1111. 目覚めたイーアン・龍気と聖別
この日。朝もゆっくり、空で気が付いたイーアンは、自分がイヌァエル・テレンに連れて来られていたことに感謝する。
イーアンは、丸一日以上を費やして、ようやく意識が回復。そんなに掛かっていたとは露知らず。
ボーっとしながら、真上を見つめていた。
澄み渡る空に、龍が飛び、自分の下は柔らかい。仰向けに寝ている手を少し傾けて、自分の寝ている場所を触ると、滑らかな鱗と分かって微笑む。
ちょっとだけ顔を動かし、右手に触れた方を見ると、輝く青紫の大地のようなそこは、アオファの背中と知った。
「アオファ」
息にも似た声で、自分を支えてくれる大きな龍の名を口にすると、ゆったりと背中の下が揺れて、大きな首が一本、イーアンの上に伸びてきた。
気にしてくれている目に、イーアンは瞬きして微笑むと『有難う』とお礼を伝える。
近づけたアオファの大きな顔に、重い腕を持ち上げて撫でるイーアン。目を閉じて、体はまだ重いなと思う。アオファのほんのちょっとの部分に触れた手は、すぐに力を失って落ちた。
でも目は開いていられる。じっと見ている、金色の目に『大丈夫ですよ』と囁く。
「もう少し、こうしていましょう」
そう言うと、イーアンはまた目を閉じて、温かな光の中で眠り始めた。
イーアンが眠り始めて30分後。
空の向こうから、ガルホブラフが来て、背中のオーリンはアオファの上に降りた。
『ごめんな、アオファ。痛かった?(※気にされもしない)』勢い良く降りたからと言いながら、横になったままのイーアンに近づく。
「イーアン。まだ起きないか・・・大丈夫かな」
頭の側に腰を下ろし、オーリンはイーアンの額に掛かる髪を指でずらすと、そのまま、白い角を撫でた。
「どれくらい使ったんだろう。龍気だけじゃないって、ルガルバンダは話したが」
命を削るような勢いで、自分の気力を使い切るイーアン。そんな話をされると、オーリンもさすがに笑っていられなかった。
怖くもなる。想像し過ぎないようにしたが、龍の民の町に戻っても気になって、何度も家を出ては、龍の島に見に来ていた。
今日は、彼女の側に男龍がいないので、それも不思議に思う。来ればいつでも誰かいたのが・・・用でも出来たのかと思いつつ、オーリンはイーアンの角を撫で続ける。
「君は。どれだけ突っ走るんだろうな。俺もあんまり、ルガルバンダたちの言うことに素直に従えそうにないが・・・君はでも。その命を思えば、もう少し控えた方が」
「何を控えるのです」
「うん?だからさ、命・・・え?」
角を撫でながら空を見上げて、一人喋っていたオーリンは、聞き返されて驚く。さっと見た女龍の顔には、鳶色に光る瞳が見えていた。目が合ってニコッと笑うイーアンに、オーリンは笑って抱きついた。
「重いですよ・・・!」
「良かった!やっと起きたかよ」
被さるようにオーリンが抱きついたので、苦笑いするイーアンは咳き込んで、退くように言う。
龍の民は笑いながら、抱きついた腕に女龍の体を抱えて引き上げ、イーアンの上半身を起こしてやった。
「大丈夫か。体力もなさそうに見えるぜ。息苦しいとか、あるの?」
「息は大丈夫です。さっきも少し起きたのです。でももう一度、眠って。体力は分からないですね」
起きただけ、って感じかもと言うイーアンに、オーリンも同情気味に彼女の背中を擦る。
「無理はダメだ。ルガルバンダが心配していたんだよ。きっと今日、君が起きたって分かれば、男龍は早速、説教するぞ」
「え。説教。やっと起きたら、説教」
ヤなんだけど、と眉を寄せるイーアンに、アハハと笑ったオーリンは『仕方ないよ。大事な話だから』と、自分が聞いたことの全容を教えた。
イーアンは黙って、話し終わった龍の民を見つめた。龍の民も、黄色い瞳でイーアンを見つめる。
この二人だけは、見つめ合う時間で、お互いの感覚を共有する。まるで兄弟のように。
互いに、何を思っているのか。何を感じているのか。言葉にするより早く確認し合う、女龍と龍の民。
「私の力。使い方で」
「そう言っていた。俺もヤバイと思う。連続すると、どうなっちまうんだろうって思う。君は強いが」
イーアンは目を空に向ける。静かな呼吸に、イヌァエル・テレンの空気が動いて、自分も溶けてしまいそうな気持ちになる。
「なぁ。ちゃんと聞いたおいた方が良いと思うよ。説教かも知れないけど、彼らも心配なんだ」
「はい。そうですね・・・ねぇ、オーリン。あなたは。あなただったら」
「何?」
「例えばあの状況で。目の前で魔物が次々出てくる状況で。『龍は破壊するだけ』と、諦めて帰れますか」
イーアンは空を見つめたまま、呟く。ちょっと鼻を掻いたオーリンは『いや』と一言、答えた。
「あの時。龍に変わった私が、大地を壊し始めた時です。ホーミットが来ました。そして、彼が親玉を誘き寄せると言い、私に『もう、無駄に地面を抉るな』と言いました」
寂しそうな声に、オーリンは、彼女の言いたいことが分かる。
黒いクロークの背中を撫でて『気持ちは分かる』と同情した。イーアンも頷いて、やり切れなさそうに『どうしたら良かったのか』と独り言のように落とした。
「ファドゥにもね。言われていたのです。魔物の出た日の朝。グィードに会いに行きたいから、と連絡珠で話した際。
いつも穏やかな彼は、私に注意しました。『力尽きる強い女龍に、自分たちは恐れを持つ(※1093話参照)』と。ズィーリーはそうした動きを選ばなかったとも」
可哀相になってくるオーリンは、イーアンの言葉に続けて良いか、少し躊躇ったが『俺もルガルバンダにそれを聞いた』と、ズィーリーとの比較を伝えた。もしかすると、イーアンが無理をしなくなるかもと、そっちに考えて。
イーアンは一層、項垂れた。体育座りした姿勢で、頭をがくっと下に垂れて『ああ』と、悲しそうな声を出した。
「そういうつもりじゃないよ。
ズィーリーって、性格が大人しかったみたいだから、我慢が多くて動かない性質だったんじゃないの」
「彼女は、私より若かったそうです。これは、不思議な遺跡でそれを見た、シャンガマックが教えてくれてました。ニヌルタたちも最初、私を見た時に、私の方が年を取っていると話していて・・・ああ、別の方向でも落ち込む」
「落ち込むなよ。年齢はどうにも出来ないだろ?それ、何か繋がってるの?」
「そうでした・・・うっかりするところだった。
ズィーリーは若かったのに、私よりも女龍として、と言うべきか。龍族として、手出し無用の線引きを知っていた気がします。
私は分からない。分かっても、選べるのか。それを思うと」
イーアンが黙ったので、オーリンは彼女の肩を抱き寄せて、白い角をぽんぽん叩く。
「俺も『選べない』方だ。死にたいとは思わないし、誰それの場所を壊すことが、良いとも思わないけれどな。
でも。それでも。一昨日みたいな状態になったら。俺がイーアンと同じ立場なら、同じことをするだろう」
オーリンの寄り添う言葉に、イーアンは小さく頷いた。それから、はたと止まる。
「今。何て言いましたか・・・一昨日」
「そう。一昨日の状態は、俺だって」
「いえ、いえ。そうではなくて。一昨日?昨日じゃなくて?」
急いで確認するイーアンが顔を向けて、問い重ねる。オーリンは『一昨日だと思うけど』と、勢いに押されてちょっと笑う。
「えっ!私はそれじゃ、一日中寝ていたって事ですか」
「そうだね。一日以上かな。寝ているというか、意識がないんだし」
え~~~! 驚くイーアンは、慌てて腰袋からドルドレンの珠を取り出し、『ド、ドルドレンたちが』と焦る。オーリンはちょっと彼女の手を手を重ねて、連絡を止める。
何で止める、と自分を見た女龍に『言伝があるよ』それを先に言おうか、と訊ねた。
「何です。早く」
「いいや、焦るなよ。起きない時間が1週間、とかじゃ。そりゃ起こしただろうけど。まだ、2日目だ。物事は動いていない。
一つはアオファの鱗だ。もう、ないんだって。使い切ったとかで、イーアンに鱗を運んでもらいたいと言われた」
「分かりました。後で、この仔にお願いします。それで?他は」
こっちの方が即答できるか分からないよ、と前置きしたオーリンは、職人たちが回収していることを伝える。一瞬、嬉しそうな顔をしたイーアンだが、オーリンの話した続きに真顔に戻った。
「そういう顔になるだろ?その感じだと、イーアンも知らなさそうだね」
「ええ・・・そう。かも。私も度々、気にはしていたのですが。どうだったっけ・・・いつだったか『こうじゃないの』と結論が出たような気もするのに。思い出せない」
眉根を寄せるイーアンに、暫く答えを待ったものの。イーアンも正確には分からない様子に、男龍に聞くようにオーリンは促す。
「聖別した魔物の道具や衣服で、最初の頃、彼らに会っていただろ?その時に、何か言われた記憶がないなら、今回はっきり訊いてみろよ」
オーリンがそう言うと同時、空に龍気が膨らむ。イーアンもオーリンも、それが男龍だと気づく。
「来たな」
「来ました」
女龍は、龍の民を見て『オーリンも一緒に来るか』と訊ねたが、オーリンは苦笑いで『俺はいい』と即、断った。
「最初に言っておくが、今日は多分帰れないぜ。少し、イヌァエル・テレンにいさせる話だったからな」
「げ。じゃ、アオファの鱗とか、どうするんです」
「起きたか。イーアン」
近づく男龍を、二人がちらちら見ながら話していると、割り込むようにビルガメスが真ん前に到着。
「話くらいは大丈夫そうだな。オーリン、お前も来るか」
「いい、俺は戻る」
龍の民の答えに、フフッと笑ってビルガメスは頷くと、座っているイーアンを抱え上げ(※イーアンげんなり)『うちへ行くぞ』と、あっさりまた戻って行った。
見送ったオーリンは、溜め息をついて『大変だな。女龍も』と同情し、ガルホブラフを呼ぶと、自分も龍の民の町へ帰った。
ビルガメスの家に着いたイーアンは、ビルガメスの子供がいることで、少し気持ちが柔らぐ。
小さな子は人の姿に変わっていて、ジェーナイよりもちょっと小さい。とても可愛いその男龍に、イーアンは近寄って抱き上げ、しっかり抱き締めた。
「そろそろ、名前をつけるぞ」
「はい。でも今は、思い浮ばないです」
「急がなく良い。今日明日の話じゃない」
子供を抱き上げて、嬉しそうにしているイーアンをベッドに座らせ、ビルガメスもベッドに寝そべる。
「お前が。そうしていてくれるのが、俺にとってどんな感覚か。伝わっていない」
否定形で言われた言葉に、子供にちゅーっとしたイーアンは、ビルガメスを振り向く。ビルガメスを見たイーアンにつられて、子供もお父さんを見る。
二人が揃って自分を見たので、笑った大きな男龍は笑って腕を伸ばし、イーアンの背中を撫でた。
「俺は今。とても嬉しい。だが、お前の動きは俺を恐れさせる」
「恐れ。それは、私が無理をすると」
「そうだ。オーリンが話したか。ルガルバンダも、オーリンに伝えておいたと言っていた。
お前は俺たちを凌ぐ龍気を受け取り、その力の幅は、まだ全部現われていない。が、今のお前が、無尽蔵に出せるわけでもない。
お前の力を、お前自身が知らない。それでは、元の精気にすら、影響を与えるだろう」
龍気・・・イーアンは、その話を聞きたいと思った。
でもその前に、忘れてはいけないことを先に訊く。ビルガメスにちょっと待ってもらい、『魔物の材料』のことで教えてもらいたいと頼んだ。
『この話を忘れては困るのです』と添えると、ビルガメスは眉を少し上げて、意外なことを口にする。
「お前が聖別した何か、渡せば良いだろう。お前じゃなくても」
「私が聖別したものですか。それを使って、聖別のような状態が?」
「そうは言っていない。お前が触れたようにしたいなら、お前が用意したものを渡して、それを使わせればいいだろう、と言った。聖別じゃない。お前やタンクラッドの龍気が触れるのと、似たような状態になる」
魔性を取ればいいんだからと、大きな男龍は話した。疑問が擡げたので、イーアンは質問。
「タンクラッドも龍気がありますか?男龍に祝福を受ける前から。では、オーリンやドルドレンは」
「それは役割だ。タンクラッドは『時の剣』を持つ男だから、龍気も彼の中にある。俺たちに会う前から、それは決まっていただろう。
ドルドレンは勇者で、タムズの祝福も俺の祝福も受けているが、あれの役割とは違うから、龍気を含んでいても、お前の求める状態にあまり意味はない。それはオーリンもそうだ」
イーアン、暫く考える。腕の中で小さい子が眠り始めたので、前後に体を揺らしながら、あやして寝かしつける状態で、今までのことを思い出す。
その、揺り椅子のような動きをするイーアンと、まどろむ子供がイーアンの胸に寄りかかるのを見て、ビルガメスは優しい微笑を向ける。『いつまでも見ていたいものだ』そう呟くと、静かに息を吸い込み満足そうに、笑顔のイーアンを見た。
「聖別とは違う。だが、魔物の魔性を消す程度なら、お前が聖別したものを渡して使わせろ。
タンクラッドでも出来ないことはないかも知れないが、あれは人間だから、自分が触れる範囲にしか及ばないかも知れん」
そんなこと、考えたこともなかったからなと言うビルガメスに、イーアンは確認だけする。
「私が。聖別。それを、普通の方に渡すと、それを使って、魔性を消すことが出来るのですね」
「そう、伝えた。以前、俺がアオファの鱗を聖別したな(※767話参照)。『お前も出来そうだ』と、俺は言った。覚えているか。今のお前は出来るだろう。
仮に、精霊や妖精の強い聖別であっても、俺たちと同じ効果はある。魔性を消すだろう。サブパメントゥには、ないだろうが」
そうなんだ、と思うイーアン。
治癒場は精霊の力のような気がしたが、そういうのもあるのかと、ぼんやり覚えておく。『言われたまま覚えるのが、一番間違いない』のは、最近知ったことだった。
「さて。お前の質問が済んだ。俺の話に移ろう。
先に言うが、お前は今日はこのままイヌァエル・テレンだ。中間の地には降りない。明日もそうなるだろう。明後日はどうするか、まだ分からない。お前次第」
思うところはあっても。イーアンは抵抗しなかった。オーリンが教えてくれたことを思い出し、自分の立場を、しっかり知る必要があると理解する。
いろんな場面で理解してきたつもりだった。まだまだ、たくさんあるんだろう。これで完璧と言えるまで、後どれくらいの理解が待っているのか。数えることも出来ないが・・・・・
「後でな、皆を呼ぶ。男龍と女龍で話し合う。良いな?」
「はい」
腕の中で子供が寝たので、イーアンは彼を抱え直した。ビルガメスは自分の横に寝かせるように言い、『すぐに龍に戻る』と教える。
その言葉通り、小さな可愛い男龍は横になって数分もすると、光って龍に変わった。
「これが龍族だ。俺たちは大人だから、人の形を取って動くが、『龍』は『龍以外の何者にもならない』。
お前もそうだ。姿は人だが、お前は龍なんだ。龍である以上、お前の体を守る、龍族だけの龍気を失ってはいけない。それは呼吸を失うのと同じ」
龍気を失えば、魂を生かす力も使うことになるぞ、と。
美しい男龍は静かに伝え、一呼吸置いてから、悲しそうに眉を寄せる女龍にもう一つ、大切なことを教えた。
「イーアン。龍気そのものを、お前はもっと知る必要がある。そして、お前が龍族でも一番、その立場を分かっていなければいけない、そのことも。
大津波の時、男龍が見守り続けた理由を、お前も覚えるべきだ」
お読み頂き有難うございます。




