1054. 朝の夢 ~二人のバニザット、初見
しっとりした霧の降りる、夜明け前の野営地。
シャンガマックはそっと戻って、馬車の扉を開けて中へ入る。まだ焚き火は熾されていない。
誰に見つかることなく戻った褐色の騎士は、短い休眠と思いつつも、ベッドに寝そべり、暫しの睡眠に落ちる。
扉が開いた時に香る、夜明けの霧の匂いと草の匂いに、バイラは、彼が戻ったことも気が付いたし、すぐに聞こえた寝息もシャンガマックが『起きていた』それを知るに、充分な情報として受け取った。
彼は。眠りもせず?いや、眠ったにしても。なかなか熟睡が出来ない状態だったのか。
気になるのは、誰かと一緒なのかどうか。バイラの心配は、一部の出来事しか当てはまらない。
まだ同行が始まって一ヶ月も経っていないが、日々起こる出来事を通し、この旅には奇想天外な日常が多過ぎると感じる(※早々、脳飽和)。
そのため、自分の体験談が照らし合わせられる場面は、一握りと理解しているバイラ。
もう少ししたら、ミレイオが朝食を作り始める。その時に、シャンガマックのことを相談してみることにした。ミレイオなら、仲間の様子に敏感に反応する。常に皆に気を配っているから、何か気付いているかも。
数分毎に朝の明るさを引き込む空を、小窓から眺める時間。飛び入り参加の自分が、しっかり仲間意識に浸っていることに、ふと気が付いたバイラは、自分の馴染み方に小さく笑った。
――瞬く間に眠った、シャンガマックは。夢でも、まだ続きのよう。
ぼんやりと歩く大きな森の中。歩きながら思うのは『俺は。ヨーマイテスと知り合って、まだ半月過ぎたくらい』そんな時間を考えている。
フワフワした温かな空気が心地良い。木漏れ日は眩しくなくて、左右に飛び交う小さな妖精は、自分を恐れもせずに楽しませてくれる。
ヨーマイテス。あんなに強い彼が、自分のことを気に入った。父とまで申し出て、自分のために危険に身を晒して、両腕に凄まじい魔法を埋め込んだ。
褐色の騎士の頭の周りに、羽の生えた煌く妖精が何人も飛んで、微笑む騎士の顔を撫でる。
大切な友であり、父でもある男のことで、頭が一杯の騎士。その腕に妖精たちは集まり、彼の手に触れる。
シャンガマックが不思議そうに見ていると、妖精たちは笑い声を立てて、彼の両手を引っ張り始める。
どこへ行こうとしているか。
一緒に行ってほしそうな、ちらちら見上げる小さな顔が可愛い。騎士は抵抗せず、妖精たちに連れて行かれるままに歩く。彼らの笑い声・・・いつも聞いていた、声を思い出す。
森の道を歩き続けるシャンガマックは、両手を妖精に引かれ、大きな木々がどっしりと生える奥まで来て、堂々とした姿に感心する。すると、その場所に突然大風が吹きこみ、ビクッとした。
大風に吹かれた頭上の枝が、唸りを立てて振り暴れ、穏やかな光景は一変し、見上げた樹上には、枝葉の隙間に炎のような『赤』が生まれる。気が付けば妖精も既にいない。
驚くシャンガマックが腰に手を動かす。剣がない。慌てて魔法を唱えようとして、呪文が思い浮かばない。
戸惑う騎士の前に、『赤』はどんどん広がって、勢い良く弾け散ったと思えば、そこには厳しい顔の老人が浮んでいた。
赤い布に身を包み、赤みがかる褐色の皮膚に漆黒の瞳。黒い髪をなびかせる、恐ろしく強い目つきの老人。その厳しさに、シャンガマックは目を見張る。『あなたは。バニザット』呟いた声が風に消される。
『そうだ。お前もバニザット。俺は過去に生きた男、その魂を動かし、今、お前を導く』
『俺を。導く』
赤い布をはためかせる老人は、宙に浮いて見下ろしたまま、若いバニザットを見据えて続ける。
『ヨーマイテスは、俺の声を聞く。俺とヨーマイテスの誓い。お前が叶えろ。立ち回れ。知恵を使え。誠実さを失うな。天地を繋げ。善悪を超えろ。
ナシャウニットの加護は、ヨーマイテスの需めに応じた。
獅子のあの腕には、天地と縦横を繋ぐ、最も強力な魔術が埋められた。俺が手伝い、獅子は耐えた。
全てを繋ぐために命を差し出し、新たな力を身に付けたヨーマイテスを、お前が支えろ。彼の言葉を叶えるために動け。お前の運命は俺が守っている。世界を変える宿命を、その体に背負え』
『何だって・・・世界を』
シャンガマックは、注がれるように降って来る重い言葉を、必死に頭に刻み込む。
これは現実なのか―― 遥か昔に生き、既にその命を終えた男と話している。それも、自分が一切敵わないと分かるほど、強力な力の持ち主。
『また導く。行け、バニザット。お前の運命は始まったばかり』
『あの。待ってくれ、俺は』
赤い布を翻し、中空に浮いた老人が消えかけるその姿に、急いで話しかけるシャンガマック。だがその声は吹き荒れる風に取られ、突風に転がされる体は、続きを言うことが出来なかった。
「わぁっ!」
ごろっと転がされた勢いで、慌てて両腕で頭を守った、その時。がしっと誰かが自分を掴んだ。ハッとして目を開けると、そこにザッカリアがいて、びっくりしたような顔で覗き込んでいる。
「大丈夫?どうしたの?怖い夢見たの」
「ザッカリア。あ。あれ。朝か」
「もう朝食だ。ミレイオが呼んできてって。だから俺、起こしに来たんだ」
怖い夢だったの?と心配して何度も聞く子供に、起き上がった背中を撫でられて、シャンガマックは息切れを整え、お礼を言う。
「怖い・・・いや、怖い夢では。ただ、ちょっと」
「あのさ。疲れているのかも。暑い日も続くし。ずっと御者だから、シャンガマック休むと良いよ。タンクラッドおじさんか、ミレイオに、御者を頼もう」
ザッカリアは自分が馬車の手綱を取れないので、大人の誰かに頼もうと提案する。それから、落ち着いたシャンガマックの手を引いて、一緒に場所を下り、朝食に付き添った。
二人を見たバイラは、やはり、とどこかで不安を持つ。まだ話していないが、ミレイオに話せる機会を作ろうと考えた。
それはすぐに叶う。朝食に遅れた詫びを言う褐色の騎士の傍ら、ザッカリアが御者を代わってと頼み、ミレイオはタンクラッドに振ることなく、あっさり引き受けた。
「いいわよ。私が今日、そっちの馬車の御者で。タンクラッドは作ってるものがあるから。シャンガマックは、少し寝てなさい。明日、町に着いたら先に休むと良いわ」
「すみません。何だか迷惑を」
迷惑なんかじゃないでしょ!と笑ったミレイオは、シャンガマックの朝食に、少し肉を余分に入れて『元気つけて』と微笑む。
イーアンもミレイオの横で、ちょっと気にしていそうな表情を向けていた(※『多分ホーミット絡み』と見抜く女龍)。
シャンガマックはイーアンにも微笑みかけて『情けない』と呟く。ニコッと笑ったイーアンは、首を振って『疲れは誰でもある』ことを答え、ずっと御者を務めている疲れを労った(※『実はアイツでしょう?』と訊きたいが我慢)。
「俺も毎日なのだ」
横で聞いているドルドレンが、奥さんに『自分も』と付け加えると、イーアンは笑って『あなたも頑張って下さる』ちゃんと誉めてから、『でも馬車の民だから』そこが違うのよと、特別感を出す。
ドルドレンは『馬車の民』の部分で、気を良くした(※単純)。
そして『俺としても、普通の人がずっと、御者は疲れると思う』と、部下の苦労を労ってあげた(※自分は筋金入り=馬車関連その道、と自覚)。
ミレイオに引き受けてもらった御者。
シャンガマックは朝食後、バイラとイーアンもいる中、ミレイオにお礼のつもりで、二人に『大丈夫』『気にしないで』『早く休んで』と、止められるのも往なして片づけを手伝い、最後まで終わってから、馬車に引っ込んだ。
バイラは。ミレイオと一緒に片づけをしたかったし、イーアンは、お空に行く前にシャンガマックのことを、ミレイオに話そうと思っていたが、どちらも後回し。
ミレイオとしても苦笑い。
バイラと最近話す時間は、少しずつ楽しみになっているのもある。でも、バイラは後でも話せるが、イーアンも何か、相談したそうな目で見ていたのも気になっていたので、褐色の騎士の素朴なお礼には、ただただ有難く受け取って笑うだけだった(※シャンガマックなりのお礼だった)。
この時。タンクラッドだけは、静かに状況を見ていた。だが彼もまた、シャンガマックに変化があったことは、気が付いていた。
少し。自分と同じような雰囲気を感じる。
変化と察するには、その理由だけで充分だった。
男龍に受け取ったばかりの、自分の性質と似るものを持ち、しかし、その逆のような。そんな不可思議な気配を、褐色の騎士からじわじわと感じ続けていた。
*****
狭間空間に寝そべる獅子は、赤い布を外して棒に引っ掛けると、夜の間を一緒に過ごしたバニザットのことを考えていた。
「最近は。四六時中、あいつのことを考える」
運命なんてものは、面倒臭いものとしか思ったことがない、ヨーマイテスだが。自分がその、運命に導かれた相手は『二人のバニザット』それは確かなことで、これを運命と思わないのも偏屈だろうと。
「同じ名前。同じ目的。同じ・・・俺が相手だ」
老魔法使いのバニザットは、自分と比肩する男だった。信頼と尊敬を互いに感じ合う、ヨーマイテスが過去に会ったことがなく、またその後も長く、同じような人間には会わないほど、特別な存在。
そして今回、現れたバニザットは、老魔法使いのバニザットに比べると、まだまだ駆け出しのような雰囲気だが。
「育ててやらないといけない(※義務)。俺と出会って、あいつは良かったんだ。
じゃないと、あいつの側には、あいつ自身の力を伸ばすことも出来ない奴ら(←旅の仲間)しかいないし。
バニザットのように、宝だ何だと関係ない『遺跡の秘密』そのものに純粋に関わろうとする、そんな純然な心の持ち主もいない以上(※皆お宝好き)目が逸らされたが為に、手に入れられる知恵さえ、すり抜けてしまう」
自分がいて本当に良かったと、呟く獅子(※上から目線)。
「あの結界。まだまだ伸びる。あいつは若いから、もっと強大になれるだろう。
過去のバニザットと同じくらいの力を、俺と一緒にいる時間で手に入れられるか。それは賭けかも知れないが、可能性は充分ある」
この前の結界を見た時に思った。彼は自分をどう伸ばして良いか、まだ知らないだけだと。知っている範囲で試した力を操っているだけで、まだ先が無数に枝を伸ばしているとは、気がついていない。
それに。一晩中、僧院の中に籠もっていたあの姿を思うと、もっと見せてやりたくなった。
「探究心が強い。近くに宝があっても、見向きもしない。ひたすら、自分の目の前に彩られた壁画の謎を突き詰めようと懸命になって」
そう呟くと、獅子は大きな頭をゆっくりと振って『どうして、俺と一緒に行動していないのか(※欲求増える)』はーーーっ、と溜め息。
「飛ぶ船にも、質問だらけだ。遠慮がちには訊くが、知りたくて仕方ないのが、触れるように伝わってくる。
飛ぶ船と俺の関係を知りたがるから、うっかり教えそうになった。さすがにまだまだ・・・バニザットに全てを話すわけには行かない。にしても、いつかは話しても良いような。そんな気持ちになるな」
夜中丸々使った、僧院の探索。自分の話を真面目に聞き、終わることも尽きることもない質問を、時間を惜しむように詰め込んでいた、バニザット。
「また・・・『馬車に戻るのが勿体無い』なんて言いやがって」
へへっと笑う獅子(※嬉)。そして思う。
「過去のバニザットとは。全然違う、バニザットなんだな。似通う部分があっても、過去の男は俺の知恵も認め、自分の知恵と併せて動いた。
今のバニザットは、俺が守って育てて、俺が動く場所に別の可能性を持ち込むような。言ってみれば『子供』だな」
子供、と自分で言い切っておいて『息子』と言い直す。
「ミレイオの名前を、愛情を持って呼んだことなんか、あったかな(※ナシ)。
だがバニザットは。名前を呼ぶ度に、何だかこう。何て言うのか。満足がある。俺の名をあいつが呼ぶ時も同じだ」
ミレイオに呼ばれても、煩いヤツの、文句の間に挟まってるくらいにしか思えないのに(※実の息子)。
ヨーマイテスは自分の腕に埋め込まれた、浮き出る絵模様を眺める。
「『ここまでして。ヨーマイテスは、前に進むことを選んだ』そう、過去のバニザットは面白そうに俺に言った。手伝わされた側から見れば、一心不乱に高みを目指していると・・・見えるだろうな。
しかし。俺がここまでしたのは、バニザットと触れるためだ。触れなきゃ、守ることも出来ん」
これさえ、あれば。
「今なら。俺は、そこそこの龍気にもやられない。精霊の力への抵抗は、ナシャウニットと交渉で得た。妖精の力も簡単に俺を崩すことはない。
いくら何でも、イヌァエル・テレンへ上がることは出来ないだろうが、送り出す途中までは行ける」
この続きは、バニザットと一緒に動いてからだ―― 獅子はまだ見ぬ未来に、静かな挑戦心を燃やす。
それは、一人独走で貫いてきた、長い年月の終止符にも似て、ヨーマイテスの遥かなる目的の後半戦として立ち上がる、黄金の火種でもあった。
お読み頂き有難うございます。




