1109. フォラヴ、妖精を動かす
翌日。日が昇る少し前。
ヨーマイテスは、付近に妖精がいることに気が付いた。鉱山と町の間に広がる森は、横に長く伸び、町を離れて、ぐるっと連なる山々の裾を繋ぐように続く。
眠るバニザットを見て、静かにヨーマイテスが起き上がると、妖精の気配が動いているのが見えた。
鉱山の谷間の向こう、妖精の持つ小さい煌きの数が、まるで空中に浮ぶ川のように流れている。行き先は森の方。
「ふむ・・・あれは。もしかすると、あいつか」
夜の間も、何か落ち着かない感じがし続けていたが、それは離れていたし、鉱山には全く近づかないようだったので放っておいた。
魔物とは対照的な気配なので、恐らく妖精だろうとは思った。しかし、なぜ妖精がこれほど長く、この辺りにいるような真似をしているのかまでは、さすがにヨーマイテスには分からなかった。
「何かしたのか。あの妖精の騎士だけが、どこにもいなかったから」
テルムゾの村の土を変えたのも、知っている。ティティダックでは、森に向かおうとして魔物に掴まった騎士を、ヨーマイテスは救った。
土に何かある時。あの騎士は動く、そう記憶したが。『今回は土・・・割れてはいるが。これをどうにかするつもりだったのか』亀裂だらけの地面に対処したのだろうか、とは思う。
「分からんな。それなら土を伝って、振動もあるはずだ。亀裂に影響しそうな振動はなかった」
ヨーマイテスにはそれ以上、思うことはない。変化があれば、それはそれ。害はなさそうと判断する。
バニザットを起こして話しておこうと、そろそろ明るくなってきた空を見つめ、大男は騎士に起きるように声をかけた。
起きた騎士のぼんやりした顔に少し笑い、ヨーマイテスはもう帰ると言って、寝ぼけ眼の彼を抱え上げ、ベッドを影に仕舞うと、宿へ向かって影を伝い駆け抜けた。
帰る途中で聞かされた話に、シャンガマックは意外でもなさそうな反応をし『それはフォラヴ』とすぐに答えた。彼が『木々を助けるような発言を』そう話していたことを教えると、大男は首を傾げる。
「何をしていたかは知らん。妖精だから、夜に動く方が都合が良い・・・んだろ?うん?あれは」
森を抜け、町の瓦礫が重なる影まで来て、ヨーマイテスもシャンガマックも驚いた。『木』抱えられた騎士は、呟く。
「地面、見てみろ。バニザット。こんなことが」
外の地面の抉れは、龍のイーアンが起こしたもので、範囲も広く簡単に見える位置にないのだが、町の中は、魔物の出てきた亀裂だらけだったので、町に一歩は入ればすぐに目に付く。
そして二人は、地面の変化に『これが妖精の力』と顔を見合わせた。
「あいつらは、亀裂を沈めたのか?」
「ヨーマイテス。全体が下がったのでは。雰囲気が違う。バイラが、ここは昔、地面の下に空洞があったと」
その話になると、ヨーマイテスは心が痛む。ハッとして『そうだな。とりあえず、もう時間切れだ』と話を変えて、宿へ急いだ。
その少し前。コルステインは暫く様子を伺っていたが、もうじき戻る時間と気が付き、タンクラッドを起こした。
『う。おはよう。コルステイン。もう戻るのか』
『そう。タンクラッド。起きる。する。妖精。直す。する』
『ん?・・・何だって?』
寝起きでよく分かっていないタンクラッドは、目を擦って体を起こしかけ、コルステインに背中を支えられて寄りかかる。
『妖精。フォラヴ。土。直す。する。木。生きる。する』
『今、フォラヴって言ったか?あいつが戻ったのか』
『違う。見る。タンクラッド』
分かっていなさそうなタンクラッドに、コルステインはちょっと笑った。
それから自分を見上げている顔に鉤爪の背を添えて、ゆっくりと裏庭の木々に顔を向けさせる。
見てみろ、と顔を動かされ、親方は目の前の光景を3秒見つめてから、目を見開いて驚く。
「なん、何でだ?何で、木が戻って」
目の前に倒れていた木々が立ち上がり、根と一緒に起こされた土は、その木の根元に積まれている。唖然とするタンクラッドに、コルステインは話しかけた。
『夜。妖精。たくさん。コルステイン。見る。した。見た。たくさん。木。生きる。土。変わる。する』
そう言うと、質問をしようとした親方の頭をナデナデして、『コルステイン。帰る』うん、と頷き、あっさり霧になって消えてしまった。
「えー・・・教えてくれないのか。見せた割には半端な(※コルステインなりに教えたつもり)」
仕方ない、と呟いた親方はベッドに座り直し、顔を横に向けて、立ち上がった木々をぼうっと眺めた。
木々は多少、枝が折れた跡や、その折れた枝が地面に転がっていたりはするが、しっかりと上に向けて伸びたままの姿に変わっている。
「戻った、というべきだろうか・・・いや。そうでは、ないんだろな。
フォラヴは、妖精を動かしたんだ。コルステインは『直した』と言ったが。どれほどのことが起こっているやら分からんが、ここだけということはないはずだ。町はどうなっているかな」
親方がベッドの上で考えていると、横から音がして、褐色の騎士が覗き込んだ。
『おはようございます』起きていたタンクラッドと目が合ったので、すぐに挨拶した彼に、親方は手招きしてベッドに座らせる。
「おはよう。お前は?ホーミットと一緒だったのか」
「はい。俺が初日の夜、町の中の被害者の多さに辛くなったのを、ホーミットが気にしてくれて。町から離れた場所で、休ませてくれたんです。
昨晩もそれで同じように、町の外へ連れて行ってくれて」
「お前には、本当に優しいな。彼のことは、ほとんど知らんが。まぁ、息子とまで言いきったほどだから、よほどお前が気に入ったんだろう。
ゆっくり休めたか、と訊ねたいところだが。『外から戻った』と言ったな?町の中はどうなっているか見たか」
シャンガマックは頷いて、親方の視線が裏庭の木に向いたのを同じように見てから『町の中の』と亀裂や植樹の様子を伝えた。驚いたタンクラッドは『亀裂も』と立ち上がる。
「すぐそこの。一緒に行きましょう。道に出たところもありましたが、あれも」
褐色の騎士と親方は、馬車の停めてある裏庭の、向こうの通りへ行き、そこで親方は目を丸くした。
「こんなことがあるのか。どうなっているんだ」
「俺も、分からないです。ヨーマイ・・・間違えた(※正直)。ホーミットに聞こうとしたら、すぐに宿に着いてしまったので」
「ヨーマイ?何て?」
「何でもないです。気にしてはいけないこともあります(※正直2)。
ホーミットは、これらが妖精の動きだろうとは話していました。夜中の間、遠くで・・・俺たちは森の向こうの山間にいたのですが、そっちじゃなくて、きっと町の中で妖精は動いていたと」
さっくりと『気にしてはいけない』と言われたので、親方は横に立つ騎士を見下ろし、謎の言いかけ『ヨーマイ』を疑問に感じている旨を伝えようと、見上げた彼の漆黒の瞳を見つめたが、負けた(※仔犬ビーム)。
「お前の・・・その目。その目は。俺を苦しめる(※過去とっ散らかってた人)」
「何を言ってるんですか。俺は見ただけですよ」
胸を押さえて目を瞑る親方に、シャンガマックは笑って彼の背中を撫で、とりあえず、と続ける。
「フォラヴが戻ったら話を聞きましょう。いつ戻るのかは、総長に連絡して確認をお願いしないと」
二人は馬車へ戻る。総長の眠る馬車の扉を叩き、待っている間も、親方はシャンガマックに『お前の目は』と悩ましげに言い続けた。
シャンガマックは苦笑いで『今までも見ていましたよ』と答えたが、親方曰く『前から感じていたが。最近は、特に。疚しいものはないにも関わらず、その目で射抜かれる気がする』らしかった。
笑う騎士は『目は、どうにも出来ない』と言い、起きて来た総長にも挨拶すると、状況を伝えた。信じられない話を聞いた総長は、自分の目で確認して驚いた後、早速フォラヴに連絡を取る。
総長たちの話し声で、ザッカリアとバイラも起きてきて、親方に案内された、庭の中や周囲の様子を見た。この後、ミレイオも地下から戻り、開口一番『見た?』と亀裂の話を出した。
総長が交信している間、徐々に町のどこからかも、人々の驚く声が聞こえ、それは近くはないものの、まとまった場所の町民が、一斉に気が付いたような騒がしさで朝の空に渡った。
彼らの見た亀裂は、埋まった・戻ったというよりも、べっこり凹んで誰かが均したかのようで、不思議な地面の下がり方を見せていた。
それはさながら、町中が大きな段を持つ形状で造られた、意図した芸術的な滑らかさを伴い、大きく緩い段の上がり下がりが印象的な風景だった。
*****
馬のセンに乗って、森から戻る妖精の騎士。
朝陽の中を、総長と交信し終えて珠を腰袋に戻し、町の中に馬を進め微笑む。
ゆっくりと見渡す町の風景は、昨日の夜までの面影もなく・・・とは言い過ぎかも知れないが。
瓦礫や倒壊した建物はどうにも出来ないものの、基盤となる地面と、通りや家々に植えられていた木の半分以上は、息吹を取り戻した様子に、『まずはこれで』と控え目に頷く。
――フォラヴは昨日の朝、センを借りて、一人、森の中へ入った。
向かう途中ですれ違ったミレイオに、無事を喜ばれ、森へ行くことをやんわり伝えると、フォラヴが木々を愛しているのを知っているミレイオは『気をつけてね』と送り出した。
ミレイオの表情から、フォラヴがすぐに戻ると思っていたように見えたが、騎士はそのまま、森に留まる一日を選んだ。
彼は真っ直ぐに森の中を進み、魔物が出ていた場所と、そうではない場所を見分けて、魔物が寄らなかった『道なき道』を行き、町からずっと離れた森の奥で、目当ての大樹群に出会う。
大樹が増えて、木々の間隔が広くなり、研ぎ澄まされる空気の中に入ってからは、フォラヴはもう安心していた。
彼の白金の髪を揺らす風は、いつしか彼の頭の周りを飛び交う、小さな妖精たちに変わり、彼と馬の背中を優しく照らしていた木漏れ日は、金糸の刺繍で覆われるクロークになって、その肩を羽織った。
微笑むフォラヴは、自分の乗る馬車の馬・センも、太い首に生える長い茶色い鬣を編まれていることに嬉しく思い、馬の毛を美しく飾る妖精にお礼を伝えた。
妖精の騎士の乗る馬の横に、輝く灰色の馬と星のような白い馬が並び、二頭の馬の背中には、この世のものとは思えない美しい男女が乗って、彼らはフォラヴに音楽と歌を以って迎えてくれた。
フォラヴはそこまではっきりと気が付かなかったが、ギールッフの町の奥に広がる広大な森林は、妖精が棲みつくには最適な場所だった。
精霊の居場所がそこかしこにあり、龍に因む遺跡が多い、テイワグナにおいて。
妖精が、自分たちの世界と繋げるこの場所は、とても居心地良い広い森林で、遺跡も精霊の印もなく、手付かずの自然しかなかった。
魔物は出たが、妖精の範囲ではなく、妖精の世界その外だけ。中に入れる魔物がいるはずもなく、森は凛とした空気に包まれて、佇んでいる。
フォラヴは大きく深呼吸し、目の前に現われた美しい白い祭壇を見つめた。
祭壇は大きく高さがあり、人の作るものとは違い、石像の如く立ち上がる壁のよう。絡まる蔦と、歌う花が、白い滑らかな石に彫られ、それらは音色を響かせて香り、蔦には鳥が止まってさえずる。
横を進んでいた二人が左右の脇へ離れたので、フォラヴは昼の光の差し込む素晴らしい森の広間で、馬を下りた。
「フォラヴ。あなたの心は知っています」
「はい。尊い方よ。私は妖精の女王を訪ねました。人の身を持って生まれた私を、どうぞ憐れんで下さい」
「憐れみましょう。慈しみましょう。待ちなさい。女王はすぐそこ」
誰かが空気を震わせて話しかけ、フォラヴはそれに答える。今、誰一人その姿は見えずとも、騎士には周囲にたくさんの妖精がいることが分かる。
祭壇の柔らかな白い石は濡れるように光り、間もなくして、空気に鏤める宝石の輝きが生まれた。それらは、遊ぶ旋風のように踊り回りながら、あれよあれよと言う間に、薄緑色の美しい光の包みへ変わる。
鈴を鳴らす音に似た笑い声が四方から響き、フォラヴも心が満たされる。自分がここに居ること。それがとても嬉しかった。
『空の風を瞳に宿す、私の子ドーナル。あなたを憐れまずに生かすことなど、私が選べましょうか』
大きな愛が満ちる。白い淡い光は優しく、そこに背の高い美しい女性が現われた。白い肌には、光そのもののような金髪が長く垂れ、微笑む温かな顔に、フォラヴは涙を浮かべる。なぜか、涙が浮んだ。
『心の美しいドーナル。あなたの声を聞きましょう。あなたが憂うこと。あなたを苛むこと。あなたの求めの乾き。
あなたが自分を求めるなら、私の導きもそこにあります』
「私は求め続けています。乾きが止むことを知りません。どうぞ私を癒し、私の持つべき姿を、私の弱い心に知らしめて下さい」
妖精の女王は常しえの微笑みを向け、美しい妖精の騎士に歩み寄ると、彼に手を伸ばした。
『私の手を取りなさい。あなたを連れて、その尊い力を見せましょう』
背の高い白い女性に、細く長い指を差し出された騎士は、彼女を見つめてから、静かに頭を垂れ、その手にそっと自分の手を置く。
彼女の温もりは、日向のそよ風に似て染み入り、静かな眼差しは湧き出でる泉のようだった。
『お出でなさい。私の子。私の愛。あなたの持つべき姿を知る時が来ました』
フォラヴは彼女の手を取った時から、周囲の風景が変わっていたことに気がつかなかった。
既にそこは見知らぬ場所ではなく、度々訪れた妖精の国。そして、いつも遥か遠くに聳えていた銀の城の庭に、自分がいることに気が付いたのは、女王に『ご覧』と囁かれた時だった――
フォラヴは今。朝の町の通りを馬で進む。
妖精の国へ行き、自分の姿を知り、自分の道を理解した、境目の一時を越えて。
通りには、ひび割れ一つない。蹄が引っかかる場所もなく、倒壊した建物を呑み込んでいた、割れた地面は、建物を吐き出したようにして閉じ、地下に大きく広がった空洞には、石に変えられた魔物の亡骸が詰め込まれた。
魔性を取られ、地面を支える魔物の亡骸は、時を経て、いつしか輝く石に変わる。遠い未来のその時まで、魔物は罪滅ぼしとして、被る土に滋養を与える役目を渡された。
「夜の最中。私と一緒に妖精が回った、アギルナン地区。もう木々や草花が、悲しむことはありません。大地を潤す精霊の水が巡り、地の下には支えが置かれた今。もう・・・地盤が沈むこともない。もう、木々が犠牲になることもない」
どうぞ、妖精の愛を語り継ぎますように、と祈る、妖精の騎士。
静かに進める宿屋までの道で、通り過ぎる人々の『夜に小さな光がたくさん』『鈴の声は妖精』『妖精の行列が草木を癒した』と驚き交わす声を聴くたびに、フォラヴの微笑みは満足そうに深められた。




