1096. アギルナン地区魔物襲撃 ~無限龍気の奇獣
唐突な地震を受けた騎士たちの居る町。
そこへ辿り着く前に、空の道で向かっていたタンクラッドたちも、異変を知る。
「あれ何だ」
オーリンがハッとして、遠方に上がる一筋の煙を見つけた。よく見れば、次々に煙が上がる。
それを見たすぐ、イーアンはゆっくりと一方を見つめ、その顔は困惑の色を浮かべた。タンクラッドも、イーアンの感じている感覚を敏感に受け取るので『何だ、何を感じている』と訊ねる。
「分かりません。一箇所ではないのです」
「俺もそう思う。お前が見つけた魔物、散らばっているのか」
「ギールッフも居ます。でも」
「イーアン、タンクラッド!まずいぞ」
二人が違和感を確認し合う会話に、前を進んだオーリンが叫ぶ。『あれ、出てくるんじゃないか?』オーリンが向いた方向に、イーアンもギョッとした。
街道の行き交う広い場所、そこから離れた地面が割れている。その割れた地面が動いているのが、気味悪いほどの距離で続く。
「地面が動いて。あれは魔物じゃないのか」
言いながら背中に手を伸ばして、タンクラッドはハッとする。『剣。剣を』置いてきている!と、急いでイーアンに言う親方に、イーアンも『あらやだ』と振り返って困る。
「俺だって、弓もないぜ。イーアンだって丸腰だろ?回復したらもう、武器要らないかも知れないけど」
「でも腰袋は必要ですよ。何があるか分かりません」
「急いで戻ろう、ドルドレンたちも危険だ」
慌てる3人は、大急ぎでギールッフへ飛ぶ。その間、感じ続ける魔物の気配は、四方八方からどんどん上がり、高度が下がるにつれ、人々の恐怖に叫ぶ声が大きくなっていた。
ドルドレンたちも必死。総長の頭の中に浮かんだ、似たような地震は『ティティダック』あの村で食事をしていた時、今のように突き上げられる急な地震を受けた(※870話参照)。
「津波の日もそうだった。何かが出て来る時だ」
馬車に戻って大急ぎで鎧を着け、武器を手に『シャンガマック、フォラヴ、ザッカリア!龍を呼べ』とドルドレンは命じる。
「総長は」
「俺は馬を借りる。お前たちは先に、被害から人々を守れ。離れ過ぎるな」
総長に命じられ、騎士たちは返事をするとすぐに笛を吹いた。龍が来る前に、バイラが来て『総長、私の馬に乗って下さい』と叫ぶ。
「馬を借りに行きます。私の馬に乗って」
「すまない」
バイラは自分の黒い馬を引いてきて、すぐに跨る。ドルドレンも後ろに乗ろうとした時、あっと気がついて空を見上げた。
「イーアン」
部下の龍が来る合図の光、その手前に黒い影が2つ。『ショレイヤだ!ガルホブラフと』帰ってきたと分かり、バイラと顔を見合わて頷く。
「では。私は一旦駐在所へ声をかけて、避難場所の広場へ町民を誘導します」
「分かった、バイラ。無事で」
「総長たちも」
お互いに無事を祈り交わし、バイラは馬を走らせる。ドルドレンは、ぐんぐん近づいてきた龍の群れに体を向けた。
「ドルドレン!」
「イーアン、良かった」
部下たちの龍より早く、親方とイーアンを乗せたショレイヤ、オーリンとガルホブラフが舞い降りる。
龍を飛び降りた親方の手から、急いで伴侶に走るイーアンを抱き止め『地震が』とドルドレンが伝えると、イーアンも焦る顔で見上げて『上から見た』とすぐに答える。
「ここだけではありません。私はこの町の周囲に向かいます。龍気は問題ありません」
「そうなのか。でも、まだ」
「俺が行く。一緒に」
馬車に入って、時の剣を握った剣職人が答えるが、ドルドレンは龍の心配をする。
「タンクラッドはバーハラーがいないのだ。オーリンは」
「俺はイーアンと一緒だ。イーアンは龍にはならないと思うけど、龍気は使うから」
オーリンは龍に乗ったまま、イーアンを支えると答える。
ドルドレンはショレイヤを見て『お前は?どうなの。海まで往復して疲れは』病み上がりみたいなものだから、気になる体調。
「大丈夫だと思うよ。グィードの龍気が凄かったんだ。龍たちはイーアンと一緒に龍気を得ただろう」
ショレイヤが喋れないので、オーリンが教えると、ドルドレンは自分の龍に確認する。藍色の龍はうんうん頷くので、ドルドレンも『それなら』と背中に乗った。
「タンクラッド、ミレイオがいないのだ」
乗ってすぐ、タンクラッドに伝える。ミレイオを見失ったことを早口で告げ、顔色の変わった親方に『探してくれ』と頼む。
「俺は部下だけに出来ない。もう彼らは町に出るであろう魔物を退治に向かった。俺も行く。お前は」
「ミレイオか。分かった」
頼む、と一言告げ、ドルドレンは奥さんとオーリンを見てから『気をつけて』と声をかけ、先に飛び立った部下の後を追った。
「それにしても。タンクラッドは身動き取れない。いくら何でも厳しいぞ」
オーリンは、この状況に戸惑う。タンクラッドの強さは、必要だと分かっているだけに、イーアンをさっと見て『龍は?』代わりの龍は呼べないのかと訊く。
タンクラッドもミレイオを探すにあたり、徒歩は現実的ではないと思う、緊急事態。
こんなことを話している数分でも、あちこちで悲鳴と振動が続いている。
イーアンも、タンクラッドが自由に動けないことは気になるので、『どうか分からないけど』と期待できないのを承知で、ファドゥに連絡した。
呼び出した男龍はすぐに応じてくれたようで、イーアンは無言で珠を握り締める。その焦る顔に、状況を急いで報告していると分かる。
「どうだろうな」
「分からないな。代わりの龍なんか、すぐに出るのか。いれば良いけど」
タンクラッドもオーリンも不安そうに、イーアンの交信を見つめる。タンクラッドの胸中、ミレイオがどこに行ったか、何となく見当は付いていた。そこへ行くには、とてもじゃないが龍なしでは無理だった。
二人の見守る中で、イーアンがさっとタンクラッドを見た。親方もイーアンの目を見て、結果を訊ねる。
「来てくれます。でも、何度も呼べません」
「龍が?今だけってことだな?バーハラーの代わりの龍を、誰かが連れて」
「はい。タムズが連れて来ます。でも」
イーアンは戸惑うように言葉を止めて、親方に近寄って見上げた。この反応は何だ?と親方が彼女を見つめて首を振る。『どうした。何かまずいのか?』連れて来る龍に問題があるのかと思い、心配が過ぎる。
女龍は言い淀んでから、『龍ではない』と教えた。
「何?龍・・・じゃない?イヌァエル・テレンから来るのに」
「なんだよ。龍じゃないやつなんか、空にいないだろ」
タンクラッドとオーリンが、同時に反応したその一瞬、空が爆発でもしたように光に染まる。『来ました』イーアンは空に顔を上げる。二人は目を瞑って『眩し過ぎる!』と顔を下に向けた。
町の人々も驚いて叫ぶが、どこもかしこも混乱の中。誰もここで立ち止まることはない。その光に向かって、イーアンは翼を出し、すぐにタムズの側へ飛んだ。
「タムズ!」
「イーアン、龍気が戻って。本当は、君に言いたいことが山のようにあるが、今はやめておこう」
真っ白い光の中で、イーアンはいきなり説教を食らいそうになり、びっくりしたが(※この状況で!)タムズはすぐにちょっと笑って、『連れて来たが。毎回は無理だよ』と連れを見せ、ちょっと周囲を見た後『私はこれで戻る』とすぐに言った。
「君が戦うことになるのか・・・龍族だけじゃ面倒そうだよ」
「面倒そう?私たちだけでは、とは」
タムズの言葉に、イーアンはヒントがあるのかと急いで訊ねる。タムズは町に目を走らせてから、少し首を傾けて静かに呟く。『壊すか。誰かに手伝わせるか』。
「え?壊す?手伝わせるのは誰に」
イーアンは何のことかと焦る。タムズは何かを気が付いている。男龍は数秒黙ってから、女龍を見た。
「シムが君に伝えた、と言う。『龍族では、手出し出来ないことがある』」
タムズの言葉に、イーアンは不安を感じる。自分は手が出せないと、言われた気がした。
そしてタムズもまた、始まったばかりの、恐ろしいこの事態に関わろうとしない様子。
助けてほしいのに・・・タムズは帰ろうとして、空を見上げる。
急いでイーアンは、預けられる相手のことも聞いた。龍族が動かない、と決めたなら、それは無理を言えない気がして。
「あの、この仔はどうすれば」
「タンクラッドを乗せたら、動く。彼の用事が終わり次第、帰るように言えば良いよ」
「名前はありますか」
「ザハージャング。凄い龍気を使うから、他の龍の側に行かせないように。今の君は大丈夫かもね」
「分かりました。タンクラッド以外は」
「やめておきなさい。誰を同乗させるのもいけない。タンクラッドは時の剣を持つ。彼自身もザハージャングにやられない。無論、オーリンたちも離れさせて。早い話が単独行動向けだよ、イーアン以外は近づけない」
私も無理はしたくない・・・苦笑いして、タムズはイーアンにザハージャングを任せると、『終わったら。君はイヌァエル・テレンへ来なさい』としっかり命令(※説教)して、垂れ目で困る女龍に微笑み、また空へ戻った。
白い光は、タムズと共に引いてゆく。
イーアンの手には、ザハージャングの長い棘のような鰭。初めて見たその姿に、それでも驚かなかったのは――
「な。何!何だ、それ!」
驚きの声が地上から聞こえ、ハッとしたイーアンが下を見ると、目を丸くして見上げる親方とオーリンが、魂消ている。
「オーリン。ガルホブラフと一緒に離れて下さい。この仔はあなた方の龍気を取ります。オーリン、他の方を手伝って下さい。私はこの仔に付き添わないと」
「イーアン、それ、それ、どこから」
「噛まないで、オーリン。この仔ですか。それは後で話します。タンクラッド、行きますよ」
怯える龍の民は(※宿の壁向こうの人々も、浮んだ姿に恐れで叫び散らしている)急いで友達の背に乗り、ガルホブラフは乗り手が背に触れた途端、逃げ出した。
「俺は総長を手伝ってくるよ」
逃げる龍の背で大声の挨拶をして、オーリンとガルホブラフは一目散にその場を後にした。
「では。タンクラッド」
龍の民を見送ったイーアンは、愕然として立ち尽くす剣職人に向いてパタパタ下りてくると、彼の体を持ち上げて浮上した。その時、気がつく。親方が震えていることに。
「タンクラッド。どうしましたか。この仔が」
「お前。お前、これ。龍じゃないだろ」
「そうです。龍気は使いますが、龍ではありません。とにかく、乗れるのはあなただけです。男龍も側に居られません。だから繰り返し呼べないのです」
「そんな?そんな相手に俺は」
「臨時です。この仔はザハージャング。遥か昔、時の剣で倒した相手です」
ハッとするタンクラッド。イーアンの落ち着いた声は、何かを教えてもらったからなのか。少し悲しそうに耳元で囁く。
「あなたも知っています。あなたの剣の鍔にいます」
タンクラッドも言われて、すぐに気が付いた。時の剣の鍔に付いた、双頭の龍。対の飾りだと思っていたそれは、現実に居たのかと、知らないはずの『時の向こう』に魂が震え怯えた。
ザハージャングは、全身が棘のような金属質の鱗に覆われ、一見すると、棘だらけの生き物にしか見えないが、2~3秒見つめるとすぐにそれが、生きていないことに気が付く。
体内がない。腸の抜けた龍の骨に、棘の皮を被せたような姿で、銀色の体から突き出た首は2本伸び、その首の先に近づくほど黒っぽく、口を開いた獣のように見える黒く輝く龍の頭を付け、目のあったであろう窪んだ穴には、当然だが、眼球もなく、何の光も見えなかった。
尾も2本。足は8本。言ってみれば、二頭の龍が混じってくっ付いた、死骸が蘇ったような姿だった。
しかし、八方に突き出る、異様に長い棘だらけの金属の鱗が覆うので、下から見上げない限りは、空っぽの胴体を見ることもないため、向かい合った相手には、危険極まりない銀色の奇獣にしか見えない。
イーアンはタンクラッドを、棘だらけの大きな背中の上に連れて行き、その首もとに開いた『乗る場所』に下ろした。背鰭は棘のようなのに柔らかく、2本の首の中心の線から、背中、尾へと続く部分だけは、揺れる柔らかな棘が並ぶ。
「それを掴んで下さい。そしてあなたが剣を振るう時は、この仔の体の棘を切りかねませんが、それは気にしないで」
「何言ってんだ、イーアン。こいつ」
「いいえ。生きていません。遥か昔に、時の剣によって倒れています。この仔は、死ねないだけで、生きていないのです」
だから、切っても何をしても平気、とイーアンは伝える。
『傷つければ分かります。タムズは言いました。死ねないので、何をしても傷は戻るのです』この状態から変えることは出来ない・・・イーアンの不思議な言葉に、タンクラッドは朦朧とする。
「イーアン。俺は、この。『ザハージャング』が苦手」
言いかけた親方の声を、どう聞いたか。名前を呼ばれたザハージャングは、動かなかった体をいきなり震わせ、吐き出す息のような音で吼えた。
目を見開いて驚くタンクラッド。イーアンも驚いたが『この仔はあなたの声で動く』と教え、『行きますよ』そう、親方に頷くと、イーアンは町の外へ飛んだ。
早く荒い息を押さえることが出来ないタンクラッド。言い知れない怖さと苦しさが消えない。
「俺の、俺の剣が。お前を。そのお前に俺が今、また」
ぐっと堪えて。タンクラッドは苦い唾液を呑み込んだ。『行くぞ、ザハージャング!悪く思うなよ、今一度、俺の声を聞け』絞り出した、掠れた声で名を呼び、命令をする。
その声に応じた、銀色の棘だらけの鱗が、一斉にガチャガチャ打ち合って鳴り響き、気圧される背中の乗り手を無視した『死ねないザハージャング』は、女龍の後を追って、青い空を駆け抜けた。
お読み頂き有難うございます。




