114. 支部に戻って
帰り道はひたすら二人きりだった。
邪魔者はいない。魔物も、クローハルも、余計な飛び込みも。支部までは8時間くらいの道のりだが、途中で食事をすることもなく、ただ会話を続けながら帰った。食事を購入するのを忘れていたが、それもあまり気にならなかった。
自分たちが今後どうなっていくのか。
それを話していた。イーアンが夢の中で言われたこと。ドルドレンが転寝で言われたこと。シャンガマック、フォラヴがそれぞれ聞いたこと。
ヨライデの話。過去の二人の話。神話の話。魔物を使って国を豊かにする話。結婚のこと。
そんなことを話し続け、昼は午後になり、夕方は夜になる。
夜目は利かなくても、イーアンは不思議と怖くなかった。ドルドレンも魔物が出る心配をしなかった。支部周辺に最近、魔物が現れるようになったのを知っても。二人は何か守られている、と分かっていた。
遠くに支部の明かりが見え始め、『帰ってきましたね』とイーアンが言うと『ああ。帰ってきた』とドルドレンが答える。結婚がまだ先の話でも、二人の心の中は結婚した夫婦と同じだった。
結婚することで騎士を退職はしなくても、支部に駐在するのは同じ。家族と一緒に生活はしないということを知ったイーアンは、今のままでしばらく・・・と考えた。
昔の騎士修道会は結婚を許さなかったらしいが、現在の騎士修道会は結婚を許している。しかし、職務が家族同伴だと難しいため、結婚しても家族が出来ても、騎士は退職するまで支部に留まるという話だった。
「私は、結婚したら出されてしまいますか」
イーアンが疑問を質問してみると、『分からない。女性が騎士修道会で仕事場を持ったことは、恐らく初めてだから』とドルドレンが答えた。
考えてみれば、他の騎士たちが家族と離れて生活している中。自分だけ愛する人と結婚して、その上、一緒に生活も仕事も共にするなんて、とてもじゃないけど―― それはあんまりに酷い、と理解する。
「現在の状況も、良く思わない人はいますね・・・・・ 」
「それは何とも言えないが。しかしイーアンの力の発揮の仕方は、俺個人に留まるものではない。それは全員が知っている。
例え俺たちが一緒であっても、イーアンはイーアンとして、彼らは仲間だと考えていると俺は思う」
だってね、とドルドレンは続けた。オシーンも家族はいるんだよ、と。ポドリックも、コーニスもいる。イーアンと面識がない騎士でも、北西の支部の中にも15人程度は家族持ちがいるという。
少し離れた場所に住んでいるが、彼らの家族は人数が多いから、出稼ぎの親といった感じだろうと。
オシーンたちは、イーアンと俺が一緒にいても、それを悪くは考えていない。人はそれぞれだ、と捉えている。
ドルドレンはそう、話してくれた。もしかしたら、最初の頃にこの話を彼は相談したのかもしれない、とイーアンは感じた。自分を保護するに当たり、好き合うようになったら・・・と見越して。
「結婚しような。今じゃないが、必ず」
「はい」
・・・・・自分は結婚前提の『前科持ち』。とは、決して言えないイーアンだった。ドルドレンは必ず結婚するだろう、と信じる。『いつか結婚しよう』の言葉を聞くと、素直に喜べないのは仕方ない、と割り切る。
ドルドレンなら大丈夫。たとえ万が一、結婚できない環境であっても。ドルドレンとなら、自分は幸せだとイーアンは感じていた。
支部に着いて、門を開ける。ドルドレンは総長だからなのか。それとも出向と分かっているからなのか。中から開けてくれた。
イーアンはこの前、門外に残ってしまった時、もしかして正門を叩いたら開けてもらえたのかな、とちょっと考えた。
ドルドレンに訊くと『いつもではない』という回答。ああ・・・今日は戻る予定だったから、と納得した。
見張りはいても確実に正門待機ではない様子。迷い人などがいてもすぐに門を開ける、そうした時代ではなくなったと話していた。だから、とドルドレンは言う。
「イーアンがいなくなった時、まさか門の外だとは誰も思わなかった」
もう絶対駄目、と頭を抱えられたイーアン。『絶対に、一人で外に出てはいけない』と思い出し注意をされた。
ウィアドを厩の当番に引渡し、荷物を持って広間へ入る。食事時で広間は大勢いた。
鎧や武器を置く壁際に行き、ドルドレンは荷物を置く。広間は暖炉が焚かれ、熱気もある。外気との差が結構あって暑くさえ感じる。イーアンも青い布と上着を脱いで、手に上着を抱え、ドルドレンが鎧を外し終わるまで横の椅子に掛けて待った。
ドルドレンが鎧を外しながらイーアンを見て、目を丸くする。何の反応か分からないので、首を傾げてみると『イーアン。また』と言われた。
何がかな、と思ったが。すぐ『もしかして食事をもう、持ってきた方が良かったですか?』と思いついて、立ち上がった。
「違う、そうじゃない。立ってはいけない」
「おや。お帰りなさい、イーアン。総長。また・・・あなたはそうして美しくて」
椅子から立ち上がったイーアンをドルドレンが止めた矢先、鈴のような笑い声がしてフォラヴがいた。
「遅いからそろそろ迎えに行こうかと思っていました。でも無事に戻られた上、その素敵な格好のイーアンに会えて。私は今日は良く眠れそうです」
ドルドレンが鎧を外しながら『近づくな。あっち行ってろ』と片手でしっしっを繰り返す。フォラヴは何ともない様子で、イーアンを空色の瞳で見つめ『あなたがいないと寂しくて』と吐息混じりに呟いた。
「ありがとうございます」
イーアンは、彼もクローハル的な状態に変化しつつある気がして、とりあえずお礼を伝え、この状況に笑うのを堪える。
「イーアン、帰ってきたんですね。お帰り」
トゥートリクスが走ってきた。緑色の大きな瞳がきらきらしている。ああ、この子は可愛い。イーアンは彼が可愛いので和む。あ、そうだ、と思い出して伝える。
「ただいま帰りました。そういえばね、トゥートリクスのお兄さんに会いましたよ」
仲が良いのか、兄の話を聞くトゥートリクスは嬉しそうだった。お別れの際、お兄さんから『お前の気持ちが分かる』と伝言を受け取ったことを伝えると、その時だけ少し表情が素に戻った。
向こうから、『おう』と声がして、ダビとアティクも手を挙げて近づいてきた。
「うちの部隊は俺が帰還した時に、かつて、こんなに集まったことがあったか」
ドルドレンは脛当てを外しながら、やぶ睨みで『怪しからん』と吐く。イーアンはダビに『明日にでもいろいろとお話がありますよ』と伝え『お楽しみは明日です』と笑った。
『その言い方は止めなさいッ』と後ろから厳しい声がかかる。ドルドレンに振り向いてすぐ、よく通る声のシャンガマックが『やっと帰ってきたな』と向こうから声をかけた。
「シャンガマック」
立って歩いてくる姿に、イーアンが驚く。『まだ寝ていないと』という間に、すぐ近くまで来て『もう大丈夫だ。よく帰ってきた』と微笑んで、イーアンの肩に手を置いた。そして少し寂しそうに『なるほど。フォラヴが言うように君は綺麗だ』と呟いた。
『触るな、あっち行け』と怒鳴るドルドレンが、いい加減に全部の鎧を外して、急いでイーアンを引き剥がす。
「帰ったばっかりで疲れているんだ。ちょっとは気遣え!しっしっ!」
「皆さん、気にして下さってるだけですから」
そんなに怒ってはシワが・・・とイーアンの斜めな心配をよそに、ドルドレンがイーアンをがっつり抱き締めて隊の連中を睨んで追い払う。
総長の機嫌が著しく悪いので、『じゃあまた明日』と皆は苦笑いしながら手を振って戻って行った。
「明日、工房へ来て下さい。待ってます」
イーアンはダビにそう言ったつもりだったが、何故か全員が振り向いて口々に『必ず行く』と答えた。
「だから、そういう誤解を生む言い方は止しなさい」
ドルドレンに叱られて、『違います。ダビにお礼と結果を伝えようと』と言うと、そこではない・・・と困った顔でドルドレンは黒い髪をばさっと垂らして項垂れた。
『とりあえず、食事にしましょう』とイーアンは、ドルドレンを引っ張って食堂へ夕食をもらいに行った。
料理の当番にはロゼールがいて、彼も『やあ、素敵な服だね』と誉めてから、無事に帰ったことを喜んでくれた。
多めに盛り付けてくれた夕食にお礼を言い、ドルドレンが仏頂面なので、とにかく食事をさせて空腹を満たすことにした。
腹が減っているから怒っているのではない、とドルドレンが言うので『良いから早く食べて、お風呂入って寝ましょう』と宥めた。ちっとも機嫌が直らないので『早く寝ましょうね』ともう一度囁くと、それには反応した。
こんな釣り方、良くないな・・・と思いつつ、イーアンも急いで食事を済ませた。
お風呂は既に騎士たちが入った後だったが、湯船を遠慮して体を洗うだけでもと、イーアンは風呂に入った。上がると『明日は湯船に浸かれるように手配する』とドルドレンが言った。
彼が入る間はオシーンのところに預けられるのだが、今日は時間がずれてオシーンはいないので、イーアンは自室待機となる。
部屋で寝巻きに着替えて、そのまま持ってきた、試作品の袋や着替えの袋を少し片付けた。
ベッドに座って、ソカを取り出した。ルシャー・ブラタで渡された紙も机に置く。
ソカを見ながら、初めて自分の手で魔物を倒したことを思い出した。止めは刺したことがあっても、最初から倒したのは初めてだった。
窓辺に行って、腰丈の窓の縁にもたれかかった。
外は暗く、よく見ると山影の上に星が見える。窓に寄りかかると、ひやっとして冷たく、自分の息が当たるところが白く曇った。もうすぐ、ここへ来てから一ヶ月経つ――
すごい速さで、いろんなことが廻っている気がした。慣れないこともあるけれど、自分の居場所と思えるほうが強かった。
ノックが聞こえた。
ドルドレンが戻ったので、扉を開ける。開けて間違えたことを知る。何故かクローハルがいた。クローハルもイーアンが出てきて驚いたように見下ろしていた。
慌てて閉めようとすると、クローハルが笑って『ちょっと、ちょっと』と扉を押さえた。
「間違えました、ごめんなさい」
「それ。そっちの言葉じゃないから。とは言え、イーアンお帰り」
「ただいま帰りました。あの、すみません。閉めさせて下さい」
「待ってよ」
笑いながらクローハルが扉を掴んでいる。やはり男の力だから、全然閉まらない。うっかり、一番マズイ人に、扉を開けてしまったことを心から後悔するイーアン。
胡桃色の瞳を甘く甘く蕩けさせながら、クローハルが扉をゆっくり開ける。イーアンが取っ手を掴んでいるのに、全く敵わない。『怖がらないでくれ。眠る時はそんな姿なのか?』とやたら甘く微笑む。
「クローハルさん。ドルドレンが知ったら殺されますから」
「俺の心配なら要らないよ。あいつに来い、と言われたから来たんだ」
え? イーアンは驚いて見上げた。扉を掴む二人は距離も近い。クローハルが自分を見下ろしている。
「そう。来いと言われた。でもそんなことより」
クローハルの手がすっと伸びてイーアンの髪に触れた。『どうしよう。そんなイーアンを見たら、我慢が出来ない』と真顔で囁いた。
「いえ。我慢してください(?)」
自分でも何だか妙な返事をしている、と思ったが、もう危機しか感じない。ドルドレン早く――
「そう、我慢しろ」
後ろから低く響く声が聞こえた。クローハルが振り向くとブラスケッドが立っていた。ちらっとイーアンを見てブラスケッドもちょっと驚いたように眉を上げる。
「まぁ、我慢したくなくなるかもしれないが」
「何を仰ってるんですか」
「イーアン。中へ入れ。こいつは押さえておくから、何か羽織れ」
扉を掴んだブラスケッドに、イーアンは手を離して部屋に隠れ、すぐに青い布を羽織った。廊下でクローハルがわぁわぁ食ってかかっている。
「もういいか」
ブラスケッドが大声で訊いたので『はい』と答えると、ブラスケッドが入り口の木枠に寄りかかった。
「イーアン。驚いていると思うが、出向から帰ったから報告があるんだ」
ああ・・・ それで。すっかり忘れていた。イーアンは遠征と違うと勝手に思い込んでいた。夜だし、余計にそうした事を思いつかなかった。
「納得したか。出向は視察と委託契約だろ。会議室まで行かなくて良いから。部屋でな」
そう言うとブラスケッドは笑った。
「危機一髪だったな」
イーアンも苦笑いした。クローハルがまだ廊下で文句を言っていた。
お読み頂き有難うございます。




