1106. アギルナンの魔物~被害の翌朝
イヌァエル・テレンの夜。オーリンは、ルガルバンダが見守るイーアンの側で、静かに考え事に耽った。
最強の女龍。無敵に近い、とか。始祖の龍と似たような力を引き上げることが出来る、そんなとんでもない話ばかりだったのに――
オーリンはイーアンを見て思う。
確かに、いつ死んでも気にしないくらいの勢いで、彼女は常に動き出す。
冷酷さ。冷酷?イーアンはイーアンなりに、『自分は冷酷』と言い切る部分もありそうだと思う。
だが、ルガルバンダの言う冷酷は違う。『手を出さない範囲を理解できるか』とした意味だ。だとしたら、イーアンは悩むだろう。それはオーリンが一緒にいる短い期間でも、幾度となく見た。
イーアンに、見て見ぬ振りなんて出来ない。
一言『助けて』と言われたら、そのために何が何でも、動く人なのに。
それを続けたら危険・・・理由が『龍気を溜める容量を、満たしもせずに、命の気力も遣っている』ような言い方だった。
ここでオーリンは疑問を持つ。
思い出したのは、ザハージャングと呼ばれた、あの気味悪い化け物。
近づく龍気を何でも取るというのに、なぜか『イーアンくらいの強い龍気なら、問題ない』とタムズが言ったらしかった。
ザハージャングを連れてきた時は、グィードの後で、龍気が満ちたばかりのイーアンだったからか。でもそれなら『一度も蓄積したことがない』と、なぜルガルバンダは言うのか。
――何が満タンで、何が足りない状態なのか。
このザハージャングのことは、オーリンが空に上がった直後に聞いた話。
今のルガルバンダの話と、タムズの言っていることが噛み合っていない。これは一体、どういう意味なんだろう、とオーリンは考えていた。
天空の夜は穏やかで心地良いのに、疲れ切ってはいても、オーリンは寝付くことが出来なかった。
少しずつ、倒れているイーアンに白い光が、薄っすらと見え始めるのを眺め、それが男龍や龍たちの龍気なのか、本人のものなのか分からないにしても。祈るように、彼女自身の力であるように見つめた。
優しく吹き抜ける夜風に吹かれても、心は休まることはなく。オーリンの心配は消えないまま、夜は更けた。
この夜、男龍たちが時折、様子を見に来ては、イーアンの状態を小声で話し合い、また帰ることを繰り返し、夜明け前にはビルガメスが来て、イーアンは『戻さない』ことに決定したようだった。
*****
一晩経った、夜明け。
馬車の外で声がした気がし、ドルドレンは目を覚ます。
泥のように眠ったのは最初だけ。夜中も過ぎる頃には、こうした時に働く『いつもの警戒心』が、ドルドレンを戦闘態勢に引き込んでいて、音や気配に過敏な状態になっていた。
そしてまだ薄暗いうちに聞こえてきた話し声を確かめるため、ドルドレンはベッドをそっと出て、扉を開ける。
「総長」
「あ、シャンガマック」
シャンガマックと、横に獅子がいる。ホーミットと一緒、とは聞いていたから、安心していたが。こうして見ると、ようやく本当に安心出来た。側へ行って、部下の腕を撫で『怪我は?』と先に訊ねる。
どこも怪我はないとのことで、とりあえず、それは了解。ホーミットに送ってもらった話なので、ドルドレンはホーミットにも礼を言った。
「今。コルステインとホーミットが話して。俺も教えてもらいましたが、この辺に魔物はいないそうです」
「良かった・・・そうか。有難う」
ベッドにはまだ眠っている親方と、起き上がったコルステインがいて、ドルドレンを見てニッコリ笑うと、コルステインは『帰る』と空を見て教えた。
「俺も戻ろう。バニザット、何か食べるんだろ?必要な分を食べろよ」
獅子が人の声でそう言うと、騎士は嬉しそうに頷いて、大きな頭に顔を寄せ、たっぷりした鬣を何度も撫でた。
その光景にドルドレンは、とても不思議な感覚に陥ったが、暫くそうしている部下と獅子を見つめ、少し心が和んだ。彼らは、親方とコルステインくらい親密なんだと、はっきり分かる。
仲間が。こんな非常事態に、こうして大きな力を貸してくれる仲間が、ちゃんと常に側にいる。
これがドルドレンには、心の底から有難く思えた。その関係を、特に意図したわけでもなく、自然な歩み寄りによって築き上げてくれた、シャンガマックにも、タンクラッドにも感謝する。
「じゃあ、夜に。有難う、ホーミット」
「夜だ。気をつけろ」
『帰る。夜。来る。する』
「有難う、コルステイン。ホーミット」
二人の騎士に見送られ、獅子とコルステインは、影の残る場所に吸い込まれるように消えた。
ドルドレンは、シャンガマックを労い、彼に昨日のことを訊ね、お互いに報告を交わした。
二人は沈鬱な表情に変わるものの、『でも。一日で終わりました』そこにまずは助かったと思うべきだ、と頷き合った。
戻った部下を馬車の荷台に座らせ、ドルドレンは『満ちる水』を容器に注ぐと、シャンガマックに与えて飲ませる。
『タンクラッドがバイラたちにもこの水を使った』と教えて、きっと町中の水に、今日はノクワボの水を使うだろうと話すと、シャンガマックの目が輝いた。
「そうしましょう。それで少しでも、助かる手立ての一つになるなら」
「魔物は、もういないようだが。昨日はアオファの鱗も使ってしまった。かなりの量があったのに。
イーアンが戻ったら、アオファの鱗をまたもらえるように頼まねば」
「そうだ、イーアンは?」
ドルドレンは一晩経って、少しは悲しさも落ち着いた。涙こそ出なかったが、息を大きく吸い込んで空を見上げ『多分。今日は帰れない』と呟いて答えた。褐色の騎士は、総長に同情して彼の背中を撫でる。
「回復できる場所があるだけ、イーアンは救われています。特別な力で、特別な存在だから、人一倍こなすことが多いにしても。彼女には、回復を手伝ってくれる環境と仲間がいるから」
シャンガマックの意見は尤も。ドルドレンは頷いて、部下の正しい意見にお礼を言った。
ここから、騎士たちの朝が始まった。フォラヴも起きたようで、シャンガマックの無事を喜び、お互いに無事であったことに感謝する。
ザッカリアとタンクラッドは、まだ寝かせておいて、バイラと連絡を取ると、バイラも起きていた。
『今日は忙しいです。水と食料と。それと簡易テントを作るので。私はまだ動けそうにありませんが、出発しますか』
そんなことを聞いて、出発なんて考えることは出来ない総長。連絡珠を握って首を振り『まだだ』と答えた。
『龍が動けない。ミレイオはこっちにいないから、ミレイオと連絡が付き次第、水の手配を頼む』
『昨日はタンクラッドさんが来たんですが・・・あ、そうか。夜だから!』
『そうだ。コルステインが一緒だったから。だが、俺たちの龍も空にいる現状、動けるのはミレイオだけだ。イーアンもオーリンもまだだ』
イーアンの話になると、落ち込むドルドレン。状態が大変なんだと、気が付いたバイラは了解し、ミレイオを待つと答える。総長は今日、お互いの連絡をまめに取ろうと決めて、交信を終えた。
「ミレイオ待ちだな。ミレイオは炉場?そうか?シャンガマック」
「いえ。職人の一人の家に集まっていました。炉場から近いですから、きっと今日は炉場へ動くでしょう」
炉場の職員が亡くなったと教えると、総長もフォラヴも黙祷して頷く。褐色の騎士は、少し黙った後、気持ちを入れ替えて『彼ら職人は』と昨日の話をした。
「何と。魔物を回収するというのか」
この状況で耳にするには、意外な意気込みにドルドレンは目を見開く。これには恐れ入る。大災害ともいえる昨日の夕方。
聞けば炉場の職員も、地域の知人も魔物の犠牲になってしまったという、そのすぐ後にまさか『回収』の話が出ているなんて、と。総長の驚きに、シャンガマックも苦笑いで頷いた。フォラヴも唖然としている。
「すごいですよね。戦っていて、あちこちで阿鼻叫喚の焼け焦げる臭いと恐怖しかない、昨日の夕方。
彼らは『明日は魔物を回収だ』って、睨みつけて本気で呟いていました。イーアンみたいです。
俺が初めて、イーアンが魔物に静かに怒りを剥きだしにしたのを見た時。あれと似ていました。
職人たちは『魔物を使い倒してやろう』って。そっちに意識があるんですよ」
「すごい。実にすごい。鳥肌が立つ、男たちよ。俺は、そんな意気込みのある魂の強い男たちが、まさか職人とは思いもしなかった」
「あの人たち、すごいですよ。全然、魔物を恐れないんです。怯まないっていうかな。でも憎悪でもないんですよ。だから、無駄もないし、下手もしないんです。職人じゃないみたいだ」
シャンガマックは『ミレイオが彼らを気に入った理由が分かる』と、ちょっと笑った。
「イーアンが空に浮んで。魔物と絡み合って戦っていたじゃないですか。
あれを俺たちも見ていたんです。彼らは、バイラみたいな反応をしたんですよ。祈るんです。龍の姿のイーアンに・・・畏怖なんでしょうね。
勝ってくれと願いながら、壮大な存在が助けてくれているって、胸に手を当てて、空に向かって祈っていたんです。俺は『こんなに信仰心が篤い国なんだ』と。驚きました」
「素晴らしいな。震える。テイワグナに入ってから、いくらか様々な対応を見たが、信じている人々は龍をとても喜んだ。俺も見たかった」
ドルドレンはシャンガマックの言葉に感動する。ハイザンジェルでは見られない、一般の人々の感覚の違いに、ただただ驚かされる。
そして、正直者シャンガマックは『ガーレニーは、イーアンが鈴付きで可愛かったけれど、神々しい・・・と言っていた(※1102話最後参照)』ことを教えた(※気にしてなかったけど、黙っているのも悪いかと思ったから報告)。
総長はそれを聞いて、やはりあの男だけは出来るだけ距離を取らねばと決意した。
フォラヴは、友達の正直さに苦笑いするものの『龍の角に鈴は可愛い』と思うので、出来れば今後、この件が理由で、イーアンの角から鈴が消えないことを願う。
話していると、ザッカリアが目を覚まし、馬車から下りてきて『何か食べるものあるの』と訊ねたので、ドルドレンは荷馬車の中の乾し肉を与える。
『食料も。ここで俺たちだけが食べるのも気が引ける』だから、今は乾し肉をと部下に配り、自分もそれを食べた。
タンクラッドも起きたようで、声が聞こえたのでドルドレンが見に行くと、親方が寝返りを打ち『朝か』と呟いたところだった。
彼にも水と乾し肉を与え、シャンガマックが戻ったことと、サブパメントゥの二人に『ここに魔物はいない』と教えてもらったこと、水を配るには、動けるミレイオの連絡待ちであることを伝えた。
「そうか。ああ、ちょっとな。体にしんどいな。年だなぁ」
ハハハ、と笑うタンクラッドに、ドルドレンは微笑み、横に座るよう手で示されたので、親方のベッドの横に座る。
「タンクラッドは強いのだ。お前がいなかったらと思うと、どうなっているだろうと心配が募る。俺は、勇者とは言われていても、肝心な場面で使えもしない」
「馬鹿なこと言うな。お前は大事なんだ。役割は違うだろ?」
タンクラッドは水を飲み干すと、横に座った黒髪の騎士の、寂しそうな顔を見て、彼の肩に腕を回して引き寄せた。その顔を覗きこみ『お前はお前。俺に出来ない役目を背負う』そうだろ?と顔を寄せて囁いた。
ドルドレンはちょっと照れて、うん、と頷き、お礼を言った(※親方天然イケメンとお浚いする)。
「だけどな。俺が年なのは、間違いない。イーアンも空でへたばっているだろう。
オーリンは元々が強そうだからな。あいつはすぐに元気になりそうだが。ミレイオも、サブパメントゥだし、疲れの速度も違うだろうし、回復は人間より早そうだが。とは言ってもだ。
俺たちは、若いやつより、疲れが抜けにくい。これは年齢だ。ちょっと、今日はゆっくりになるぞ」
「勿論だ。あまり動かなくても良いように、考える。バイラは必死だが、俺たちが手伝おうと思う」
黒髪の騎士は、肩を組まれたままそう答え、優しい剣職人に笑顔を向ける。
剣職人もニッコリ笑って、総長の額に、自分の額を付けた。『お前も、いつも良いヤツだ。バイラも良いヤツだし。無理はするなよ』そう言って、額を付けたまま微笑んだ。ドルドレンは倒れそうだった(※親方も好きかもと思う瞬間)。
こうして。クラクラしている黒髪の騎士を笑って支え、タンクラッドは馬車の後ろで話している騎士たちに朝の挨拶と、昨日の労いを済ませ、シャンガマックにミレイオの状況を確認した。
お読み頂き有難うございます。




