1077. 龍族一時休憩決定の夜
ドルドレンは驚きに驚いて、倒れたイーアンをタンクラッドの手から奪い取ると『イーアン!イーアン!』と叫んで揺する(※ガンガン揺する)。
その行為に驚くタンクラッドに、また引っ手繰られて『揺するな!』と怒られた。
怒られてもドルドレンは、親方の腕の中のイーアンに屈みこんで、その顔を両手で挟むと、懸命に名前を呼んで反応を求める。
明らかにいつもの倒れ方と違う。
ガルホブラフも嫌な横倒れでオーリンが叫んでいるし、大きな青い龍まで、イーアンの後ろで地面に首を下ろしたまま、目を開けない。
イーアンも口が少し開いて、瞼も僅かに開いている、この状態。一体、何が――
恐ろしいことが起こったんだと、怯えるドルドレンは、何とかしてイーアンの意識を戻そうと、名を呼ぶが。タンクラッドは逆で、耳を貸さずに慌てるドルドレンを叱り付ける。
「ドルドレン!お前じゃ無理だ。男龍を呼べ。ミンティンもガルホブラフも、こんな状態では」
「何があった?突然あの『堂々巡り』が終わったと思ったら」
「その話は後だ!早く呼べ!」
泣きそうになるドルドレン。オロオロしながら空を見上げて、急いでタムズを呼ぶ。何度もタムズを呼び続けると、夜空にカッと白い光が行き渡る。
「来るぞ。事情はともかく」
そこまで言うと、タンクラッドはあまりの光量に目を瞑る。白い光は、真昼の太陽を凌ぐほどに煌々と光りながら、凄い勢いで地上へ降りた。
「イーアン。ここまで使ったか」
降りてきたのはタムズとファドゥ。二人の翼が畳まれて、お互いの顔を見合わせると『これはちょっと』と呟きを交わす。
「タムズ!イーアンが」
「分かっている。ドルドレン。これは君たちが知らないことだ。しかし、彼女は伝えられていたから、正しい行動を取ったが・・・・・ 」
「それでも。ガルホブラフは仕方ないにしても、ミンティンまで」
ファドゥも少し驚いているようで、ゆっくりと周囲を見渡す。『この大きさで出たのか』集落の周囲に残る龍気を見ているようで、銀色の男龍はそれ以上続けなかった。
「行こう。私たちだから、すぐに連れ帰れる」
タムズは倒れているミンティンに龍気を注ぐ。青い龍の目が開いたので『動けるか』と言うと、龍は目を閉じた。
「ファドゥ。君はイーアンとガルホブラフだ。私はミンティンを支える」
ファドゥは、地面に首をべたっと伸ばしたガルホブラフに近づいて、驚いているオーリンにちょっと微笑むと龍気を注ぐ。ガルホブラフの目が開いたので、ファドゥはオーリンに『乗りなさい』と静かに言った。
急いでオーリンが友達の背中に乗ると、ファドゥは片腕にイーアンを抱え、もう片手をガルホブラフの首に置き、翼を広げた。
タムズもそれを確認すると、すぐにミンティンの首に触れて、青い龍と一緒に浮上する。
「タムズ。ファドゥ」
あっという間に空へ上がる龍族に、ドルドレンは、一旦降りたショレイヤの背中に乗ろうとしながら、声をかけた。二人の男龍は振り向き、首を振る。
「君たちは待ちなさい。いつもと同じだ。イヌァエル・テレンで休ませる。少し日にちが掛かるだろう」
今までよりもはっきりと。『日にちが掛かる』と宣言されて、ドルドレンはショレイヤに跨ったまま、頷いた。
「イーアン」
騎士が呟く名前は、その場にいる者にしか届かない。龍族は再び真っ白な光を放って、地上から上がる流れ星のように、疲れた仲間を空へ連れて戻った。
*****
龍で戻った騎士と親方、お皿ちゃん使用のミレイオは、宿の裏庭で龍を降りてすぐに、また衝撃を受ける。
乗り手の降りたドルドレンたちの龍は、大津波戦の翌日同様、あっという間に空へ戻って行った。唯一、疲れていなさそうなバーハラーも一緒で、親方も何か本当に大変なことが起きていると察した。
騎士たちも困惑する馬車の側。宿でやきもきしていたバイラが、彼らを見つけて、急いで来ると『心配しました』と最初に伝えて『とにかく食事を』腹を満たして下さいと、食事処へ連れて行った。
夕食の食事処。夕食とはいえ時間は遅く、もう辺りも真っ暗で8時を回った。
時間が時間だけに、親方はコルステインがいると思っていた。しかし、龍が戻った後もコルステインが来ないことが気になって仕方ない。
度々、食事を抜けては様子を見に表へ出たが、やはりコルステインの姿はなかった。
「来たら、待っていてくれる」
3度目に店に戻った時。ドルドレンに落ち着くように言われ、先ほどまで取り乱していた総長も、どうにか顔に出さないよう務めていると知り、親方も着席し、とにかく食事を終えることにする。
バイラは、ミレイオに大体の事情を聞き、ミレイオが話し終えてから、総長たちに何があったのかを聞いた。
それから、もう食べ終わって席を立とうとするタンクラッドにも『イーアンは何を話していたのか』と少し訊いてみると、親方はバイラを見て、短く答える。
「彼女は。ミレイオから話を聞いた時、始めは『ドルドレンと皆さんが』と慌て、急ぐ帰り道の間に、何を思い出したか『もしや。男龍の話していたことでは』そう言った」
だから『彼女は、何かを知っているのだろう』と思ったことを、タンクラッドは教えてくれ、宿の馬車へ戻った。
食事をしながら、バイラは周囲の混雑する音を気にし『宿の部屋で話をしましょう』会話の内容から、皆を促す。ドルドレンたちもそれを了承し、騎士とミレイオ、バイラの6人は、食べ終わった後に宿のホールへ移った。
シャンガマックも、ヨーマイテスが来ていないことを気にして、ソワソワする。
だが彼もまた、ヨーマイテスは部屋で待っていてくれると考えて、今は情報の共有を優先した。
手には、館長からの手紙を握り締める。戻ったすぐ、親方が『忘れないうちに』と渡してくれた、手紙と伝言。
でも今のシャンガマックには、この状況への不安の方が心を占めており、館長のことまで考えられなかった。ただただ、何とも言いようのない感覚に眉をひそめていた。
「今。私たちには、一頭の龍も、一人の龍族もいない。それは確かなんですね」
バイラの言葉に、ドルドレンは泣きそうな顔を俯かせた。済まなそうに、頭をかく警護団員。
言い方は悪かったけれど、状況を整えて、皆で現状を理解した方が良い気がする。
それは誰もが―― その現場に居なかった自分以外 ――まだ落ち着きを取り戻していない様子から、バイラが、皆に確認をする必要があると、判断しての話だった。
「次から次ですが・・・一日が始まった時と、終わる時。がらっと状況が変わります。
それに付いて行かないといけない、この精神的な負担は大きいでしょう。でも。現状は都度、確認した方が、絶対に有利ですから」
目を伏せる総長を慰め、バイラはミレイオと騎士たちを見る。彼らも黙ったまま、茶を飲んで待つ。
「光の筒が空に伸びたのを、私もこの町から見ていました。いえ。きっと町の誰もが見ていたでしょう。
まさか、あの中に総長たちがいるとは思いもせず。あの筒の光がイーアンと龍たちの力と知りもせず、です」
バイラは掻い摘んで、自分が皆に聞いたことをまとめる。
「総長たちは、午前に駐在所を出てから、全部の地区を回ってくれていたんですね。それで、最後のイル・シドの集落に入った後。集落で魔物の近況を聞いていたら、地震が起きた」
「そうだ。突然の大揺れに驚いて、地震が止まった時、集落の老人たちの無事を確認し、龍で上空から見ようとしたら、もう」
「出られなかったんですね。どんなに進んでも、どんなに向きを変えても」
総長とバイラのやり取りに、顔を手で拭ったザッカリアを抱き寄せるミレイオは『砂漠の時みたい』と呟く。
「夕方。炉場から戻って異変に気が付いたミレイオたちは、イル・シド集落の異様な状態を見て、イーアンを呼んで」
バイラに話しかけられたミレイオは頷く。『オーリンも私も始めは分からなかった』と答える。
「さっきも少し話したけど。全然、魔物とかそういう感じじゃなかったのよ。砂漠の時は、魔物っぽい感じもしたけれど。
でもあの集落の奇妙な筒に、最後まで魔物染みたものは感じなかったの。だからどうして良いのか。
ドルドレンたちは右往左往、中でくるくる回っていて、こっちに気がつきもしないし」
「私たちは、ミレイオとオーリンがいたことさえ知りませんでした。見えなかったのです。空が暗かったことも。まるで・・・午後に入ったその時間が止まってしまったようでした」
ミレイオの話に続けたフォラヴに、シャンガマックも小さく頷いた。
『もう、いい加減、時間が経っていると俺も思った』それは砂漠の時と同じだと思うと言う。
彼らの話を聞きつつ。バイラはやんわり合間に入って『疲れていると思うから』と前置きし、話を短く終えるように導く。
「今。私たちに分かっているのは・・・・・
イル・シド集落は地震に見舞われたけれど、周辺に地震がなかったこと。これがまず一つ。
総長たちは地震の後に、時間も距離もない場所に閉じ込められていたこと。これが二つめです。
助けに行ったオーリンとミレイオは、集落ごと筒の中にあるのを見た。これが三つめ。
何かを知っていたらしき、イーアンが助けに来て、龍たちと力を合わせ、集落を囲む筒を外したこと。四つめ。
そして、集落は解放され、総長たちも無事に出てきました。イーアンたち龍族は全員、空で休養。
ここまでで、五つのことが事実です」
バイラがそこまで言うと、皆は彼を見つめ『明日』と誰ともなく、明日の動きに話を動かす。今日の出来事は、ここまでと受け入れた。
バイラは、自分の翌日の行動を先に話し、それから皆への提案を話す。
「私はこれを報告書に書きます。現場に居ませんでしたが、魔物ではない、新たな脅威の可能性もありますから、これはアギルナン地区全体への注意喚起として伝えます。
それと。イーアンたちは数日戻らないような話でしたが、この間、町を出ないでいましょう。
何か、この出来事に続きがあるかも知れません。理由を調べるにも、移動手段が変わりました。今、動けるのは」
「私だけよ。お皿ちゃんがあるから」
「後は・・・暗い時間なら、サブパメントゥの二人が」
動ける立ち位置を教えてくれたミレイオを見て、ドルドレンが力なく付け加えるが、ミレイオもシャンガマックも、何か気になって、彼の言葉にはすぐに頷けなかった。
「では。とりあえず、風呂に。明日の朝、また細かく決めましょう」
場の空気に少し止まるものが出るのは、得体の知れない不安を皆が感じているからだ、とバイラも思う。今日はもう休もうと伝え、騎士たちとミレイオ、バイラは解散した。
*****
先に戻った親方は、馬車の近くで呼んでも来なかったコルステインに、何かあったと理解してすぐ、風呂だけは済ませて部屋に戻り、窓を開けてコルステインを待ち続けた。
ドルドレンたちが夕食を終えて、宿の1階に移動した頃。
ようやく、待ちに待ったコルステインが来た。親方はすぐに立ち上がって、青い霧を迎え『どうしたんだ』と訊ねた。
コルステインは人の姿に変わると、タンクラッドに腕を引かれてベッドに座り、彼を青い目で見つめる。
『コルステイン。何度も呼んだ。俺もいつもより遅かったけれど』
『龍気。たくさん。ある。たくさん。待つ。した』
ああ、と声を上げる親方。『あの龍気か!イーアンたちの』気がついた言葉に、コルステインは頷いた。
『たくさん。消える。する。待つ。動く。ない』
龍気が強烈で、コルステインが出て来れなかったと知る。そんなに凄かったのかと、親方も驚いた。
確かに見えている分でも、相当なことが起こっているんだろうとは感じていたが。コルステインが、地下から上がって来れないほどとは。
集落から、ギールッフの町まで、結構な距離がある。
それでも、イーアンたち龍の出した、あの時の龍気はここら一帯を覆い、コルステインを躊躇わせるくらいの強さだったさと知った。
青い目はじーっとタンクラッドを見て、ゆっくり抱き寄せた。
いつもと様子が違う気がして、抱き返す親方は見上げる。『気になっていること、あるんじゃないのか』ちょっと訊ねると、コルステインは考えている。
『言ってみろ。何となく、お前が悲しそうに見えるんだ』
『悲しい。違う。困る。する。でも。まだ。まだだけど』
『うん?まだ?』
親方が何度か訊ねても、コルステインは伝えられる範囲ではないのか、これ以上は答えなかった。
ただ、何かを心配していそうな表情は変わらず、それがコルステインの力を以ってしても、心配なのかと思うと、タンクラッドも気になる。
『俺に話しにくいのか。無理はしなくて良いが』
『うん。まだ』
分かったよと了解し、タンクラッドはコルステインに『もう寝よう』と促す。
この夜。コルステインは、ずっと不安そうな色を青い目に湛えていたが、その『もの言わぬ時間』に、一つの物事が浮上していても、それを話すことはしなかった。
*****
ヨーマイテスを待つシャンガマック。いつまで経っても、彼は来なかった。
「どうしたんだろう。毎日来ていたのに。コルステインも、さっき来なかったみたいだし・・・今は、近くにいそうな気がするけれど」
サブパメントゥの、祝福的な誓いを受け取っているシャンガマック。コルステインが近くにいると、何となく気がつけるようになっていた。それは勿論、ヨーマイテスが来ても同じで。
なのに、今日は何時になっても彼は来なかった。諦めて、シャンガマックは窓に鍵を掛けず、ベッドに入って眠った。
窓の外。影の中に僅かな間だけ存在した、サブパメントゥ。
焦げ茶色の体は、雲が増えて、星も閉ざされた夜空に光ることもなく、数秒だけそこに現れた後、すぐに影に消えた。
自分の居場所に戻ったヨーマイテスは、ごろんと横になって、やり切れないように両手で顔を覆った。
「ガドゥグ・ィッダンが・・・まさか。あんなことになるとは」
イーアンに助けられた。嫌でも認めねばならない事態を、引き起こしてしまった今日。ヨーマイテスは苦しんだ。
「バニザットが無事で良かった・・・!バニザット、お前に合わせる顔がない」
閉じ込められた騎士たちにバニザットがいると知った時、ヨーマイテスは驚きを飛び越して、我武者羅に助けに行こうとしたが、変化した空間に龍気が引き込まれつつあると気が付き、慌てて下がった。
イーアンたちが来るまでの間に、地上に落とされたガドゥグ・ィッダンの一部が、龍気を呼び込みながら、姿を現そうとしているのを、大量の龍気に触れれば消える我が身では、黙って見ているしか出来なかった。
「ガドゥグ・ィッダン。今も信じられん。俺が発動させたのか?俺は『バニザット』に示された場所へ行っただけだ」
今日。ショショウィに会いに行き、緋色の布に力を移してもらった。
若いバニザットが喜びそうな場所と、自分にも益になる場所を考えていて、次の行き先を『老バニザット』にも話した。
最近、呼び出せば毎度のように嫌味を言う、老バニザット。とはいえ、貴重な情報や様々な知恵を貸してくれるので、定期的に呼び出していたのだが――
『バニザット(※騎士)のいる近く。その地下に、今は埋もれた遺跡がある。そこからガドゥグ・ィッダンへ通じる。ただ・・・行き先は分からんが。暫く埋もれていたが、今は空の力を感じる。行ってみろ』
老バニザットの声は、緋色の布を通して聞こえ、中間の地にある『ガドゥグ・ィッダン』の分かれた部分は、これまでも探してきた場所だからと。
「それで、行っただけだ。何であんなことに」
遥か昔、老バニザットが生きていた時代に、彼と一緒に入った遺跡に恐ろしいことが記されていた。
「正にそれだ。あれがそのまま、遺跡の忠告だった」
悔やむヨーマイテス。ミレイオはいないと分かっていたが、まさか。まさか、若いバニザットが、自分の探った地下の真上にいたとは。
「おお。お前を消すところだった。俺は『お前の父』と名乗ったのに」
ヨーマイテスは悩む。苦しんで、自分を責めた。イーアンが来なかったら。龍がいなかったら。男龍が降りてくるとしても、間に合わなかったなら。
後悔と恐れに苛まれたことなどないヨーマイテスの、初めて味わう、恐れに満ちた長い夜。
それは誰にも言えない、失態の夜でもあった。




