10. クリーガン・イアルツア到着
クリーガン・イアルツア。 ドルドレンが所属する支部の建物を、そう呼ぶ。
広い草原の見晴らし良い場所にぽつんとある、北西地域を守るための騎士修道会の支部。
敷地を囲む壁には、木で造られた大きな門がついていて、中に入ると素朴な前庭と建物に伸びる道がある。
門から建物までは距離にして50m程度。建物の並び左側に厩舎があり、馬はそこに繋がれる。2階建て石造りの堅牢な建物は蔓草が壁を伝い、扉の上の壁石に浮き彫りで描かれた騎士修道会の象徴が来客を厳かに迎える。
「中に入る時は俺の後ろに。離れることのないように」
ウィアドを降りるイーアンに手を貸しながら、ドルドレンは小声で注意した。イーアンは頷き、ふとクロークを返そうか少し考えた。 ――自分が着ているのも不自然ではないか。 ドルドレンの顔を見上げると、言葉を交わすことなく通じたようで、ドルドレンは首を横に振り、イーアンの手が添えられたクロークの襟を上からそっと押さえた。
ウィアドを厩舎に連れて行くと、二人の男が馬の世話をしている最中だったが、彼らは外から聞こえる足音に振り向いた。
「あれ、ドルドレン総長・・・・・ 」
「誰だ? 後ろにいるのは。 その人は誰ですか?」
二人は目に飛び込んできた見慣れない人影に顔をしかめ、少し身構えた。夕方の厩舎内はすでに暗く、入り口に立つドルドレンたちの顔は光に当たってはっきりしない。そんなことに構わないドルドレンが、手綱を持っていないほうの手を上げて、無表情に彼らの質問を止める。
「作業中に悪いが、ウィアドにすぐ食事を与えて休ませてくれ。この人は道中に保護したので連れてきた」
何か聞きたそうな顔をする二人を一瞥し、ドルドレンは奥に進んでウィアドの手綱を一人に渡した。彼らは無遠慮にイーアンをじろじろと見ていたが、ドルドレンの威圧感から言葉は出さないでいた。
男たちに素っ気無く背を向けたドルドレンは、イーアンの肩に手を回して支部へ向かう。彼らはその行動を見て驚き、ひそひそ思うところを囁きあうしか出来なかった。
「総長が女を保護」
「他所の国の女かな。見たことない顔だ」
「年増だったから、魔物の被害絡みで家族に何かあった人で、それで保護してきたかもな」
「総長は時々、魔物から逃げる人たちを保護してくることはあったけど。今まで子供とか年寄りだったから、今回は意外だ」
「あのくらいの齢の女は支部に入れていいのか、ちょっと問題あるから保護の判断が難しいんだろう」
「年寄り子供の性別・女については『やむを得ない』とか言って受け入れてたけどなぁ。やっぱり大元が修道会だから、見た目まだ『女』の対象だとやっぱり規律上良くないのかもな」
「・・・・・でもあの人、そんなに女って感じでも」
自分たちの姿が消える前から聞こえる、背後からのひそひそ話に、ドルドレンは大きく咳をしてかき消した。厩舎から「まずい」と慌てる声がした。気になってイーアンを見れば、申し訳無さそうに俯いている。
「イーアン」
なんと声をかけたら良いのか、ドルドレンは迷った。イーアンは俯いたままで表情がよく見えない。
「あの、イーアン。 ここの者は地方出身者ばかりで礼儀がなくて」
「いいんです。大丈夫です。私がもっと若いか美人だったら、ウケも良かったと思うけれど」
ああ~傷ついている・・・・・ ドルドレンは胸が痛んだ。
自分のことは分かっていますから、と悲しそうに笑う彼女に、ドルドレンの少ない語彙量ではやぶ蛇になりそうで何も言えなかった。
下手なことは言えないから、せめて肩に回した手に力を込める。
――気にするな、俺は気にしていない、と。 あれ? でもそれもおかしいか。やはり言葉に出さないのが安全だ。イーアンはちらりと肩にかかる手を見て、黒髪の男の配慮を知ってか知らずか、困ったように小さく笑った。
支部の玄関前でドルドレンが戸の前に立ったので、イーアンは彼の後ろに下がった。ドルドレンが扉を開けるように声をかけると、少しして、両開き扉の片方が外側に向かって開いた。
扉を開けてくれた人とドルドレンは短い会話をし、相手がドルドレンの後ろを覗くように顔をずらす。赤毛の若い男性は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに微笑んで「どうぞ」とイーアンを招いた。ドルドレンは少しだけ口角を上げて若い男に頷き、イーアンに振り返って顎で中に入るように示した。
おずおず前に出たイーアンは、戸惑いから目を合わせないまま会釈した。赤毛の男性もきちんと会釈を返し、執務室へ行って先に話をしてきます、と言ってその場を離れた。
扉の中は大広間で、鎧や剣が壁際に並び、タペストリーのように戦旗が掛けられ、部屋の中心には幾つかの長い机と素朴な椅子が置かれてあった。小さな窓が天井近くに並び、光が差し込んでいるこの部屋は、100人位収容できる空間のようだ。
イーアンが一歩足を踏み入れると、こちらを見ているたくさんの人たちと目が合った。立っている者も、座っている者も、皆が珍しげに場違いな人物を見つめている。気後れするイーアンの肩を支えたドルドレンは、戸惑うイーアンを見ることなく歩を進めて、無表情で奥へ向かう。室内には50人ほどの騎士たちがいたが、その中ですれ違う距離にいた騎士は、通り過ぎていく珍客の姿を黙って見つめていた。
大広間を抜けて暗い廊下に出ると、人の数がぐっと減った。見えるところに2~3人。彼らもまた先ほどの騎士たちと同じ反応をしていたが、廊下でもイーアンは出来るだけ目を合わせないように俯きながら歩いた。
時間にして何分くらいか。5分ほどかもしれないが、イーアンにとっては長く感じただろう。ドルドレンは自分の横を歩く彼女の心境を想像して、少し気の毒に思った。
だが、一刻も早く着替えさせる必要があるし、体を温めて休める場所を提供しなければ。彼女は何時間も濡れた衣服を着続けて小刻みに震えている。自分の歩幅と違うから、それに気が付いてからは合わせて歩いているが、好奇の目に晒されるのも可哀相だし、早いところ空いている部屋に連れて行きたい。
焦っては歩調が早まり、気がついては歩調を緩め、それを繰り返しながら廊下の壁沿いにある緑色の扉の前 ――執務室に着いた。