108. 買い物と一戦と
ドルドレンとイーアンは、その後は楽しくお買い物をした。
問屋へ行くと、イーアンは目を輝かせて一生懸命見て回った。さっきまでの沈鬱な表情は、すっかり過去のもの。
狭い店内にひしめく山積みの革を前に、このまま帰らないといったらどうしよう、と思うくらいに貼り付いていた。
店主が来て、イーアンののめりこみ様に声をかけた。イーアンの顔を見ても店主は驚かず、イーアンがボソッと呟く質問に的確に答えていた。一つ二つの問答の後、店主は『お客さん、もしかしたらこういうの好きかもねぇ』と高い位置にある革を引っ張り出した。
イーアンの喜びようは半端ではなかった。
谷の魔物を退治した時と同じくらいか、手を叩いて、はち切れんばかりの笑顔で革に覆い被さる。――そうやって俺にも覆い被さってくれ、とドルドレンは見つめる。間違いなく、今のイーアンは自分の存在を忘れている。
嬉しくなったイーアンが、自分の試作をずるっと袋から出して店主に見せると、店主は『何だこれ』と素で呟いて、イーアンと鎧を交互に見た。
「魔物の皮です」
イーアンが。大好きな人に初めてお菓子を作って渡す少女のように。頬を赤らめて、魔物製鎧を店主に紹介する。『ああた、作ったの?』と仰天する店主が二度見する。
イーアン絶頂。首を立てにぶんぶん振りながら、『誉めて、誉めて!』といった具合に、理解者に大盤振る舞いで、剣やソカまで見せ始めた。
――・・・・・良いかい?イーアン。彼はオシーンよりも年上で、それも普通のおっさんだ。
君の男の価値観は、どこにあるのか分からなくなる時があるが、皮とか防具や武器で盛り上がれると言って、二人だけの世界に突入してはいけないんだ。俺がここにいるんだし。
そんな顔を赤くして、笑顔全開で可愛く擦り寄るんじゃない。おっさんなんだよ、本当に。その人は普通のおっさんなんだ。気がついてくれ。早く気がつけ――
「お兄さん。この人すごいねぇ。うちで仕事してくれたら良いのに」
店主が笑って、イーアンの肩を叩く。――触るな、イーアンに気さくに触るな。イーアン、笑うな。喜ぶな。
「ドルドレン。おじさんが革を選んでくれました。買っても良いですか」
めちゃめちゃ仲良しになっている。値引きしないんだけど、まあ良いか~とか。良いなら、わざわざ言うな。恩を売るな。早く値引け。イーアン、無駄に笑顔を振りまくな。値引きは出来るからしているんだ。可能な範囲で恩を着せているんだ。
「だめ」
ドルドレンが耐え切れなくなって、イーアンの腕を引っ張って抱き寄せる。イーアンが『あれ?』といった感じの顔で見上げている。店主は楽しそうに一人で喋りながら、見積を出して、購入した革をまとめた。
差し出された見積書にドルドレンは手荒く署名すると、『ああ、騎士修道会の人だったんだ』と改めて驚いていた。支払いを後で良いか訊くと、了承したので、ドルドレンは購入した革は配送するように伝えた。
「お兄さん、彼女良い仕事するね。また何かあったらどうぞ。出来るだけ力になりますよ」
店主はドルドレンの不愉快そうな顔には何も反応せず、イーアンに『じゃあね。頑張って』と笑顔で送り出した。神経の太い店主だ、とドルドレンが思っていると、『良い人に会えて嬉しいです』と満面の笑みでイーアンが見上げた。
次は金属か。嬉しそうなイーアンに、引き攣る笑顔を返したものの複雑な心境だった。
そして同じことが金属の問屋でも繰り返された。
イーアンはダビから受け取った資料を見せながら、『金属は私には分からなくて』と言いながらも、店主と仲良くなっていく。
店主は『これを書いた人がいてくれると、もっと分かりやすいね』と言う。『今度一緒に来ます』とイーアンが笑顔で答える。
――何を約束してる。ダビも来るのか。と言うか、俺はそこにいるのか。どこだ。どこ。俺いる?
店主は、そうだね、と言いつつも、資料と商品を見合わせながら、あれこれとイーアンに質問して、テキパキと品をカウンターに集める。金属の塊とか砥石とか工具とか。何だ、それ。本当に要るのか。
気を良くしたイーアンが、ここでもソカや細い剣を出す。『見て見て、作ったの』的な。帰宅したお父さんに、学校で作った工作を誉めてもらいたがる子供のような笑顔で差し出す。
――もうやめなさいってば。ほら、店主がガン見してる。ほら食い付いた。ほらね、ほら。
絶対言うぞ、これ『いや、すごいね、お姉さんこれ何』って。ほら言った。喜ばないの、そこは。
普通の人、こんなの作ろうって思わないから驚くんだよ、普通。イーアンが普通じゃないんだって。こら笑顔、笑顔だめ。
だからその人はおっさんなんだよ。さっきと同じ。ちょっと痩せたけど、中身は一緒。普通のおっさんなんだって。ここに俺もいるんだよ。おっさんと二人の世界に入って良いわけないんだよ。こら。こっち見なさい――
ここでも『いや~お姉さんは面白いから、値引きしちゃおうね。ホント、また来てくれよ』と店主が笑う。
――イーアン、本気にしてはいけない。喜んではいけない。それは恩着せという作戦だ。安く出来るから範囲で安くしてるだけだ。だからそんな笑顔で、冗談とか言う必要ないんだって。
「こっちに来なさい」
大きく溜息をついて、ドルドレンはイーアンを引っ張る。笑顔が崩れない店主の差し出す紙に署名し、先ほどと同じ流れを繰り返し(ドルドレンとのやり取りは所要時間1分)、配送してもらうことにして店を出る。
イーアンはすっかり元気になった。
『買い物は、女性の一番喜ぶ原動力であり、金銭の心配がない場合は、最も効果を発揮し、大体の物事を解決する』とクローハルが言っていたことがある。それだけは正しい気がする。単にイーアンの場合は、材料に限るだけで。
その後。ウィアドに乗り、町をぶらぶらしていると、『後は、鎧工房どうしましょうね』とイーアンが思い出したように呟いた。
「そうだな」
ドルドレンも考えていた。他にもあるのは知っているが、デナハ・デアラと軒並みを一緒にしている、この町の鎧工房が、自分たちを受け入れるとは思えなかった。全部組合だから、デナハ・デアラの傘下みたいなものだ。
「もう夕方近いですから、明日一日で探しましょうか」
それしかないかなーとドルドレンも頷く。
自分予定では、今日契約して明日は近くの観光するつもりだった。どうせ魔物が出ても、『アレ欲しい』とか言うと思うし。観光中に手土産が出来ても良いと考えていたが。
「そんな時間なさそうか・・・・・ 」
呟くドルドレンの言葉に、イーアンが振り返る。明日は観光しようと思っていたことを話すと、イーアンは『ここに来るまでも充分、観光でした』と微笑んだ。『そうか』とドルドレンも微笑み返す。
ふと、馬を歩かせていた道が、石畳ではなく普通の土の道に変わり、石がゴロゴロしていることに気が付く。左右を見れば、民家も敷地を広く取って、明るい夕方に子供たちが遊び、仕事を終えた老人や女性が家の中に入る姿。
町の民家の地域に来ていたと分かり、引き返して宿を探そう・・・と馬を返す、その時に。
背後で、男性の大声が響いた。
ドルドレンとイーアンが振り返ると、近くにいたほとんどの人が同じように、声のした方へ振り返っていた。すぐに別の男性の声。悲鳴のような声が聞こえたと思った矢先、100mくらい先にある民家の影から男性が走り出てきた。
「魔、魔物!・・・物、魔物が」
はっきり聞こえた言葉にドルドレンが馬を走らせた。周囲方々から驚きの声やざわめき声が上がる中、ウィアドが男性のいた民家に向かう。男性は転がるように走って、ドルドレンたちの来た方向へ逃げる。
民家の横まで来て、『おっと』とドルドレンがウィアドの手綱を引いた。
「鹿?」
イーアンが目を凝らす。鹿らしきものがそこにいる。ただ、角を含めば、民家の1階くらいまでの大きさの体。それが何頭もいる。
「群れではありませんか」 「群れだな」
真っ赤な毛が波打つ体に、金色の襟巻きのような深い毛が、堂々と首周りを取り巻く。大きな体に長い足。膝下から真っ黒な足と同じ色の黒い角は、額から2本、前に向いて長く伸びている。魔物だから雌雄が関係ないのか、全てのものに角がある。嫌な感じの光り方をしている、角度によって妙にぎらぎらする角・・・・・
後ろの方に、変な方向に頭を差し出す1頭が見える。よく見ると、民家の壁に角が刺さっていた。魔物はゆっくり首を動かし、民家の壁をえぐった土塊と一緒に、黒い角が壁からずぼっと抜ける。
「壁に刺さっていました」 「そうみたいだな」
数えると16頭。全員、こちらを見ている。ドルドレンが、ふむ、と一言漏らし、剣を腰から外した。
「イーアン。あの細い剣を借りても良いだろうか」
はいどうぞ、とイーアンが渡す。剣を受け取ったドルドレンが、鞘から剣を抜く。いつも使っている自分の剣より若干短いが、自分の剣は刃毀れしているので使わない。
「ちょっと留守にするよ」
いつも通り、イーアンの髪の毛に顔を埋めてから、ドルドレンが跳躍する。あっという間に民家の塀へ移り、それを足場に民家の屋根へ跳んだ。
かなり離れた後ろの方で、ドルドレンの姿を見ている人たちの声がする。内容は分からないが、心配している様子だった。
ドルドレンが屋根の上に跳んだ時、魔物が一斉に真上を見上げて、何頭かが首を低く下げた。首を下げた魔物が、次の瞬間に地面を蹴ってドルドレンに向かって跳んだ。角を突き上げて、ドルドレンの乗った屋根ごと貫く。
足元から黒い2本の角が、次々に突き上げられて、ドルドレンは着地しようにも出来ず、ちょっと足を着いては跳び続けた。魔物の首の力が異様に強いのか、突き上げて刺さる角をいとも簡単に引き抜く。
何十箇所も貫かれた屋根の縁が、音を立てて崩れて落ちた。
ドルドレンが屋根の上にいるので、魔物が少し離れた。離れた位置でドルドレンの姿を確認し、前足で土を掻いて家に向かって突進し、ほぼ垂直に屋根まで飛び上がる。
屋根に飛び乗る魔物の首が、がくんと下へ向けられ角がドルドレンに向いた。
ドルドレンは角をすり抜け、魔物の首を払った。黒い角がそのままの角度で、すれ違ったドルドレンの後ろでゴトンと落ちる。
屋根に乗らなかった体は、音を立てて地面に横倒しに落ち、切られた首は傾斜した屋根を玉のように転がって下へ落ちた。
「1頭」
ドルドレンが呟くと、次々に魔物が屋根に向けて飛び上がってきた。ドルドレンが見極めながら、突き出される角を避けつつ、顔を落とす。頭を払う。首も取る。
屋根の上の群青色の鎧が夕陽に輝き、手元の白く光を放つ線が風を切る音だけがする。
頭が良くないのか、魔物は残り2頭以外が同じ行動を繰り返した。仲間の体がぼとぼとと壁に添って落ちて積みあがるのに、それを足場に駆け上がる。そしてドルドレンの白い剣に頭部を切られて落ち続けた。
「14頭」
ドルドレンが細い剣を振る。血も何もつかないが、切り離した時だけ体液が散る。
ドルドレンが離れた位置にいるイーアンとウィアドを見た。イーアンは指を2本立て、後2頭であることを知らせる。ドルドレンが頷いた。
残り2頭が上へ跳ぼうか、迷っている。イーアンは袋の中からソカを取り出した。ドルドレンはかかって来ない2頭を待つ。下手に覗いて突き上げられても困るので、剣を持ったまま、様子を見ていると。
イーアンが馬から下りた。ウィアドの鼻を触って、ウィアドを少し下がらせる。
ドルドレンの中で血がざわめく。まさか。
夕陽の差す土塊の道をイーアンが魔物の方へ歩いてきた。2頭の魔物がいる位置が見えない。ドルドレンは慌てて魔物のいた壁から離れて、塀の方へ駆け寄る。
ドルドレンが見た時。魔物が2頭、イーアンに向けて首を下げて、角を突き出して走り出した姿。イーアンとの距離20m程度。
「イーアン!!」
イーアンがドルドレンの方を見て、ニコッと笑った。
そして右手に持ったソカを地面に垂らし、魔物との距離が一気に狭まった瞬間。一度だけソカが土を打ち、夕陽を受けた虹色の蛇が、突風のような音を立てて走り寄った魔物の頭をすり抜けた。
イーアンが俯く。2頭の体が走り抜け、頭が二つ、イーアンの両脇に落ち、イーアンの後ろで足がもつれた体が走り転がった。
上から見ていたドルドレンは、イーアンが倒す、とどこかで分かっていた。助けに行こうとしたが、彼女が手に持ったソカを振るう気なら、自分が飛んでは混乱させると気が付いて、初めてイーアンに任せた。
急いで屋根を飛んで降り、イーアンに駆け寄ると、イーアンはフフフと笑った。
「怖かったです」
そりゃそうだ、とドルドレンも笑ってイーアンを剣を持っていない方の手で抱き寄せた。『勝てると信じていただろう』と訊くと、『多分』と答えたので『多分じゃ駄目だ。その答えでは、もうやってはいけない』と注意した。
そしてイーアンの顔を見て、夕日が宿る明るい鳶色の瞳に『よくやった』と誉めた。
イーアンは照れて笑った。




