106. デナハ・デアラ
朝食をゆっくり頂いた、二人だけの旅行の朝。
いや、旅行ではないのだが、旅行という状態になっている。鬱陶しいのもいない。
食事時、イーアンがモイラに、帰りの道でも宿泊したいことを告げると、モイラは元気な笑顔で『待ってるわ!』とイーアンの肩を叩いた。
そしてちょっと困ったふうに笑って『最近は魔物がいるから、数年前に比べてお客は少ないのよ。冬は特に少なくなるから、予約してくれて有難いわ』と主人を振り返って『ねぇ』と同意を求めた。大柄で髭を生やしたクマみたいな主人も『そうなんですよ。魔物ばかりはどうしようもないね』と合わせた。
ドルドレンが、南と南西の支部の連中がどう動いているのかを訊ねると、主人が『お客さんはそこの騎士じゃないの?』と逆に聞き返され『あの人たちも頑張ってるけど、やっぱり苦戦してる様子だよ』と教えてくれた。
「早めにセダンカに話を持ち込めるよう、努力しよう」
ドルドレンがイーアンに言う。イーアンも『そうですね。頑張りましょう』と頷いた。
自分に何がどこまで出来るか分からないけど、ドルドレンも手伝ってくれるのだから、きっと良い形は少しずつでも現れると信じた。
モイラが『イーアンは、騎士の旦那さんの仕事、一緒に動いているの?』と訊いてきたので、イーアンはドルドレンを見た。ドルドレンは何てことなさそうに首を傾げて『好きに答えなさい』とばかりの態度。
「ドルドレ・・・彼にワガママを言って、今回同行したのです」
イーアンは言いにくそうに笑った。モイラがにやーっとして『分かるわ。私たちはいつも一緒だけど、もし仕事で離れちゃったら会いたくて我慢できないもの』とイーアンの肩に頭を乗せた。
「どこに行くにしても、気をつけるのよ。仲良くなれて良かったわ!」
モイラはイーアンの腕をポンと叩いて、仕事へ戻った。イーアンとドルドレンも、朝食を済ませて荷造りをし、荷物をウィアドに運んだ。
モイラと主人が出てきて『明後日待っている』と見送ってくれた。イーアンは、通りに出た彼らが見えなくなるまで手を振り続けた。
町の中を通る街道に出て、しばらく進むと、徐々に建物と建物の間に空き地をが目立つようになり、それは敷地の広がりから、点々とした民家の散らばりに変わった。
「モイラもご主人も、私たちがどこから来たかは聞きませんでしたね」
「宿屋だからだろう。客のことを詮索する宿はあまりない。見るからに怪しそうだと、そうしたこともあるらしいが」
そういうとドルドレンは、ブラスケッドが遠征で部隊と逸れた昔話をしてくれた。一人で野宿は危険、と判断したブラスケッドが遅い時間に宿に入ると、あからさまにジロジロ見られた上に所在の呈示を求められたそうだ、と。
「ブラスケッドさん。片目だからでしょうか」 「片目の上に、人相が盗賊みたいだからな」
可哀相に・・・と思うイーアン。顔が違うとか、そんなことで四六時中驚かれる体験をしている最近。宿に嫌がられるなんて同情しかない。
黙りこくるイーアンにドルドレンが気が付いて、『イーアンは珍しいだけから、気にしてはいけない』と慰めた。慰めになっていない感じもするが、ドルドレン的には慰めているのだ、と理解した。
話を変えて、鎧工房まではどのくらいかを聞いた。すでにウィブエアハの町は出ている。街道を進んだ先にまた町があるのだろうか。
「デナハ・デアラは、デナハ・バスという町にある。特に何もなければ午後には到着するだろう」
デナハ・バス。工房はデナハ・デアラ。
「町の名前の一部が、工房の名前なのですか」
イーアンが訊ねると、ドルドレンは頷いて『デナハ・バスは――祝福された死――という意味だ』と教えてくれた。死の文字が町名になるなんて、と驚くイーアンに、ドルドレンは続ける
「この町の『死』の意味は、家畜のためにある。畜産で回っている地域だから、死は常に身近だ。
屠殺以外でも、生物だから病気や怪我で死ぬこともある。それで生計を営む彼らにとって、家畜を出荷する以外の死は生活に響くだろう?
どのような死を迎えても、それが祝福された形となって生かされるように、という気持ちが『死を持って終わりとしない』祝福を待つ名前に変わった」
そう聞いているが、とドルドレンはイーアンの髪を撫でた。『畜産の印象が良くない時代もあったから、差別を消すような意味も含まれているかもしれない』と自分の見解を話した。
「これから向かうデナハ・デアラも『祝福された鞍』という。現在は馬具を作っている工房ではないが、昔は畜産の皮を加工して馬具で盛んであった。馬具は必需品だが、それまでの皮の加工は、あまり人々に歓迎されないのも事実だ。そうしたことから、町名の一部を受けている。
馬具作りは他の地域もあるので、時代の移り変わりから、率先して騎士の防具を取り入れ始めたデナハ・デアラは、防具で高い評価を得て、既に100年くらい続いている。現在はハイザンジェルの防具の老舗だ」
ドルドレンの話を聞いて、イーアンは回想していた。以前の世界もそうした傾向があったし、どんな場所でも、人は同じような行動を取るのだな・・・と思った。
「だから。イーアンが自分で作った魔物の皮の作品は、彼らにとっては理解ある行為に映るかも知れない」
灰色の瞳を優しく細めて、イーアンの頭にキスをするドルドレン。『必ず協力してくれるよ』と微笑んだ。
朝の8時過ぎに出発してお昼を回る頃には、街道沿いの牧歌的な雰囲気の高原は、小さな民家がぱらぱらと見える景色に変わった。なだらかな丘陵の、あるかないかも分からないくらいの傾斜は、知らない間に高原を通して、ゆったりとした下り坂へ。
民家が街道から少し距離のある場所に見え始め、周囲には家畜が自由奔放に草を食む姿。牛や馬や羊、といった動物は、毛色に単色が目立つものの、元の世界と何ら変わらない。
「デナハ・デアラの工房の近くに、革問屋さんはあるでしょうか。あと、金属材料のお店は」
「行きたいか?」
あるの?と振り返るイーアン。ドルドレンが微笑んで『工房で紹介してもらおう』と答えた。イーアンは楽しみが増えた。革問屋は、これから作る鎧の下地用で、金属はダビのためだった。
今回、手伝ってくれたダビの砥石を駄目にしてしまったし、彼は『金属素材は、自前の収集量しかないから』と試作の範囲が限られることを、惜しそうに話していた。ダビが書いてくれた資料には、今回の試作の説明と、今後の希望する材料の質なども記入されている。経費で購入できれば、試作の幅に良い広がりが生まれる。
そうこうしていると、民家が集落になり、集落は大きくなって、続きに町が見え始めた。
町は一本の川に沿って成り立っていて、丘陵から下りて来る支流が集まった広い川には、いくつかの橋が掛けられていた。川に沿って石畳が入り、川端には傾斜のある、馬車2台分くらいの坂が作られている。川沿いは、煙突の出た赤い煉瓦作りの大き目の建物が並んでいた。
町の中に進むと、川から2~3本離れた通りに商店が集まっていた。奥は民家で、商店通りは賑わっていた。
ウィアドを道行く人々の隙間を縫って進め、商店通りの一本裏に入ると、そこには雰囲気が異なる建物が並んでいた。ドルドレンの説明だと、この通りがデナハ・デアラや他、防具備品、材料問屋のある場所らしかった。
「たまに王都の貴族が来ている場合もある。特注品を頼みに」
ドルドレンの少し馬鹿にしたような目つきに、イーアンはちょっと気になった。じっと上を見上げていると、ドルドレンが気が付いてフフと笑う。
「そうか。話していなかった。王都には専属の騎士団があるのだが。王都の貴族は、爵位を継がない男子がそこに入るのだ。待遇は良く、王都以外に出る仕事はないから、安全で大人気だ」
ああ・・・とイーアンは納得した。
形ばかりの騎士の人たちが、特注品の鎧や武器を求めてお金を使う、と言うことをドルドレンは言いたかったのだ。
ウィアドを停めた一軒の大きく立派な建物の前で、ドルドレンはイーアンを下ろした。
「さて。試作を持って入ろう」
表の来客に気が付いた店の者が出てきて、ドルドレンの用件を聞くと『先日、南西の騎士修道会の方から伺いました』とウィアドを裏に引いてくれた。
そして中へ案内され、二人は工房へ入る。イオライセオダの家族工房とは雰囲気が全然違う。イーアンが思うに、ちょっと大きな高級ブティックみたいな印象だった。
鎧だらけ盾だらけ。部分ごとに分かれて置かれたものもある。
剣の鞘もある。腰につける革袋、剣帯、手袋、馬具も少しある。馬の顔を保護する面と鞍、手綱。革や金属をふんだんに使った、様々な戦闘用の道具・・・・・
色の種類も豊富だった。人工的な模様やメタリックなどはないが、丁寧に染められた色の深さや、顔料として装飾に使われている絵具の豊かさも目に入る。
大した工芸だ、とイーアンはビックリして見入った。お金の単位がよく分からくても、きっと相当するのは分かる。シャンガマックの鎧を思い出して、彼のものと似たものを探したが、イーアンには見つけられなかった。
ドルドレンは、店の奥から出てきた男性を話をしている。初老の男性はきちっとした格好をしているが、袖をまくっているから、イーアンは『この人がもしかすると作り手かもしれない』と思った。
店の奥には来客用の部屋があり、扉はない。部屋は豪華な調度品があり、そこに3人の人が座って話しているのが見える。あまりキョロキョロするのも良くないので、イーアンは大人しく、美術品の如く飾られた鎧を見るに徹した。
ドルドレンの話が長引いている間。奥の3人が出てきて、談笑の続きのように、入り口前の売り場で立ち話を続けていた。
彼らを見ないようにして、イーアンが背を向けたまま壁に飾られた作品を見ていると、一人の人がイーアンに『何かお探しですか』と声をかけた。イーアンは、自分の顔を見てまた驚かれるのも嫌で、振り向くのをちょっと躊躇った。
「あの。お客様、お探しでしたら」
店員なのか、イーアンに接客を進めようとしている。別の従業員を呼んでいるような間があった。その時ドルドレンが足早に近づいて、店員とイーアンの間に入ってイーアンの肩を抱き寄せた。
「中で話だ」
短く伝えると、イーアンを見えないようにしてカウンターの奥へ連れて行った。
「一人にしてすまない」
ドルドレンが小さい声でイーアンに謝る。『いいえ。防具を見ていましたから』とイーアンは微笑んだ。カウンター奥は絨毯の敷かれた通路があり、正面の両開きの戸の奥に工房が見えた。工房には5人ほど人がいて、男性の中に一人女性が混じっていた。
最初にドルドレンと会話をしていた初老の男性が、二人を工房の中の小さい机に案内し、椅子にかけさせて自己紹介をした。
「ようこそ。デナハ・デアラへ。私はここの工房主のウーシエ・エフツェンです。あれが娘のフリア、彼女の隣にいるのが夫のヤイメ・カペル。他は、職人のシブラン、ビエト、ディダカスです」
「ありがとう。彼女はイーアンだ。名も性もこの名一つである」
ドルドレンがイーアンを紹介し、エフツェンはイーアンの顔を見てから手元を見て、もう一度イーアンの顔に視線を戻し、太い眉毛の奥にある黒い目を凝らす。
「どこの方ですか?」
やっぱりなーとイーアンは思った。見るからにこの方は、警戒心丸出しなのです。イーアンが俯く。どう答えようかな、と思っていると、ドルドレンが『その質問は必要なのか』と聞き返した。
「私共も職人ですので、大切な技術や内容を守る義務があります」
ドルドレンの表情が冷たいものを帯びる。『それは、イーアンの得体が知れないから帰れ、という意味か』と低い声で質問した。エフツェンは少し怯んだ様子だったが、『仕事ですから』と答えた。
イーアンに職人の警戒は分からないでもない。ドルドレンの腕に手を置いて頼んだ。
「私は構いませんから、帰りましょう」
ドルドレンの目が同情したように細められる。『しかし』とドルドレンが言うのを、イーアンは首を小さく振って遮った。『急がないと。受け入れてくれる場所を探しましょう』とイーアンは立ち上がって、エフツェンにお辞儀をし、『突然お時間を頂きまして、失礼をお詫び申し上げます』と目を見ずに挨拶した。
試作の入った袋を抱え、それ以上何も言わずにイーアンは店の外へ歩き出した。取り次いでくれたドルドレンにはすまない、と思う。でも、谷で会った時のチェス隊長のことを思い出した。
顔が違う、というだけで。名前が一つ、というだけで。――まぁそんなもんかな。人間だものね、と寂しい気持ちで小さく笑う。ブラスケッドが宿を嫌がられた、という片目の話も思い出す。たったちょっと、見た目が違うだけなのに。
袋をぎゅっと強く抱き締めて、店の外へ出た。何だか少し寂しさが募って、本当に少しだけ、涙が滲んだ。
お読み頂き有難うございます。




