1086. リーヤンカイの異次元・時の剣初舞台
イーアンもびっくり。そして親方もドルドレンもびっくり。雄叫びは、耳にこびり付くほど散々聞いた『魔物』その声。
「タンクラッド。行って閉ざせ。龍の出番はここまでだ」
そう言うと、ニヌルタは最後の仕上げとばかり、ぶうんと風を巻き起こして白い光の束を放った。
向かい合う遠くからも同じ現象が起こり、シムが共鳴したと分かる。
アオファの頭の上にいるイーアンは、多頭龍の龍気がいきなり上がったので、それを合図と気づいた。
『お前、アオファ。龍気が。もう終わりますか』消えて無くなりかける筒の最後に反応した、アオファの龍気は、左右にいる男龍の白い光に触れ、一帯を包み上げるくらいに広がった。
「でも今の、あの声は」
終わりかけに聞こえた、魔物にしか思えない声。イーアンは不安を胸に、ごくっと唾を飲み込む。
その目端に、さっと動いた影を見てもっと驚く。『え!タンクラッド?ドルドレン!』二人を乗せた龍が、削れた山脈の上へ向かう姿。
「何ですか!何で?ダメよ、今何があるのか」
「イーアン」
叫んで思わず翼を出したイーアンは、飛び立ったすぐに左から来たシムに止められた。『シム!タンクラッドたちが』止めなきゃ!と慌てるイーアンの腕を掴んだシムは首を振る。
「そうじゃないぞ。彼らの力で止める」
「どうしてですか、聞こえましたか。さっき魔物の声が」
「落ち着け。魔物の声だが、出て来ていない。お前は俺といろ」
落ち着けないでしょう、と騒ぐ女龍を抱え込んだ男龍は、『黙って待つんだ』と片腕に抱えたイーアンに言う。
「時の剣を使うだろう。タンクラッドが自分の力を理解するに、良い機会だ」
「何、暢気なこと言ってるのですか。ドルドレンもいるのに」
「だから。お前はまぁ・・・いつもそうして手を出してきたな?だがお前はこの場合、無理だ。役に立たん」
えー・・・役に立たないって言われたイーアンは、愕然として、自分を抱える男龍を見上げる。彼は少し黙ってから『龍の力ではない』と言い直す。
「少し待つだけだ。龍族は。『破壊しないで終わらせる』ならな」
シムはそう言うと、左腕に抱えた女龍を抱き直して、ビルガメスがいつもそうするように自分の腕に座らせ、その顔を見つめて諭した。
「心配だろうが。手出し出来ないことを覚えろ。お前も俺たちも、その力の及ぶ場合においては強い。
だが、及ばないどころか、壊すしかない場合もある。それを壊したくないなら、別の力に任せるんだ」
鳶色の瞳が寂しそうに見えて、シムはちょっと笑う。『大丈夫だ』女龍の頬を撫でると、タンクラッドたちが消えた、山の向こうに視線を動かした。
「待つんだ」
*****
男龍に『行け』と言われて飛んだけれど、バーハラーとしても初の試み。不安がある(※龍も不安)。乗り手の男二人の会話を聞くに、理解が追いついていない様子で、バーハラーはどう動くべきか困りつつ、速度を落とさず飛び続ける。
「この下だな。魔物の気配が」
龍の飛ぶ背中から見下ろし、タンクラッドはドルドレンに言う。ドルドレンも同じように顔を下に向け、真下に見える大きな暗い穴に『この穴が』と、低い声で呟いた。
上空から見える、その暗い穴。ぽっかり開いた黒い穴は、正にドルドレン騎士たちが、死に物狂いで戦った魔物の群れを出し続けた、憎き穴だった。
「こんな形で見ようとは」
「そうだな。そしてまさか。俺たちの手でどうにかするとも、な。思わなかった」
総長の苦々しい言葉に、タンクラッドはすんなり答えて、感情を籠めないようにした。総長の胸中は計り知れない。下手に同情することも出来ないと分かっている。
背に回した手で、ゆっくり背負った剣を抜くタンクラッドは『気をつけろ』と、後ろに声をかけた。
「俺の出番だそうだ・・・何すりゃ、良いんだか」
時の大剣を右手に持った剣職人は、燻し黄金色の龍の背中から、下の穴を見て『あれに・・・中和』と呟く。『中和』の言葉に、ドルドレンは反応したが、タンクラッドは何か考えているので黙る。
――黙る親方の気持ちは、理解出来る。ドルドレンも同じ心境にあるから。
愛だ何だと、自分の力を誉められたものの。愛ってどう使うの、と(※素朴な疑問)その部分から抜け出ていない。
龍のイーアンを、ティティダックで救うに至ったのも、偶然のような状態だったので、自覚はナシ。タムズも親方も『ドルドレンの力は愛』と、聞こえの良いことは言ってくれたが、実際、使い方なんか分かりゃしないのが本音だった(※無理もない)。
真下に見える黒い穴から離れないよう、バーハラーに周回させている親方は、ふーっと息を吐いて少し笑って呟く。その顔は、後ろに向けず、黒い穴に向けたままだった。
「イーアンも。こんな気持ちだったかもな。
いきなり『龍になれ』とか、『龍気を操る』とか。何をどうすると、自分の力が出せるのか知りもせずに」
ドルドレンは答えなかったが、彼の呟きに、その横顔を見つめて頷いた。そうだな、と思う。誰に聞いても分からないで、一人悩んでどうにか手に入れながら進んできたんだろう、と。
「今。俺たちの下から立ち上って、この足に絡み付くような魔物の気配。俺の剣が、俺自身も、これを消せるというなら」
独り言が続くような気がして、ドルドレンは息を呑んで、剣を片手にした男の声を聞き続ける。
「あの時。コルステインに伝えた・・・励ましたかった、あの思い。マースを救う為に(※1034話参照)」
何かを見つけたような、親方の一言。彼は時の剣をぐっと握り締め、自分の中に力を得た。
「バーハラー!お前の龍気はお前のもの。この中へ飛べ!」
「えっ」
突然、叫んだ剣職人の言葉に、ドルドレンは仰天する。突っ込むの?!驚いたすぐに、龍気を自分のために引き絞った龍は、翼をすぼめて一気に降下した。
「えええええええっ!」
ドルドレン、どうにか事情をと思うが、親方もバーハラーも攻撃態勢に入ったのか、いきなり声を上げる。
「ドルドレン!掴まれ、入るぞ!」
おおおおおっ・・・!! 自分を鼓舞する野太い声を張り上げ、タンクラッドは剣を構えて、真っ逆さまにリーヤンカイの穴へ飛び込んだ。ドルドレンは、加速する龍の体を掴んで、覚悟を決めた。
魔物の気がもうもうと立ち込めるような、大きな黒い空間に入り、タンクラッドの腕から金色の光がほとばしる。
剣はタンクラッドと絡むように、腕の一部を変え、後ろで見ているドルドレンには、さながらイーアンの龍の爪のように感じた。
時の剣は、龍気とも異なる光を放つ。水色に澄んだ光を金色に輝かせて、タンクラッドの振り上げた腕が下ろされる度に、剣を離れて光の鎌が飛び、闇の中を不思議な斬り方で開いてゆく。
「何だ、これは」
親方の剣が振るわれる時―― いつも光が飛び、対象が切れるのは知っていたが。ここでは、闇が、黒が、斬られていると分かる光景に目を見開く。『空間が切れる?・・・そんな』どうして、と呟く勇者。
時の剣の光に斬られた側から、空間に煙る粉塵が上がり、それは現実の粉塵とは違って、物体ではないけれど、粉塵に光がまとわりつくようにして、色が変わって消えてしまう。
タンクラッドは手応えを感じたか、ばっすばっすと腕を振り上げては、そこら中に光の鎌を飛ばす。
「伝わる。俺の体に、俺の力が何をしているのか」
斬りながら呟いた声に、タンクラッドの喜びらしい音が入り、ドルドレンはハッとした。『お前の力』自分で実感するのかと驚くと、タンクラッドは彼を振り向かずに答える。
「分かる。俺の剣は、俺自身。俺は剣だ。剣の存在が、俺に流れ込む」
暗闇に自身の光で照らされたその横顔に、ドルドレンは息を呑む。何て美しいんだろう、と。人なのに、人じゃないような。これが、伝説の剣と一体になった人の見せるものか、と心が震えた。
「俺はこの場所を閉ざせる」
タンクラッドは無我夢中のように、龍と共に暗闇を切り裂き続ける。
どこまでも潜って進む、地獄へでも伸びているかのような黒い闇を、龍と二人は延々と飛ぶ。時の剣は、金色の光で空間を斬っては、その色を変え、色の意味が見えてきたことにドルドレンも気が付く。
「まさか。この斬り続けているものは」
この穴自体が、既に魔物の何かと繋がる次元では、と理解する。
タンクラッドが入ってきた時点で、闇は生き物のように警戒した。そして彼が斬り始め、光が飛び、何かに当たって色が変わったのだ。変わったその色は、岩肌のそれと知った。
「ここはじゃあ。俺たちは」
「そうだ、ドルドレン。俺たちは『魔物が開けた、魔物の時空』にいるんだ。俺と俺の剣がそれを戻している」
「タンクラッドは、魔物を倒しているのか?」
「違うな。ここに魔物の手前がひしめいているが、この穴の外は龍気だらけ。俺は龍気を引き込んで、この魔物の空間を消し続けている。龍気も俺の剣にまつわったすぐに、龍気ではなくなる」
「何だって」
チンプンカンプンだけど、ドルドレンは言われたそのままを受け取る。タンクラッドの説明では、魔物の気と龍気が混在している状態で、彼が中和剤になって両者を消していると・・・・・
「あ。『中和』?お前、さっき『中和』と最初に言っていたのは、このことか!」
気が付いた勇者の言葉に、タンクラッドは後ろを振り向き、ニコッと笑う。その笑顔は、いつも見てきた剣職人の笑顔とは違って、別の存在のようにドルドレンの目に映った。
タンクラッドは自分の力を知るに至り、『振り絞れ』とビルガメスに言われた言葉を胸に、無尽蔵のような動きで斬る手を休めることなく、闇を進んだ。
そうして進みながら、どのくらい経ったのか。ドルドレンは途中から、妙な様子に気がついた。
振り向く後ろ、入ってきてからここまでの間。タンクラッドと、時の剣の威力で見える様子は変わったが。
「タンクラッド。これ。いつ終わるのだ」
「分からん・・・別の時空なんて来たことないからな」
ドルドレンは、彼が疲れ始めている気がする。ここまででも、凄い体力だと思うが、この終わらなさには気持ちが萎えてきそうである。
タンクラッドもそれは気が付いているようだが、しかし、終わりもしないのに引き返せないのか。
「終わりがない、なんてことは」
ドルドレンの心配に、タンクラッドは答えない。ひたすら剣を振るい、闇を戻し続けるのみ。そんな親方の背中を見つめ、ドルドレンは懸念が生まれる。
思い出すのは、自分たちがついこの前。一部の空に閉じ込められた時のこと――
この前とは違う、と分かっている。
あの時、イーアンがミンティンたちと筒を取り除いてくれたから、自分たちは出られたのだ。今も、ニヌルタとシムが取り除いてくれた後・・・な、はずだけど。
でも、あれ?と、考えるドルドレン。待てよ。
腰を浮かせて、龍の背で大剣を振るい続ける親方は、さっき『この穴の外は龍気だらけ。龍気を引き込んで』と話していたじゃないか。
ってことは!ドルドレンは驚く。この時空には最初から、龍気はなかったんじゃないのか?それに気が付いて、ザーッと血の気が引いた。
俺たちがイル・シド集落で解放されたのは―― 筒を含む、あの場所にあった何かを、龍気が全て消してくれたからだ。でもこの奇妙な空間は、龍気が影響していなかったのだ。穴の外の山脈は、龍気が影響していても。
そうなると、勘が告げる。さっと龍を見れば、龍も疲れている。もう『外にある龍気を、引き込める場所ではない』そういう意味だと理解する。
「龍気、ないのでは」
今は既に、バーハラーの龍気も使っていると見て、焦るドルドレンはタンクラッドの背中に触れた。
「これ以上は無理だ、龍気はここにないかもしれない!戻らないと」
「戻れるか、この状況で。ここで戻ったら、封じられないだろう」
「でも。タンクラッドは『中和する』ものがないと」
気が付いていたのか、親方は答えない。ドルドレンは焦る。
こんな時の知恵はイーアン!・・・なんだけど。近くにいないし、次元が違うと言われたら連絡も取れない。
「ドルドレン」
後ろで焦る黒髪の騎士に、前を向いたまま、彼の名を呼んだタンクラッド。『何だ』急いで答えるドルドレンは、タンクラッドが何か思いついたかと訊ねる。
「こういう時のために、お前がいる」
「えっ」
忘れていた、自分の存在。ドルドレンは戸惑う。『俺』と言われたら、そうだろうが。でも。『愛』って言われても~
「お前の力だ。イーアンを助けた時、お前はどうしていた」
聞かれて悩む。あの時は、必死だった。イーアンが力尽きたと分かって、自分が彼女の代わりにと。
「俺は。俺が倒れても、勇者の代わりは必ず現われると信じて。イーアンを」
「お前は自分を差し出した。『お前が出来る最善』を尽くすために」
ドルドレンは、自分を振り向かずに剣を振るう男を見つめる。息が荒くなり、唾を飲み込んでそれを思い出す。
「思い出せ。お前が命懸けで守った、ハイザンジェルのこの前までを。お前は今、魔物の再発を前に、その解決のど真ん中にいる」
言われなければ、思い出せなかったわけではない、焼き付いた痛みの記憶。
でも、これを伝えられてすぐ。今、自分が何を感じるべきか。タンクラッドの一言で引っ張り出した。
「『俺を支える』のが方法だ。お前の愛を向けるべきは」
「知っている」
ドルドレンは答えた。自分が出来ること。
ハイザンジェルに、不意に訪れるかもしれない悪夢を止めること。タンクラッドの力を借りて、この、無限にも見える、魔物の通路を閉じること。
「俺は例え、この場で倒れても。お前に最後まで、力を注ごう」
――イーアンは分かってくれる。もしも、俺がこのリーヤンカイの穴のどこかで消えても。俺がタンクラッドと、世界を守ろうとしたことを。旅の最中で倒れたとしても、それはそれだ――
うん、と頷いたドルドレンが、親方の体に両手を添える。『お前の力になれるように』そう呟いて、微笑んだ。タンクラッドも死ぬかどうか、恐れはしない。
「どうなったって。やるだけやった、と思えれば。お前と一緒だ」
黒髪の騎士は剣職人に気持ちを伝える。振り向いたタンクラッドも微笑んだ。
「そうだ。いつだって、命懸けだ」
二人が心の向く先を定めた、その微笑の瞬間に、タンクラッドの剣が真昼のような光を生んだ。
*****
「光りましたよ!」
外でハラハラしながら待つ、イーアンが叫ぶ。『今、今そこ光りました』シムに急いで教えると、シムはゆっくり頷く。
横にいるニヌルタも、予想していたふうな顔で、何度か頷きを繰り返し『まずまず、だ』点数でも付けるように呟く。
リーヤンカイの穴の上、男龍と女龍は多頭龍の側に浮んで、『勇者』と『時の剣を持つ男』の帰還を待つ。
「ドルドレン。タンクラッド。ああ、どうぞ無事で!」
「こんなことで、勇者が散ってたまるか。ギデオンだって、最後まで行ったのに」
ニヌルタの暴言にも似た言い方に、イーアンは睨む。『ギデオンはフラフラしていました。こんなに勇敢な挑戦していません(※と思う)』ドルドレンと比べないで!と注意した。
苦笑いするシムが、友達を見て『心配しているんだから』と女龍の肩を持つ。ニヌルタは腕組みしながら鼻で笑って『この程度で心配なんて、どれだけ面倒見が良いんだ』またイーアンを刺激する発言をした。
「ニヌルタ。ギデオンのことなんて、何も知りませんでしょう。ドルドレンは彼よりもずっと、多くを行おうとします。その分、危険も」
「だから。世界を守る『勇者』にその程度で、ギデオンと差が付くと思っているのが『面倒見良いな』と俺は言っている」
ムスッとしたイーアンは、もう答えなかった(※ニヌルタの意地悪、と思って黙る)。
むくれた女龍をちょっと見て、ニヌルタは笑い『怒るな。もう戻ってくるぞ』機嫌を取るように教える。
イーアン、つーん。シムが笑って、腕に座らせている女龍の角を少し押し、自分を見させて『本当だ。もう戻る』と繰り返した。
「本当ですか。さっきの光は、この場所を閉じたのですか」
「閉じたな。魔物のいる時空と繋がっていた『最後の部分』が途絶えた」
最後の部分、とは何だろうと、イーアンは一瞬、思ったが、それはさておき。今はとにかく早く、無事にドルドレンとタンクラッドが帰ってきてほしかった。
まだかまだかと、イーアンが両手を組んで、垂れ目を垂れさせて懸命にお祈りしていると、ニヌルタがぐっと笑顔になって『出てくるぞ』とイーアンを見た。
イーアン、つーん。
ニヌルタは仕方なさそうに笑い、顔を背ける女龍を覗き込んで『怒るな』もう一度伝える。
目が合って、怒っている女龍に『俺が悪かった』と一言、小さく囁き(※でもシムにも聞こえているので、頭上で笑ってる)許してもらった。
「来るぞ、イーアン。分かるか」
シムも教える。龍気の少ないイーアン。ただでさえ分からないのに、今はもっと分かり難い。
ふと、シムの顔が曇り『バーハラーは危ない』と呟く。『え?どうして』驚いたイーアンが聞き返すと、答えより早く、横にいる男龍も頷く。
「そうだな。バーハラーは、もう」
ニヌルタも同じように心配そうな表情で、シムを見た。
それからすぐにニヌルタは、待っているつもりだったのを変更して暗い穴へ向かって飛び、イーアンとシムが待つ場所へ、その腕にバーハラーの首を抱えて、あっという間に戻ってきた。
龍の背に乗るタンクラッドとドルドレンは、無事そうで、ニヌルタに連れられ、外で待っていたシムとイーアンを見て『終わった』と大声で叫んだ。
イーアンは彼らの無事を見て、わっと笑顔になったが、それも続かなかった。ニヌルタの腕に抱えられたバーハラーの首は、既に意識がないように目を閉じていた。
山脈の黒い穴は、この時、離れた北西からでも確認出来る勢いで、消え始めていた。
お読み頂き有難うございます。




