1049. 小さな満足の意味
その夜は、大体の人間が早くに眠った。
中でも、魔物の蝋がついた10数名は、体を起こすことが難しいまま、眠りに就く。『許された』と話していた団員も、夕食の半ばで眠り始め、そのまま寝かせる。
直接、蝋による被害がなかったにしても、他の者も安心による眠気に勝てず、食後、徐々に寝息が聞こえ始め、9時を回る頃には、旅の仲間以外、全員が就寝。
「見張り。一応、誰か立つか」
「あ。私が。私は仮眠も慣れていますから」
ドルドレンは部屋の扉を閉めながら、見張りのことを気にしたが、それはすぐにバイラが引き受ける。『警護団内というのもありますし』自分は今日はここで休むと言うので、それは有難くお願いする。
タンクラッドはとっくにいなくて、食事を食べ終わると『コルステインが来るから。外は任せろ(←自分のように言う)』皆にそう言って、急いで表の雨の中へ出かけて行った。
片づけを終えたミレイオとイーアンは、ドルドレンたちと一緒に馬車へ戻る。
旅の一行が寝る場所は、馬車。この施設には、大きくはないが、馬房と繋がる馬車置き場があるので、屋根の下で馬車は休める。
タンクラッドはベッド持参で、コルステインにどこかへ連れ出してもらったか、馬車の近くにいなかった。
ミレイオは地下へ戻るらしく、砂まみれで汚れた衣服を回収すると、そのまま地下へ。
イーアンはドルドレンと荷馬車に入って、ザッカリアとシャンガマックは寝台馬車に、いつものように引っ込む。
ザッカリアはすぐに眠ったが、シャンガマックは眠くない。『夜な』とホーミットに言われていたので、夕方に眠っておいて正解だと思った。
総長たちが眠るのを待ち、もう大丈夫だろうかと判断した頃。そっと馬車を出たシャンガマックは、馬車置き場の出入り口を見て、少し困る。雨脚は一層強くなり、横の馬房にも大粒の雨が吹き込んでいた。
「これじゃ。外に出られないな」
出て行ったとしても、待っている間にずぶ濡れになる。どうしたものかと考えていると、馬房の端、地面すれすれの場所に、小さい何かが飛び出した。
それはすぐに近くに来て、シャンガマックの足にくっ付いた。『ネズミ』ちょっと大きめのネズミが一目散に足元に来たので、意外に思った騎士は、屈んで手を伸ばし、ハッとする。目が碧。
「あ・・・もしかして」
笑った褐色の騎士の顔に、手の平に上がったネズミも笑う(※キキキって)。
シャンガマックは、手に乗せたネズミを顔の高さに持ち上げて『どうしよう。外は大雨だ』と笑顔で相談。ネズミはキョロキョロ、暗い馬車置き場を見回すと、続く馬房の奥を示し『あそこへ入れ』と命じた。
奥の部屋の一つは馬が居らず、そこへ入れと言われたシャンガマックは、足音を立てないように歩き、腰高の柵を開けて中へ入る。
がらんとした何もない囲いの中。シャンガマックとしては、ここで話すのかなと思うところ。
でもホーミットは、そんなつもりではなく。姿を人に変えた大男は、囲いの中の地面に手を向ける。
彼の手が向いて、その背中の刺青が青白く光を持ったすぐ、地面に穴が開く。びっくりするシャンガマックを振り向いて『ここを通れ』と彼は指差した。
こんなことで。先に入ったホーミットに続いて大人しく、地面に開いた穴に降りると、穴はどこまでも続き、ホーミットに誘導されながら、暗闇の土の穴を通り抜けた。
出てきたところは、洞窟。ちょっと顔を向ければ、表が見えて、表は同じように雨が降っている。『ここは』シャンガマックが呟くと、ホーミットは『あの建物の、反対側の岩棚の下』と教えた。
「雨はこの辺り、どこも降っている。お前を別の空間に連れて行くのは、遺跡に因んだ場合くらい。こんな夜だと、こっちの方が安全で早いな」
「ホーミット。今日は本当に助かった。有難う」
シャンガマックはお礼を言う。二人になったら、何より先に、これを言いたかった。ホーミットは乾いた洞窟の地面に座り、シャンガマックを見つめて『当然だ』と答える。
「あの場所は、俺しか動けない。龍でも無理だ。コルステインでも」
「それをイーアンが教えてくれた。イーアンが男龍と待つしかなかった空で『ホーミットが動けば、心配要らない』と安心していたようだ」
「イーアンが。へぇ。あの女龍が。そんなことを。まぁ、お前とザッカリアがいるからな。そうか」
「ホーミット、イーアンも喜んでいた」
「バニザット、俺の名前はそっちじゃなくて良い。二人の時は、もう一つの名前で呼べ」
シャンガマックは、彼ら(※女龍・獅子)がお互いを認めるのが一番だと考えるから、彼に、イーアンのことも嫌いにならないでほしいと願う。それでちょっと念を押してみたら、違う話に逸らされた(※名前)。
「分かった。ヨーマイテス・・・うん。ヨーマイテスの方が、しっくり来るな」
「俺の名前だから、当たり前だろう。『ホーミット』は読み方を変えただけだ」
ハハハと笑ったヨーマイテスに、シャンガマックも笑う。ほんのちょっとのことで、彼が笑うようになった。そう感じる最近。嬉しいな、と素直に思う。
「ヨーマイテスの体に、俺の結界の影響はないか?大丈夫だっただろうか」
「問題ない。ギリギリ、間に合った。もう少し長く結界の中にいたら、危険だったかも知れない」
結界を解かせるために、ヨーマイテスが魔法の言葉で話しかけ続け、それがシャンガマックに届いて解かれた。シャンガマックもそれは分かっていたので、彼の力の種類、その数々には驚きしかない。
「どうして。俺たちがあの場所へ入ったと知ったんだ」
「精霊が教えに来た。俺に呼びかけ、助けに行くようにと」
精霊・・・そうだったのかと、頷いた褐色の騎士に、ヨーマイテスは、少し意地悪にニヤッと笑って『飛び起きた』恩着せがましく、急いだ様子を伝える。
でも騎士にイジワルは通じず。単に『飛び起きてくれたなんて。俺は本当に嬉しい。有難う』と、素敵な笑顔を貰っただけだった(※獅子撃沈)。
「あれは。魔物だったんだろうと思うけれど。でも『彷徨う魂の話』も、重なるような気がして。ヨーマイテスはどう思う?」
シャンガマックは、夕食時に総長から聞いた『消える砂山』の話、その砂山に隠れる魂たちのことを説明。ヨーマイテスはじっと聞いてから、『そんな話があるのか』そう呟いた。
「じゃ。本当だろう。彷徨う魂なんて、その変にうじゃうじゃいるだろうが、今回はその一部だったかもな。
あの魔物は、連れてきた人間の気力を使って、炎を燃やしていた。もっと捕まえれば、もっと大きく、被害の範囲を増やせた。
死人が動いていたのは、死人の魂を捕まえたからだ。魂と取引でもしたんだろ」
彼の言葉に、首を傾げて『取引』そこを繰り返すシャンガマック。ゆっくり瞬きしたヨーマイテスは、洞窟の外に顔を向けて、止まない雨を見る。
「お前が。例えば、死ぬとする。だが、さっきの昔話のように、お前には未練がある。未練を抱えた浮ばれない魂で、彷徨うだろ?
ある時、『もう一度、見える形を作ってやる』と誰かが言う。見える形で動く魂となれば、何を求めると思う?」
「未練・・・解消、出来るということか?」
騎士の答えに、そうなんじゃないのか、とヨーマイテスは教える。『解消出来るかどうか、そこまで考えない。差し出された条件に飛びついて、未練を晴らしに動くだけ』そんなもんだろと、彼は笑った。
「未練を晴らせれば、魂は浮ばれて。それじゃ、魔物には面白くないだろうが、未練が晴らせなきゃ、怒りや悲しみで、魔物の思うがままだ」
「未練を餌に・・・か」
「違うな。満足の意味を知ってるんだよ」
「魔物が?」
「魔物だからこそ、だ」
「未練を晴らすことと、満足が通じると・・・魔物が知っていて」
「未練しかなくて彷徨ってるんだぞ。その、足枷が取れるのが満足の至りって、その程度だ。だが『その程度』の味は、自分の状態を変える」
ヨーマイテスの碧色の瞳が、騎士の目を捉える。『俺は、お前に名前を呼ばせて、満足を知る』彼の低い声に、シャンガマックは唖然とする。
「そ。そんな、小さいことで」
「そんなもんだって言っただろう。小さく見えても『満足』ってのは、満たす以上にも以下にもならん。
誰もがそれを求める。バニザット、俺の名を呼べ」
「ヨーマイテス」
「ほらな。それを聞くだけで、俺は満足する。これを知らなかったら、きっと未練になったかもな」
シャンガマック。ちょっと赤くなる(※とっても照れ屋さん)。
『そんなことで良いなら。これからも呼ぶよ』小さい声でモゴモゴ言う騎士に、ヨーマイテスもちょっと笑って『そうしろ』と短く答えた。
それから、大男は他の事も教えてくれた。馬車の下に出てきた時(※ネズミ状態)周囲を取り囲んでいた黒い煙が、半分まで消えたこと。
その理由は―― 『ザッカリア?』驚くシャンガマックに、金茶色の髪をかき上げて、大男は頷いた。
「さっきの。魂の話が当てはまるなら、別に意外でもない。
お前は聞こえていない状態だっただろうが、ザッカリアは音楽を鳴らしていた。俺は特に何も思わんが、もし音楽を聴くことで、未練が晴らせたなら。
あそこにいたのは生きた人間だったから、未練も何も、死人のそれとは異なるだろう。それにしたって、不平不満の弱い部分を魔物に操られている奴らなら、自由な想いの導く満足で、操る糸を断てる可能性もある」
ヨーマイテスの見解を聞きながら、シャンガマックはじっと彼を見つめて、考える。暫く黙っているシャンガマックに、ヨーマイテスは『何を考えている』と訊ねた。
「魔物が。単純にも思えるような、人間の所為に、その理解に長けていると言うか。
出来事として目の前に出されたら、理由は何なのか、何が起こったのか、見えている物事の詳しい説明を探しがちな俺たちは、いつでも本音の守りが、ガラ空きなのかな・・・って」
ヨーマイテス、騎士の頭に腕を伸ばして、自分の側に引き寄せる。
それから、彼の顔を覗き込み『人間とはそういうもの』太い金属質な輝きの腕に抱えた、騎士に向かって教える。すると、漆黒の瞳が向けられて『俺はヨーマイテスのような目で、物事を見れるだろうか』素朴な質問が返された。
「そのうちな。過去のバニザットはそうしていた。あいつは、人間離れしていたからかも知れない。
でも。お前も望めば、彼の位置に届く。それまで、俺が守ってやろう。俺はお前の父」
「俺の父。あなたは、俺の父。俺はあなたの息子」
微笑むヨーマイテス。その微笑に、なぜか。全く似ていないのに、ふとミレイオの微笑が重なって、シャンガマックは『ミレイオみたいに』小さく呟いた。ハッとしたヨーマイテスは『ミレイオがどうした』と声を変えた。
その変わり方に驚き、シャンガマックは慌てて『いや、別に。ええっと、何でもない』言い訳は思いつかず(※正直者)はぐらかして、俯く。
彼の一言に、何かを感じたのか。
聞こえないくらいの溜め息をついた大男は、腕の中の騎士を抱え直し、自分の方を向かせると『お前は俺の息子。俺が決めた。良いな』静かに言い聞かせる。
「有難う。俺は、ヨーマイテスの息子。種は違えど、生きる時間は同じ」
「同じ時間を生きるぞ。お前は、俺が育てる」
ヨーマイテスは、この夜も。シャンガマックを抱えたまま、帰さなかった(※シャンガマック、洞窟で寝る)。
*****
同じように、この洞窟から更に離れた、岩山の上。灌木がちらほら生える、岩山の平らな場所で、親方もコルステインと一緒にいた。
かなり遠くへ運んでもらえたので、雨は関係なく、やや涼しさの名残ある夜風に吹かれ、雲の切れ間に星も見える夜(※快適)。
『俺は。魔物だと思ったんだが。斬る前に考えても良かったのか』
ふーっと息を吐き出した親方。引っかかっていることを話す。
コルステインは一日待っていたから、どうしてどこにも居なかったのか、その理由を聞いて、今日と昨日は別の空間に閉じ込められていたと分かると、とっても困っていた。
親方は、これについては仕方ないと言い、『ホーミットが解決した』ことも伝えたが、コルステインとしては『自分が動けない・助けられない』事実発生に、大層、気になったようで、どうも問題点として捉えた様子。
話が終わっても、コルステインはうーんうーん、悩んでいた(※悩むの限界)。
なので。悩むな、と慰めても聞かないコルステインに、別の話を振る親方は、気にしていたことを相談するつもりで、打ち明けてみた。
コルステインは、青い大きな目で彼を見て『何。斬る。倒す。タンクラッド。考える。何』と内容を訊ねる(※鳥だから、意識はすぐに変わる)。
『俺が今日・・・いや、昨日だな。ややこしい。倒した相手が、家族みたいで』
カクッカクッと、分からなさそうに首を傾げるコルステインに、ちょっと笑った親方は、説明が難しいので頭の中に入ってもらった。そして、出てきたコルステイン。親方をじっと見つめる。
タンクラッドの言いたいことを理解したコルステインは、彼の額に鍵爪の先っちょを少し当てて『お前。間違う。ない』大丈夫、と教えた。
『そうかな。本当は、単に優しさをほんの少し・・・求めていた、それだけかも知れないのに』
『違う。魔物。倒す。魔物。魂。一緒。した。お前。倒す。大事』
魔物と一緒の魂なら、倒すこと、それで良かったんだと、コルステインは、はっきり告げる。タンクラッドは、まだ納得出来ない浮かない顔で微笑んで、青い目を見つめ返す。その目つきに、コルステインは首を振った。
『魂。消える。する。終わる。帰る。大事。帰る。本当』
『魂の目的を話しているのか?帰ることが目的だから、倒されたとしても、それは』
『そう。帰る。大事。魂。ここ。居る。違う。離れる。大事。魂。知る。分かる。する』
魔物に使われていても、彷徨う魂の目的の本質は『帰る』そこにある。コルステインの青い目が、そう教える。
それは魂だって分かっていることで、この地上に居ることが違うことであることくらい、分かっている。離れる時が来たら、それは魂も知るだろう、と諭すコルステイン。
親方はニッコリ笑って、コルステインを抱き締める。コルステインも微笑んで彼を腕に抱く。
『お前が一緒だと。俺は安心だ』
『一緒。大事。コルステイン。お前。一緒。大事』
そうだな、と笑った親方。今日も二人は仲良くベッドに寝そべって、涼しい夜風の吹く星空の下、悩みも消えて眠りに就いた(※コルステインの悩みは、後でぶり返す)。




