに見える。
「俺が獅子の時は、首に抱きつくだろう。さっきもそうだ。最近、そればかりだ(※ビミョー)」
「気持ちが良い。フカフカしていて温かいから」
「この俺の姿だと、温かくないからか(※温度の問題)。今も俺がこの姿になるところを見ていた。獅子の方が良いみたいに思える」
「それは違う。姿を変える場面が素晴らしいと、いつも感動している。だからつい、見てしまう。
それに人の姿の。このヨーマイテスも大好きだ。とても強い、とても荘厳な印象がある」
うっかり誉められて、機嫌が直るヨーマイテスは、危うく足を踏み外しそうになり、急いで蹴り上げる(※父照)。
何も答えないで、表情も変わらず、現場を目指して上がり続ける父に抱えられ、シャンガマックはニコッと笑った。
「俺もここまで、仲良くなった相手がいない。だから、もしかすると、表現する態度が充分ではないかも知れない。
だけど。俺はヨーマイテスが好きだし、それは獅子でも人の姿でも、どちらでも同じくらい好きなんだ。どちらも尊敬している」
「分かった」
焦げ茶色の大男は短く返事をし、表情を一切変えずに上へ上へと近づく。
シャンガマックは抱えてもらっているだけで、何も大変ではないが、あまり長く喋ると舌を噛みそうなので黙った。
ヨーマイテスも黙っているが、でも、自分を抱えている腕の力が強くなったので、きっと父は喜んでくれていると判断した。
大男は金茶色の髪をなびかせて、疲れも知らずに進む。表情には出ないし、尻尾もない姿(※人)だから、全く判断に難しいが、心の中ではとても喜んでいた。
「着くぞ」
何かを感じたようなヨーマイテスは、さっと顔つきを変えて警戒するように横を見る。
どうしたのだろうと驚いた騎士に何も言わず、それまでより強く、ドンッと蹴った岩壁から、向かい側の岩壁へ跳び、その岩壁に向かって吼えた。
仰天するシャンガマックは目を丸くして、しがみ付く。突然吼えた父は、その咆哮によって岩壁に穴を開け、中へ滑り込むように飛び移った。
「この上だぞ。ん。どうした」
「いや。ちょっと驚いたから」
「何がだ。今更」
可笑しそうに鼻で笑って、ヨーマイテスは息子を腕から下ろすと、彼の顔を見て『怖いか』と訊ねる。騎士は首を振って『怖くはない。畏怖がある』そう答えて微笑んだ。父も微笑み返し、頭を撫でた。
「これからも起こることだ。慣れるだろう」
「うん。一緒にいれば慣れると思う」
フフフと笑った大男は、彼の背中を押し、真上の岩盤を見せる。『いいか。この上。そこに、人の気配がある。しかし、誰一人生きていない。とは言え、死んでもいない。お前は壊すことを望まないな?』確認を促す。
総長の話していたことをそのまま繰り返され、頷く騎士。緊張するが、ヨーマイテスは何か案がありそうなので、任せる。
ヨーマイテスも小さく頷くと『だろうな』ふっ・・・と、上に向けた目を細めた。
「もう一つ。確認してやろう。俺なら気にしない。だが、お前は気にした。
それを思えば、お前が決定した方が良い。これは恐らく、ドルドレンたちでは及ばん。お前に訊くのが正解だ」
「何を?何かとても、大きなことのように思う」
「どうだろうな。しかし、教えてやる。
お前はこの人間の形をしたものが、再び生きることが出来ると知ったら、どうする」
「何だって?」
「焦るなよ。もう少し教えてやろう。簡単に言えば、こいつらは抜け殻だ。中身がない。生きるための中身がないんだ。
それを戻すことが出来るだろう。だが、簡単じゃない。こいつらの人生の時間が戻ったとして、こいつらの続きまで、お前は考えられるか、どうか」
「それは」
シャンガマックは鳥肌が立つ。どういう意味なのか。まるで『命を戻せる』ような話を、父はしているのだが、続きを考えるとは、一体。
上を見たまま話していた焦げ茶色の大男は、息子の問いかけに、彼を見つめた。
「こいつらが。命を取り戻したとして。それが良いことかどうか、だ。俺には分からん。
・・・・・人間には、住処や食事、四六時中、他人と居たがる性質がある。体も弱い。それらが、この場所に封じられた人間たちにも、あっただろう。
命が戻ったとして、この続きは、今言ったことが問題なく、手に入るのかどうか・・・に、よるんじゃないのか?」
サブパメントゥの大男の声は低く、シャンガマックの耳には、普段の彼を相手に話しているように聞こえない。もっと、遠い存在に問われたように思えた。
その内容が、急に自分に許可を示されたようで、唾を飲む。
「バニザット。お前に訊くのが正解と俺が思った理由は、ドルドレンは甘いからだ。『希望』と『甘さ』の違いが見えていない。『可能性』と『希望』も違う。
タンクラッドは付き合いがないから知らないが、あの男はここの状態を知れば、手を着けないようにも思う。棲み分けを理解していそうだ。
ミレイオは・・・分からんな。手を出さないことを選ぶとも、そうじゃないとも言える。サブパメントゥらしくないヤツだし。
バニザット。お前は、彼らとまた違う。甘さもあるが、魂の行方を感じている。
お前は、自分の中に同時に発生したとしても、未熟な甘さより、魂と存在に重きを置く。俺を選んだように」
「ヨーマイテス。俺は、彼らの・・・今、この上にいる人々の行方を決めるのか」
恐れたシャンガマックの表情に、大男はゆっくり首を横に振った。
「違うな。この上にいるのは人間の形をしていて、人間じゃない。意味が分かるか?
生きていない。死んでもいない。それは命じゃない。人間でもない。再び命を戻せば、そこから先に時間が続く。
お前が決めるのは、それを考えた上で、命を戻すかどうか。そこだ」
命と存在。それを感覚的に捉えた時、人間とサブパメントゥに、はっきりとした違いがあることを、シャンガマックは理解する。問われた意味も、しっかりと理解した。
「分かった。まずは彼らを見てからだ。見てから決める」
答えた騎士に、その理由を訊ねるヨーマイテス。見てからでは、情が湧きそうだろう、と言うと、騎士は否定した。
「生きていくことが出来ない状態であれば。俺は、その体に命を戻してほしいとは思えない。
それは俺の一存ではないはずだが、この場においては俺の判断である以上、俺が見て決める」
シャンガマックは的確に条件を告げる。父はそんな息子の顔を見つめ、彼の頭を撫で『俺の息子よ』と頷いた。
ヨーマイテスはもう一度、腕に騎士を抱えると、真上の端の方に吼えて穴を開け、そこへ跳び上がった。




