1122. 別行動:南の遺跡~海龍とサブパメントゥの壁画
ヨーマイテスは、影のずっと奥。言ってみれば、地上とは違う影の中から、息子・バニザットの様子を感じ続ける。
動き出した彼らは、神殿に入り、壁面を見て回った後、奥の壁に戻った場所で立ち尽くしている。
「何をしているんだか」
バニザットを、遺跡に連れて来た、この前の夜。
壁に貼り付いて、これは、あれは?と好奇心丸出しで訊ねる息子に、ある程度のことは教えてやった、ヨーマイテス。
それでは不十分なのか、と眉を寄せる(※お父さんには面白くない)。
「俺が教えたことよりも、学者が知っているわけがない。それでもバニザットは一緒になって・・・全く。何が楽しいのか」
似たような話だろうが、小さい無意味な話(←館長のこと)だろうが、何でもそんなに楽しめるなら、俺と巡れば良いのにと、ケチを付けるが、そのぼやきは騎士に届かない。
「バニザットはな。優しいんだ。過去のバニザットだったら、あんな学者に目もくれない。学者の方が、縋りついて教えを請うくらいだ。
俺のバニザット(※所有物)はまだ知識が浅いから、それで何でも吸収しようとしてしまうのか。甘いし、優しいから、意味がなくても(←館長)付き合って、少しでも情報を見つけようとする」
困ったな、と呟く獅子。狭間空間で寝転がって、バニザットと一緒に動く時間を増やす方法を考える。
感覚を地上に向けてみると、あれから数時間は経ったようで、彼らは一旦、外へ出た。外にいる人間と何かを話し、外の人間はそのままで、学者と騎士は再び神殿に戻る。
何をしているのかは、ヨーマイテスに分からないが、彼らは奥の廊下両脇の壁を探っていて、学者が何かを書き写している。バニザットは別の部屋へ動いて、違う部屋の壁を見ているようだった。
ちょっと行ってみるか、とヨーマイテスは起き上がり、バニザットのいる暗い部屋へ忍び込む(※お父さんは一緒が良い)。
「バニザット」
「え。あ、ヨーマイテス」
真っ暗な部屋の中、所々、崩れた隙間から差し込む光の糸を受け、褐色の騎士は立っていた。突然影から現われた獅子に、急いで近寄ると『ダメだ。見つかってしまう』と帰るように小さい声で頼む。
「見つからない。その前に消える。何をしている」
「今か。この・・・この前来た時は、ヨーマイテスが入らなかった部屋だから、と思って」
「別に何もないだろう」
「これ。分かるか?これが知りたい。何だろう、これ」
「どれだ」
何もない、と思ったから素通りしたのにと、面倒そうに獅子は答えつつ、知りたがる息子の指先に目を向ける。そこにあるのは、体の長い生き物の絵。そして、海にも地面にも見える横に引かれた線の下に、何十人もの影があり、その影は人のようで、人と異なる姿。
ふーっと溜め息を吐く獅子(※ただの息みたいで気がついてもらえない)。これを説明するのか。
「ヨーマイテスなら分かるかな、と思って」
「分からんでもないが。お前に言うのか」
「ダメなのか?言いたくないなら、訊かない。でも、館長もこの絵に似たものを、向こうでも見つけて、それで調べているんだ」
「バニザット。お前が学者に言わないなら・・・まぁ。だがなぁ」
「そうか。じゃ、いいんだ。ヨーマイテスが困るなら言わないでくれ」
お前はカワイイなぁ、と思うと、ヨーマイテスは遠慮する息子に教えてやりたくはなる。だが、その絵は。そこにいる影は。『サブパメントゥだ』言い難そうに低い声で伝える。
――もし。今後、ミレイオが見たら、きっとあいつはすぐに気が付くだろう。
大きな絵に目を奪われたバニザットはここでも見落としているが、その下に並ぶ、小さな絵の列に気が付いていない(※992話で注意したのに)。
その絵の列は文字で、サブパメントゥの言葉が書かれている。
文字のないサブパメントゥの言葉を、なぜ文字に変えてまで残しているのか。
そこまでは話すこともしないが、ミレイオがもしこの文字を読めたなら。もしかしたら・・・仲間に掻い摘んで、内容を教えてやるかも知れない――
「サブパメントゥ?ここにいる影が、そうだと」
「そうだ。遥か昔の話だ」
「じゃ、この海龍・・・と言うのか。この生き物と関係して」
「そういうことだな。だが、サブパメントゥの生き物ではないぞ。早合点はするなよ」
そうなのか、と頷いた騎士は、壁の絵を少し見つめてから、獅子に向き直って両腕を広げ、大きな首をしっかり抱いて『有難う』とお礼を言った(※シャンガマックは獅子がカワイイ)。
息子が抱擁してお礼を言うので、ヨーマイテスはもうちょっとだけ教えてあげる(※息子に弱い最近)。
話し始めた獅子に、騎士が、抱きついている腕を解こうとしたので『そのまま聞け』と命じ(※抱き付かれている状態好ましい)細長い生き物の正体が『イーアンの見つけた海の生き物』と同類であることを話す。
「似ているかどうかは、あまり意味がない。一頭ずつ、形が違う」
「宝物を守っている、あれだな?そうなのか。皆違う形で」
「そうだ。宝を守っているが、人間用の宝だな。特に、サブパメントゥたちが気にするような、宝ではない」
シャンガマックは、獅子の言葉を聞きながら、続きを待って黙る。
抱きついた腕の中にある、大きな獅子の顔を見つめ、じっと碧色の瞳に視線を固定していると、ちらちら見る碧の目が『そんなに見るな』と困っていた。
「見ているだけだ。何でも知っているから、まだ話してくれるのかと」
「お前の目はどうも・・・話してやりたくなる目だが(※仔犬ビーム)。
俺も、言うに言えない事情もある。まだ早い時期でもある。この辺で納得しろ」
困った獅子の言い方が面白くて、シャンガマックはちょっと笑うと了解した。
時間も忘れて没頭する館長は、騎士が不思議な獅子と、謎解きをしているのも知らず。
壁に残る、状態の良い、小さい配列の文字の重要さを知っていて、必死にそれを書き写し続けていた。
遺跡へ来る度に、書ける所まで書き写し、出来るだけその場所にある絵も写すようにしていたが、一人の作業だと、限界が早い。あっという間に日が暮れる。
日数の限りがあるため、その制限内での作業であり、何度も来ようにも、別の遺跡調査も待っているので、予定と地域を調整して分けて訪れる形を取っている。
手伝いでもいれば、良いのだが。この専門分野に、若い学者が来ないので(※地味な専門)館長はひたすら自分の人生を、遺跡調査に捧げる。
今回も、前回に来た時の続きを書き続ける。この文字列が多くを示しているだろうし、これまで未踏の部分だった歴史の一部を担っている・・・そう、どこかで信じていた。
だが、彼に写す言葉の意味はわからない。
テイワグナ中の遺跡を歩いて、この象形文字も何度も見たが、意味が繋がる遺跡と、全く知らない言葉と思われる遺跡に分かれる。
時代の別で、解読が進んでいない・・・その理由もあるが、ここの遺跡の文は、館長に意味を読み取るまで出来ない対象だった。
「どれくらい・・・書けるかなぁ。この後、行かなきゃいけないところまで、日がないんだよねぇ」
炭棒で一心不乱に書き写しながら、館長は独り言で悩みを呟く。
もう少し、時間を作ってから来たかったが、護衛の問題で日にちが延びたため、ここには数泊しかいられない。数日後には出発して、次の近い遺跡も巡る予定。
二箇所を同時に回る予定を組んでいたので、早めに動いて、長く滞在出来るようにとしたかったが。
「難しいな」
昼も食べずに、書き続ける館長。
日が暮れても、ランタンで見えて書ける範囲はと思うが、見落としがあっても困るし、中に魔物が入っても困るし(※困る程度で済まない)日中に出来るだけやっつけなければと急ぐ。
南の遺跡の時間は、ゆっくり流れてゆく。
夏の日差しで輝く空も、干潟に注ぐ光も、むっとする蒸気が立ちこめた一帯も、ゆらゆらと揺れる空気に包まれて、一枚の絵のように佇む。
鳥と虫の声が響き、水に撥ねる魚の音が渡るだけの、静かな午後は、夕方へ向けて移ろう。
昼も関係なく、書き続ける館長。帰ろうとしない獅子と、奥の部屋で勉強する騎士。外では3人の護衛が、魔物と盗賊を見張り、馬と小舟から離れずについて過ごす。
聞ける話だけとはいえ、それでも、随分たくさんの内容を教えてもらったシャンガマックは、夕方の日の傾きに気がついて、ハッとする。
「うっかりしていた。もう、この中も真っ暗となれば」
「ずっと暗かった」
「そうじゃなくて。僅かに差していた光さえ消えた。太陽の向きが変わったんだ。夕方かも」
「そうかもな」
緊張感のない獅子に、騎士はどうしようかと戸惑い始める。そんな騎士に『どうした』と声をかける獅子は、もらった答えに首を傾げた。
「お前たちの気にしているところは・・・毎回。本当に小さ過ぎて、なぜ慌てるのかも分からん」
「ヨーマイテスはそう思うだろうけれど、根掘り葉掘り聞かれるし」
「『連れが迎えに来たから、明日の朝また来る』と言え。それだけのことだ」
褐色の騎士の心配。夜、館長たちは自分と一緒に過ごすものだと思っているだろうから、と思い出し、ヨーマイテスと一緒なのをどう言おうかと、わたわたしていたこと。
それを聞いた獅子は、毎度毎度・・・と呆れる。
どうも、この前の一件も(※怒っちゃったやつ)その範囲なんだな、と何となく理解する。
どうでも良さそうなことを、一々拾い上げて、それの心配ばかりしているのは、人間の癖なのかもしれない。
老バニザットには、こんな一面が一切なかったので、全く考えたことも、気にしたこともなかった。
だが、息子に限らずドルドレンたちも、あの短気なイーアンも(※ちょっと、おバカ扱い)共通している様子から『人間というのは、こういった性質』と理解する方が、今後、バニザットをあやすのに楽な気がした。
助言しても(※助言にもならない小ささ)まだバニザットは悩んでいるので、獅子は彼をじっと見てから『近くで休んでいると言え』それも付け加えてやる。
「探しに来られたら」
「来ない。魔物に怯えるやつらが夜に動かん」
「呼ばれたら」
「俺が気が付く」
「明日、訊かれると思う」
「はぐらかせ」
「ヨーマイテス」
困った顔で、どうしよう?を抜けきれないシャンガマックに、獅子は苦笑い。
「お前は、それくらい何てことなさそうだが。何を困るのか」
「館長はしつこいんだ。タサワンの神殿・・・ショショウィのいた場所では、イーアンやミレイオを捕まえて調べた。二人とも嫌がっていたけれど、遺跡に関係している相手には、本当に目がなくて」
「お前が俺を隠し通せないかも、と思っているのか」
「隠すが。俺は嘘がつけない」
それを聞いてハハハと笑ったヨーマイテス。はぐらかせない理由が、バニザットらしくて、暫く声を押し殺して笑っていた。そんな獅子を、少しむくれるような顔で見つめる騎士は『笑うことはない』と注意した。
「お前らしい、と思っただけだ。そうか。バニザットは素直だからな。
それなら、俺の事に触れられそうになった時。お前はきちんと言うべきだ。『その話を続けると、この遺跡が消される』と」
「えっ。消すのか」
「それは嫌だろう。俺は近くで聞いている。そして嘘のつけないお前と同様、この言葉に別の意味はない。容赦もない。
ここは、俺にとって、大切でもない遺跡だ。消したところで何も困らん」
それは・・・と耳を疑う、シャンガマック。でも。
ふと『山脈を消し去った男龍(※1085話参照)』の話を思い出し、彼ら天地の存在には、人間の大事な対象には、何も思い入れがないと理解する。
瞬きの回数が増えている息子を見て、獅子はもう一回『ここを消す、と言え』ちゃんと言えよ・・・念を押した。
こうして。シャンガマックは気が重いなりに、館長の『なぜ何攻撃』を止める、必殺一撃の言葉を与えられて、外の廊下にいるであろう館長に、夜は別行動であることを伝えに行った(※『待ってるからな』と後ろで言われる)。
館長は暗くなる廊下の端にいて、もうランタンを灯し、目の前の壁の内容をせっせと書き写していた。
言い難いながら、シャンガマックは彼に話しかけて、夕食と夜のことを切り出すと、館長は紙から目を上げないまま『うん。先に・・・私も後で、もうちょっとしたら』と呟く。
本当に言うのヤダなぁと思いつつ、『そのことなんですが』と騎士は正直に伝える。
顔を上げた館長は『明日の朝まで?どこで寝るんだ。危ないだろう』と驚き、すぐに『仲間とって言ったね?』彼は誰なの、と聞いてきた。
シャンガマックは息を大きく吸い込み(※『ごめんなさい』と思う瞬間)勇気を出して、父に告げられた恐ろしい一言を先に出した。
館長の顔が強張り、何だって?と少し怒ったように変わったので、急いで『そんなことしないように、聞かないで下さい』と止める。
「俺たちにとっての大切さが。大きな存在には気にならない場合も。俺は何度もそれを見てきました。
彼らに悪気はないです。ただ、自分たちを探ったりする行為は、こちら側・・・人間側の不都合に値する行為であることを知らせます。だから、こうしたことを」
「ここがどんだけ、大切な遺物だか分かっているのか?」
「俺は分かっています。だから」
「シャンガマック!君はそれを・・・私にわざわざ告げて、怒らないとでも思ったのかね!」
館長は、信じられないよ、と怒りながら立ち上がり『そりゃ、大きな存在から見ればちっぽけなものだろうが』と声を張り上げる。
「一生を費やして、皆に知識を渡そうとしている私に、何てことを言うんだ」
「館長。怒るのは尤もです、でも」
「いい加減にしろ」
シャンガマックはぞくっとした。後ろから響いた声が怒っている。
館長の、常識的な怒り方・真摯に続ける仕事を侮辱された時の、悲しさが怒りに変わったその声とは、全く違う質の怒りの声が、廊下に響く。
「それ以上、バニザットを責めると」
「ダメだ。ダメだ、何もしていない。俺は責められてない」
慌てるシャンガマックが後ろを振り向いて、急いで止める。館長も『誰だ』と小さな声で呟くが、目は見開き、声の主に激しい恐れを抱いた心に、言葉が続かない。
ランタンの光が届かない、黒しかない廊下の空間に再び、厳かで虞を吹き込む声が響く。
「お前。お前の一生など知ったことか。バニザットの言葉を今すぐ本当にしてやる」
「やめてくれ。違うよ、そうじゃないんだ。俺は何ともない」
「誰なんだ、シャンガマック。これ、龍じゃないだろう」
館長は正体が見えない相手に、初めて感じる怖さを突きつけられて、自分の盾になるように立った騎士に急いで訊ねる。騎士が答えるより早く、声はもう一回だけ響いた。
「お前が知ることではない」
そう言うと、突然闇の中の黒が二人を包み込み、ランタンは消え、『うわ』と小さく聞こえた騎士の声と共に、怒りの声はそのまま消えた。
「シャンガマック?シャンガマック!」
「館長・・・明日・・・・・ 」
どこからか、反響して聞こえた騎士の声は、大慌てで答えたふうに聞こえた。
暗闇に取り残された館長は、暫く冷や汗が止まらず、垂れてきた汗を腕で拭うと、手探りでランタンと資料を手に持ち、フラフラと外へ出て行った。
お読み頂き有難うございます。




