1132. シャンガマックVS 墳墓の魔物
傾斜した地面を駆け下りた、シャンガマック。
体を守るのは、普段着の革製の服だけ。腰には大顎の剣。『俺の武器は、この剣とナシャウニットの加護』下草が伸びる地面に下り立ち、目の前の遺跡を見つめる。
「そして。父・ヨーマイテスの教え」
すっと息を吸って、剣を抜き払い、褐色の騎士は崩れた墓へ歩く。
遺跡の最初の段も崩れている箇所が目立ち、屋根はあるものの、大風でも吹けば落ちてきそうな、無数に走るひび割れを見上げ、段を上がったすぐの床に視線が向けられた。
「これか」
本当に床らしい床がない。何をしたのやらと思うほど、広い面積で床の石が壊れている。まるで巨人でも来て、大槌で床を叩き壊したように見える。
神殿の基礎を支えていた台の石も粉々で、何がどうなるとこうなるのか、全く見当もつかなかった。
残っている床の部分は、ヨーマイテスが話していた通り、四辺の壁に沿うような縁だけ。ここを必然的に歩くことになるんだなと、シャンガマックはゆっくり縁を進む。
館長が来たら、どこを調べる気なのか。何度も来ていそうな話し方だったが・・・・・
目ぼしい彫刻もないし、壁画も削れてしまっている。
柱は屋根を支える箇所だけが、かろうじて残っているが、その柱にも特に何があった形跡は見られず、大きな広間に似たこの『迎えの間』は床が抜けているわけで。
彫刻で残されている文字や絵は、状態が悪く、殆ど読めない。上から見た時に屋根があったので、中がここまで酷いとは思わなかった。よくこんな状態で、屋根があるもんだとさえ、思う。
ちょっと変わった形の墳墓で、正方形の『迎えの間』から壁を伝うと、多くの遺跡では律儀に直角に設計される廊下が、ここではなぜか斜めに入る。
正方形の一角から、その奥へ伸びるような廊下。通路、とヨーマイテスは呼んでいた。通路は一本しかなく、これが墳墓だとすれば、それほど偉人が相手ではない気もしてくる。あまりにも素っ気無い。
が、一風変わった造りであることは否定しない。通路は歩くと分かるが、傾斜していて、ゆったりした上り坂。遺跡全体のある地面は平らだったし、上から見た時もそう、高さのある遺跡ではないのだが。
変な具合だなぁと、傾斜する坂の通路を歩く。どんな人物がこの墳墓を設計したのか。
通路の床は特に目立つ損傷はなく、径年変化で壊れたり、倒木が押した壁が、通路に崩れたりしている程度。意外に感じる長さのある通路は、ようやく終わりが見えてきて、そこにはまた上に進む段があった。
「いよいよだな」
中に一歩入ったら、もう戦闘。気合を入れて、すぐに結界が出せるように、魔法を唱え始める。
段を上がった場所にある壁に目を向けると、扉もない入り口がぽっかり開いているだけ。一段、踏み締める度に、騎士は魔法をしっかりと口にする。
『結界を張れ』
父にもらった助言を、最初から実行するため、一段が妙に大きい、階段をゆっくり上がる。上がり切ったところで、正面に向かい合うはずの相手。
結界が金色の光を伴って、くるくると風を回し、褐色の騎士の体を包み始める。
お供に金色の風が吹くシャンガマックは、漆黒の瞳の中に、水色と炎の赤を揺らがせながら、最後の段を上がった。目にしたのは、暗く奥に長い部屋。壁に開いた入り口の向こう、奥の向かい合う場所には長方形の枠が見える。
手に握る剣に力をこめて、これ以上結界を強めないよう注意しながら、騎士は大きく息を吸い込み、部屋の中に入った。
ズン・・・と肩に乗るような重圧。圧迫される胴体。この異様な空気は何だ、と目を見開く。
その部屋は何もなく、あるとすれば奥に立っている棺とその壁を埋め尽くす、異様な量の彫刻。
左右の壁には、棚が添えつけられていて、何もない棚の下に積もる土くれの中には、割れた壷が幾つも転がっていた。
館長の話していた、古びた盗掘道具のようなものもある。壊れていて、見るからに劣化しているが、それはなぜか、気になる壊れ方だった。ねじれたような、溶けたような。金属がそう見えるのは、おかしい気もした。
とにかくシャンガマックは進み、少しずつ中心に向かう。どんどん重さが増し、喉が急な渇きを覚える。いきなり口の中に火箸でも突っ込まれたような、嫌な熱を喉に感じ、思わず咳き込んだ。
金の風がひゅっひゅっと速度を増して、シャンガマックを取り巻く。
精霊の結界が反応している。結界をあまり強くすると、自分の意識が消えてしまうため、騎士は結界を抑えつつ、面と向かう大きな棺を見上げた。既に部屋の中心は過ぎ、入り口よりも棺の方が距離が近い。
「これをどうすれば良いのだろう」
ぼそっと呟いた声。小さな一声は、次の瞬間、繰り返される。何度も繰り返す『これを・どうすれば』『良いのだろう』の言葉が、どんどん大きくなる。
目を見開いて、身構えるシャンガマック。空間の中に木霊して、バカにするように鳴り響く声。
始まったな、と左右に視線を走らせ、結界の金が増えているのを知り、急いで結界を広げる。広げて、自分と結界壁に距離を取った時、真ん前から赤い風に吹きつけられた。
「うお」
突風に似た風に体を押され、思わず一歩下がる。風は赤く、嫌な音を立てる。悲鳴のような音を立てて、向かい合う棺と蓋の隙間から、びゅうびゅう吹き始めた。
「おお、出るのか」
結界の幅を空間全てに行き渡らせ、さっと後ろを見ると『何?』入り口がない。閉じ込められたことに、今更、気がついたシャンガマックは、結界を更に強めた。壁も床も天井も、金の光が走り渡る。
それと同時に、グォッと音を立てて、部屋の空気が抜けるような現象が起こり、シャンガマックは押し潰されそうになって『わぁ』と声を上げた。慌てて結界を自分に戻し、潰される感覚を振り切る。
「何だ、今のは。魔法?魔物にしては、魔法のような」
あまりにも想像出来ない攻撃。一瞬で、眼球が飛び出そうになる圧力。骨が割れそうな、体を絞られるような感覚。
おえっ、と胸を押さえる。血管が弾けそうだった。頭が信じられないくらい痛い。こみ上げた胃液を飲み下し、シャンガマックは、唇から漏れた唾液を腕で拭う。
自分の周囲に結界を引き寄せたので、精霊が力を強めている。シャンガマックを守るために、ぐんぐんと精霊の存在が濃くなってゆく中、これでは戦えないと意識を戻し、再び結界壁を広げた。
ハッと気がつけば、剣を落としていた。急いで拾って、剣を落としても気がつかなかったことに、焦りが生まれた。
様子を外から・・・地中の奥から見ているヨーマイテスは、少し首を傾げる。
『苦戦する雰囲気だな。
手こずるだろうことは、まぁ。初めての相手だろうから、と思ったが。
これじゃ、バニザットが傷ついてしまう。あいつは、自分の力の動かし方を全然知らないってことか』
騎士が受けた、潰されかけた攻撃には、ぐわっと怒りが湧いたヨーマイテス。つい、相手を消そうと体が動いたが、バニザットが乗り切ったので、踏み止まっただけ。
しかしこのままで、彼が倒せる方向へ進める気もしないので、余計なことはしたくなかったが、少しだけ教えてやることにした。
『結界のせいで、取り込めないもんだから。バニザットを揺さぶって、力を奪おうとしている。
バニザットも自分の結界が、見える範囲だけだと思い込んでいる。相手の動きも、見える部分だけ・・・と、そんな感じだな。それも良くない』
全然、魔法を使っていなかったんだなと、理解したヨーマイテス。
『結界くらいしか張れない』 ――以前、本人も話していたが。『本当に正直な男だ』まさか事実とは(※他にあっても、遠慮かと思ってた)。
やれやれ・・・ヨーマイテスは、息子を信用していないみたいで嫌だったが、これは良くないと判断したので、墳墓の真下に上がった。
シャンガマックは必死。結界を縮めると、精霊に意識の範囲を渡すことになるし、広げれば相手が何かを察知してすぐに攻撃してくる。その攻撃も、押し潰して絞り出すような、一瞬、無抵抗にされる圧力。
どうにか立ってはいるが、全身を潰されそうになると、苦痛と焦りで体を折って倒れそうになる。そのためなのか、攻撃を受ける毎に、気力も途切れがちになっている気がした。
父は・・・『お前なら倒せる』と普通に言っていたけれど。
「そうは思えん」
どう扱えば良いのか、皆目検討もつかない相手に、褐色の騎士は悩む。
剣を振ろうにも役に立つ気がしない。さっきから、同じ場所にいて動けないのだ。棺に近づこうとすると、攻撃する。剣どころではない。何一つ、相手には打撃を与えられていない状況。
「奪う、と言っただろう」
耳に入った声。ハッとして、父の影を探す。その途端、また赤い風がシャンガマックに襲い掛かり、『ぐわっ』と鈍い声をあげて、口から唾液が溢れた。
「相手はお前を奪う。バニザット、苦しむな。見えるものを忘れろ。イーアンの爪の如く、お前の剣を使え」
「ヨーマイテ・・・ス」
父の声を聞いただけで、安心して弱音を吐くように力が抜けかける。
膝が揺れた騎士に『バニザット。勝て』の応援が間髪入れずに届く。騎士はその声に、ぐっ、と膝に力を入れて、頽れそうな体を戻す。父の声はそれきり消えた。
「イーアンの、爪?」
金色の結界を縮めて、今一時の身を守り、急いで頭を巡らす。頭の血管が破裂しそうなくらい、ずきずき痛むが気にしている場合ではない。
そうこうしていると、赤い風は、ぼうっと空間を吹き荒らすように外へ向かう。慌てて結界を広げ、外を閉ざすと、再びイラついたような赤い風が戻って来て騎士を襲った。
うぐぅと唸り、歯を食いしばって、倒れないようにするのが必死。もう、どこかは潰されているのではと思うくらい、痛い。
「爪・・・龍気だろ?あれは・・・龍気なんて、俺は持っていない。『見えるものを忘れる』その意味は」
うわっと声を上げ、次の攻撃にうっかり膝をついた。一度膝をつくと、立てる気力が一気に削がれた。
勝てないかも知れない、と過ぎる頭を振って、痛みを堪え、剣を杖に立ち上がる。
『見えるもの』この色、色か?見えているもので攻撃されていると分かるのは、色だけ。これ以外に、別の何かあるのか、それとも――
ここで、何かが閃く。違う!『見えている以上にある』ということだ。相手の力も、俺の結界も。
気づいたのは、龍気。龍気は見えている時、白い光で。
見えていなくても、イーアンは『龍気が増えた・減った』と。そして、彼女の龍の爪は、龍気そのもの。
見えない状態の龍気を、形に変えている彼女は。集めているから見える形に光るのかと、気付く。
もしかしてと、大顎の剣に視線を移した騎士は、一か八かで、剣に向かって結界を導く。自分の身を最小限に守る分を残し、一旦、壁や空間を包んだ結界壁を、剣に集中して引き寄せた。
「龍の爪。俺の、俺にとっては」
精霊ナシャウニットの結界だ――
目に映る以上に、あるなら。本当はもっとあるなら!
意識を集めた白い顎の剣に、見る見るうちに金の光が蔓草のように絡まり始め、ぐんぐんと右腕の黄金の腕輪が力を増す。
凄い量の結界が一箇所に集まって、初めて行う試みに、シャンガマック自身も驚く。
その状態を阻むように唸りを上げた、悲鳴のような風が吹き、振り向きざま、騎士は目一杯、右腕を振りかざして風を叩き斬った。
ゴォォォ!と、轟音の響く一瞬。
音が、自分のものか、相手のものか、分からない。今や、目も充血して、皮膚に細い血管の筋も上がっている顔で、騎士は棺を睨み付ける。
ぐんぐん集まる結界の力は、左腕も首も守る黄金の加護を輝かせ、褐色の騎士を鼓舞する。
棺の蓋が外れかけるのを、目にした騎士。
やっと相手が出てくるのかと、気を持ち直して息を吸い込み、緩んだ攻撃の隙に棺へ走る。
階段を駆け上がって思いっきり跳び上がり、金の輝きをまとう大顎の剣を、怒号と共に、蓋を目掛けて叩き付けた。
ガガガガガガガ・・・!! 僅か数秒で、砕き割った棺の蓋と、その中にいる何かの手応え。
叩き斬った側から、耳を潰すような咆哮が弾ける。爆音に似た咆哮に、シャンガマックは思わず目を瞑り、顔を背けたが、割れた蓋の隙間から、グワッと飛び出した異形の相手に目を見開いた。
急いで倒れる蓋を蹴って、後ろへ跳び、すぐに結界を剣に集める。飛び出したそれは『魔物だ』魔物以外の何者にも見えない。
人の胴体に、虫の足らしきものが一本太く突き出ていて、胴体の上は3つに分かれた腕と頭。その頭は目がなく、顎もなく、舌に似た肉垂が触手のように動いている。
頭を付けた腕はぐるぐると回って、狙う相手を見つけると、次の一瞬で赤い炎風を全身から吹き飛ばす。
「要らん」
剣を構えて待っていたシャンガマック。結界の力を入れた剣を、魔物に向けて突き出し、赤い炎風を二つに切り裂いて交わす。
「分かったぞ。これが俺の剣。俺の盾、俺の魔法か」
呟いた最後の言葉で、褐色の騎士は、自分目掛けて倒れるように飛び掛った魔物の横へ跳び、剣を振り上げて、渾身の力でズガン!と一本目の腕を落とした。
落ちた腕は瞬時に黒くなる。シャンガマックは、それを踏み台に跳び、次の二本目を迷うことなく連続で斬りつけ、斬った側から、騎士の真上を襲う口の三本目も、振って返す剣で斬り落とした。
魔物が頭を全て失い、胴体と足だけになってすぐ、大きな咆哮が部屋を揺らす。棺の中が、別の次元のように燃え上がる光を出し、残った魔物の体は瞬く間に吸い込まれて引き戻され、間もなく棺は色を失った。
床に下りたシャンガマックは息切れしながら、斬り落とした、頭の付いた腕に視線を向ける。それらはもう、消し炭のように脆く崩れ、床に吸われていく最後だった。
「終わった・・・?」
呟く言葉に、そんな気がする、と自分で答えて騎士は座り込む。
「倒したな」
すぐに横から声が聞こえ、その次には焦げ茶色の大男が、シャンガマックの背中を包んだ。
「頑張った。よく気がついた。これだけでもお前は、ここに入る前よりも成長した」
「ハハ・・・そうか。良かったよ」
力が抜けるシャンガマックは、父の腕に包まれて一気に安心し、凭れかかる。腕の中で見上げると、碧色の瞳が自分を見ていて、笑みを浮かべた顔が優しい。
「もう一仕事だ。立てるか」
「何?まだいるのか」
そうじゃない、と大男は顔を棺へ向ける。既に棺はただの石棺に変わっていて、暗い部屋にある、壁の窪みのように見えた。
父に起こしてもらって、足もふらふらしながら、シャンガマックは棺の側へ寄る。そこで、棺そのものをじっと見て、『これは』と驚いた。
「影?人の影では」
呟いて、棺の中に写し取ったかの如く、黒っぽい影に指先で触れる。その人影は、石に染みついたような印象で、シャンガマックの指が、人影の腕の辺りをなぞった時、何かが当たった。
「あ」
影が一瞬、揺らいだように見えた。そしてシャンガマックの指が当たった場所には、一冊の小さな本が、埋め込まれているのに気がつく。
こんなのあったか?と目を凝らし、突き出ている本を触ると、あっけなく本は落ちる。びっくりして、本の落ちた箇所を見ると、そこは他の場所と何ら変わらない、凹みも亀裂もない、棺の底でしかなかった。
「どこから」
どうして?と独り言を落としつつ、下に落ちた黒い本をそっと持ち上げると、本の内側が少しだけ、明るく光を放つ。
「行くか。もうここに用はない」
側に来たヨーマイテスは、息子が本を手にしたのを確認すると、彼の体を片腕で抱え上げて『もう午後だ』そう言ってニヤッと笑った。
「それの説明もしてやろう。食事はどうするんだ」
「いや。いいよ、今は。疲れた」
頼もしいお父さんに抱えてもらい、脱力したシャンガマックは微笑むのも精一杯。焦げ茶色の大男は、笑って息子の頬を撫でると『朝の岩棚に戻る』そう伝えて、影に入った。
お読みいただき有難うございます。




